明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 35

331.『草枕』補遺――登場人物と志保田家の秘密


 さてそのユニークな『草枕』は、登場人物もまた独自の観点から造型されているようである。
 漱石の1人称小説は、広く採り上げれば次の通りであろうか。(年代順)


《作品名・1人称の呼称・主人公の名前・職業身分・婦人の親友その他。》
『猫』吾輩・名前なし(ノラ)・捨て猫・三毛子が病死した
『琴の空音』余・名前なし(K)・法学士・露子という婚約者あり
『趣味の遺伝』余・名前なし・文学者・河上浩さんの友人
坊っちゃん』おれ・名前なし・数学教師・女っ気なし
草枕』余・名前なし・文学士のような画工・那美さんと知り合う
『坑夫』自分・名前なし・坑夫見習・艶子澄江との交際歴あり
彼岸過迄/須永の話』僕・須永市蔵・卒業文学士・田口千代子の恋人候補
彼岸過迄/松本の話』僕。松本恒三・高等遊民(評論家)・市蔵の出生の秘密
『行人』自分・長野二郎・設計事務所雇人・嫂お直とのいきさつがある
『心/先生と私/両親と私』私・名前なし・大学生・先生と近づきになる
『心/先生と遺書』私・名前なし・大学生~高等遊民・御嬢さんを獲得

 これらの1人称の主人公1匹と10名のうち、最も漱石らしいのが『草枕』の「余」である。松本恒三と『心』の先生の方が、読んだ感じとして実物の漱石に近いという意見もあろうが、松本は本来主人公の叔父であり、1人称で語られる主人公とは少し立場が異なる。先生もほとんど漱石に近いが、遺書を書いて実行しようとするからには、漱石とは決定的に異なると言うべきである。(しかしそれは基本的な差異ではないとする考え方もある。)
 『草枕』に先行する『琴の空音』『趣味の遺伝』では、2人の「余」は主人公でなくその引き立て役に過ぎない。それは『行人』の二郎にもいえる。狂言廻しである。『彼岸過迄』の須永市蔵も漱石丸出しではあるが、小説の建付けとしては松本恒三と同じく、田川敬太郎の1人称小説における3人称の主人公である。むしろ『坊っちゃん』の方が若い頃(23歳)の漱石に近い。
 したがって漱石に一番近い1人称小説の主人公は、

1位 『草枕』の余。
2位 『坊っちゃん』のおれ。
3位 『心』の先生(私)。

 ということになろうか。表を眺めると漱石は1人称の自己の呼称にも、二番煎じを避けた独立性が感じられる。その書かれた時期にもまた、独自の主張があるようだ。

◇処女3部作
・吾輩 『猫』
・おれ 『坊っちゃん
・余 『草枕
◇青春3部作
(該当なし)
◇中期3部作
・僕 『彼岸過迄』(須永・松本)
・自分 『行人』
・私 『心』
◇晩期3部作
(該当なし)

 3部作ごとに一大基本方針を打ち立てているようにも見え、そんなこととは関係なく、まるで宗八、代助、宗助のように、それぞれの作品の主人公に固有の名前を附しているようでもある。しかし英語で I (アイ) に統一されてしまうことを考えると、漱石の独自性は日本語でのみ発揮されることになる。英文学者漱石はそれを可しとしたのか。まあ英文学者とは英国人の文学者という意味ではなく、日本人で英文学を専らにする学者という意味ではあるが。(小説家漱石の戦場は「日本語」であるという意味であるが。)

 漱石は1人称小説を『猫』(吾輩)、『坊っちゃん』(おれ)、『草枕』(余)と律儀に書き分けて来たが、『草枕』では、名前の附された登場人物と名前のない登場人物を、なぜかちょうど半分ずつに割り振った。エルキュールポアロがシンメトリィを重んじたように、それは対照の美を放っているようでさえある。

《名前のある登場人物 VS. 名前のない登場人物》
Ⅰ 那美さん VS. 別れた亭主(野武士)
Ⅱ 大徹和尚 VS. 那美さんの父親(隠居老人)
Ⅲ 久一 VS. 那美さんの兄
Ⅳ 泰安 VS. 那美さんの京都の男
Ⅴ 了念 VS. 宿の女中(小女郎)
Ⅵ 源兵衛 VS. 茶店の婆
Ⅶ 画工 VS. 髪結床の親爺

 各々前者が名前あり、後者が名なしである。その対比される人物の、グルーピングされるべき共通項は次の通り。

Ⅰ 夫婦である。夫婦であった。これより堅固な「つがい」はあるまい。
Ⅱ 我が道を行く趣味の老人。那美さんの庇護者でもある。
Ⅲ 那美さんの係累。従姉弟と実兄。無口で2人とも独身らしい。
Ⅳ ともに那美さんを愛した。那美さんも愛を返そうとしたが果実は着かなかった。印象深い2人であるが、実際に舞台に登場してしゃべることはない。人の口を介してのみ語られる。
Ⅴ 一癖ありそうな小坊主と小女郎。2人とも生意気だが利発なところもある。
Ⅵ 働く馬子と婆。婆は那美さんの婆やかも。おしゃべり。情報源(情報提供者)。
Ⅶ 髪結床だけでなく、画工も名前はないではないかと言われそうである。しかし画工が作者漱石であることは明白であるから、この組み合わせも成立する。そこで名前を持つ漱石本人と名前のない髪結床の親爺の共通点を探すと、
①年齢(40歳くらい)。
②江戸っ子。
③癇性で凝り性、せっかち。
④おしゃべりで詮索好き。漱石を(坊っちゃんみたいに)ことさらべらんめい呼ばわりするつもりはないが、小説家である以上寡黙でいるわけにはいかない。あらゆる小説家はおしゃべりである。それは詮索好きにつながるおしゃべりでもある。(作家によっては自己の生い立ちや思想の来歴について饒舌になることもある。)
⑤そして最大の共通点は、どちらも画工の生殺与奪の権利を有していることであろうか。主人公に対しては作者が(筆1本で)それを行使できることは言を俟たないが、髪結床の親爺もまた、剃刀1本でいつでも画工を天国に送ることが出来る(と『草枕』第5章の中でいみじくも漱石はそう書いている)。

 上記のⅠ・Ⅱ・Ⅲが那美さんの一家であるが、Ⅱの大徹和尚と隠居老人のペアを見て思いついた。和尚と隠居の共通点はもっと他にありはしないか。
 それは隠居老人が那美さんと血がつながっていないという恐怖のストーリィである。那美さんは(去年亡くなった)母親の不義の子で、それは母親の側の責めに帰すべき理由があったようである。那美さんの実の父親は久一の父親ではなかったか。つまり母親は義弟と過ちを犯した。それを村人は志保田の血筋のせいであると噂したかも知れない。
 那美さん一家は母親の「治療」も兼ねて、本家と田畑蜜柑山それに別宅の旅荘等の管理をすべて弟一家に押しつけて都へ出た。弟一家には久一という1人息子がいたが、こちらは父親の不義という昏い過去に加えて、村一番の家の管理をすべて任されるという重圧もあって、久一が成人する前に夫婦とも相次いで亡くなった。まず父親がはやり疾いで亡くなり、母親がすぐ後を追った。母親については事故の噂もあった。
 那美さん一家は那美さんが仕上がる前に那古井へ引き揚げることになった。もとより那美さん一家が久一の家族に輪をかけて不仲の一家であったことは想像に難くない。那美さんが成長するにつれて、那美さんの出生の秘密は家中で隠し切れなくなった。若い兄と多感な那美さんがいがみ合う。母親は病気で機能しない。父親は母親を庇うだけで精一杯。髪結床はそんな一家を傍から見てきて父親に同情したのだろう。
 引き揚げた那古井で兄は独立して本家を相続する。夫婦と那美さんは別宅の旅館へ移り、那美さんはそこから城下へ嫁入った。久一は本宅へ残るが、ごたごたの前後、志願兵になったこともあった。そこへ今次の戦争で那美さんの夫の銀行の不始末があり、那美さんは両親の許へ帰る。心労の母親はついに斃れ、那美さんはその母親にだんだん似てくるようである。隠居老人にはもうどうすることも出来ない。久一は召集されて外地のどこかへ赴く。出立を控えたある日、唯一の同胞、腹違いの姉から白鞘の短刀を渡された。護身用という話は聞かないから自刃用か。それを使うとしても、また久一の人生である。

 この志保田家の物語は、単なる思いつきに近いが、少なくとも『草枕』の中で説明されていない、次の7つの疑問に対する答えにはなっていよう。

A 久一が天涯孤独に見えること。
B 那美さんが久一に実の弟のように接していること。
C 那美さんが兄と仲が悪いこと。
D 那美さんの兄だけ独立して、しかも久一と同居していること。
E 那美さんと隠居老人の間に情愛の乏しいこと。
F 那美さんの母親が少し変であったこと。
G そして画工が那美さんにシンパシィを感じるという、『草枕』最大の疑問。那美さんの境遇は何となく漱石に似ているのである。

 もう1つ、さらに飛躍するが、もともと久一の家が本家だったとして、隠居老人が本家の財産を横領したという漱石おなじみのストーリィ。
 久一の母親が義弟と不義の上産まれたのが那美さんであった。母親はそのあと久一のお産で死んでしまった。那美さんは実の父親に引き取られる。あとは概ね似たような展開であるが、久一の父親が亡くなった後、京都から帰って来た叔父一家によって、久一はまるで居候のような形に追い遣られてしまった。
 この場合、那美さんが去年亡くなった自分の「母親」にまったく関心を示さない理由も分かるし、一方那美さんと隠居老人は実の親子になるが、それはまあどちらでもいいような話であろう。那美さんは兄とは腹違いの兄妹であり、久一とは同腹の姉弟ということになる。久一が隠居老人を「伯父さん」と呼ぶことが気になるが、英文学者漱石は親の弟でも「伯父さん」と書くことがある。とくに気にしなくていいのである。

 嫂と義弟の不義、叔父による財産横領は、後の漱石作品のテーマにもなっており、単なる思いつきでもない。論者は漱石の私行に興味はないが、そういう類いの作品が書かれている以上、その根拠となるかも知れない他の作品について、想像を交えて考察することは許されるだろう。
 どちらにしても、志保田の家がいびつな家族であることに違いはない。漱石は『坊っちゃん』以来『明暗』までずっと、どこかに欠落点のある、ヘンな家庭ばかり描いて来た。まっとうな、どこから見ても文句の付けようのない家庭というものは、バイプレーヤーであっても、(漱石の嫌悪する)一部の実業家の家庭に限られた。

 いや何事にも例外は存在する。『猫』の苦沙弥先生の家は平凡で平和そのものではないか。
 ところがその世間に埋没しかねないありふれた家において、1人の大変人の戸主のおかげで、家族全員がとてつもなく苦しむということもまた、大いにありうることである。その真の悲劇を、(後に少しだけ書いたように見えるかも知れないが、)当然ながら漱石は書いていない。漱石は自分が変人であることは(そう言われつけていたので)自覚していたが、それは浅い水たまりのようなもので、実際の(変人)度合いは海溝のようにどこまでも底なしであったことに、自分では気がつかなかったのである。
 志保田の家もまた、どのように描かれようが、その真の闇は実在した漱石の家庭のそれより、いくらかでもマシ、、なものであったと、そう気休めを言ってやりたくなる。