明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 14

310.『草枕』目次(1)第1章――真の詩人は坊っちゃん


 回り道をしたが、ここで『草枕』にも目次を付けてみる。引用はいつも通り『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)。ただし新仮名遣いに改めている。回数分けは論者の恣意であるが、ガイドとしてその箇所の頁行番号ならびに本文を少しく附すのは、坊っちゃん篇と同様。

第1章 山路を登りながら考えた(全4回)

1回 店子の論理
(P3-2/山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。)
俗世間の住みにくさと芸術の効用~主人公は30歳余~大きな石を迂回して旅を続ける

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に①人の世は住みにくい
 住みにくさが高じると、②安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ。③人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう

 あまりにも有名な冒頭の一句では、住みにくいとされた「人の世」で、ふつうなら人のいない所へ行きたくなるものだが、漱石の理屈では、人のいない所はなおさら住みにくいだろうから、結論として「安い所」に住みたくなると言う。これは変則的な三段論法(①-③-②)である。
 しかしなぜ「安い所」なのか。これを分かりやすく説明出来る人はいないだろう。金銭に恬淡に見える『坊っちゃん』にお金の話・物の値段の話が百箇所書かれるとは先述したところ。それに対し『草枕』ではお金の話は出て来ない。出て来てもほんの小銭で2、3ヶ所である。もちろん那美さんの出帰りの真因が嫁ぎ先の破産であるからには、財政問題は常に物語の底流となっているものの、それらについては主人公もさほど関心を払わない。それでいて冒頭でいきなり、(家賃の)安い所へ行くしかないと言う。
 思うにこれは落語によくある、長屋の大家と店子の話ではないか。「人の世」を長屋の世の中と見れば、住人は八つぁん熊さんであり、僅かでもインテリの血が交配されているのが大家さんである。『草枕』では(噺家漱石=画工は別として)、その構成はどうなっているのであろうか。長屋の世界はこの小説の中で進展するのか、それとも話のそれこそ「枕」で終ってしまうのか。

 落語ということであれば、『猫』の語り口はまさしく落語そのものであるから、『草枕』はそこから生まれて、『虞美人草』への橋渡しをすることによって、役目を終えた作品であると言えなくもない。後年(文芸的高等おしゃべりとしての)『虞美人草』を否定した漱石が、『草枕』をその同類(出発点)のように見做して遠ざけたのも頷けよう。
 『猫』からのもうひとつの派生先である『坊っちゃん』は、基本的には『三四郎』以下に引き継がれ、その後の漱石文学の本流になったと言っていいだろう。落語噺と縁を切った漱石は、構えと気取りを(自分の積りでは)取り去って、厭世とユーモアを登場人物の日々の言動に(目立たぬように)融け込ませて描くことにしたのである。

 世に住むこと④二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。⑤二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所には屹度影がさすと悟った。⑥三十の今日はこう思うて居る。――⑦喜びの深きとき憂愈深く、楽みの大いなる程苦しみも大きい。・・・

 ④は、『心』の先生の遺書にある「16、7歳の時、始めて世の中に美しいものがあるという事実を発見した」というくだりが想起されよう。坊っちゃんは23歳であった。松山から引き揚げて迎えた年でやっと24歳である。清が亡くなって25歳になった頃には、坊っちゃんも⑤以下のようなことに充分思いが至るのかも知れない。そして30歳の主人公は自らのインテリジェンスを、冒頭の長屋的感想や⑦のような通俗的言辞にリライトする親切さも持ち合わせるようになっている。

 立ち上がる時に⑧向うを見ると、⑨路から左の方にバケツを伏せた様な峰が聳えて居る。杉か檜か分からないが根元から頂き迄悉く蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬ位靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めて居る。

 ⑧と⑩は、いかにも漱石らしい書き振りである。⑧「向こうを見る」とは、この場合は「遠く(の景色)を見る」であろう。すると視野の⑩「左」側に峰が見えるという。文章の視点が徹頭徹尾(作者でなく)画工にある。『草枕』が「余(画工)」の1人称小説であるがゆえというわけではない。これは漱石の書き癖である。漱石は『猫』から『明暗』まで一貫して同じ書き方をしている。読者はふつう話者(や登場人物)の左右東西がどうなっているのか分からない。もちろん分からなくていいのであるが、この場合は⑨の「路から」という語によって、かろうじて何の「左側」かということは分かる。しかしこれは漱石としてはレアケースに属する。『草枕』は丁寧に書かれている方である。(ふつうは⑨は書かれないことが多い。)
 画工がこのときどこを向いているかは(画工と作者以外)誰にも分からない。引用文冒頭の「立ち上がる時」というのは、その直前に画工の足がもつれて転びそうになり、手近の岩へ尻餅をついたのであるが、そのときも「右足」が石の角で滑ったので「左足」で踏ん張ろうとしたらよろけたと書かれる。それはまあいい。しかしそのとき画工はどちらを向いて岩へ腰掛けてしまったか。路の左方向(⑨⑩)に見えたとあるが、進行方向を向いていたのであれば、右であれ左であれ、バケツを伏せたような峰はとうから画工の目に映っていたはずである。では自分が歩いてきた道の方を振り返るように坐ったのだろうか。
 このようなシーンは漱石に無数にあるが、これをそのまま映像化するには映像作家の想像力が必要になる。翻訳するには翻訳家の想像力が必要になる。映像は映像作家の恣意にまかせられても、翻訳はなかなかそうはいかない。漱石の(平叙文としての)「向こう」は、(「相手側」「反対側」「海外」という意味でない場合は、)本来訳しようがない。英訳本を見ても、せいぜい far away か、始めから訳さないケースが目立つようである。

 ところで画工が立ち上がって見た「向こう」の「左の方」の景色であるが、坊っちゃんが同じように舟上で「向こう側」に見たターナー島の叙景(※)に比べると、詩的感慨ではやや劣るようだ。『草枕』は詩情に徹し『坊っちゃん』は人情に徹しているから、本来勝敗の帰趨は決しているはずである。どうしたわけであろうか。『草枕』は力が入り過ぎたのだろうか。漱石が自分ながら嫌気がさした理由も、こんなところにあるのかも知れない。

 土をならす丈なら左程手間も入るまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙(そばだ)って、吾等の為めに道を譲る景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌のない所でさえ歩るきよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、丸で一間幅を三角に穿って、其頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉ると云う方が適当だ。固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲りへかかる。

 大石の多い西日本の道に漱石は驚いたことだろう。しかし岩は関東にもあった。『明暗』津田の(湯河原への)道行の、夢幻的なシーンに同じような大岩が登場する。大きな岩を迂回して目的地に進む。この道行に瘦せ馬が登場することも共通している。単なる体験譚か、それとも何かの寓話が潜んでいるのか。『明暗』を書いている漱石の頭の中に、『草枕』がよぎることは一瞬たりともあるまいから、主人公が女の「待つ」場所へ向かうときの大岩迂回や馬は、漱石の中に自然に湧いてくる道具立てなのであろう。わざとやると小刀細工であるが、そうでない場合は則天去私ということになる。

(※注) 船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見える位もう出ている。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針の様に尖がってる。向側を見ると青島が浮いている。是は人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。成程石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘の様に開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。・・・(『坊っちゃん』第5章1回)

 ・・・青空を見て居ると、日の光が段々弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香の烟の様な雲が、透き徹る底の上を静かに伸して行ったと思ったら、いつしか底の奥に流れ込んで、うすくもやを掛けた様になった。
 もう帰ろうかと赤シャツが思い出した様に云うと、ええ丁度時分ですね。今夜はマドンナの君に御逢いですかと野だが云う。・・・(『坊っちゃん』第5章2回)

 ・・・大分寒くなった。もう秋ですね、浜の方は靄でセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、あの浜の景色は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なある程こりゃ奇絶ですね。時間があると写生するんだが、惜しいですね、此儘にして置くのはと野だは大にたたく。
 港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗って居た舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなった。御早う御帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船端から、やっと掛声をして磯へ飛び下りた。(『坊っちゃん』第5章3回末尾)

 詩人坊っちゃんによるターナー島の章叙景3傑であるが、3例とも赤シャツ・野だが共に描き込まれていることに着目されたい。画家坊っちゃんの目にはターナー島は常に(マドンナや清だけでなく)赤シャツ・野だと共にあったのである。これもまた対照の妙の実例であろう。
 技法的には、書生の坊っちゃんだけが景色を愛でると、坊っちゃん坊っちゃんでなくなる。ここは漱石たる赤シャツが愛でるのが一番ふさわしいのであるが、この小説で赤シャツの心情を描くわけにもいかない。自然赤シャツは多く専門家たる野だに話しかけるという体裁を取らざるを得ない。それをもう1人の漱石たる坊っちゃんが聴き取り描写する。それが『草枕』の本文より美しいのである。『草枕』は『坊っちゃん』に負けているのであろうか。