明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 12

308.『草枕』あぶない小説(3)――『一夜』3つの嘘


 さて『草枕』の話に戻らねばならないが、その前に、『草枕』のプロローグたる『一夜』について、もう少し詳しく見てみよう。
 前述したが『一夜』はよく分からない作品である。その上作者の漱石が(『猫』で)主意の説明を放棄している。『一夜』はどういう小説か。

 八畳の座敷に①髯のある人と、②髯のない人と、③涼しき眼の女が会して、斯の如く一夜を過した。彼等の一夜を描いたのは④彼等の生涯を描いたのである。
 何故三人が落ち合った? ⑤それは知らぬ。三人は如何なる身分と素性と性格を有する? ⑥それも分らぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? ⑦人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? ⑧三人とも一時に眠くなったからである。(『一夜』末尾)

 漱石は『一夜』で嘘を3つ吐いている。最大の嘘は登場人物について何も知らないととぼけたことである(⑤と⑥)。漱石はものを聞かれて知らないと言ったことのない男である。漱石は明らかにこの3人の人物をよく知っている。知らないと書いたのは、知っているが書きたくないということであろう。漱石は基本的には噓の吐けない性格である。よほど書くのが憚られたのだろうか。漱石はその言い訳さえ試みている(④と⑦)。『一夜』は小説でないと言う。小説でないのはいいが、3人の人生・生涯を書いたというのであれば、⑤と⑥は嘘である。理屈を言うようだが、何も分からないで3人の人生・生涯が書けるわけがない。
 したがってここは読み手の方で勝手に、漱石のよく知っている人物を当て嵌めることにする。便宜上『一夜』を『坊っちゃん』『草枕』へと続く小説と見做し、
イ 髭ある男=漱石
ロ 髭なき男=保治
ハ 涼しき眼の女=楠緒
 として考察を進める。
 時は明治27年頃(漱石が松山へ行ったのは明治28年4月)、場所は東京近郊の温泉宿。伊香保と想像するのは自由だが、その1室縁側付き8畳間での1夜の話である。五月雨の時期というのは本文にある。温泉宿が(『坊っちゃん』『草枕』のように)四国九州であっても、それはそれで構わない。

 髭のある人を漱石と比定する理由については、まず次の3点が挙げられよう。(前述したが『一夜』は「髭」と書くべきところを「髯」と書いている。これが小さいけれども2つ目の嘘である。)

 床柱を背負っていること。

 上座に坐って動かないのは、塩原の跡取り坊っちゃんたる漱石の習性である。漱石は座敷から一度だけ縁側近くに移動する。(一度も見たことのない)ホトトギスを見るためである。好奇心は人一倍強いのである。現実の漱石はまた時折尻の軽さも見せるが、これは夏目家の末っ子の血がそうさせるのであろう。
 対する保治は縁側に腰掛けて、足を庭の方へ降ろしてぶらぶらさせている。いつでも動けるように、行動的で始めから腰が軽い。結婚したとき夫人の姓を名乗ったくらいだから、長男ではないのだろう。
 楠緒は座敷の真ん中に座っている。

 膏手であること。

「御夢の物語りは」とややありて女が聞く。男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。読みさした所に象牙を薄く削った紙小刀が挟んである。巻に余って長く外へ食み出した所丈は細かい汗をかいて居る。指の尖で触ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気てはたまらん」と眉をひそめる。女も「じめじめする事」と片手に袂の先を握って見て、「香でも焚きましょか」と立つ。夢の話しは又延びる。(『一夜』)

 おれは、控所へ這入るや否や返そうと思って、うちを出る時から、湯銭の様に手の平へ入れて一銭五厘、学校迄握って来た。おれは膏っ手だから、開けてみると一銭五厘が汗をかいて居る。汗をかいてる銭を返しちゃ、山嵐が何とか云うだろうと思ったから、机の上へ置いてふうふう吹いて又握った。(『坊っちゃん』6章)

 ふつうはこんなことは書かない。漱石新聞小説作家になってからは、原則として品のないことは書かなくなった。鼻毛であれ、後架先生であれ、サベジチーであれ、『坊っちゃん』の全篇を覆うエピソード群であれ、くだらない( funny )ことはすべて初期作品に尽くしてしまった。
 新聞読者を意識した行き方であることに違いないが、ふつうは芸術家の王道ではないとされる。読み手によって書き方が変わるのであれば、自分が真に書きたいものが何であるか、誰にも分からなくなるからである。
 しかしどの芸術家の作品よりも文豪漱石の残したものの方が長命であるとすれば、文豪はそんなことは超越してしまっているのか。

 画工であること。

 『一夜』での漱石はどう見ても画工(えかき)である。妙に文人くさい画工である。これは『草枕』の主人公にそのまま一致している。『草枕』の主人公にのみ・・一致しているといってよい。
 保治もそれに近いが、根っからのボヘミアンではなさそうである。美学者かその卵といったところであろう。

 次に彼らは何をしているのか。単に温泉旅行をしているだけとも思えないが、彼等の旅行の目的は何か。
 それははっきりしない。小説でないのだからと作者は言うが、やはり端的に書きたくないから書かないのだろう。
 書かれた範囲だけで判断すると、まず画工は活きた美人画を描きたがっている。そのモデルは同宿の女に求めているようにも読める。しかし画工の描こうとする美人画には何か足りないものがある。女の関心もそこにあるようである。必ずしも(那美さんのように)自分を描いてほしいわけでもない。画家でない友人は誰が描かれようが気にならない。画よりも女本人の方に関心がある。
 小説は画工と女の会話が中心となる。友人は聞き役である。その認識は3人とも共通しているようである。
 画工と女のせめぎ合い。これはまさに『草枕』の世界に他ならない。

 そして一番肝心なこと。④「彼等の生涯を描いた」と言うが、その生涯とはいかなるものになるのか。それは直接には書かれない。書かれるくらいなら『一夜』に謎はない。
 作者は描いたつもりなのだろう。彼らの行く末を知っているからである。知っているから、描かなくても、描いたつもりになったのであろう。

 なぜ三人とも寝た? ⑧三人とも一時に眠くなったからである。(『一夜』末尾再掲)

 これは明らかに作者の(3つ目の)大嘘である。嘘というより、作者は分かって書いている。読んだ誰もが信じないだろうということを、ちゃんと分かって書いているから、これは嘘とはまた別の技法であるかも知れない。
 では何が起こったのか。読者は想像するしかない。その書かれない彼らの人生とは次のようなものである。

 漱石と楠緒が一致して共通の目標に向かっているように見えたが、結果は保治と楠緒が結婚した。漱石は傷ついた。

 なぜこんなことになってしまったのか。その解明は『明暗』まで続いたが、結論は出なかった。幻の最終作品で漱石は一定の決着を付けるつもりだったのだろうか。

 『一夜』に限って考えてみると、保治は楠緒に惚れていなかったのに比べ、漱石は楠緒に惚れていたことが、最大の原因ではないか。(『一夜』の)楠緒は(『一夜』の)保治の方が安心出来た。なぜなら女に惚れている(『一夜』の)漱石の方が、それがゆえに心が揺れ動いて不安定に見えるからである。女は安心を買うのである。安心出来ない生活に甘んじるくらいなら、いっそ崖から飛び降りる方がいい。

 ちなみに現実の小説家漱石の書く女が皆勁いのは、それだけ女の不安の度合いが男に比べて勝っているからであろう。この不安は社会の仕組みが多少変わったからといって軽減されるものでもないし、何かを学んだり教わったりして解消する類いのものでもない。だからどうだというわけではないが、少なくとも漱石の文学がいつまでも読まれる理由の1つではあるだろう。女性を常にそのような視点からのみ描き続ける作家というのは案外少ないのである。

 さて「想像」を続けるなら、翌る年の春に楠緒は保治と結婚する。同時に失意の漱石は松山に逃避する。1年後さらに熊本へ。『坊っちゃん』の世界は忿怒に充ちているが、『草枕』の世界もまた負けていない。それをカモフラージュするために、『坊っちゃん』ではユーモアに逃げ、『草枕』では非人情などという意味不明の造語まで行なった。
 『草枕』はまた愚痴の小説である。しかし画工の愚痴は那美さんには同情されない。当然である。『一夜』の楠緒もまた、画工に同情することはない。楠緒は画工の弟子であるかも知れないが、同情されたいのはむしろ楠緒の方である。
 画工はその後10年の歳月を経て小説家として立つ。著名になって『三四郎』に続き『それから』を書く。『それから』は一旦友に譲った女を改めて取り戻す話である。楠緒はなぜかショックを受けて寝込んでしまい、ほどなくその短い生涯を閉じる。小説家になった元画工は楠緒に対する興味はとっくに失っていた。画を描かなくなったからである。その前にそもそも人の細君に関心を寄せる元画工ではなかった。『草枕』でも那美さんを注視していたのは、あくまでも絵画の成就のためであった。