明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 39

335. 漱石「最後の挨拶」草枕篇 ブログ総目次

ブログ総目次

草枕篇1 297.『草枕』降臨する神々(1)――不惑の詩人

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草枕篇2 298.『草枕』降臨する神々(2)――『一夜』との関係

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草枕篇3 299.『草枕』降臨する神々(3)――『趣味の遺伝』と『坊っちゃん

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草枕篇4 300.『草枕』降臨する神々(4)――『趣味の遺伝』とマクベス

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草枕篇5 301.『草枕』降臨する神々(5)――『趣味の遺伝』の実相

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草枕篇6 302.『草枕』降臨する神々(6)――消えろ消えろ束の間のともしび

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草枕篇7 303.『草枕』幻の最終作品(1)――3部作の秘密

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草枕篇8 304.『草枕』幻の最終作品(2)――主人公は芸術家

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草枕篇9 305.『草枕』幻の最終作品(3)――もうひとつの『明暗』と『迷路』

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草枕篇10 306.『草枕』あぶない小説(1)――始めて描かれたヒロイン

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草枕篇11 307.『草枕』あぶない小説(2)――女王は3回初登場する

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草枕篇12 308.『草枕』あぶない小説(3)――『一夜』3つの嘘

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草枕篇13 309.『草枕』あぶない小説(4)――『一夜』の脚本

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草枕篇14 310.『草枕』目次(1)第1章――真の詩人は坊っちゃん

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草枕篇15 311.『草枕』目次(2)第1章(つづき)――非人情の旅とは何か

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草枕篇16 312.『草枕』目次(3)第2章――画工33歳那美さん25歳

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草枕篇17 313.『草枕』目次(4)第3章――那古井は2度目というけれど

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草枕篇18 314.『草枕』目次(5)第3章(つづき)――女王は3回初登場する(実
践篇)

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草枕篇19 315.『草枕』目次(6)第4章――那美さんのラヴレター

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草枕篇20 316.『草枕』目次(7)第4章(つづき)――画工の疑似恋愛

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草枕篇21 317.『草枕』目次(8)第5章――名前のない登場人物

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草枕篇22 318.『草枕』目次(9)第6章――俳句と理屈が代わりばんこに登場する

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草枕篇23 319.『草枕』目次(10)第6章(つづき)――分刻みの恋(Reprise)

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草枕篇24 320.『草枕』目次(11)第7章――神代のエロティシズム

漱石「最後の挨拶」草枕篇 24 - 明石吟平の漱石ブログ


草枕篇25 321.『草枕』目次(12)第8章・第9章――早くも則天去私の考えが

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草枕篇26 322.『草枕』目次(13)第9章(つづき)――甥っ子1人登場させたばかりに

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草枕篇27 323.『草枕』目次(14)第10章――こっそり迎えたクライマックス

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草枕篇28 324.『草枕』目次(15)第11章――明治39年版怒れる小説

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草枕篇29 325.『草枕』目次(16)第11章(つづき)――有明海の星月夜

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草枕篇30 326.『草枕』目次(17)第11章(つづき)――若い人の意見の方が正しい

漱石「最後の挨拶」草枕篇 30 - 明石吟平の漱石ブログ


草枕篇31 327.『草枕』目次(18)第12章――蜜柑山の秘密

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草枕篇32 328.『草枕』目次(19)第12章(つづき)――野武士の髯と『一夜』の髯ある人

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草枕篇33 329.『草枕』目次(20)第13章――太公望の秘密

漱石「最後の挨拶」草枕篇 33 - 明石吟平の漱石ブログ


草枕篇34 330.『草枕』目次(21)第13章(つづき)――何事かが成就した漱石唯一の目出度い作品

漱石「最後の挨拶」草枕篇 34 - 明石吟平の漱石ブログ


草枕篇35 331.『草枕』補遺――登場人物と志保田家の秘密

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草枕篇36 332.『草枕』全51回目次――全13章

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草枕篇37 333.『草枕』全51回詳細目次(1)――第1章~第7章

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草枕篇38 334.『草枕』全51回詳細目次(2)――第8章~第13章

漱石「最後の挨拶」草枕篇 38 - 明石吟平の漱石ブログ


草枕篇39 335.『草枕』ブログ総目次

《 ブログ草枕 畢 》

漱石「最後の挨拶」草枕篇 38

334.『草枕』全51回詳細目次(2)――第8章~第13章


第8章 隠居老人の茶席に招かれる(全4回)

1回 客は観海寺の大徹和尚と甥の久一
(P93-2/御茶の御馳走になる)
老人の部屋には支那の花毯が~和尚は虎の皮の敷物~久一は鏡が池で写生しているところを和尚に見つかったことがある

2回 老人の娘那美さんの噂話も出る
(P95-15/「杢兵衛はどうも偽物が多くて)
茶碗は杢兵衛~老人は画工が青磁の皿と羊羹を賞めたことを知っていた~サファイアルビーの菓子皿~那美さんは健脚

3回 端渓の硯と物徂徠の大幅
(P98-10/老人が紫檀の書架から、恭しく取り下した)
和尚も漱石も山陽が嫌い~徂徠の方がまし~九眼の端渓~松の皮の蓋を取ると

4回 久一は召集されることになった
(P102-5/もし此硯に付て人の眼を峙つべき特異の点が)
端渓の素晴らしさ~支那へ行けば買えるのか~日露戦争と久一の運命

第9章 那美さんに個人レッスン(全3回)

1回 非人情な小説の読み方
(P106-3/「御勉強ですか」と女が云う)
部屋で那美さんと語る~画工は洋書を読んでいた~何ならあなたに惚れこんでもいい~惚れても夫婦にならないのが非人情な惚れ方

2回 メレディスの小説を日本語に直しながら読む
(P110-3/これも一興だろうと思ったから)
普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ~非人情な所がないから些とも趣がない~地震!~非人情ですよ

3回 画工と那美さん一触即発
(P113-14/岩の凹みに湛えた春の水が、驚ろいて)
振袖披露は画工のための親切心~「見たいと仰ゃったからわざわざ見せて上げたんじゃありませんか」「何か御褒美を頂戴」~久一は兄の家に居る~私が身を投げてやすやすと往生して浮いて居る所を奇麗な画にかいて下さい

第10章 鏡が池で写生をしていると岩の上に(全4回)

1回 鏡が池で思索にふける
(P118-2/鏡が池へ来て見る)
探偵は掏摸の親分~菫の花は帝王の権威に対峙しているという中学程度の観想~鏡が池の水草は水死美人の黒髪か

2回 那美さんの顔には憐れの情が足りない
(P120-12/二間余りを爪先上がりに登る)
赫い深山椿は嫣然たる妖女~水死美人には那美さんの顔が一番似合う~那美さんの表情には憐れが足りない

3回 源兵衛の語る鏡が池の名の由来
(P123-14/がさりがさりと足音がする)
再会した馬子の源兵衛は四十男~源兵衛が語る志保田の嬢様の黒い血筋~昔梵論児に懸想した志保田の嬢様が1枚の鏡を懐にして身を投げたことがある

4回 岩の上に立つ那美さんはひらりと身をひねる
(P126-13/「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」)
去年亡くなった母親も少し変であった~池の向こう側は大岩が突き出している~その上に那美さんが立っていた~驚きの跳躍

第11章 山門の石段を登りながら考えた(全4回)

1回 人のひる屁を勘定する人世
(P129-11/山里の朧に乗じてそぞろ歩く)
宵の明星もしくは月明かりの夜~用事もないがつい足が山門に向かう~円覚寺の塔中での思い出~漱石の本音が出る

2回 一列に並んだサボテンと1本の木蓮の大樹
(P132-10/仰数春星一二三の句を得て)
仰数春星一二三~岡つつじの怪~サボテン~木蓮の花~庫裏を訪ねる

3回 お寺で大徹和尚と了念に会う
(P135-12/「和尚さんは御出かい」)
履物を揃えないので了念に叱られる~寺の下には朧夜の海と漁火が見える~画描きにも博士があるか~東京の電車はうるさくてつまらぬもの

4回 和尚との禅問答
(P139-13/鉄瓶の口から烟が盛に出る)
屁の勘定た何かな~はあ矢張り衛生の方かな~衛生じゃありません探偵の方です~那美さんは和尚の法話を聞いて人間が出来てきた~那美さんは松の木である~奇麗な上に風が吹いても苦にしない

第12章 白鞘の短刀の行方(全6回)

1回 芸術家の条件
(P143-8/基督は最高度に芸術家の態度を具足したるものなり)
芸術家の条件~1枚の画もかかない画家~空気と対象物と色彩の関係~日本固有の空気と色を出すには~山へ行って画を描こうと思う

2回 那美さんは家の中で常住芝居をしている
(P146-2/襖をあけて、椽側へ出ると)
向こう2階に那美さんが立つ~那美さんの左手には白鞘が~無意識の常住芝居~藤村子厳頭の吟~美しいものは正しい

3回 海の見える野原で写生ならぬ漢詩に浸る
(P149-14/三丁程上ると、向うに白壁の一構が見える)
海は足下に光る~木瓜の花の下に寝ころぶ~木瓜の花に生まれ変わりたい~子供の頃木瓜の木で筆立てを作ったことがある~木瓜の詩完成

4回 那美さん野武士に財布を渡す
(P152-15/寝返りをして、声の響いた方を見ると)
髯の男を注視する~那美さんが現われる~二人は接近して向き合う~那美さんの懐には白鞘が~現れたのは財布であった

5回 画工那美さんに見付かる
(P156-1/二人は左右へ分かれる)
すぐ那美さんに見つかる~ここへ入らしてまだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか~あれはわたくしの亭主です

6回 蜜柑山の久一さんの家へ行く
(P159-4/迅雷を掩うに遑あらず)
兄のいる本家へ行く~南向きの庭の先は蜜柑畠~その先は青海~「久一さん」「そら御伯父さんの餞別だよ」

第13章 鉄道駅で大切な人との別れ(全3回)

1回 川舟に全員集合
(P161-9/川舟で久一さんを吉田の停車場迄見送る)
久一さん軍は好きか嫌いかい~那美さんが軍人になったら嘸強かろう~太公望事件~誰も彼も運命の輪から外れることは出来ない

2回 那美さんの肖像画を描く話
(P164-5/舟は面白い程やすらかに流れる)
先生私の画をかいて下さいな~画工の驚ろきは那美さんの喜び~あの山の向こうを貴方は越していらしった~舟が着くとなかなか大きな町である

3回 永訣。那美さんに突然浮かんだ憐みの表情
(P167-9/愈現実世界へ引きずり出された)
画工の汽車論~汽車は文明であるが文明はまた人を押さえつける~文明による平和は真の平和ではない~危ない危ない~「愈御別かれか」「それでは御機嫌よう」「死んで御出で」~野武士の髯面が~最後の一句

漱石「最後の挨拶」草枕篇 37

333.『草枕』全51回詳細目次(1)――第1章~第7章


 先にも断った通り回数分けやそのタイトルは勝手に付けたものである。回数分けのガイドとなる頁の表示は、岩波書店版『定本漱石』第3巻(2017年2月初版)に拠った。

第1章 山路を登りながら考えた (全4回)

1回 店子の論理
(P3-2/山路を登りながら、こう考えた)
俗世間の住みにくさと芸術の効用~主人公は30歳余~大きな石を迂回して旅を続ける

2回 雲雀の詩
(P6-3/忽ち足の下で雲雀の声がし出した)
シェリーの詩~雲雀は幸福か、それとも雲の中で死ぬのか~しかし苦しみのないのは何故だろう

3回 非人情の旅
(P8-15/恋はうつくしかろ)
喜怒哀楽・苦怒騒泣は人の世につきもの~芝居や小説もそれを免れぬならそんな世界はまっぴら

4回 画工の覚悟
(P11-12/唯、物は見様でどうにもなる)
旅に出逢うすべての人事を能舞台の出来事と見做すと~すべての人事を画帖に封じ込めたら

第2章 峠の茶屋で写生と句詠 (全4回)

1回 高砂の媼
(P15-3/「おい」と声を掛けたが返事がない)
茶店の婆さんは高砂の媼にうり二つ~婆さんが美しいのではなく高砂の媼が美しいのだ~婆さんの横顔を写生する

2回 那古井の志保田
(P18-7/折りから、竃のうちが、ぱちぱちと鳴って)
さあ御あたり~いい具合に雨も晴れました~ここから那古井迄は一里足らずだったね~宿屋はたった一軒だったね

3回 源さんと馬子唄
(P21-8/只一条の春の路だから)
源さんと婆さんが那古井の御嬢様の噂話をする~嫁入のとき馬でこの峠を越した~ミレーのオフェリア

4回 長良の乙女
(P23-15/「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶する)
志保田の嬢様の話~長良の乙女の話~ともに2人の男が祟った~今度の戦争で夫の銀行が倒産

第3章 夜おそく那古井の宿へ到着 (全4回)

1回 春の夜の夢
(P27-10/昨夕は妙な気持ちがした)
夜8時の到着~晩い夕食と入浴~女中1人の怪~房州旅行の思い出~長良の乙女とオフェリアの夢

2回 歌う女
(P30-13/そこで眼が醒めた。腋の下から汗が出ている)
誰か小声で歌をうたっている~長良の乙女の歌か~海堂を背に月影に浮かぶすらりとした女~深更那美さん初登場~芸術家と常人の違い

3回 侵入者
(P34-9/余が今見た影法師も、只それ限りの現象とすれば)
余計な詮議は非人情の妨げ~詩人になる簡便法とは~入口の唐紙から女の影が~深夜の侵入者

4回 不意討ち
(P38-8/浴衣の儘、風呂場へ下りて)
ゆっくりめの朝風呂~風呂場の戸口での遭遇~那美さんの初セリフ~見たことのない表情~画にしたら美しかろう~不仕合せな女に違いない

第4章 スケッチブックの中の詩人 (全4回)

1回 添削もしくは付け文
(P41-9/ぽかんと部屋へ帰ると、成程奇麗に掃除がしてある)
写生帖に落書~発句に付け句か添削か~縁側のある部屋~やっと落ち着いて宿からの景色を見る 

2回 晩い朝食もしくは聴き取り調査
(P44-12/やがて、廊下に足音がして)
那美さんが引き返した理由~「うちに若い女の人がいるだろう」「へえ」「ありゃ何だい」「若い奥様で御座んす」~「和尚様の所へ行きます」「大徹様の所へ行きます」~向う二階の欄干に頬杖を突いて佇む

3回 青磁の羊羹
(P49-2/余は又ごろりと寝ころんだ)
メレディスの詩~那美さん羊羹を持って部屋に来る~源兵衛と婆さんは那美さんの情報源

4回 スケッチブックの中に入ってみる
(P52-10/茶と聞いて少し辟易した)
茶道は商人のやること~始めての会話は身上調書~長良の乙女の話の出所は那美さん~ささだ男もささべ男も両方男妾にするばかり

第5章 まるで浮世床 (全4回)

1回 髪結床の親方は元江戸っ子
(P57-2/「失礼ですが旦那は、矢張りやっぱり東京ですか」)
髪結床は神田松永町の出身で癇性でおしゃべり~しかも酔っ払っていた~石鹸なしに逆剃をかける

2回 志保田の出返り娘はキ印
(P60-15/「旦那あ、余り見受けねえ様だが)
髪結床は那古井の宿の隠居と東京で一緒だった~旦那あの娘は面はいい様だが本当はキ印しですぜ~本家の兄と仲が悪い

3回 納所坊主泰安の災難
(P64-13/「そうか、急勝だから、いけねえ)
観海寺の泰安が那美さんに付け文~那美さん読経中の破天荒~駘蕩たる春光と髪結床は対照の妙か

4回 観海寺の小坊主了念
(P68-11/こう考えると、此親方も中々画にも詩にもなる)
了念登場~泰安は生きて修業中~石段を上がると何でも逆様

第6章 座敷に独り居て神境に入る (全4回)

1回 何も見ず何も想わない楽しみの世界
(P71-11/夕暮の机に向う)
静かな宿の夕暮れ~忘我の境地で詩の世界へ入る~詩境をすら脱却する境地とは

2回 感興を画に乗せて
(P75-4/此境界を画にして見たらどうだろうと考えた)
詩境を画にするには~心を瞬時に截り取って絹の上に開示する~物外の神韻を伝える絵画はあるか

3回 画にもならず音楽にもならない興趣を詩で表現する方法
(P77-14/鉛筆を置いて考えた)
音楽はどうか~画工の結論は写生帖に詩を書くこと~すぐ画になりそうな詩が出来た

4回 振袖披露
(P80-11/余が眼を転じて、入口を見たときは)
那美さんが振袖を着て向こう2階の椽側を歩いている~表情もなく何度も往ったり来たり

第7章 浴場の怪事件(全3回)

1回 湯壺の中の哲学的考察
(P84-2/寒い。手拭を下げて、湯壺へ下る)
湯の中で思うのはまず白楽天~次に風流な土左衛門~そして再びミレーのオフェリア

2回 三味の音を聴いていると女が裸で入って来た
(P86-12/湯のなかに浮いた儘、今度は土左衛門の賛を作って見る)
どこかで三味の音が~万屋の御倉さんの想い出~突然風呂の戸が開いて那美さんが裸で入って来た

3回 那美さん湯に入る
(P89-12/注意をしたものか、せぬものかと)
声を掛けようか迷う~女の裸体は画工には美しい画題~しかし西洋画の裸婦モデルとは一線を隔す~那美さんの裸体は原始の美を発揮している

漱石「最後の挨拶」草枕篇 36

332.『草枕』全51回目次――全13章


第1章 山路を登りながら考えた (全4回)

1回 店子の論理
2回
 雲雀の詩
3回
 非人情の旅
4回 画工の覚悟

第2章 峠の茶屋で写生と句詠 (全4回)

1回 高砂の媼
2回 那古井の志保田
3回 源さんと馬子唄
4回 長良の乙女

第3章 夜おそく那古井の宿へ到着 (全4回)

1回 春の夜の夢
2回
 歌う女
3回 侵入者
4回 不意討ち


第4章 スケッチブックの中の詩人 (全4回)

1回 添削もしくは付け文
2回 晩い朝食もしくは聴き取り調査

3回 青磁の羊羹
4回 スケッチブックの中に入ってみる

第5章 まるで浮世床 (全4回)

1回 髪結床の親方は元江戸っ子
2回 志保田の出返り娘はキ印
3回 納所坊主泰安の災難
4回 観海寺の小坊主了念

第6章 座敷に独り居て神境に入る (全4回)

1回 何も見ず何も想わない楽しみの世界
2回 感興を画に乗せて
3回 画にもならず音楽にもならない興趣を詩で表現する方法
4回 振袖披露


第7章 浴場の怪事件 (全3回)

1回 湯壺の中の哲学的考察
2回 三味の音を聴いていると女が裸で入って来た
3回 那美さん湯に入る

第8章 隠居老人の茶席に招かれる (全4回)

1回 客は観海寺の大徹和尚と甥の久一
2回 老人の娘那美さんの噂話も出る
3回 端渓の硯と物徂徠の大幅
4回 久一は召集されることになった

第9章 那美さんに個人レッスン (全3回)

1回 非人情な小説の読み方
2回 メレディスの小説を日本語に直しながら読む
3回 画工と那美さん一触即発

第10章 鏡が池で写生をしていると岩の上に (全4回)

1回 鏡が池で思索にふける
2回 那美さんの顔には憐れの情が足りない

3回 源兵衛の語る鏡が池の名の由来
4回 岩の上に立つ那美さんはひらりと身をひねる


第11章 山門の石段を登りながら考えた (全4回)

1回 人のひる屁を勘定する人世
2回 一列に並んだサボテンと1本の木蓮の大樹
3回 お寺で大徹和尚と了念に会う
4回 和尚との禅問答

第12章 白鞘の短刀の行方 (全6回)

1回 芸術家の条件
2回 那美さんは家の中で常住芝居をしている
3回 海の見える野原で写生ならぬ漢詩に浸る

4回 那美さん野武士に財布を渡す
5回 画工那美さんに見付かる
6回 蜜柑山の久一さんの家へ行く

第13章 鉄道駅で大切な人との別れ (全3回)

1回 川舟に全員集合
2回 那美さんの肖像画を描く話
3回 永訣。那美さんに突然浮かんだ憐みの表情

漱石「最後の挨拶」草枕篇 35

331.『草枕』補遺――登場人物と志保田家の秘密


 さてそのユニークな『草枕』は、登場人物もまた独自の観点から造型されているようである。
 漱石の1人称小説は、広く採り上げれば次の通りであろうか。(年代順)


《作品名・1人称の呼称・主人公の名前・職業身分・婦人の親友その他。》
『猫』吾輩・名前なし(ノラ)・捨て猫・三毛子が病死した
『琴の空音』余・名前なし(K)・法学士・露子という婚約者あり
『趣味の遺伝』余・名前なし・文学者・河上浩さんの友人
坊っちゃん』おれ・名前なし・数学教師・女っ気なし
草枕』余・名前なし・文学士のような画工・那美さんと知り合う
『坑夫』自分・名前なし・坑夫見習・艶子澄江との交際歴あり
彼岸過迄/須永の話』僕・須永市蔵・卒業文学士・田口千代子の恋人候補
彼岸過迄/松本の話』僕。松本恒三・高等遊民(評論家)・市蔵の出生の秘密
『行人』自分・長野二郎・設計事務所雇人・嫂お直とのいきさつがある
『心/先生と私/両親と私』私・名前なし・大学生・先生と近づきになる
『心/先生と遺書』私・名前なし・大学生~高等遊民・御嬢さんを獲得

 これらの1人称の主人公1匹と10名のうち、最も漱石らしいのが『草枕』の「余」である。松本恒三と『心』の先生の方が、読んだ感じとして実物の漱石に近いという意見もあろうが、松本は本来主人公の叔父であり、1人称で語られる主人公とは少し立場が異なる。先生もほとんど漱石に近いが、遺書を書いて実行しようとするからには、漱石とは決定的に異なると言うべきである。(しかしそれは基本的な差異ではないとする考え方もある。)
 『草枕』に先行する『琴の空音』『趣味の遺伝』では、2人の「余」は主人公でなくその引き立て役に過ぎない。それは『行人』の二郎にもいえる。狂言廻しである。『彼岸過迄』の須永市蔵も漱石丸出しではあるが、小説の建付けとしては松本恒三と同じく、田川敬太郎の1人称小説における3人称の主人公である。むしろ『坊っちゃん』の方が若い頃(23歳)の漱石に近い。
 したがって漱石に一番近い1人称小説の主人公は、

1位 『草枕』の余。
2位 『坊っちゃん』のおれ。
3位 『心』の先生(私)。

 ということになろうか。表を眺めると漱石は1人称の自己の呼称にも、二番煎じを避けた独立性が感じられる。その書かれた時期にもまた、独自の主張があるようだ。

◇処女3部作
・吾輩 『猫』
・おれ 『坊っちゃん
・余 『草枕
◇青春3部作
(該当なし)
◇中期3部作
・僕 『彼岸過迄』(須永・松本)
・自分 『行人』
・私 『心』
◇晩期3部作
(該当なし)

 3部作ごとに一大基本方針を打ち立てているようにも見え、そんなこととは関係なく、まるで宗八、代助、宗助のように、それぞれの作品の主人公に固有の名前を附しているようでもある。しかし英語で I (アイ) に統一されてしまうことを考えると、漱石の独自性は日本語でのみ発揮されることになる。英文学者漱石はそれを可しとしたのか。まあ英文学者とは英国人の文学者という意味ではなく、日本人で英文学を専らにする学者という意味ではあるが。(小説家漱石の戦場は「日本語」であるという意味であるが。)

 漱石は1人称小説を『猫』(吾輩)、『坊っちゃん』(おれ)、『草枕』(余)と律儀に書き分けて来たが、『草枕』では、名前の附された登場人物と名前のない登場人物を、なぜかちょうど半分ずつに割り振った。エルキュールポアロがシンメトリィを重んじたように、それは対照の美を放っているようでさえある。

《名前のある登場人物 VS. 名前のない登場人物》
Ⅰ 那美さん VS. 別れた亭主(野武士)
Ⅱ 大徹和尚 VS. 那美さんの父親(隠居老人)
Ⅲ 久一 VS. 那美さんの兄
Ⅳ 泰安 VS. 那美さんの京都の男
Ⅴ 了念 VS. 宿の女中(小女郎)
Ⅵ 源兵衛 VS. 茶店の婆
Ⅶ 画工 VS. 髪結床の親爺

 各々前者が名前あり、後者が名なしである。その対比される人物の、グルーピングされるべき共通項は次の通り。

Ⅰ 夫婦である。夫婦であった。これより堅固な「つがい」はあるまい。
Ⅱ 我が道を行く趣味の老人。那美さんの庇護者でもある。
Ⅲ 那美さんの係累。従姉弟と実兄。無口で2人とも独身らしい。
Ⅳ ともに那美さんを愛した。那美さんも愛を返そうとしたが果実は着かなかった。印象深い2人であるが、実際に舞台に登場してしゃべることはない。人の口を介してのみ語られる。
Ⅴ 一癖ありそうな小坊主と小女郎。2人とも生意気だが利発なところもある。
Ⅵ 働く馬子と婆。婆は那美さんの婆やかも。おしゃべり。情報源(情報提供者)。
Ⅶ 髪結床だけでなく、画工も名前はないではないかと言われそうである。しかし画工が作者漱石であることは明白であるから、この組み合わせも成立する。そこで名前を持つ漱石本人と名前のない髪結床の親爺の共通点を探すと、
①年齢(40歳くらい)。
②江戸っ子。
③癇性で凝り性、せっかち。
④おしゃべりで詮索好き。漱石を(坊っちゃんみたいに)ことさらべらんめい呼ばわりするつもりはないが、小説家である以上寡黙でいるわけにはいかない。あらゆる小説家はおしゃべりである。それは詮索好きにつながるおしゃべりでもある。(作家によっては自己の生い立ちや思想の来歴について饒舌になることもある。)
⑤そして最大の共通点は、どちらも画工の生殺与奪の権利を有していることであろうか。主人公に対しては作者が(筆1本で)それを行使できることは言を俟たないが、髪結床の親爺もまた、剃刀1本でいつでも画工を天国に送ることが出来る(と『草枕』第5章の中でいみじくも漱石はそう書いている)。

 上記のⅠ・Ⅱ・Ⅲが那美さんの一家であるが、Ⅱの大徹和尚と隠居老人のペアを見て思いついた。和尚と隠居の共通点はもっと他にありはしないか。
 それは隠居老人が那美さんと血がつながっていないという恐怖のストーリィである。那美さんは(去年亡くなった)母親の不義の子で、それは母親の側の責めに帰すべき理由があったようである。那美さんの実の父親は久一の父親ではなかったか。つまり母親は義弟と過ちを犯した。それを村人は志保田の血筋のせいであると噂したかも知れない。
 那美さん一家は母親の「治療」も兼ねて、本家と田畑蜜柑山それに別宅の旅荘等の管理をすべて弟一家に押しつけて都へ出た。弟一家には久一という1人息子がいたが、こちらは父親の不義という昏い過去に加えて、村一番の家の管理をすべて任されるという重圧もあって、久一が成人する前に夫婦とも相次いで亡くなった。まず父親がはやり疾いで亡くなり、母親がすぐ後を追った。母親については事故の噂もあった。
 那美さん一家は那美さんが仕上がる前に那古井へ引き揚げることになった。もとより那美さん一家が久一の家族に輪をかけて不仲の一家であったことは想像に難くない。那美さんが成長するにつれて、那美さんの出生の秘密は家中で隠し切れなくなった。若い兄と多感な那美さんがいがみ合う。母親は病気で機能しない。父親は母親を庇うだけで精一杯。髪結床はそんな一家を傍から見てきて父親に同情したのだろう。
 引き揚げた那古井で兄は独立して本家を相続する。夫婦と那美さんは別宅の旅館へ移り、那美さんはそこから城下へ嫁入った。久一は本宅へ残るが、ごたごたの前後、志願兵になったこともあった。そこへ今次の戦争で那美さんの夫の銀行の不始末があり、那美さんは両親の許へ帰る。心労の母親はついに斃れ、那美さんはその母親にだんだん似てくるようである。隠居老人にはもうどうすることも出来ない。久一は召集されて外地のどこかへ赴く。出立を控えたある日、唯一の同胞、腹違いの姉から白鞘の短刀を渡された。護身用という話は聞かないから自刃用か。それを使うとしても、また久一の人生である。

 この志保田家の物語は、単なる思いつきに近いが、少なくとも『草枕』の中で説明されていない、次の7つの疑問に対する答えにはなっていよう。

A 久一が天涯孤独に見えること。
B 那美さんが久一に実の弟のように接していること。
C 那美さんが兄と仲が悪いこと。
D 那美さんの兄だけ独立して、しかも久一と同居していること。
E 那美さんと隠居老人の間に情愛の乏しいこと。
F 那美さんの母親が少し変であったこと。
G そして画工が那美さんにシンパシィを感じるという、『草枕』最大の疑問。那美さんの境遇は何となく漱石に似ているのである。

 もう1つ、さらに飛躍するが、もともと久一の家が本家だったとして、隠居老人が本家の財産を横領したという漱石おなじみのストーリィ。
 久一の母親が義弟と不義の上産まれたのが那美さんであった。母親はそのあと久一のお産で死んでしまった。那美さんは実の父親に引き取られる。あとは概ね似たような展開であるが、久一の父親が亡くなった後、京都から帰って来た叔父一家によって、久一はまるで居候のような形に追い遣られてしまった。
 この場合、那美さんが去年亡くなった自分の「母親」にまったく関心を示さない理由も分かるし、一方那美さんと隠居老人は実の親子になるが、それはまあどちらでもいいような話であろう。那美さんは兄とは腹違いの兄妹であり、久一とは同腹の姉弟ということになる。久一が隠居老人を「伯父さん」と呼ぶことが気になるが、英文学者漱石は親の弟でも「伯父さん」と書くことがある。とくに気にしなくていいのである。

 嫂と義弟の不義、叔父による財産横領は、後の漱石作品のテーマにもなっており、単なる思いつきでもない。論者は漱石の私行に興味はないが、そういう類いの作品が書かれている以上、その根拠となるかも知れない他の作品について、想像を交えて考察することは許されるだろう。
 どちらにしても、志保田の家がいびつな家族であることに違いはない。漱石は『坊っちゃん』以来『明暗』までずっと、どこかに欠落点のある、ヘンな家庭ばかり描いて来た。まっとうな、どこから見ても文句の付けようのない家庭というものは、バイプレーヤーであっても、(漱石の嫌悪する)一部の実業家の家庭に限られた。

 いや何事にも例外は存在する。『猫』の苦沙弥先生の家は平凡で平和そのものではないか。
 ところがその世間に埋没しかねないありふれた家において、1人の大変人の戸主のおかげで、家族全員がとてつもなく苦しむということもまた、大いにありうることである。その真の悲劇を、(後に少しだけ書いたように見えるかも知れないが、)当然ながら漱石は書いていない。漱石は自分が変人であることは(そう言われつけていたので)自覚していたが、それは浅い水たまりのようなもので、実際の(変人)度合いは海溝のようにどこまでも底なしであったことに、自分では気がつかなかったのである。
 志保田の家もまた、どのように描かれようが、その真の闇は実在した漱石の家庭のそれより、いくらかでもマシ、、なものであったと、そう気休めを言ってやりたくなる。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 34

330.『草枕』目次(21)第13章(つづき)――何事かが成就した漱石唯一の目出度い作品


第13章 鉄道駅で大切な人との別れ (全3回)(承前)

2回 那美さんの肖像画を描く話
(P164-5/舟は面白い程やすらかに流れる。左右の岸には土筆でも生えて居りそうな。土堤の上には柳が多く見える。まばらに、低い家が其間から藁屋根を出し。煤けた窓を出し。時によると白い家鴨を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中迄出て来る。)
先生私の画をかいて下さいな~画工の驚ろきは那美さんの喜び~あの山の向こうを貴方は越していらしった~舟が着くとなかなか大きな町である

 女は黙って向(むこう)をむく。川縁はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面のげんげんで埋っている。鮮やかな紅の滴々が、いつの雨に流されてか、半分溶けた花の海は霞のなかに果しなく広がって、見上げる半空には崢嶸たる一峰が半腹から微かに春の雲を吐いて居る。
「あの山の向うを、あなたは越して入らしった」と女が白い手を舷から外へ出して、夢の様な春の山を指す
「天狗岩はあの辺ですか」
「あの翠の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」
「なあに凹んでるんですよ。禿げて居りゃ、もっと茶に見えます」
「そうでしょうか。とも角、あの裏あたりになるそうです」
「そうすると、七曲りはもう少し左りになりますね」
「七曲りは、向うへ、ずっと外れます。あの山の又一つ先きの山ですよ」
「成程そうだった。然し見当から云うと、あのうすい雲が懸ってるあたりでしょう」
「ええ、方角はあの辺です」

 筆が那美さんに向かうと景色の書きぶりも一段と艶やかになる。那美さんの画工に対するほとんど最後の語りかけ。エキセントリックなところはもう見えない。那美さんは海側から峠を見ている。峠の茶屋で画工は那古井の御嬢さんのことを婆さんから始めて聞いたのであった。すべてはそこから始まった。すぐさま婆さんはまるで見張り塔の番人のように、あるいは那美さんの庇護者のように、画工の情報を那美さんに伝えた――。
 この川舟からの景色を見て、画工と那美さんは珍しく互いに心に通じ合うものを感じたようでる。川面から見上げる岩山の峠。感傷的ともいえる那美さんの言葉に続く、何の底意も含まない単純な会話が二人の間で交わされるとは。――思うにこれは漱石の書く男女の始めての「会話」ではなかったか。男女はもう闘いをやめている。この男女の「平和な(平凡な)対話」は、次に『三四郎』の印象的なシーンとして蘇った。

 三四郎は又石に腰を掛けた。女は立っている。秋の日は鏡の様に濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木が生えている。青い松と薄い紅葉が具合よく枝を交し合って、箱庭の趣がある。島を越して向側(むこうがわ)の突き当りが蓊鬱(こんもり)とどす黒く光っている。女は丘の上から其暗い木陰を指した
「あの木を知って入らしって」と言う。
「あれは椎」
 女は笑い出した。
「能く覚えて入らっしゃる事」
「あの時の看護婦ですか、あなたが今訪ねようと云ったのは」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
「違います。是は椎――といった看護婦です」
 今度は三四郎が笑い出した。
彼所ですね。あなたがあの看護婦と一所に団扇を持って立っていたのは
 二人のいる所は高く池の中に突き出している。此丘とは丸で縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとう堪え切れないで出て来たの。――あなたは又何であんな所に跼がんで入らしったの
「熱いからです。あの日は始めて野々宮さんに逢って、それから、彼所へ来てぼんやりして居たのです。何だか心細くなって」
「野々宮さんに御逢いになってから、心細く御成りになったの」
「いいえ、左う云う訳じゃない」と云い掛けて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
 ・・・(『三四郎』6ノ12回)

 『草枕』の精神は次に『三四郎』に受け継がれた。『草枕』はその美文ゆえに、『虞美人草』に引き継がれてその役目を終えたかにも見えるが、『三四郎』のための、豊饒な耕土を有つ、よく準備された畠であったともいえる。だからこそ登場人物の種子を蒔いただけで『三四郎』という小説の果実が実ったのであろう。

3回 永訣。那美さんに突然浮かんだ憐みの表情
(P167-9/愈現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまって、そうして同様に蒸汽の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。)
画工の汽車論~汽車は文明であるが文明はまた人を押さえつける~文明による平和は真の平和ではない~危ない危ない~「愈御別かれか」「それでは御機嫌よう」「死んで御出で」~野武士の髯面が~最後の一句

 停車場に着いて汽車を待つ。草鞋穿きの田舎者の2人連れ。しきりに何かしゃべっている。(彼らは後年『明暗』で、津田が湯河原へ行く乗換駅の待合室に再び出現した。)

「牛の様に胃袋が二つあると、いいなあ」

 この呟きに心を動かされない漱石ファンはいないだろう。このとき読者はすでに、胃弱で大根おろしに頼ったりタカジアスターゼを飲む『猫』の苦沙弥先生を知っているが、この胃病がまさか生涯にわたって漱石を苦しめることになろうとは、『草枕』の時代では家族以外気付くよすがもなかった。

 そして久一と皆との別れ。汽車が動き出して、おそらく最後尾の車両に乗っていたのは、満洲へ行く那美さんの亭主であった。城下に住む野武士は熊本駅から乗車していたのだ。野武士もまた志保田の一家との永訣となった。
 窓から首を出したということは、彼もまた那美さんを探していたのであろうか。那古井の草っ原で金を渡したとき、久一の出立と見送りのことも伝えていたのだろう、何でも先回り出来る那美さんは知っていたはずである。那美さんは夫との別離のシーンを予期していた。那美さんの「憐れ」の表情は咄嗟に浮かんだように書かれるが、たぶん久一との別れのときから、それは浮かんでいたと思われる。画工が見なかっただけである。久一との別れだけなら、那美さんの顔を見る必要はない。

 茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。其茫然のうちには不思議にも今迄かつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
 と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面は此咄嗟の際に成就したのである。(『草枕』末尾)

 漱石はこのとき少しだけ那美さんにも野武士にも寄り添っている。非人情の旅は頓挫したものの、画工の目指す画は完成した――画工の心の中だけで。とはいえ何事かがめでたく「成就した」小説は、後にも先にも『草枕』だけである。そのため2人の男が犠牲になろうとしていることはさておき、『草枕』は漱石作品最初で最後の、達成感と充足感の感じられる唯一の小説となった。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 33

329.『草枕』目次(20)第13章――太公望の秘密


第13章 鉄道駅で大切な人との別れ (全3回)

1回 川舟に全員集合
(P161-9/川舟で久一さんを吉田の停車場迄見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論御招伴に過ぎん。)
久一さん軍は好きか嫌いかい~那美さんが軍人になったら嘸強かろう~太公望事件~誰も彼も運命の輪から外れることは出来ない

(那古井の)村から菊池川を遡上して現在の玉名駅に向かうのであろう。玉名の古名は多婆那か多婆留(田原)か。鹿児島本線を北上するのであればわざわざ峠を越えて熊本へ出るまでもない。下車駅は下関か博多(那の津)か。那美さんが嫁に行った「5年前」には、すでに漱石はさらにその5年前に熊本の地を離れていた。漱石は日露の凱旋は東京で見聞したであろうが、地方都市での出征の模様を実際に見たわけではなかった。自分のしなかったことは書かないのが漱石の流儀である。漱石は出征の見送りはしなかったかも知れないが、人との別れは当然ながら何度も経験した。

 岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋いで、一人の男がしきりに垂綸を見詰めて居る。一行の舟が、ゆるく波足を引いて、其前を通った時、①此男が不図顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。②眼を見合せた両人の間には何等の電気も通わぬ。③男は魚の事ばかり考えている。④久一さんの頭の中には一尾の鮒も宿る余地がない。一行の舟は静かに太公望の前を通り越す。
 日本橋を通る人の数は、一分に何百か知らぬ。もし橋畔に立って、行く人の心に蟠まる葛藤を一々に聞き得たならば、浮世は目眩しくて生きづらかろう。只知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る。⑤太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、何らの説明をも求めなかったのは幸である。顧り見ると、安心して浮標を見詰めている。大方日露戦争が済む迄見詰める気だろう。

 風景画に人物を点描する珍しい例が第5章に見られた(黙って貝を剥く爺さん)。今回の記述はそれをなぞったのだろうか。しかしこの釣り人は久一さんと目を合わせるというアクションを起こした(①)。単なる風景ではなかった。釣り人は久一さんを知らない(②)。知らなければ別れもない(⑤)。画工は違う。たまたま久一と見知って、オマケにせよ別れの列に連なっている。これもまた1つの対照の妙であろうか。
 しかしこのくだりで、③の「男は魚の事ばかり考えている」は、『草枕』にあっては例外的な記述である。④の久一の描写も、③を受けてのことだろうが、ややそれに近い。これは本ブログのスタート地点たる、『三四郎』の「三四郎自分の方を見ていない」という驚ろきの記述に通ずるものがあるようだ。

「違うんですか」
「一人と思って入らしったの」
「ええ」と云って、呆やりしている。やがて二人が顔を見合した。そうして一度に笑い出した。美禰子は、驚いた様に、わざと大きな眼をして、しかも一段と調子を落とした小声になって、
「随分ね」と云いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行って仕舞った。三四郎は立ち留まった儘、もう一遍ヴェニスの堀割を眺め出した。先へ抜けた女は、此時振り返った。⑥三四郎自分・・の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
⑦「里見さん」
 出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。⑧美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間許離れて、原口さんが立っている。原口さんの後ろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るや否や、二三歩後戻りをして三四郎の傍へ来た。人に目立たぬ位に、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何か私語いた。三四郎には何を云ったのか、少しも分らない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返して行った。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向って、
「妙な連と来ましたね」と云った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と云った。野々宮さんは何とも云わなかった。くるりと後ろを向いた。・・・(『三四郎』8ノ8回~8ノ9回)

 論者はこの美禰子の描写に対して、幽体離脱・憑依という言葉を使ったが、小説『三四郎』の文脈に順えば、この部分は「三四郎の方を見ていない」、あるいは「三四郎美禰子の方を見ていない」とされるべきである。おそらく漱石は「女」が3度続くのを嫌がって、といって「美禰子」と書くのもうるさいような気がして、「自分」という表現に収めたのであろうが、結果として小説の中でこの箇所だけ、漱石が美禰子の内面に踏み入りそうになってしまった。
(詳しくは本ブログ三四郎篇に譲るが、手っ取り早く言えば、該当箇所⑥の、
三四郎自分・・の方を見ていない」の英訳文が、
Sanshirõ was not watching her・・.
 となっていることで、論者が何を言いたいかは分かっていただけると思う。さらに言えば、欧文にするならここは構文的には、
「美禰子は覚った、三四郎は自分の方を見ていない」
 となるべきであろう。)

 言うまでもないことだが、画工は魚釣りの男の心の中は分からない。久一の考えさえ傍から推し量るしかないのである。ここは画工から見て、そのように推測されたという意味で、文面がくどくなるのを避けて現行本文のようになったと「推測」するしかないが、このような人物への接近(覆い被さり)・同化(一体化)・代弁(忖度)は、たまに見せる漱石の癖であろうか。
 これは『草枕』が「余」の1人称小説、『三四郎』が3人称小説であるということとは関係がない。漱石は何人称小説であれ書き方を変えていない。熱したあまりつい自分が出ばってしまったというような話でも勿論ない。

 ところで『三四郎』のハイライトたるこの丹青会の20行くらいの引用文を読んで、⑧の箇所に改行を必要とすると感じた読者は、果たしているだろうか。
 現在わが国に出回っている出版物で、『三四郎』の当該箇所の本文が、引用文のように(改行されずに)繋がって表記されている出版物は皆無である。すべての本文が⑧の頭で改行されている。実際にはこの場所は新聞連載の切れ目であるから、(平成版の岩波の全集のように)連載回を忠実になぞった本文にする場合も、結果として「改行」されて文節を分けている。
 しかし漱石は原稿の⑧の箇所に、わざわざ「一字下ゲニゼズ」という注記を入れているのである。つまり漱石の指示は、上記引用文のように、⑧のくだりは前の文から続けて読めということに他ならない。
 この引用文の範囲に限っても、漱石は改行を一度もしていない(セリフの頭を行頭に持って行っているだけである)。⑧の箇所にだけ「改行」が入るのは不自然ではないか。文章として改行の必要があるとすれば、⑦の部分のみであろう。連載回を明示したい場合は、漱石の「指示」をまず優先して、それから連載回表示を考えるべきであった。つまり『三四郎』第9回の頭は、⑦の方がよりふさわしいのである。

 運命の縄は此青年を遠き、暗き、物凄き北の国迄引くが故に、ある日、ある月、ある年の因果に、此青年と絡み付けられたる吾等は、其因果の尽くる所迄此青年に引かれて行かねばならぬ。因果の尽くるとき、彼と吾等の間にふっと音がして、彼一人は否応なしに運命の手元迄手繰り寄せらるる。残る吾等も否応なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰う訳には行かぬ。

 久一は漱石にとって妙に気になる人物であった、と前に書いた(第26項)。久一は赤の他人とは思えない。久一との(永遠の)別れは画工にある感慨をもたらす。これでは非人情も何もあったものではない。太公望のカットは、おそらくここにも対照の妙を採り入れたかったためであろうが。
 創作技法上の理屈は分かる。太公望と久一。赤の他人であれば何の情実も生じない。画工たちと久一。惻隠の情は避けられないが、それをそのまま書くのでなくて、太公望と対比して書くことによって、「人情」は消え去って「非人情」になるというのである。こんな理屈が一般読者に伝わるわけがない。画工は先に峠の茶店で婆を描くときに、自分がかつて能舞台で観た高砂の媼に瓜二つであるとのみ書いて、それが非人情の手法になりうると信じた。『草枕』の旅を始めるにあたっての画工の決意は、やはりうまく行かなかったのだと、最後に読者も納得する。

 しかし小説はここで終わるわけではない。非人情のアプローチは1つではない。画工が自分の決意を犠牲にしてまで披露した「別れの曲」は、大団円に向かって次第に盛り上がってゆく。

 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)