明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 34

330.『草枕』目次(21)第13章(つづき)――何事かが成就した漱石唯一の目出度い作品


第13章 鉄道駅で大切な人との別れ (全3回)(承前)

2回 那美さんの肖像画を描く話
(P164-5/舟は面白い程やすらかに流れる。左右の岸には土筆でも生えて居りそうな。土堤の上には柳が多く見える。まばらに、低い家が其間から藁屋根を出し。煤けた窓を出し。時によると白い家鴨を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中迄出て来る。)
先生私の画をかいて下さいな~画工の驚ろきは那美さんの喜び~あの山の向こうを貴方は越していらしった~舟が着くとなかなか大きな町である

 女は黙って向(むこう)をむく。川縁はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面のげんげんで埋っている。鮮やかな紅の滴々が、いつの雨に流されてか、半分溶けた花の海は霞のなかに果しなく広がって、見上げる半空には崢嶸たる一峰が半腹から微かに春の雲を吐いて居る。
「あの山の向うを、あなたは越して入らしった」と女が白い手を舷から外へ出して、夢の様な春の山を指す
「天狗岩はあの辺ですか」
「あの翠の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」
「なあに凹んでるんですよ。禿げて居りゃ、もっと茶に見えます」
「そうでしょうか。とも角、あの裏あたりになるそうです」
「そうすると、七曲りはもう少し左りになりますね」
「七曲りは、向うへ、ずっと外れます。あの山の又一つ先きの山ですよ」
「成程そうだった。然し見当から云うと、あのうすい雲が懸ってるあたりでしょう」
「ええ、方角はあの辺です」

 筆が那美さんに向かうと景色の書きぶりも一段と艶やかになる。那美さんの画工に対するほとんど最後の語りかけ。エキセントリックなところはもう見えない。那美さんは海側から峠を見ている。峠の茶屋で画工は那古井の御嬢さんのことを婆さんから始めて聞いたのであった。すべてはそこから始まった。すぐさま婆さんはまるで見張り塔の番人のように、あるいは那美さんの庇護者のように、画工の情報を那美さんに伝えた――。
 この川舟からの景色を見て、画工と那美さんは珍しく互いに心に通じ合うものを感じたようでる。川面から見上げる岩山の峠。感傷的ともいえる那美さんの言葉に続く、何の底意も含まない単純な会話が二人の間で交わされるとは。――思うにこれは漱石の書く男女の始めての「会話」ではなかったか。男女はもう闘いをやめている。この男女の「平和な(平凡な)対話」は、次に『三四郎』の印象的なシーンとして蘇った。

 三四郎は又石に腰を掛けた。女は立っている。秋の日は鏡の様に濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木が生えている。青い松と薄い紅葉が具合よく枝を交し合って、箱庭の趣がある。島を越して向側(むこうがわ)の突き当りが蓊鬱(こんもり)とどす黒く光っている。女は丘の上から其暗い木陰を指した
「あの木を知って入らしって」と言う。
「あれは椎」
 女は笑い出した。
「能く覚えて入らっしゃる事」
「あの時の看護婦ですか、あなたが今訪ねようと云ったのは」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
「違います。是は椎――といった看護婦です」
 今度は三四郎が笑い出した。
彼所ですね。あなたがあの看護婦と一所に団扇を持って立っていたのは
 二人のいる所は高く池の中に突き出している。此丘とは丸で縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとう堪え切れないで出て来たの。――あなたは又何であんな所に跼がんで入らしったの
「熱いからです。あの日は始めて野々宮さんに逢って、それから、彼所へ来てぼんやりして居たのです。何だか心細くなって」
「野々宮さんに御逢いになってから、心細く御成りになったの」
「いいえ、左う云う訳じゃない」と云い掛けて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
 ・・・(『三四郎』6ノ12回)

 『草枕』の精神は次に『三四郎』に受け継がれた。『草枕』はその美文ゆえに、『虞美人草』に引き継がれてその役目を終えたかにも見えるが、『三四郎』のための、豊饒な耕土を有つ、よく準備された畠であったともいえる。だからこそ登場人物の種子を蒔いただけで『三四郎』という小説の果実が実ったのであろう。

3回 永訣。那美さんに突然浮かんだ憐みの表情
(P167-9/愈現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまって、そうして同様に蒸汽の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。)
画工の汽車論~汽車は文明であるが文明はまた人を押さえつける~文明による平和は真の平和ではない~危ない危ない~「愈御別かれか」「それでは御機嫌よう」「死んで御出で」~野武士の髯面が~最後の一句

 停車場に着いて汽車を待つ。草鞋穿きの田舎者の2人連れ。しきりに何かしゃべっている。(彼らは後年『明暗』で、津田が湯河原へ行く乗換駅の待合室に再び出現した。)

「牛の様に胃袋が二つあると、いいなあ」

 この呟きに心を動かされない漱石ファンはいないだろう。このとき読者はすでに、胃弱で大根おろしに頼ったりタカジアスターゼを飲む『猫』の苦沙弥先生を知っているが、この胃病がまさか生涯にわたって漱石を苦しめることになろうとは、『草枕』の時代では家族以外気付くよすがもなかった。

 そして久一と皆との別れ。汽車が動き出して、おそらく最後尾の車両に乗っていたのは、満洲へ行く那美さんの亭主であった。城下に住む野武士は熊本駅から乗車していたのだ。野武士もまた志保田の一家との永訣となった。
 窓から首を出したということは、彼もまた那美さんを探していたのであろうか。那古井の草っ原で金を渡したとき、久一の出立と見送りのことも伝えていたのだろう、何でも先回り出来る那美さんは知っていたはずである。那美さんは夫との別離のシーンを予期していた。那美さんの「憐れ」の表情は咄嗟に浮かんだように書かれるが、たぶん久一との別れのときから、それは浮かんでいたと思われる。画工が見なかっただけである。久一との別れだけなら、那美さんの顔を見る必要はない。

 茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。其茫然のうちには不思議にも今迄かつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
 と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面は此咄嗟の際に成就したのである。(『草枕』末尾)

 漱石はこのとき少しだけ那美さんにも野武士にも寄り添っている。非人情の旅は頓挫したものの、画工の目指す画は完成した――画工の心の中だけで。とはいえ何事かがめでたく「成就した」小説は、後にも先にも『草枕』だけである。そのため2人の男が犠牲になろうとしていることはさておき、『草枕』は漱石作品最初で最後の、達成感と充足感の感じられる唯一の小説となった。