明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 補遺

122.漱石「最後の挨拶」三四郎篇・番外篇 総目次

 

 『門』『それから』のついでに本ブログ第1弾『三四郎』および附属各篇の目次もここに再整理しておく。

 

漱石「最後の挨拶」三四郎篇(1回~12回)

1.三四郎篇1 『三四郎』112年目の本文改訂(1)――字下ゲセズ

2.三四郎篇2 『三四郎』112年目の本文改訂(2)――改行してはいけない

3.三四郎篇3 『三四郎』112年目の本文改訂(3)――則天去私

4.三四郎篇4 『三四郎幽体離脱の秘技(1)――三四郎は自分の方を見ていない

5.三四郎篇5 『三四郎幽体離脱の秘技(2)――三四郎は自分の方を見ていない(つづき)

6.三四郎篇6 『三四郎幽体離脱の秘技(3)――こっちと向こう

7.三四郎篇7 『三四郎幽体離脱の秘技(4)――美禰子の私語

8.三四郎篇8 『三四郎幽体離脱の秘技(5)――眠狂四郎

9.三四郎篇9 『三四郎』会話行方不明事件(1)――空中飛行器事件

10.三四郎篇10 『三四郎』会話行方不明事件(2)――美禰子の生意気の起源

11.三四郎篇11 『三四郎』会話行方不明事件(3)――本文を捏造(でつぞう)してみた

12.三四郎篇12 『三四郎』ドアノブ事件――描き残された画布

 

「『明暗』に向かって(第37項)」より引用

13.番外編1 『明暗』に向かって~漱石最大の誤植(1)――鏡子『思い出』と雛子の死

14.番外編2 『明暗』に向かって~漱石最大の誤植(2)――鏡子『思い出』と雛子の死(つづき)

 

漱石「最後の挨拶」三四郎篇(13回~46回)

15.三四郎篇13 『三四郎』汽車の女(1)――暗夜行路の山陽線

16.三四郎篇14 『三四郎』汽車の女(2)――暗夜行路の山陽線(つづき)

17.三四郎篇15 『三四郎』汽車の女(3)――漱石相対性理論

18.三四郎篇16 『三四郎』汽車の女(4)――分刻みの恋

19.三四郎篇17 『三四郎』汽車の女(5)――分刻みの恋(つづき)

20.三四郎篇18 『三四郎』汽車の女(6)――消えた山陽鉄道

21.三四郎篇19 『三四郎』汽車の女(7)――東海道線と髭の男

22.三四郎篇20 『三四郎』汽車の女(8)――汽車の女「同衾事件」

23.三四郎篇21 『三四郎』汽車の女(9)――三四郎の無罪判決

24.三四郎篇22 『三四郎』のカレンダー(1)――旅順と大連

25.三四郎篇23 『三四郎』のカレンダー(2)――天長節の呪縛

26.三四郎篇24 『三四郎』のカレンダー(3)――小さんと円遊

27.三四郎篇25 『三四郎』のカレンダー(4)――菊人形への道

28.三四郎篇26 『三四郎』のカレンダー(5)――破綻はあるか

29.三四郎篇27 『三四郎』のカレンダー(6)――母からの手紙

30.三四郎篇28 『三四郎』のカレンダー(7)――教会の前の分かれ道

31.三四郎篇29 『三四郎』のカレンダー(8)――広田先生「夢の女」

32.三四郎篇30 『三四郎』のカレンダー(9)――天長節ふたたび

33.三四郎篇31 『三四郎』のカレンダー(10)――エピローグの秘密

34.三四郎篇32 『三四郎』のカレンダー(補遺)――三部作の秘密

35.三四郎篇33 『三四郎』池の女(1)――初登場シーンの約束事

36.三四郎篇34 『三四郎』池の女(2)――ひめいちの焼き方

37.三四郎篇35 『三四郎』池の女(3)――見返り美人

38.三四郎篇36 『三四郎』池の女(4)――見返り美人(つづき)

39.三四郎篇37 『三四郎』の錬金術――高等学校答案調べの怪

40.三四郎篇38 『三四郎』最後の疑問(1)――デヴィル大人とは何か

41.三四郎篇39 『三四郎』最後の疑問(2)――魔の13回

42.三四郎篇40 『三四郎』目次(1)――第1章~第4章

43.三四郎篇41 『三四郎』目次(2)――第5章~第9章

44.三四郎篇42 『三四郎』目次(3)――第10章~第12章・エピローグ

45.三四郎篇43 漱石「最後の挨拶」三四郎篇 総目次

46.三四郎篇44 『三四郎』外伝(1)――森の女と云う題が悪い

47.三四郎篇45 『三四郎』外伝(2)――「のだね」と「だもの」

48.三四郎篇46 『三四郎』外伝(3)――「だろうじゃないか」

 

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 全46回(ブログ掲載1回~12回・15回~48回)

 

「『明暗』に向かって(目次)(はじめに)」より引用

49.番外編4 『明暗』に向かって「正誤表」

50.番外編5 『明暗』に向かって~目次(1)――Ⅰ 四つの改訂

51.番外編6 『明暗』に向かって~目次(2)――Ⅱ 小石川の谷(と台地)

52.番外編7 『明暗』に向かって~目次(3)――Ⅲ 棗色の研究

53.番外編8 『明暗』に向かって~目次(4)――Ⅳ 珍野家の猫

54.番外編9 『明暗』に向かって「目次」注解

55.番外編10 『明暗』に向かって~はじめに(1)――野上弥生子の『明暗』

56.番外編11 『明暗』に向かって~はじめに(2)――漱石幻の最終作品

57.番外編12 『明暗』に向かって~はじめに(3)――三部作の秘密

 

「『明暗』に向かって(第15項)(第16項)(第38項)」より引用

58.番外編13 『明暗』に向かって~お延「女下駄」事件(1)――お延の勘違い

59.番外編14 『明暗』に向かって~お延「女下駄」事件(2)――お延の勘違い(つづき)

60.番外編15 『明暗』に向かって~漱石作品最大の謎――須永の母はなぜ市蔵を一人で返したか

 

漱石「最後の挨拶」番外篇

61.番外編16 山田風太郎の「あげあしとり」(1)――武蔵の勘違い

62.番外編17 山田風太郎の「あげあしとり」(2)――風太郎の勘違い

63.番外編18 山田風太郎の「あげあしとり」(3)――国民作家吉川英治

122.番外編19 漱石「最後の挨拶」三四郎篇・番外編 総目次(改訂版)

 

漱石「最後の挨拶」番外篇 全18回(ブログ掲載13回・14回・49回~63回)

 

漱石「最後の挨拶」それから篇 補遺

121.漱石「最後の挨拶」それから篇 総目次

 

 ここで「門篇』全37回の前の「それから篇」全20回(総目次込で全21回)にも、遅ればせながら目次を附さねばならない。

 

漱石「最後の挨拶」それから篇

64.それから篇1 『それから』はじめに――『それから』最大の謎

65.それから篇2 『それから』内容見本(1)――2ノ1回全文引用

66.それから篇3 『それから』内容見本(2)――2ノ1回全文引用(つづき)

67.それから篇4 『それから』年表(1)――結婚は最初から破綻していた

68.それから篇5 『それから』年表(2)――真の問題点

69.それから篇6 『それから』愛は3回語られる(1)――漱石作品唯一のプロポーズ

70.それから篇7 『それから』愛は3回語られる(2)――果てしなき道

71.それから篇8 『それから』愛は3回語られる(3)――果てしなき道(つづき)

72.それから篇9 『それから』愛は3回語られる(4)――『心』からの再出発

73.それから篇10 『それから』愛は3回語られる(5)――女と金と死が必ず語られる

74.それから篇11 『それから』愛は3回語られる(6)――女と金と死が必ず語られる(つづき)

 

漱石「最後の挨拶」それから篇(門篇の先行掲載=75回・76回・77回は再掲)

75.それから篇12 『それから』なぜ年次を間違えるのか(1)――『門』小六の学年

76.それから篇13 『それから』なぜ年次を間違えるのか(2)――『門』の年表

77.それから篇14 『それから』なぜ年次を間違えるのか(3)――『門』の年表(つづき)

 

漱石「最後の挨拶」それから篇

78.それから篇15 『それから』父と子――金がなければ役立たず

 

「『明暗』に向かって(第19項)(第20項)」より引用

79.それから篇16 『明暗』に向かって~『それから』ミステリツアー(1)――四つの橋

80.それから篇17 『明暗』に向かって~『それから』ミステリツアー(2)――二つの誤記事件

 

漱石「最後の挨拶」それから篇

81.それから篇18 『それから』目次(1)―― 第1章~第9章

82.それから篇19 『それから』目次(2)―― 第10章~第17章

83.それから篇20 『それから』告白がもたらす平和と嵐(1)――繰り返し奏されるトリオ

84.それから篇21 『それから』告白がもたらす平和と嵐(2)――もう尻に敷かれている

 

「『明暗』に向かって(第10項)(第11項)」より引用

85.それから篇22 『明暗』に向かって~見合いを断ってはいけない

86.それから篇23 『明暗』に向かって~結婚話を断ってもいけない

 

漱石「最後の挨拶」それから篇

121.それから篇24 漱石「最後の挨拶」それから篇 総目次

 

漱石「最後の挨拶」それから篇 全21回(ブログ掲載64回~74回・78回~86回・121回)

 

漱石「最後の挨拶」門篇 34

120.漱石「最後の挨拶」門篇 総目次

 

 前回で『門』36回が終了した。目次が最後になるのがブログの特長であろう。今回の目次でひとまず『門』全37回の確定である。細部はともかく、これで漱石の初期3部作が終わったかと思うと、とりあえず安堵の溜息を漏らさざるを得ない。

 『門』では以前から小六の一高の学年次の書き間違いと、宗助御米の結婚生活の年数の解釈が気になっていたので、『それから』のカレンダーの問題点指摘のついでに、『門』の年次についても先行して考察してみた。そのため入り組んだところが出来てしまったが、まあどこを先に読んでも結論が変わるわけではない。

 

 目次の最初の項番はブログ(漱石「最後の挨拶」)の通し番号、次の項番が緑色で示した作品ごとの各篇の掲載回タイトルでの通し番号である。

 

 なお各回の見出しに注釈ふうの惹句を付け足すことにして、既成の回のタイトルにも一部それを反映させたことをお断りしておきます。75回~77回(それから篇)の『それから』というタイトルは、正確には『門』であるべきですので、諸々のカウントは『門』として取扱います。

 

漱石「最後の挨拶」それから篇

75.それから篇12 『それから』なぜ年次を間違えるのか(1)――『門』小六の学年

76.それから篇13 『それから』なぜ年次を間違えるのか(2)――『門』の年表

77.それから篇14 『それから』なぜ年次を間違えるのか(3)――『門』の年表(つづき)

 

漱石「最後の挨拶」門篇

87.門篇1 『門』平和な小説(1)――不滅の名文

88.門篇2 『門』平和な小説(2)――小六の学資

 

「『明暗』に向かって(第13項)」より引用

89.門篇3 『明暗』に向かって~『門』の間取り図

90.門篇4 『明暗』に向かって~『門』の間取り図(つづき)

 

漱石「最後の挨拶」門篇

91.門篇5 『門』の間取り図(完結編)――勝手口は西でなく北

92.門篇6 『門』小六の学年詳細報告――さらなる正誤表

93.門篇7 『門』もうひとつの年表――明治34年スタート説の難点

94.門篇8 『門』年表確定――宗助御米の結婚生活は6年

95.門篇9 『門』最大の謎――宗助はなぜ小六を残したまま家を出たのか

96.門篇10 『門』もうひとつの謎――小六をなぜ坂井の書生に出したのか

97.門篇11 『門』始めにコントありき――近江のおおの字じゃなくって

98.門篇12 『門』コントのあとは主役の失踪(1)――佐伯の夫婦はイトコ同士

99.門篇13 『門』コントのあとは主役の失踪(2)――肝心な時にはいつもいない

100.門篇14 『門』コントのあとは主役の失踪(3)――小六の変身

101.門篇15 『門』泥棒事件の謎(1)――9つの謎

102.門篇16 『門』泥棒事件の謎(2)――ホームズ登場

103.門篇17 『門』カレンダーの謎(1)――小六の引越はいつか

104.門篇18 『門』カレンダーの謎(2)――小六の去った日はいつか

105.門篇19 『門』人物一覧(1)――『門』人物目次第1章~第6章

106.門篇20 『門』人物一覧(2)――『門』人物目次第7章~第12章

107.門篇21 『門』人物一覧(3)――『門』人物目次第13章~第17章

108.門篇22 『門』人物一覧(4)――『門』人物目次第18章~第23章

109.門篇23 『門』一日一回(1)――『門』目次第1章~第3章

110.門篇24 『門』一日一回(2)――『門』目次第4章

111.門篇25 『門』一日一回(3)――『門』目次第5章~第6章

112.門篇26 『門』一日一回(4)――『門』目次第7章~第9章

113.門篇27 『門』一日一回(5)――『門』目次第10章~第12章

114.門篇28 『門』一日一回(6)――『門』目次第13章

115.門篇29 『門』一日一回(7)――『門』目次第14章

116.門篇30 『門』一日一回(8)――『門』目次第15章~第17章

117.門篇31 『門』一日一回(9)――『門』目次第18章~第21章

118.門篇32 『門』一日一回(10)――『門』目次第22章~第23章

119.門篇33 『門』最後の疑問――補遺として「説教する人」

120.門篇34 漱石「最後の挨拶」門篇 総目次

 

漱石「最後の挨拶」それから篇 全3回(ブログ掲載75回~77回)

漱石「最後の挨拶」門篇 全34回(ブログ掲載87回~120回)

 

漱石「最後の挨拶」門篇 33

119.『門』最後の謎 ―― 補遺として「説教する人」

 

 前項で『門』の最後の日を3月20日と比定したが、これは小説の暦を明治43年と限定した場合の話であって、漱石が架空の年度を想定したのであれば、論者としては3月15日くらいを充てたい。勿論その日が実際のカレンダーに関係なく日曜日なのである。

 

 さて第7章の泥棒事件で漱石に近い年配の坂井が初登場する。坂井は小説では実業家上がりの高等遊民のように描かれるが、宗助に対しては人生の先輩として講釈を垂れ流す。宗助はほぼ黙って聞いているようだ。教師生活の長い漱石にとって、一番書きやすい会話のパタンであろうか。謹聴する方が若い主人公で、しゃべる方は年長の副人物であることが多い。いずれも漱石度合いの高い人物である。

 

①『三四郎』  広田 → 野々宮

②『三四郎』  広田 → 三四郎

③『門』    坂井 → 宗助

④『彼岸過迄』 田口 → 敬太郎

⑤『彼岸過迄』 松本 → 市蔵

⑥『行人』   一郎 → 二郎

⑦『心』    先生 → 私(学生)

⑧『明暗』   藤井 → 津田

⑨『明暗』   岡本 → お延

 

 『それから』で代助に説教するのは父親と兄誠吾であるが、この2人に漱石臭はない。『それから』は漱石らしき人物の出演がない唯一の作品である。それが『それから』の人気の理由であろうか。その代わり代助の自問自答(についての作者の講釈)が目立つようであるが。

 初期作品は、その構造に漱石の意図がどの程度働いているか分からないので、あげつらうことに意味があるかどうか何とも言えないが、

 

⑩『猫』     苦沙弥  → 寒月

⑪『坊っちゃん』 赤シャツ → 坊っちゃん

⑫『野分』    白井道也 → 高柳周作

 

 この3人とも教師である。坊っちゃんは赤シャツに対して黙ってないではないかと言われそうであるが、坊っちゃんは日記ふうに独白として啖呵を切っているだけで、実際にはおおむね大人しく傾聴している。大活劇のラストシーンでも、坊っちゃんは赤シャツに対しては一言「べらんめえの坊っちゃんた何だ」と言い返しただけで、自分の腕力も専ら野だに向けている。この名作で坊っちゃんの次に漱石度の高い人物は赤シャツであろうが、坊っちゃんとしても、自分で自分を殴るわけにはいかなかったのだろう。

 おしゃべりで説教癖があるといえば、教師というより女主人公の方であろうか。漱石の女は概して主人公の若い男に説教する傾向にある。未婚の女であれ細君であれ、例外なく母親のように教師のように、主人公を指導している。だからどうだというわけではないが。

 

 女といえば第14章の回想シーンで、安井の同棲者としての若い御米が初登場する。前述したが、宗助は格子戸の内で浴衣の女の影をちらと見る。女の身元は後日判明する。『彼岸過迄』での印象深い千代子の紹介シーンのリハーサルのようでもあり、これは後にバージョンを変えて『道草』御縫さんのスケッチにも使用された。この手法の起源は『趣味の遺伝』であろうが、『坊っちゃん』のマドンナ、『草枕』の那美さん、『虞美人草』の小夜子、『行人』三沢の「あの女」もこれに近い。漱石の女は最初から剝き出しに現れるのではなく、誰とも知らない間にちらちら姿を現すのである。これを拡大解釈すると、『猫』の金田富子、『三四郎』美禰子、『それから』三千代、『明暗』清子、皆そう言えなくもない。

 思わず全作品を棚卸ししたくなるが、最初から剥き出しのまま出て来る女も多い。『虞美人草』藤尾、糸子、『三四郎』(池の女としての)美禰子、よし子、『門』(宗助の妻としての)御米、『行人』直、『心』御嬢さん、『道草』御住、『明暗』お延。その中で(筆の)飾り気のない剥き出しのチャンピオンは、お延であろうか。飾り気のある(あり過ぎる)剥き出しのチャンピオンは、藤尾か。いずれも剛の者ではある。

 

 女の話が終ったら最後にお金の話をひとつだけ。最終章の第23章、

「宗助の月給が5円昇った。原則通り2割5分増さないでも仕方あるまい」

辞めさせられた人もいる、とも書かれる。本ブログで漱石作品の引用に使用しているのは、前述のように「漱石全集」「定本漱石全集」であるが、2017年5月初版の「定本漱石全集第6巻」の注解には、ありがたいことに当時の官吏増俸一覧表が載っている。それによると、

 

・月給15円超19円以下  4円昇給

月給19円超23円以下  5円昇給

・月給23円超27円以下  6円昇給

 

 とあるから、5円昇給した宗助の(それまでの)月給は、19円から23円の間であろう。それぞれの金額に2割5分を掛けると、

 

・月給19円の場合 4円75銭昇給

・月給20円の場合 5円昇給

・月給21円の場合 5円25銭昇給

月給22円の場合 5円50銭昇給

・月給23円の場合 5円75銭昇給

 

 昇給額5円が2割5分に満たないが仕方ない、と宗助は言っている。すると宗助の給料は21円から23円の範囲と推測される。まあ22円くらいか。小六の掛り月10円が無理なわけである。この給料で福岡東京の転勤があるのかと言ってはいけない。宗助の場合は転勤というよりは転職に近い例外的な異動だったのだろう。ともかく昇給で27円になる。鯛と赤飯のごちそうはその前祝いであった。米屋も肴屋も月末払いである。実際に給料袋を手にしなくても、ごちそうは出来る。

 ところでこの祝いの膳には酒は出なかった、と論者は確信する。漱石はがんらい酒の話など書く人ではないのである。①物語冒頭の小六へのごちそう(お銚子1本)の話、②小六の飲酒癖の話、③宗助の牛肉店(お銚子3本)の話。もともと漱石は酒の話は無理矢理挿入したに過ぎない。もう書きたくないし、3回書いたのだからもう書かなくてよい。

 酒の話はどうでもいいとして、宗助・御米・小六の2度目の宴。宗助は昇給、小六は学資のメドがついて、これは彼ら兄弟にとって共通の幸せである。御米は彼らの幸せが即ち自分の幸せであろう。前著でも書いたが、漱石の作品で、こんな目出度い話が、『門』以外にあるだろうか。

 

漱石「最後の挨拶」門篇 畢)

 

漱石「最後の挨拶」門篇 32

118.『門』一日一回(10)――『門』目次第22章~第23章(ドラフト版)

 

(前項よりつづく)

第22章 帰宅  明治43年1月25日(火)~1月27日(木)

(宗助・御米・小六・坂井・坂井の子たち)

1回 帰宅~御米と小六の感想~銭湯~同僚の感想~変わらぬ日常

2回 宗助は坂井家を訪れ決着を図る~弟と安井は四五日前蒙古へ引揚げた

3回 坂井の話~弁慶橋の蛙の夫婦~宗助夫婦の運命

 

1回

 帰宅した宗助は御米に、坂井のこと小六のことをさり気なく聞く。「宗助は年来住み慣れた家の座敷に坐って」と書かれるが、明治40年6月頃福岡から上京して、まだ2年8ヶ月である。2年8ヶ月を「年来住み慣れた」と書いて勿論おかしくはない。漱石自身は明治40年9月末西片から早稲田南町へ最後の転居を行なった。『門』の脱稿は明治43年6月初めだから、その時点で早稲田に棲み暮らしている年月は、ちょうど同じ2年8ヶ月になる。西片は9ヶ月、『猫』を生んだ千駄木が当時一番長くて3年10ヶ月である。「年来住み慣れた」と書くには、せめてこのくらい、とは思うが、それはやはり漱石に従うしかないであろう。

 それよりこの章では下女の清が登場しないのが不思議である。宗助の留守を預かる家族が、御米と小六の2人だけであれば、『門』という小説は別なものになってしまう。帰宅した宗助を迎える人の中に清がいないわけがない。翌日の会社の同僚でさえ描かれているのだから、漱石が清を省略したことに何か格段の理由があるのだろうか。

 

2回

 安井が蒙古へ帰ったのは、苦しんだ宗助が庵室でちょうど「私のようなものには到底悟りは開かれそうにありません」と宣道に白状した頃に合致する。漱石自身が「帰る二三日前」だの「四五日前帰りました」だのと書いているので、読者はついカレンダーを確認してしまうが、安井はまことに好いタイミングで引き揚げたことになる。坂井は嘘を言ったわけではあるまい。漱石の分身たる坂井は漱石同様嘘の吐けない男である。しかし口の軽い坂井が安井に隣人宗助のことをしゃべって、安井だけが気が付いてとぼけているという可能性はゼロではない。安井は何も語らず確認する必要も認めず、坂井の門を永久に離れることにしたのだろうか。

 もっとも坂井は自分の弟とその同類の安井に、社会からの冒険的落伍者を見ているのであり、宗助兄弟にもその片鱗を認めたはずであるから、坂井が事情を知って黙っている可能性もまた、ゼロではない。

 

3回

 物語の最後の回まで来て、宗助の心は何事も片付かないまま、とうとう坂井も弁慶橋の蛙と共に退場である。小六の坂井家行きも、物語の本体で描かれることはなかった。小六が坂井の家へ書生に出て、宗助のキャリアを喋らない保証はないのだから、宗助は小六に口止めするか、その前に坂井に打ち明けてしまうか、それ以外に選択肢はないのであるが、漱石はそんな興醒めな展開になる前に『門』を閉じた。小説は最後まで宗助の心の問題を引き摺ったまま、あるいは宗助と御米の夫婦の物語として、完結したのである。

 

第23章 大団円  明治43年2月1日(火)~3月20日(日)

(宗助・御米・小六)

全1回 1ヶ月半の出来事を1回にまとめたエピローグ風の最終回

 

 物語は2月から3月に入り、官吏の増俸問題と淘汰も終結した。小六は2月中旬には坂井家に入ったのだろう。3月6日(日)宗助の5円昇給祝いの膳に招かれてやって来た。呼びに行ったのは前章では行方不明であった清である。小六が勝手口から訪れたラストシーンの意義は、前著でも強調したところ。梅の散ったり咲いたりするのを眺めながら、宗助は3月12日(土)、佐伯の叔母と安之助に小六の学費の分担を頼みに行く。

 この回、実際に登場してしゃべるのは宗助・御米・小六の3人だが、清・坂井・佐伯の叔母・安之助、漱石の筆の上では全員集合である。安之助は安さんとさえ書かれる。そしてある日曜日、久しぶりに日の高いうちに銭湯へ行った宗助は、銭湯の客が鶯の鳴き始めを聞いたと話しているのを耳にして、それを御米に披露する。そして日の当たる縁側で爪を剪りながら、名高い最後のセリフ。冒頭シーンにそのまま繋がる印象深い結びである。小説の始まりと終わりが同じ場所である作品は『門』だけである。『道草』もそう見えなくはないが、『門』ほどにはむき出しではない。

 湯上りに爪切りはよくないと、母を早くに亡くした宗助に注意する者はいなかったのかも知れないが、それはともかく、この日曜日は明治43年3月20日と推測される。日曜日に始まって日曜日に終わる。永く教師生活を送った漱石にとって、『門』は安息の中で巣立ちをした小説であった。

 

(『門』1日1回 畢)

 

漱石「最後の挨拶」門篇 31

117.『門』一日一回(9)――『門』目次第18章~第21章(ドラフト版)

 

(前項よりつづく)

第18章 山門(1)――出立  明治43年1月15日(土)~1月16日(日)

(宗助・御米・役所の同僚・釈宜道・老師・居士)

1回 『菜根譚』~宗助は禅の知識はないが、心の安寧を求めて禅寺を目指す

2回 友人の紹介状を携えて鎌倉一窓庵に釈宜道を訪ねる

3回 釈宜道に通ず~相客の話~始めて室に入る

4回 早くも老師に会う~公案「父母未生以前本来の面目とは」

5回 座禅~独り公案の答えを考える~新たな不安と焦燥

6回 2日目の朝~『碧巌録』~読書は修業の妨げ

7回 御米への手紙~夜具のこと食事のこと

 

1回

 鎌倉への小旅行。御米は羨ましがって冗談を言うが、宗助が真に受けるので気の毒がる。『門』では御米も(小六も)主格として、漱石はその内面も踏み込んで描くので、どのような感情も自在に書けるのであるが、「(ある登場人物が主人公を)気の毒に思う」という特定の情動については、例えば『三四郎』の広田先生や与次郎のような、その内面が分からないことになっている人物たちに対しても、直接に描写される。「気の毒がる」というのは、漱石にとっては外側から見て分かる感情なのだろうか。人が自分を気の毒がっているのか、憐れんでいるのか、蔑んでいるのか、笑っているのか、ふつうは客観的には分からないはずである。「お気の毒ね」と(真顔で)言われて始めて分かる話ではないか。

 

2回

坊っちゃん」は源氏の末裔というが、徳川もその源氏としての先代たる足利も、明朝の子会社みたいなものであろうから、所詮時代の子漱石王陽明菜根譚を好むのも分かる。しかしいくら役に立つとはいえ、禅味を帯びた処世訓の類いは実用に過ぎよう。交際嫌い・実業嫌い・浮世の垢と無縁の漱石にとって、菜根譚は先刻ご承知であり、参禅は不必要な「自己研鑽」ではなかったか。では宗助には有用なのか、と言われるとそれは今の段階では何とも言えない。

 

3回

 筆墨を背負って行商する男の話が紹介される。とかく浮世離れしがちな参禅譚を、現実に引き戻すための道具としての逸話であろうと思われるが、その効果は疑問である。その布石たる織屋の滑稽譚からして、十分浮世離れしている。

 

4回

 漱石読者にはお馴染みの「父母未生以前」であるが、漱石の解答はともかく、この公案の導こうとするものは結局、「死とは何か」「自分自身にとって死とは何か」ということであろう。どのような案を出そうが、それは所詮検証しようもないのであるが、論者はあえて「この世で一番不可思議なこと、それは自分がなぜ自分なのか(なぜ自分として生まれ、かつ消滅するのか)」という問いかけを以って、その公案の解答としたい。宇宙(現行ユニバース)がなぜ出来たのかは確かに不思議だが、それと同じくらい不思議なのが、自分がなぜ(ライオンやイワシやゴキブリでなく)人間に生まれたのか、なぜ(1万年前でも1万年後でもなく)今のこの世に生まれたのか、ということである。この問いは無量の生命の数から見れば殆ど意味をなさないが、それでも(各人一人ひとりにとって)このことに勝る疑問はないと思われる。そして生命の数が無量であることから同じく、これは疑問でも何でもないように見えることも、また確かであろう。そもそもその宇宙の数が他にも数千億個あるとか、我々の宇宙が誕生して「たった」127億年とかという話も、疑問を拡張するだけである。我々は1千兆とか京・垓という単位さえ知っている。あるいは勘定出来る。たった127億年。4兆6千億日。それでいて1個の生命が(細菌は別として)今の自分自身に宿っている。偶然で済まされる話であろうか。それとも我々は何か悪い夢でも見ているのだろうか。

 

5回

 座禅の目的が考える事であれば、格好は関係ないだろうと、宗助は寝ころんで考えたが、すぐに眠ってしまった。釈迦もキリストも時として寝転がってしゃべったと言う人もいるようだが、だからといって宗助が真似していいわけでもない。この参禅の章は喜劇なのだろうか。

 

6回

 読書の成果は所詮その時の自分のレベルを超えることはない、というのはいかにも漱石の承認を受けそうな主張である。18歳で読んだカラマゾフの大審問官伝説の理解・感動と、25歳で再読したときの理解・感動。慥かにどちらもその時の本人の文学的哲学的レベルの範囲内ではあるだろう。しかしだからといってカラマゾフを読む意義が無いとはいえまい。漱石ほどの人であればともかく、ふつうは読書によって、とくに若い人は向上するはずである。『門』についても、鎌倉参禅の章が大審問官伝説の東洋版のような趣を持っていたなら、とつい余計な夢を見てしまう。

 

7回

 鎌倉くんだりまでやって来て公案に苦しむ宗助の姿は、湯河原で清子のことばかり考えている『明暗』の津田と瓜二つである。津田を去った清子は、宗助が手も足も出ない公案である。とすると『明暗』の結末、とくに清子はどうなるか。『門』の顰に倣えば、清子は放置されると推測される。津田の手に負えないまま、清子は(いくつかの小さな役割は果たすかも知れないが)津田の前から消え去るだろう。清子は禅の公案と異なり手足があるから、つまりは清子は帰京するのだろう。

 

第19章 山門(2)――公案  明治43年1月16日(日)

(宗助・釈宜道・僧たち・老師)

1回 2日目の夜~公案~六七人の男たち~老師の鈴の音

2回 見よう見まねの仕草~宗助の短い解答~一刀両断

 

1回

 本章はひとつの掌篇のようである。公案自体は宗助に何物ももたらさなかったが、考え悩んだ宗助は老師に一蹴されて喪家の狗のように室を出る。コントのタイトルは、平凡だが「公案」であろう。

 

2回

「危のうございます」で始まり「もっとぎろりとした所を持って来い」で終わる宗助の口頭試問。本当に参禅体験が漱石にとって、何の役にも立たなかったことが伺われる。思うに漱石のような世間の塵芥に染まらない人間にとって、座禅はさほどの効用を持たないということだろう。

 ところで議論するつもりはないが、順番を待つ宗助のふたり前の男のときに、奥からわっという大きな声が聞えたとあるが、この声を発したのは老師ではないか。大きな声くらいで崩れるようなチャチな組み立ての解答を持って行ったので、苦言を呈す代わりに一喝されたのであろう。

 

第20章 山門(3)――提唱  明治43年1月17日(月)

(宗助・釈宜道・老師・僧たち)

1回 3日目~釈宜道の話~坐るための理屈

2回 「野中さん提唱です」~夢想国師と大燈国師~参禅の結論

 

1回

「10分坐れば10分の功があり、20分坐れば20分の徳がある」

時は金なりとも言うが、とても漱石の首肯えない話であろう。

「その上最初を一つ奇麗に打ち抜いておけば、あとはこういう風に始終ここへ御出にならないでも済みますから」

というのも限りなく胡散臭い言い方ではある。漱石は生前の交際ぶりから、禅家には概して好意的であると思われがちだが、両親・兄弟・妻子・友人、みな小説に書かれるときには、どちらかと言えば辛辣である。その中で僧侶の書かれ方はまあ同情がある方だろう。しかし後世の目で見て、鎌倉参禅の章は、禅僧が善男善女を救うという気配は、微塵も感じられない。

 

2回

「我に三等の弟子あり。所謂猛烈にして諸縁を放下し、専一に己事を究明する之を上等と名づく。修業純ならず雑駁学を好む、之を中等と云う」

 漱石はここまでしか引用していないので、何も知らない読者は、上等が漱石で中等が自分たちあるいは宗助かと思う。あるいは漱石ですら中等かと思う。しかし夢想国師の言には続きがあり、岩波版全集の注解をそのまま引用すると、

「自ら己霊の光輝を昧(くら)まして只仏祖の涎唾を嗜む、此を下等と名づく。如(も)し其れ心を下書に酔わしめ、業を文筆に立つる者、此は是れ剃頭の俗人なり。以って下等と作(な)すに足らず、況や飽食・安眠・放逸にして時を過ごす者、之を緇流(しりゅう=僧侶)と謂わんや。古人喚んで衣架飯嚢と作す、既に是れ僧に非ず……」

 これによると漱石は下等ですらないことになる。漱石は自分が僧侶の範疇にないと言われても何も感じないだろうが、俗人呼ばわりされてはいくら相手が夢想国師とはいえ、苦笑するしかなかったであろう。

 

第21章 山門(4)――後悔  明治43年1月18日(火)~1月25日(火)

(宗助・釈宜道・老師)

1回 安井の圧迫を座禅で回避できるか~世俗の苦痛を宗教が救えるか

2回 「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」

 

1回

 所詮末っ子で尻の軽い漱石は、同じところに長く座り続けることなど、始めから出来ない相談であった。おまけに頭だけは人一倍重い。漱石は催眠術にはかからないタチなのである。最初の3日間でそれは分かってしまった。1週間で見切りを付けて、最後の3日間は意地だけで後悔の念を押さえ込んだ。

 

2回

 結局漱石は、例えば失恋の苦しみを座禅で解消できるかと問いかけたに過ぎまい。漱石はとっくに知っている。理詰めに考えても何の役にも立たない。門に入るべきでない人間が門に入った。これを悲劇と言わずに何を悲劇と言おうか。であれば安井の幻影に怯えた第17章全体が喜劇であると言えよう。参禅自体にも笑える要素はある。それがゆえに暗いテーマにもかかわらず、『門』が平安な印象を与えるのであろうが。

 

 

漱石「最後の挨拶」門篇 30

116.『門』一日一回(8)――『門』目次第15章~第17章(ドラフト版)

 

(前項よりつづく)

第15章 大晦日の風景  明治42年12月31日(金)

(宗助・御米・小六・清・坂井)

1回 注連飾~伸餅~坂井への年末の挨拶

2回 銭湯へ行く御米と清~夜景を見に行く小六~清は髪結も

 

1回

 後半の『門』は喜劇と悲劇が交互にやってくる。第13章(贖罪)は、織屋譚が喜劇、子にまつわる御米の過去が悲劇。第14章(宗助と御米の過去)は、京都での学生時代が喜劇、大風事件が悲劇。本章(大晦日の風景)は、言うまでもなく喜劇。伸餅を截るのに包丁が足りないので、宗助だけは手を出さなかったとあるが、微笑ましい記述であろう。包丁の数に関係なく、宗助がこの種の行事に参加しないのは、読者なら先刻ご承知である。

 

2回

 宗助は若い頃起こしたある事件ゆえに世間のお祭り騒ぎに背を向ける。漱石は生まれつきこうした年中行事に背を向ける。読者は考える。漱石も若い頃事件を起こしたのだろうか。それは何とも言えない。しかし事件があってもなくても、正月はめでたくない。年中行事は傍観したい。生まれつきツムジが曲がっているのである。

 

第16章 冒険者  明治43年1月1日(土)~1月7日(金)

(宗助・御米・小六・坂井の下女・坂井・坂井の弟・安井)

1回 元日坂井が来ていた~2日雪降る~3日若旦那行って来い

2回 坂井の洞窟~高等遊民は宗助の理想か

3回 田舎饅頭~小六の社会教育~小六を坂井の書生へという幸運な話

4回 冒険者~坂井の弟の話~大学・銀行・満洲・蒙古・馬賊

5回 蒙古刀~象牙の箸~蒙古王に2万円~弟の友人「安井」

 

1回

 元日、宗助は坂井の玄関に名刺を投げ込んで年始に出掛けたが、留守に坂井が来ていたので恐縮した。宗助は坂井の店子になって3度目の正月である。坂井との賀詞交換は、淡白なものにせよ、もうお互い呑み込めていないのだろうか。手文庫事件・屏風事件で急に挨拶するようになったのだろうか。

 

2回

 正月7日の夕方、宗助は坂井に招かれる。記述を読む限り、役所帰りという雰囲気はない。宗助はまだ冬休みだったのか。物語の開始で伊藤博文暗殺(明治42年)の号外が語られ、それに続く正月であるから、その日明治43年1月7日は金曜日である。教師でない限り仕事はとっくに始まっている。しかし午後4時役所が引けて、夕食を終えたあと坂井が呼びに来たのであるから、6時頃あるいは7時頃として、話の辻褄が合わないことはない。しかし辺りは真っ暗闇であるから、それを夕方というのはちと厳しいのではないか。

 

3回

 小六が坂井の書生になるのはめでたい。坂井の書生は、坂井家の番犬が病気で入院する1ヶ月前に徴兵検査に合格して入営したという。以前は坂井家には書生と犬がいた。年表と目次の考察により、10月20日頃書生の入営、11月20日頃番犬の入院、11月25日手文庫事件と確定しうる。しかしなぜ小六の話のときに、このようないきさつが書かれるのだろうか。手文庫事件と小六との間に何かあるのだろうか(と惚けるのは本意でないが、どう考えても不可思議であることは否定しようがない)。

 ところで坂井家の犬はその後どうなったのであろうか。名前がたぶんヘクトーであることは疑いないが、この初代ヘクトーは、(『猫』の語り手ではないが)生涯無名に終わった。

 

4回

 冒険者の魁は、『草枕』那美さんの前夫(野武士)であろうが、最も有名なのが『それから』の平岡である。学士、銀行、スピンアウト、外地への進出(放浪)。すべて冒険者の要件を満たしている。安井の後継者は『彼岸過迄』の森本であろう。学歴も職歴も見劣りするものの、下宿料を踏み倒して朝鮮だの大連だのと言う以上、立派な放浪者である。『心』のKも素質充分だが、その前に自裁した。漱石最後の冒険者は『明暗』小林であるが、寸足らずの外套をまとった小林の外見がチャプリンみたいに読める。論者は前著でもそう書いた。漱石はぎりぎりでチャーリィの無声映画を見たろうか。もちろん冒険者(放浪者)は、漱石にあってはバイプレイヤーに過ぎないから、それ以上の議論になることはないが。

 

5回

 坂井の口から発せられた安井の名は宗助に衝撃を与えた。しかしこの情報自体は、宗助にとって結果として大変有利に働いた。漱石も書いているように、坂井の玄関で鉢合わせする可能性は大いにあったのであるから、何も知らない坂井が事前に情報を与えてくれたのは、宗助にとって天啓でもあった。前の回で、「そこで辞して帰ればよかったのである」というのは、後から考えると、そこで辞して帰らなくて本当に良かったと、宗助も漱石もつくづく思ったことであろう。

 

第17章 安井の幻影  明治43年1月7日(金)~1月9日(日)

(宗助・御米・小六・安井)

1回 回想の安井~満洲で元気になったらしい~宗助の宗教心の芽生え

2回 帰宅した宗助はショックで蒲団に直行~生まれて始めて吐いた嘘

3回 「翌日」宗助は仕事が手につかない~娘義太夫を聞きに行く

4回 「そのまた翌日」宗助不安去らず~神田で牛肉店に立ち寄り酒を飲む

5回 帰途も安井の幻影は消えない~不安で圧し潰されそうな心を救うものはあるか

6回 「もう飯は食わないよ」「留守に坂井さんから迎いに来なかったかい」

 

1回

 安井の具体的な回想としてはほとんど最後の回にあたる。そもそも安井の初登場は第14章である。物語の半ば以上経過した、重要人物としてはずいぶん晩い初登場である。それで漱石は佐伯の長男に安之助という名前を(わざと)付けて、小説の前半から宗助御米に「安さん」と呼ばせることにより、安井の雰囲気を『門』全体に(香水のように)振り撒いておいた。論者は昔から、夫婦が「安さん」と口に出して、なぜ平気でいられるのか、永く悩んできたが、軽率という語とは無縁の漱石は、ある意図を以って「安」の一文字を小説全体にちりばめておいた、と考えれば考えられなくもない。小心の漱石は、安井という言葉が突然出現する恐怖に耐えられなかったのではないか。乱暴な推理ではあるが。

 

2回

 坂井の口から思いもかけない人の名が飛び出して、帰宅した宗助は「少し具合が悪いからすぐ寝よう」と言う。しかし宗助は前章16ノ4回で書かれるように、「帰ればただ寝るより外に用のない身体」なのであるから、御米の驚きは大袈裟過ぎるのではないか。もちろん夫の顔色が悪いといって心配しない細君はおるまいが、熱や咳・嘔吐や出血もないのに枕元を離れないというのは、新婚でもない限りちとやり過ぎであろう。漱石は宗助夫婦を意識してそのような仲の好い夫婦として描いているが、驚くには驚くだけの理由がなければならない。宗助だけが知る原因に御米が気付いていない以上、御米の驚きを正当化するにはその理由も必要である。

 

3回

 宗助の精神的疾いは一向に緩解しそうにない。義太夫の寄席に行っても少しも楽しくない。いかに予知能力に長けた御米といえども、宗助が原因を教えないのでは解らないのは当然であるが、宗助の方でも二心なく高座を見つめている御米の横顔に、宗助の彼岸にいる、自分(の苦悩)と縁のない他人の面影を見る。これは夫婦の間の心の問題であろうか。そういう見方から夫婦を解釈しようとすれば、『行人』『道草』の無間地獄に行き着くかも知れないし、少なくとも『心』『明暗』の夫婦に吹く隙間風には結び付けられよう。つまり夫が独りで勝手に悩んでいることに当然ながら気付かない妻を見て、夫がさらに独りで傷つくという、漱石ならではの設定である。

 一般的な話として言い換えると、男が女のことで悩むとして、女はそのことを知らない。男はそんな女を見て、それでは自分の悩み・考えを打ち明けて問題解決を図ろうとするかというと、決してそんなことをする気遣いはない。さらに深く女の心情について悩むだけである。男は女に(母のように)何も言わなくても察して欲しいと言いたげである。自分では自分の欲求らしきものは一切口にしない。ただ自分独りの悩みを悩むだけである。人はこれをストイックといい、また身勝手という。

 

4回

 前章16ノ2回のメモでも述べたが、1月7日から9日まで、宗助は3日連続で役所へ出勤しているようである。7日はともかく、8日と9日ははっきり役所へ出たと書かれる。漱石の勘違いないしうっかりミス以外の何者でもないが、フィクションである以上実際のカレンダーと一致しなくて何の問題もない、というのが漱石の言い分であろう。漱石は(厳然と存在する)物の名称等の書き誤りにはすぐ反応するが、(読者の)理屈の上で生じる疑念の類いに関心はない。極論すれば、倫理上の問題には降参するが、論理的な問題は受け付けない。およそ凡人と正反対の態度であろう。それにしては小官吏宗助にとっての曜日や休暇の書き方が、教師丸出しになるのがおかしい。しかしそのことは小説の瑕疵ではなく、むしろ香気につながる。これもまた漱石の人徳であろうか。

 

5回

 悩める宗助は(丸の内か大手町の)役所帰りに神田で途中下車して牛肉店に上った。酒を飲んでも気が晴れないのは、もともと酒を飲まない人間にとって当たり前である。再び電車に乗るところを、宗助は江戸川橋まで歩いて帰った。思うに電車は漱石には喜劇名詞だったのであろう。御米も電車に乗らなかった宗助を肯定した。小説はどんどん暗くなる。本章の始めに宗助は御米に宗教心について問いかけをしているが、今や自分自身でもその問いに答えるときがやって来たようだ。

 

6回

 第16章(冒険者)は喜劇。その末尾から異変が起こり、第17章(安井の幻影)の前半まで悲劇、後半は喜劇か。それで『門』は一応の決着に到達したかに見える。本章で『門』が終わってもおかしくはない。終わってもいいがここで終わらないのが漱石である。そこが自然主義と違うところであろう。宗助の悩みが消えないままで終わらない。それならいっそ悩む前に終える。『それから』の代助も、真の悩み(生活上の悩み)を悩む前に退場している。

 ところで本章(第17章)の全体を喜劇と見る見方も可能であろう。本章全体が喜劇なら、続く参禅の章は無用の章になる。鎌倉参禅が解決篇ないし解決模索篇になるためには、本章は悲劇で終わらなければならない。とりあえずここでは悲劇としておくが、どんでん返しがあるかも知れない。