明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」道草篇 39

413.『虞美人草』(9)――藤尾は漱石である


 ではなぜ漱石は朝日の新聞小説デビュウに際して、藤尾のような(殺してもいいという)女を主役に持って来たのか。女主人公が皆の前で死んでしまうような作品は、後にも先にも、『虞美人草』だけの例外だろうか。

 漱石は予備門の頃、自分は社会で何者かになると確信して、以後10年間学問をした。さらに10年間、学者・教師として英文学研究を続けた。彼の半生は学問研究とともにあったと言ってよい。『猫』で思いがけず(でもなかろうが)小説家の道を踏み出したが、研究中の課題を放棄することは当初の考えに無かった。漱石は教師としての俸給は得ていたが、会社勤め・腰弁を嫌い、金に頭を下げる商人実業家を素町人と言って毛嫌いした。そんな自分が朝日に入社して月給取りになる。いくら教師が厭だったとはいえ、大学の教壇を去って朝日新聞という1私企業に就職しようというのである。
 傍から見ると、どこから給料を貰おうが貰うまいが、どうでもいいことのように思える。子供も増えて(5人目の純一が鏡子の胎内にいた)生活の保障のために朝日に籍を置くことにした漱石は、学問をやめて小説を書くこと、そのために朝日から給料を貰うことに関して、自分自身に苛酷な言い訳をしなければならなかった。これまでの自分の生き方を裏切るような生活の大転換である。誰も気にしないことを、潔癖な漱石だけが気に病んだ。

 漱石は出来ることなら自分で自分を罰したかった。振り返ってみると漱石の小説には常に死の翳が付きまとう。2年前、『猫』がすでに大学教師の余技の域をゆうに超えたとき、漱石は主人公の斑猫を水甕に転落させることによって、この歴史的な処女作の決着をつけた。(滝壺に落ちたホウムズと違って)この斑猫は2度と生き返らなかった。
 漱石は小説を書くたびに、それまでの自分を殺してきたとも言えるだろう。朝日入社と共に書かれた『虞美人草』では、つい意気込みが勝って筋書き(藤尾の最期)が露骨になってしまった。失敗作と断じた所以である。『虞美人草』を無かったことにした漱石は、『三四郎』以降目立たないやり方で自分の主人公を罰し続けた(『心』の先生まで)。

 漱石は自分を殺す代わりに藤尾を殺した。そう思って『虞美人草』を読むと、藤尾は漱石に似ていると思われる箇所が多々ある。

①兄弟仲が悪い
虞美人草』の最大の特徴は、甲野欽吾と藤尾の不自然なまでの兄妹仲の悪さであろう。那美さんにも仲の好くない兄がいたが、いただけである。漱石には妹はいなかった。欽吾と藤尾の関係をうまく書けなかった漱石は、以後兄妹には男の友人同士のような議論をさせた。それしか漱石は知らなかったからである。藤尾の犠牲の上に、それからの漱石の「妹」は仲良く兄と議論するようになった。いっぽう仲の悪い兄と弟という設定は、すべての作品で生き続けた。漱石は兄(長生きした三兄)と仲が悪かった。

②肉親に同情がない
 兄弟仲だけではない。藤尾が父親の客死に悲しむ素振りさえ見せない不思議は先述したところ。一体に漱石及び漱石作品の登場人物は皆肉親に対する愛情が薄い。その典型が漱石の養父母に対する無関心であろう。育ての親が人格者でないにしても、いくら実家との間にトラブルがあったとしても、あそこまで冷淡に接せられるものだろうか。
 そして実の父。妻の鏡子とその係累。子供たち。漱石はまるで肉親への愛を(神によって)禁じられているかのようである。漱石が例外的に同情を示す家族は、嫂登世や雛子等早世した者たちに限られる。母千枝も漱石の記憶の中では、数年を共に生きたに過ぎない。

③想う相手との結婚が頓挫しただけで死ぬ
 
漱石は明治28年、帝大大学院を修了して当時ほとんど我が国の頂点を極めたが、突然松山中学の教師となった。都落ちというより「失踪」に近いものだったのではないか。理由ははっきり語られないが、失恋というのが妥当なところであろう。周囲の衝撃は、小説の主人公がいきなり死んでしまうのと同程度であったろうか。藤尾は小野や宗近に振られたくらいでどうにかなってしまうほどヤワではないと思われるが、それでも漱石は(自分の代役として)強引に殺してしまった。漱石自身の「失恋」が(藤尾みたいに)実際に起きたことかどうかは別として。

④せっかち
 気が短くて理屈っぽい。頭はいいが皮肉屋で攻撃的なところがある。
虞美人草』を読んだ読者は藤尾のことであると思う。以前から漱石を知る人は、紛れもなく漱石のことだと思う。
 漱石のせっかちは、自分が正しいと担保されたことについてのみ猛進するせっかちである。それ以外のことについては慎重である。藤尾は自分の愛は正しいと信じている。

⑤英語が好き
 適齢期を過ぎようとしているのに平気で英語の勉強をしている。これまた藤尾のことでもあり、漱石自身の境遇にも該当する。いい年をして役に立たないことをやっている物好き。2人の兄が生きていたら、きっとそう言われたであろう。すぐ上の兄や異母姉が何も言わなかったのは、学問がないので末弟が何をやっているのか分からなかったに過ぎない。父親が何も言わなかったのは、(塩原に遣った子だから)関心が無かったのだろう。藤尾も英語を習っていること自体は、誰からも横槍を刺されなかった。

⑥金時計が好き
 藤尾は父の形見の金時計を自分が貰うものと独り決めしている。父親に愛情を感じているわけでもなく、その父が現にそれを宗近にやると約束しているにもかかわらず。
 漱石の読者は似たような話が漱石の作物にあるのを思い出す。懐中時計。コンパス。よそ行きの着物。様子の好い女。漱石はもともと綺麗なものが好きなのである。

⑦美形
 そういう漱石自身、大層美しい子であった。「浅草の観音様で西洋人が振り反って見た位奇麗だった」と『猫』にある。藤尾も小夜子より別嬪と宗近がお墨付きを与えた。

⑧背が高いと書かれる
虞美人草』の女で背が高いとはっきり書かれるのは藤尾だけ。漱石のヒロインは皆すらりとした美人である。漱石の男も皆背が高いと書かれる。さすがに苦沙弥と坊っちゃんだけは例外だが、漱石丸出しの白井道也・甲野欽吾・広田先生・長野一郎・『心』の先生・津田由雄、皆背が高いことになっている。『たけくらべ』藤本信如の影響だろうか。「これこんなうつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が屆きましよ、後生折つて下され」(『たけくらべ』第7章)

⑨自分は愛されるべきという確信を有つ
 藤尾については語るまでもないが、漱石にも当然愛されたいという喝仰はある。しかし2人ともそのために相手を愛することはしない。

 ・・・愛は愛せらるる資格ありとの自信に基いて起る。ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気の付かぬものがある。此両資格は多くの場合に於て反比例する。愛せらるるの資格を標榜して憚からぬものは、如何なる犠牲をも相手に逼る。相手を愛するの資格を具えざるが為である。盼(へん)たる美目に魂を打ち込むものは必ず食われる。小野さんは危い。倩(せん)たる巧笑にわが命を托するものは必ず人を殺す。藤尾は丙午である。藤尾は己れの為にする愛を解する。人の為にする愛の、存在し得るやと考えた事もない。詩趣はある。道義はない。
 愛の対象は玩具である。神聖なる玩具である。普通の玩具は弄ばるる丈が能である。愛の玩具は互に弄ぶを以て原則とする。藤尾は男を弄ぶ。一毫も男から弄ばるる事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を外れた恋でなければならぬ。愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風の吹き回しで、旨い潮の満干で、はたりと天地の前に行き逢った時、此変則の愛は成就する。(『虞美人草』12ノ4回)

 愛し愛されるのが恋愛の原則とすれば、藤尾の愛されるだけの愛は変則であるという。漱石も人を愛したことはないのであろう。
 否真の文豪で(自分以外の)人を愛した者などいないのではないか。だからこそ小説を書くのであるというのは、取って付けた理屈に過ぎないだろうか。それはちょうど自分を罰するために小説を書くという言い方に似て、自分以外に誰の役にも立たないような理屈であるが、この自罰感情は漱石文学の中でも伝統芸のように(『猫』から『道草』『明暗』まで)生き続ける。