明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」道草篇 46

420.『坊っちゃん』詳細目次(1)――1章~6章


『猫』同様『坊っちゃん』も各章を勝手に(新聞連載ふうに)回数分けして、そのタイトルと内容の要約も附してみる。カレンダも論者の推定。
 目的は(これまた『猫』同様)いちいちこの名作を再読しないでも、どこに何が書かれているか一目で思い出せるようにするためである。
 回数分けの詳細な場所(頁と行)については本ブログ坊っちゃん篇を参照されたい。

第1章 坊っちゃん
明治16年~明治38年明治38年8月31日木曜~9月2日土曜)

1回 親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る
明治16年1歳~明治28年13歳)
飛降事件~刃傷事件~勘太郎事件~人参畠事件~井戸埋立事件

2回 こいつはどうせ碌なものにはならない
明治29年14歳~明治30年15歳)
家族の誰からも愛されない~母の死に目に会えず~下女清の登場~勘当事件(飛車投擲事件)~清だけが可愛がってくれる

3回 母が死んでから清は愈おれを可愛がった
明治31年16歳~明治34年19歳)
父と兄と男だけの味気ない生活~清の同情と異様な溺愛~3円借金事件

4回 六百円の使用法に就て寝ながら考えた
明治35年20歳)
父の死~財産整理~兄に600円貰う~清は50円貰う~兄との別れ~物理学校入学

5回 もう御別れになるかも知れません
明治35年20歳~明治38年23歳/明治38年8月31日木曜~9月2日土曜)
卒業~校長の呼び出し~中学校教師の口~清との別れ

第2章 到着
明治38年9月4日月曜~9月5日火曜)

1回
 松山初日に清の夢を見た
(9月4日月曜~9月5日火曜)
港屋で中学校の行き方を尋く~山城屋~港の鼻たれ小僧や宿の客引きや女中にも馬鹿にされる~階段下の部屋で1泊目

2回 教員控所で1人ずつ辞令を見せた
(9月5日火曜)
校長にいきなり辞令返上~全員に渾名を付けて遣った~狸・赤シャツ・うらなり・山嵐・漢学の爺さん・野だいこ

3回 早速清へ手紙を書く
(9月5日火曜)
授業は明後日から~階段下の部屋から大座敷へ~清への手紙~山嵐の急襲~いか銀へ宿替え~女房はウィッチに似ている

第3章 教室
明治38年9月7日木曜~9月24日日曜)

1回 まちっとゆるゆる遣っておくれんかなもし
(9月7日木曜)
最初の授業~あまり早くて分からんけれ~出来ん出来ん~お茶を淹れに来る宿の主人

2回 おい天麩羅を持って来い
(9月8日金曜~9月14日木曜)
骨董責め~其うち学校もいやになった~散歩中に蕎麦屋を見つけた~天麩羅蕎麦4杯

3回 住田温泉には遊郭も公園も団子屋もある
(9月15日金曜~9月24日日曜)
天麩羅先生~天麩羅四杯但不可笑~天麩羅を食うと減らず口が~遊郭の団子~赤手拭~湯の中で泳ぐべからず

第4章 宿直事件
(明治38年9月25日月曜~9月26日火曜)

1回 宿直が無暗に出てあるくなんて不都合じゃないか
(9月25日月曜)
宿直当番の夕~汽車で温泉へ行く~なるべくゆっくり時間を潰す~停車場で狸と会う~横丁で山嵐と会う

2回 そりゃイナゴぞなもし
(9月25日月曜)
バッタ事件~詰問~イナゴのせいにして白を切る生徒~清の有難味がよく分かる

3回 世の中に正直が勝たないで外に勝つものがあるか
(9月25日月曜~9月26日火曜)
咄喊事件~夢ではない~2階へ突撃~罠で向う脛を負傷~籠城覚悟~つい寝てしまう~詰問Ⅱ~校長登場~蚊に食われ顔中腫れる

第5章 ターナー
明治38年9月29日金曜)

1回 ひろびろとした海の上で潮風に吹かれるのは薬だと思った
(9月29日金曜)
赤シャツ野だと課業後沖釣りへ~鮪の二匹や三匹~ターナー島の景色~マドンナとは何か

2回 清を連れてこんな美しい所へ遊びに来たい
(9月29日金曜)
沖釣りは錘と糸と針だけ~鰹の一匹くらい~一番槍でゴルキを釣るが胴の間に叩きつけたら死んでしまった~赤シャツと野だもゴルキばかり~寝ころんで空を見ながら清のことを考える~山嵐を讒訴するような赤シャツと野だの内緒話

3回 さあ君は率直だからまだ経験に乏しいと云うんですがね
(9月29日金曜)
山嵐に気を付けろという謎かけ~赤シャツのアドバイス坊っちゃんの書生論

第6章 職員会議
明治38年9月29日金曜~9月30日土曜)

1回 君は学校に騒動を起すつもりで来たんじゃなかろう
(9月29日金曜~9月30日土曜)
赤シャツは弱虫に極まっている~弱虫は(女のように)親切なもの~山嵐には氷水の1銭5厘返しておこう~坊っちゃんは膏っ手~昨日は失敬迷惑でしたろう~これから山嵐と談判するつもり~君そんな無法をしちゃ困る~君大丈夫かい

2回 山嵐との大喧嘩
(9月30日土曜)
おや山嵐の癖にどこ迄も奢る気だな~氷水の代は受け取るが下宿は出て呉れ~下宿料の十円や十五円は懸物を一幅売りゃすぐ浮いてくるって云ってたぜ

3回 職員会議の午後
(9月30日土曜)
校長とは煮え切らない愚図の異名~山嵐の顔は小日向の養源寺にある韋駄天の絵に似ている~うらなり君の遅刻~狸の挨拶は謝罪から~すべては自分の寡徳の致す所

4回 私は徹頭徹尾反対です。そんな頓珍漢な処分は大嫌いです
(9月30日土曜)
沈黙の会議室~赤シャツの長談義~野だの阿諛追従~坊っちゃんの発言に一同失笑~流れは教頭派に

5回 山嵐吠える
(9月30日土曜)
山嵐がおれの言いたいことを全部言ってくれた~宿直中に温泉へ行ったことも追加で指摘された~坊っちゃんの謝罪に一同また失笑~最後に大失言「マドンナに逢うのも精神的娯楽ですか」

漱石「最後の挨拶」道草篇 45

419.『猫』下編目次――太平の逸民全員集合


第10篇 艶書事件
(1)則天去私
主人・細君・御三・とん子・すん子・坊ば・俥屋の子供・車夫

 人間も返事がうるさくなる位無精になるとどことなく趣きがあるが、こんな人に限って女に好かれた試しがない/主人の朝寝坊/三姉妹の洗顔/「そんなに言わなくても今起きる」と夜着の袖口から答えたのは奇観である/主人は押入れに逆さに貼ってある古新聞を読む/伝通院の尼事件~今泣いた烏がもう笑った/長火鉢事件/三姉妹の容貌/三姉妹の朝食/主人は一言もいわずに専心自分の飯を食い自分の汁を飲む/今に三人が申し合わせたように情夫を拵えて出奔しても、やはり自分の飯を食って自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう/主人は日曜日なのに学校へ欠勤届を出して日本堤の警察署へ出頭する

(2)雪江登場
雪江・細君・とん子・すん子・坊ば

 雪江来たる/主人の悪口「蒟蒻閻魔」「天探女」/ただ怒るばかりじゃないのよ、人が右といえば左、左といえば右で、何でも人の言う通りにしたことがない/保険不要論「いえ決して死なない、誓って死なない」/淑徳婦人会で八木独仙の演説会があった/石地蔵と馬鹿竹の話/人間は魂胆があればあるほど、その魂胆が祟って不幸の源をなす/演説会には金田富子も来ていた/雪江は富子の噂をする~お化粧をするが器量は並である・東風が新体詩を捧げた・誰かから艶書が来た・寒月と結婚するらしい/招魂社嫁入事件~かように三人が顔を揃えて招魂社へ嫁に行けたら主人もさぞ楽であろう

(3)盗品還る
主人・細君・雪江

 主人の帰宅「やあ来たね」/盗品は山の芋と帯の片側以外は出て来た、みな解いて洗い張りしてある/(保険に)ぜひ来月から這入るんだ/雪江がいらないと言った蝙蝠傘をそれなら返せと言う/「お前は愚物のくせにやに強情だよ、それだから落第するんだ」「落第したって叔父さんに学資は出してもらやしないわ」/雪江の涙

(4)艶書事件
主人・古井武右衛門・寒月・細君・雪江

 大きな毬栗頭の生徒が来訪/「さあお敷き」/艶書事件/金田富子への付け文に名前を貸した生徒はしょげ切っているが主人は一向気にする様子はない/寒月来たる/上野の森へ虎の鳴き声を聞きに行こうという/主人の家の新聞は読売新聞であった/古井武右衛門は埒が明かないので帰ることにする「帰るかい」/コロンバスの邦訳/「だって君が貰うかも知れない人だぜ」「貰うかも知れないから構わないんです、なあに金田なんか構やしません」/寒月は近日中にちょっと用事で郷里に帰るという

第11篇 太平の逸民全員集合
(1)全員揃った太平の逸民
迷亭・独仙・主人・寒月・東風

 迷亭と独仙の囲碁/「迷亭君、君の囲碁は乱暴だよ、そんな所へ這入ってくる法はない」/寒月の国の土産は三本の鰹節/鰹節はヴァイオリンと一緒の袋に入れていたが鼠が両方とも齧ってしまった/「こっちは…こっちはこっちはとて暮れにけりと、どうもいい手がないね、君もう一遍打たしてやるから勝手な所へ一目打ちたまえ」/主人の女性不要論~独仙も寒月も東風も反対/東風「僕の考えでは人間が絶対の域に入るにはただ二つの道があるばかりで、それは芸術と恋だ、夫婦の愛はその一つを代表するものだ」

(2)寒月のヴァイオリン購入事件
迷亭・独仙・寒月・主人・東風

 寒月が田舎の高等学校でいかにしてヴァイオリンを購入するに至ったか/見つかれば生意気だというのですぐ殴られる/人目につくので夜まで待つ/主人「おいもうヴァイオリンを買ったかい」東風「これから買うところです」/買ったヴァイオリンの置き場所に窮して下宿の古つづらの中へ隠す/羅甸語は分かってるが何と読むんだい~無論読めるさ、読めることは読めるが、こりゃ何だい

(3)ヴァイオリン試奏未遂事件と寒月の結婚
寒月・迷亭・東風・主人・独仙

「先生子規さんとは御つき合いでしたか」「なにつき合わなくっても始終無線電信で肝胆相照らしていたもんだ」/味醂盗飲事件~昔鈴木藤十郎味醂迷亭や主人が飲んでしまった~黙っていろ、羅甸語も読めないくせに~大将(苦沙弥)部屋の隅の方に朱泥を練りかためた人形のようにかたくなっていらあね/迷亭の煙草盗飲事件「失礼ですがこんな粗葉でよろしければどうぞお呑み下さいまし」/
寒月は買ったヴァイオリンを弾く場所がない/深夜灯りも点けず山へ行ってみる/総身の毛穴が急にあいて焼酎を吹きかけた毛脛のように勇気・胆力・分別・沈着などと号する御客様がすうすうと蒸発して行く、心臓が肋骨の下でステテコを踊り出す、両足が紙鳶のうなりように震動をはじめる/何だか君の話は物足りないような気がする/
 博士ならもうならなくてってもいいんです/寒月は国へ帰って結婚していた/どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せするようなものだ、鉢合せしないでも済むところをわざわざ鉢合せるんだから余計な事さ、それなら誰と誰の鉢が合ったって構いっこないよ/(金田の方へ)いいえ断る訳がありません、私の方でくれとも貰いたいとも先方へ申し込んだ事はありませんから黙っていれば沢山です

(4)文明の果ての自殺クラブ
主人・独仙・迷亭・寒月・東風

 人から金品を奪うのが掏摸・泥棒・強盗だが、人から心を奪うものが探偵である/僕の解釈によると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強過ぎるのが原因になっている/泥棒は捕まるか見付かるかという心配が念頭を離れる事がない~探偵は人の目を掠めて自分だけうまい事をしようという商売である~いずれも自覚心が強くならざるを得ない/一挙手一投足も自然天然とは出来ない~瞬時も自己を忘れる事が出来ない~行為言動が人工的にコセつくばかり~己れの損得ばかり考え続けて死ぬまで一刻の安心も得ない/
 二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向がある/二六時中己れという意識を以て充満しているから二六時中太平の時はない/天下に何が薬だといって己れを忘れるより薬な事はない/印度の王族の馬鈴薯手掴み事件~英国の下士官フィンガーボール事件~カーライル着座事件/

 死ぬ事は苦しい、しかし死ぬ事が出来なければなお苦しい/主人の人類皆自殺論/自殺できない人は巡査が撲殺して歩く/月賦販売のよる詐欺的金儲け論/しかし親子兄弟の離れたる今日もう離れるものはないわけだから最後の方案として夫婦が分れることになる/東風「先生私はその説には全然反対です、世の中に何が尊いといって愛と美ほど尊いものはない」/「芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ、個性の発展というのは個性の自由という意味だろう、個性の自由という意味は己れは己れ人は人という意味だろう、その芸術なんか存在出来るわけがない」/昔は孔子がたった一人だったから孔子も幅を利かしたのだが今は孔子が幾人もいる/吾人は自由を得た、自由を得た結果不自由を感じて困っている

(5)最後の事件
主人・迷亭・独仙・寒月・東風・細君・多々良三平

 古代ギリシャの女の悪口/多々良三平来訪/多々良三平は金田富子と婚約したという/寒月は自分のことを「多妻主義ではないが肉食論者だ」という/多々良三平は前祝いにビールを持参、皆で飲む/吾輩も残ったビールを舐めて陶然となる/つい油断して夏に烏が来て行水をしていた大きな甕の中に落ちる/「もうよそう、勝手にするがいい、がりがりはこれぎり御免被るよ」と前足も後足も頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした(完)

漱石「最後の挨拶」道草篇 44

418.『猫』中編目次――猫の文明論


第6篇 夏来たる。太平の逸民再び
(1)迷亭ざる蕎麦事件
主人・迷亭・細君・寒月

(猫が)気楽でよければ(猫に)なるがいい、そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだわけでもなかろう/迷亭来たる/風呂場で水をかぶる/屋根瓦目玉焼事件/ヘラクレスの牛事件/主人はまだ昼寝をしている/何のことはない毎日少しずつ死んでみるようなもの/迷亭の自慢話~パナマ帽子~万能鋏/迷亭出前笊蕎麦事件/寒月来たる/博士論文のために毎日珠を磨いている/寒月は博士論文は十年以上かかるという/それを数日前に金田に説明しに行ったというが、細君によると金田一家は先月から大磯へ避暑に行っているはずという~迷亭は霊の交換であると判定する/迷亭の失恋事件~越後の蛇飯事件

(2)四人の詩人俳人
主人・迷亭・細君・寒月・東風

 迷亭は猿轡でも嵌められないうちは到底黙っていることが出来ないたち/迷亭の話~立町老梅旅館の下女に突然求婚して相手にされず/「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」/人売り事件/古代ギリシャの女医アグノディケ/ええ大概のことは知っていますよ、知らないのは自分の馬鹿なことくらいです、しかしそれも薄々は知っています/東風来たる/寒月の俳劇「女に惚れる烏」/東風の富子に捧ぐ新体詩/主人曰く「東風さん、この富子というのは本当に存在している婦人なのですか」/東風は金田家に寄ったが先月から大磯へ避暑に行って留守だった/東風の友人送籍が『一夜』を書いた~主意を糺したが本人も分からない~主人「妙な男ですね」~迷亭「馬鹿だよ」/主人の新体詩大和魂」/東風が富子に近づく理由は詩を書くためであるという「昔から婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはいない」

第7篇 猫の文明論
(1)猫の大気焔
(登場人物なし)

 海水浴の効用~しかし西洋から伝播したものであればペストと同じ/魚は一匹も病気をしない/蟷螂狩り/蝉取り~蝉の小便は敵の不意に出る方便だから主人の羅甸語と同じ/松滑り(木登り)/垣根巡り/隣家からやってきた三羽の烏に馬鹿にされる/
英国裸婦像着衣事件/人間は服装の動物である~北欧は寒い~裸でいる欧州人は獣である~裸体画は美しい獣に過ぎない/肩腕を露わにする西洋婦人の礼服は理屈に反している/それほど裸体がいいものなら娘を裸にしてついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから自分もやらないのだろう/猫の明治文化論/服装の文明論~皆勝ちたい勝ちたい~おれは手前じゃないぞ~人間は平等を嫌う~元の公平な時代に帰るのは狂気の沙汰である~もし帰ったとしても翌日からすぐに別の競争が始まる~化け物の競争である

(2)銭湯事件
銭湯の客たち・主人・細君

銭湯見学/人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね/浴槽を見渡すと左の隅に圧しつけられて苦沙弥先生が真赤になってすくんでいる/和唐内はやっぱり清和源氏さ、なんでも義経蝦夷から満洲へ渡った時に…/「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入っていかん」「何だ馬鹿野郎、人の桶へ汚い水をぴちゃぴちゃ跳ねかす奴があるか」/主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大嫌いである、死なない程度に病気という一種の贅沢がしていたいのである/うめろうめろ、熱い熱い/
主人の夕食/今鳴いた「にゃあ」という声は感投詞か副詞か知ってるか/その「はい」は感投詞か副詞かどっちだ/「今夜は中々あがるのね、もう大分赤くなっていらっしゃいますよ」「飲むとも、お前世界で一番長い字を知ってるか」/それじゃ道楽は追って金が這入り次第やる事にして、今夜はこれでやめよう

第8篇 落雲館事件
(1)落雲館事件

主人・落雲館の生徒

 庭の空地/桐の俎下駄事件(桐を生やして銭なし)/駱駝と犬の喧嘩/主人は落雲館の生徒にからかわれているようである/主人が後架に入ると生徒が四ツ目垣を越えてやってくる/亀を掴んだ鷹と禿頭のイスキラスが頓死した逸話/
虎になった夢/「ぬすっとう!」主人が庭に入ったボールを拾いに来る中学生を追いかける/主人の抗議は龍頭蛇尾/倫理の教師の公徳についての講義は主人を嬉しがらせる/しかし落雲館生徒のベースボールの練習は主人にとっては戦場/貴様らはぬすっとうか/いやそういう事が分かればよろしいです、球はいくらお投げになっても差支えないです、表からきてちょっと断わって下されば構いません/

(2)鈴木藤十郎再来訪
金田・鈴木藤十郎・主人・落雲館の生徒・甘木医師・八木独仙

 金田と鈴木藤十郎の立ち話/落雲館事件は金田の使嗾であった/鈴木藤十郎様子を見に来る/生徒が何遍もボールを取らせてくれと玄関に来る/人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ、丸い物はごろごろどこへでも苦なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに角がすれて痛いものだ/どうせ自分一人の世の中じゃなし、そう自分の思うように人はならないさ/
甘木先生来る/催眠術事件/「あけるなら開いてごらんなさい、到底あけないから」「そうですか」と言うが早いか主人は普通の通り両眼を開いていた/八木独仙来たる/主人は独仙には平生の愚痴をこぼす/哲学者独仙の日本文化論/ナポレオンでもアレキサンダーでも勝って満足したものは一人もない/心の落着きは死ぬまで焦っても片付かない/日本の文明は山があって隣国へ行かれなければ山を崩すという考えを起こす代わりに隣国へ行かんでも困らないという工夫をする/いくら自分がえらくても世の中は到底意の如くなるものではない、ただ出来るものは自分の心だけだからね/三つの解決法~①金と衆に従え(鈴木藤十郎)②催眠術で神経を鎮めろ(甘木医師)③消極的の修養で安心を得ろ(八木独仙)/主人は独仙に自分の不平の種明かしをされたように感じる

第9篇 省察
(1)手鏡事件と三通の手紙

主人

 主人は痘痕面である/疱瘡をせぬうちは玉のような男子であった、浅草の観音様で西洋人が振り返って見たくらい奇麗だった/君西洋人にもあばたがあるかな/主人の書斎机は寝台兼用に出来る大きな机で近所の建具屋に作らせた~主人はその上で昼寝をしていて縁側へ転げ落ちたことがある/瓦をいくら磨いても鏡にならないように、いくら書物を読んでも道はわからぬもの/主人は熱心に手鏡を見ている(あばたを覆い隠すための頭髪・頬をぷっと膨らませる・べっかんこう・あかんべえ・カイゼル髭の調練)/
 軍人遺族への義捐金を募る華族からの手紙/裁縫学校の校舎建築の寄付金依頼/巣鴨の天道公平からの理解不能の私信/わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものである

(2)迷亭伯父登場と八木独仙の弟子
主人・迷亭迷亭の伯父

 客があっても誰もいないと主人は取次に出ない/迷亭が静岡の伯父を連れて来訪/「いえ、それでは…どうぞあれへ」「ご謙遜では…恐れますから…どうぞ」「私も…私も…ちょっと伺うはずでありましたところ…何分よろしく」/ちょんまげと鉄扇の伯父は不格好なフロックコートを着て赤十字の総会のために上京した/これは建武時代の鉄で性のいい鉄だから決してそんな虞れはない/伯父は杉原(すい原)へ行くため辞す/迷亭は東洋の学問は心そのものを修養するという独仙の哲学を昔から聞いて知っていた/独仙の鼻の頭を鼠が齧った時、迷亭が舶来の膏薬と偽って飯粒を貼った紙片で誤魔化したことがある/独仙は地震のとき寄宿舎の二階から飛び降りて怪我をしたが、外の者が地震だといって狼狽えているところを自分だけは二階の窓から飛び降りた所に修業の効があらわれて嬉しいと負け惜しみを言った/八木独仙のおかげで二人の狂人が出た~理野陶然は腹膜炎で死んだ~立町老梅は巣鴨の瘋癲病院へ収容されて天道公平という筆名でおかしな手紙ばかり書いている

(3)泥棒と刑事
主人・迷亭・刑事・泥棒

 吉田虎蔵刑事巡査来訪/主人は同行の泥棒を刑事と間違えて平身低頭する/主人の親爺は昔場末の名主であったから上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮した習慣が因果となって子に酬ったのかも知れない/強情を張って勝ったと思っても当人の相場は下落してしまう~本人は面目を施したつもりで威張っても人が軽蔑して相手にしてくれないだけ~これを豚的幸福という/主人の省察/ことによると自分も少々御座っているかも知れない/瘋癲院に幽閉されているものが普通の人で、院外にあばれているものはかえって気狂である/気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると健全の人間になってしまうのかも知れない

漱石「最後の挨拶」道草篇 43

417.『猫』上編目次――吾輩ハ猫デアル


 前著『明暗に向かって』第Ⅳ部「珍野家の猫」より、(一部文言をブログ用に統一して)その第45項~第47項を引用する。

 漱石の処女作『猫』(正式には『吾輩ハ猫デアル』)は(日本人には)世界でも十指に入る名作であるが、殆んど書きっぱなしの作品でもある。思いつくままに書いた作品である。どの辺に何が書かれてあるか、作者も読者も忘れているし、どうでもいいことかも知れない。読み返したいときは「思いついたまま」のページを開けて読むのがいいのかも知れない。
 昔は(中国の小説みたいに)版元が要約を兼ねた惹句のような目次のような見出しを附していたが、「近代の」小説ということで出版社はそういうことをしなくなった。そこでまったく余計な事と知りつつ、ここでその内容を登場人物の整理も兼ねて棚卸ししてみたい。落語の講釈をするようで気が引けるが、あくまで(『明暗』理解も含めた)名作理解のための道しるべのつもりである。『猫』が漱石自身の手によって漱石自身の生活の中で書かれたものである以上、「どの辺に何が」を再確認することはまったく無益なことでもないだろう。
 全11篇は論者の任意にそれぞれ章分けし、登場人物と共に各々篇タイトル・章タイトルを附す。

第1篇 吾輩は猫である(オリジナルの『猫』)

登場人物(登場順) 書生・御三・主人・子供(五歳と三歳)・白・三毛・迷亭・黒・俥屋

 そんなら内へ置いてやれ/人間と生れたら教師となるに限る、こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はない/猫が来た猫が来た/産んだ子猫を捨てられた白君の涙/後架先生/迷亭登場/アンドレア・デル・サルト事件/俥屋の黒大王登場/俥屋の黒の激昂/おい人間てものあ体のいい泥棒だぜ/主人の日記~あの人の細君は芸者だそうだ、羨ましい事である~元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い、また放蕩家を以って自任する連中のうちにも放蕩する資格のないものが多い/
俥屋の黒はその後跛になった/吾輩が例の茶園で彼に逢った最後の日どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」といった/主人は毎日学校へ行く、帰ると書斎へ立て籠る、人が来ると教師が厭だ厭だと言う、水彩画も滅多に描かない/子供は感心に休まないで幼稚園へかよう

第2篇 太平の逸民
(1)珍野家の正月と猫の雑煮事件
主人・御三・寒月・子供(姉と妹)・細君

 三枚の年始状(俄かに有名になった猫の絵葉書)/寒月登場/寒月椎茸前歯欠損事件/寒月ヴァイオリン演奏会/「大抵の婦人には必ずちょっと惚れる、勘定をしてみると往来を通る婦人の七割弱には恋着する」/そんな浮気な男がなぜ牡蠣的生活を送っているのか/主人と寒月散歩に出る/姉妹の砂糖山盛事件/タカジアスターゼ事件/あなたはほんとに厭きっぽい/主人の日記~寒月と芸者~寒月の挙動不審~これからは毎晩二三杯ずつ飲むことにしよう(猪口で)/
カーライル胃弱説/バルザックの逸話/猫の発見した三つの真理/あら猫がお雑煮を食べて踊りを踊っている/取ってやらんと死んでしまう、早く取ってやれ/猫が追加で発見した第四の真理

(2)美貌家三毛子登場と東風朗読会事件
三毛子・二弦琴の師匠・黒・俥屋の神さん・主人・東風

新道の三毛子宅訪問/六十二で生きている位だから丈夫といわねばなるまい/天璋院様の御祐筆の妹の/黒は生きていた(漱石の失念か)/
東風登場/トチメンボー事件/朗読会事件/近松に二人はない/今までこらえていた女学生が一度にわっと笑いだした/第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは失敗はどんなものだろう/朗読会賛助会員になる/会費が要らなければ謀叛の連判状へでも署名する/東風カステラ事件(主人が席を立った隙に東風がカステラを嚥下したという、『かくれんぼ』(緑雨)の栗きんとん事件を彷彿させる話)/迷亭の年始状/孔雀の舌料理事件/羅馬人の食事法

(3)三毛子の死と寒月吾妻橋事件
二弦琴の師匠・下女・甘木医師・主人・迷亭・寒月・○子(富子)・細君・月桂寺

 三毛子の病気/甘木先生の見立て(三毛子篇)/旧幕時代にないものに碌なものはない/主人は毎朝鵞鳥が絞め殺されるような声で含嗽をする/
迷亭来たる/主人の新体詩「巨人引力」/寒月来たる/行徳の俎板/迷亭静岡の母からの手紙/迷亭首懸の松事件/寒月ヴァイオリン演奏会報告(忘年会報告)/富子初登場(川の中から)/寒月隅田川入水未遂事件(寒月「はーい」返事事件)/寒月は金田家に年始挨拶に行った~富子は門の内で下女と羽根を突いていた/摂津大掾事件(主人夫婦の歌舞伎座断念事件)/僕はこの時ほど細君を美しいと思ったことはなかった/甘木先生の見立て(主人篇)/
三毛子の葬儀/三毛子の代りにあの教師の所の野良が死ぬとお誂え/ええ利目のある所をちょいとやっておきました

第3篇 金田事件
(1)細君の毒舌と寒月の演説会リハーサル
主人・細君・迷亭・寒月

 あなた今月はちっと足りませんが/ジャム舐め事件/原稿紙植毛事件/天然居士(曾呂先)の墓碑銘/どこへ参るにも断って行ったことのない男ですから/坊や大根卸し事件/あの上腹の中に毒があっちゃ辛抱出来ませんわ/何か内々でやりますかね。油断のならない世の中だからね/樽金事件(書物の価値について)/行雲流水の如し、出ずるかと思えば忽ち消え、逝いては長なえに帰るを忘る/「賞めたんでしょうか」「まあ賞めた方でしょうな」/月並みとは何か/
主人帰宅/寒月来たる/首縊りの力学/大抵分かった/そんな遠慮はいらんからずんずん略すさ/どうだい苦沙弥などはちと釣ってもらっちゃあ、一寸延びたら人間並みになるかも知れないぜ

(2)金田鼻子来訪
主人・迷亭・金田鼻子・細君

 迷亭来たる/越智東風高輪事件の報告(東風のさいなら事件)/金田鼻子登場/金田って人を君知ってるか/鼻子の方では天が下の一隅にこんな変人がやはり日光に照らされて生活していようとは夢にも知らない/富子の譫言は某博士の夫人に頼んだ作り事/牧山男爵事件/吾妻橋事件の真相/金田夫人の寒月聞き合わせ/「首縊りの力学で博士になれましょうか」「本人が首を縊っちゃあ難しいですが」/団栗のスタビリチー/寒月の葉書/
馬鹿馬鹿しい、あなたのような胃弱でそんなに永く生きられるものですか/迷亭の伯父の話/六十七になって寝られなくなるのは当り前でさあ

(3)金田邸訪問とサヴェジ・チー
俥屋の神さん・金田家飯炊・金田家車夫・金田夫妻・富子・金田家下女・主人・迷亭・寒月・俥屋

 角屋敷の金田家へ始めて行く/俥屋の神さんが金田家の飯炊と車夫を相手に苦沙弥の悪口を言う/今戸焼の狸みたようにくせに/自分位えらい者はないつもりでいる/金田夫妻も苦沙弥の悪口を言う/あの学校には国の者、津木ピン助や福地キシャゴがいるから、頼んでからかわしてやろう/生徒から先生番茶は英語で何といいますと聞かれて、番茶はsavage teaであると真面目に答えたんで教員間の物笑いとなっています/富子登場(声だけ)/寒月でも水月でも知らないんだよ、大嫌いだわ、糸瓜が戸惑いをしたような顔をして/富子は小間使いにやった半襟がよく似合うので腹を立てる「そんなによく似合うものを、なぜ黙って貰ったんだい」/
主人の家に戻ると迷亭寒月が来ている/迷亭の演説「鼻の力学」/金田家使用人によるいやがらせ「今戸焼の狸」「高慢ちきな唐変木だ」「もっと大きな家へ這入りてえだろう」「わはははサヴェジ・チーだ」/主人はステッキを持って飛び出すが表通りには誰もいない

第4篇 鈴木藤十郎君(金田事件 Ⅱ)
(1)鈴木藤十郎登場と細君の禿
金田夫妻・鈴木藤十郎・主人・細君

 再び金田家へ忍び込む/鈴木藤十郎登場/何か無礼な事でも申しましたか、昔から頑固な性分で/いったい少し学問をしているととかく慢心が萌すもので、その上貧乏をすると負け惜しみが出ますから/後で車夫にビール一ダース持たせてやったら、こんなもの受取る理由がない持って帰れ、俺はジャムは毎日舐めるがビールのような苦い物は飲んだことがない/ええ水島さんは貰いたがっているんですが苦沙弥だの迷亭だのって変り者が何だとかかんだとかいうものですから/標札はあるときとないときがある~名刺をご饌粒で門へ貼り付けるので雨が降ると剥がれる/何でも屋根に草が生えた家を探して行けば間違いっこありませんよ/
主人は細君の荘厳な尻の先へ頬杖をついている/お前の頭にゃ大きな禿があるぜ、知ってるか/不具ならなぜお貰いになったのです、ご自分が好きで貰っておいて不具だなんて/はたちになったって背が延びてならんという法はあるまい、嫁に来てから滋養分でも食わしたら少しは延びる見込みがあると思ったんだ

(2)鈴木藤十郎来訪
主人・鈴木藤十郎迷亭

 主人は旧友鈴木藤十郎の名刺を後架へ落としてきたのか/(子供は)うん三人ある、この先幾人出来るか分からん/僕は実業家は学校時代から大嫌いだ、金さえ取れれば何でもする、昔でいえば素町人だからな/苦沙弥は鼻について俳体詩を作った/寒月と富子の結婚話にはまず当人同士の意志が大切、主人もおおいに賛同/富子が寒月の悪口を言うのは寒月に気がある証拠、この理屈は主人にはまったく通じない/こいつこの様子ではことによると遣り損なうな/問いただすなんて君そんな角張ったことをして物が纏まるものじゃない、やっぱり普通の談話の際にそれとなく気を引いてみるのが一番近道だよ/
迷亭来たる/死んだ天然居士曾呂先の思い出/迷亭の石塔乱打事件/鈴木藤十郎の石塔引抜事件/鈴木藤十郎迷亭写生帖引裂事件/美術原論執筆と神田の西洋料理奢りっこ事件/迷亭は寒月が博士論文を書き始めたと言う/鈴木君は寒月の名を聞いて、話してはいけぬ話してはいけぬと顎と眼で主人に合図するも、主人には一向意味が通じない/アリストテレスの説、競技に対する賞与はあるが智識に対する報酬は無い。智識以上の珍宝はないからである/実業は活動紙幣に過ぎない、その娘は活動切手か。寒月は活動図書館である/人生の目的は口舌でない実行にある、自己の思い通りに事が進捗すればそれで人生の目的は達せられる~明治の極楽主義/黙っていろ、サントブーヴだって俺だって同じくらいな学者だ

第5篇 泥棒事件と多々良三平
(1)泥棒事件
主人・細君・子供(とん子・すん子・乳呑児)・泥棒・巡査

 書物は主人にとっては活版の睡眠剤/主人一家の寝姿/一代の画工が精力を消耗して変化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出来ん~全き模傚は却って至難なものである~人間の顔が皆違うのは神の偉大な能力か、または無能の痕跡か/泥棒陰士登場/泥棒の顔は寒月に生き写し/巡査登場/それでは盗難に罹ったのは何時頃ですか/「その風は何だ宿場女郎の出来損いみたようだ、なぜ帯をしめて出て来ん」「これで悪ければ買って下さい、宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないじゃありませんか」/知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ/オタンチンパレオロガス事件/うるさい女だな、意味も何もないというに

(2)多々良三平来訪
主人・細君・多々良三平・とん子・すん子

「あら多々良さんの頭はお母さまのように光ってよ」「だまっていらっしゃいというのに」/あなたが連れ出して下さい、先生は女のいう事は決して聞かない人ですから/「煮て喰べます」主人は猛烈なるこの一言を聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑を漏らした/多々良三平による寒月の聞き合わせ/「近々博士になりますか」「今論文を書いているそうだ」「やっぱり馬鹿ですな」/主人と多々良三平は芋坂へ散歩に出る/猫の一大決心~混成猫旅団~鼠捕獲作戦/猫の大捕物/「泥棒!」と主人は胴間声を張り上げて寝室から飛び出して来る、見ると片手にはランプを提げ片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼よりは身分相応の炯々たる光を放っている、「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」

漱石「最後の挨拶」道草篇 42

416.『虞美人草』(12)――甲野さんレオパルディを読む


虞美人草』ではレオパルディのエセイが、(知的生活者としての漱石の分身たる)甲野さんの共感を呼ぶものとして、わりと丁寧に紹介されている。
虞美人草』考究のオマケとしてここにその概要を附す。

「多くの人は吾に対して悪を施さんと欲す。同時に吾の、彼等を目して兇徒となすを許さず。又其兇暴に抗するを許さず。曰く。命に服せざれば汝を嫉(にく)まんと」(『虞美人草』15ノ2回)

 世間は凡て甲野さんの敵である。その最も質の悪いのが家族(義母と藤尾)である。甲野さんの居場所はどこにもない。甲野さんはその不満の解消を書物(の中の言詞)に求める。

「剣客の剣を舞わすに、力(ちから)相若くときは剣術は無術と同じ。彼、此を一籌の末に制する事能わざれば、学ばざるものの相対して敵となるに等しければなり。人を欺くも亦之に類す。欺かるるもの、欺くものと一様の譎詐に富むとき、二人の位地は、誠実を以て相対すると毫も異なる所なきに至る。此故に偽と悪とは優勢を引いて援護となすにあらざるよりは、不足偽、不足悪に出会するにあらざるよりは、最後に、至善を敵とするにあらざるよりは、――効果を収むる事難しとす。第三の場合は固より稀なり。第二も亦多からず。兇漢は敗徳に於て匹敵するを以て常態とすればなり。人(ひと)相賊(害)して遂に達する能わず、或いは千辛万苦して始めて達し得べきものも、ただ互に善を行い徳を施こして容易に到り得べきを思えば、悲しむべし」(『虞美人草』15ノ2回)

 岩波の定本漱石全集『虞美人草』の注解の頁に、漱石の引用した(漱石の参照した)イタリア人レオパルディの英訳本の原文が載っている。

When two fencers of equal skill are matched against each other, the art of fencing is in their case reduced to a nullity, since neither of them has any more advantage over the other than if they were both equally unskilled. In the same way it often happens that men resort to faisehood and iniquity gratuitously and to no purpose ; for when they find themselves encountered by an equal degree of iniquity and falsehood in others, the position of the parties becomes neither better nor worse than it would have been if both had been actuated by probity and truth. Thus it is pretty certain that wickedness and duplieity seldom prove effectual save when they are conjoined to superior force, or else where they encounter an inferior degree of these qualities in others, or are matched against positive goodness. Of these cases, the last mentioned is necessarify rare ; and the second is not common, since scoundrels are generally about equal in depravity. It is sad to reflect how often, by simply doing good to one another, men might attain with facility objects which they attain with infinite difficulty, and sometimes entirely fail to attain, by wronging one another.

Ⅰ 剣客の剣を舞わすに、力(ちから)相若くときは剣術は無術と同じ。彼、此を一籌の末に制する事能わざれば、学ばざるものの相対して敵となるに等しければなり。
When two fencers of equal skill are matched against each other, the art of fencing is in their case reduced to a nullity, since neither of them has any more advantage over the other than if they were both equally unskilled.

Ⅱ 人を欺くも亦之に類す。欺かるるもの、欺くものと一様の譎詐に富むとき、二人の位地は、誠実を以て相対すると毫も異なる所なきに至る。
In the same way it often happens that men resort to falsehood and iniquity gratuitously and to no purpose ; for when they find themselves encountered by an equal degree of iniquity and falsehood in others, the position of the parties becomes neither better nor worse than it would have been if both had been actuated by probity and truth.

Ⅲ 此故にとは、①優勢を引いて援護となすにあらざるよりは、②不足偽、不足悪に出会するにあらざるよりは、最後に、③至善を敵とするにあらざるよりは、――効果を収むる事難しとす。
Thus it is pretty certain that wickedness and duplieity seldom prove effectual save ①when they are conjoined to superior force, or ②else where they encounter an inferior degree of these qualities in others, or ③are matched against positive goodness.

Ⅳ 第三の場合は固より稀なり。第二も亦多からず。兇漢は敗徳に於て匹敵するを以て常態とすればなり。
Of these cases, the last mentioned is necessarify rare ; and the second is not common, since scoundrels are generally about equal in depravity.

Ⅴ (ひと)相賊(害)して遂に達する能わず、或いは千辛万苦して始めて達し得べきものも、ただ互に善を行い徳を施こして容易に到り得べきを思えば、悲しむべし。
It is sad to reflect how often, by simply doing good to one another, men might attain with facility objects which they attain with infinite difficulty, and sometimes entirely fail to attain, by wronging one another.

Ⅰ reduced 落ちぶれた 減少した nullity 無効 neither どちらでもない
Ⅱ resort 頼る 訴える 扶けを求める falsehood 虚偽 偽 iniquity 不法行為 不道徳 罪 gratuitously 根拠もなく 事実に基づかず むやみに 不必要に いわれなき encountered 遭遇した 出会う degree 程度 actuated  行動させた probity 正直 善徳 確率
Ⅲ thus したがって pretty certain かなり確実 wickedness 悪行 邪悪 duplieity 二枚舌 seldom 滅多にない prove 裏付ける 証明する eldom prove 滅多に証明しない effectual save 効果のある援け conjoined 結合した superior force 優位な力 不可抗力 encounter 遭遇 出会い inferior degree 劣等度 positive goodness 好ましい善良さ 積極的善良
Ⅳ mentioned 言及された ecessarify 必然的に scoundrels 悪人 悪党 depravity 堕落 腐敗
Ⅴ reflect 映す 反映する attain 達成する 至る 果たす facility 施設 設備 機関 objects 物 infinite 無限 果てしない entirely 全体的に まったく もっぱら全て wronging 不正行為 悪行 悪業

 Ⅲの文章が難解。

Ⅲ 此故に偽と悪とは、①優勢を引いて援護となすにあらざるよりは、②不足偽、不足悪に出会するにあらざるよりは、最後に、③至善を敵とするにあらざるよりは、――効果を収むる事難しとす。

 ②と③はⅣにあるように稀であるという。邪悪は常に邪悪同士ぶつかっているので目立ちにくい。③の善と対峙する邪悪、そんな分かりやすい(勧善懲悪みたいな)邪悪なんか今の世にあるはずがない。②の軽度の悪に対する(本物の)悪なら目立つのか。いやそれも難しい。なぜならすべての悪は皆同じような悪であり、「程度」の話ではないからである。邪悪とはレベルの問題ではない。倫理に程度の問題はなじまない。有るか無いかである。では①の悪とは何か。力(権力)と結びついた悪という意味であろうか。不可抗力による悪、個人の意思や都合から出たのではない、戦争のようなものを念頭に置いているのか。戦争の「悪」は慥かに分かりやすいが。

 善人とは
A.自分が善人であるとは思っていない(悪人であると思っている場合はあるかも知れない)
B.自分が困っているとき人の助けを期待しない(もちろん人に援けてもらったら感謝する)

 この定義2つで十分だろうが、ふつう
C.ふだんから善い行ないをする
 という最も肝心らしい項目はここには入っていない。

 同じ言い方で、悪人とは
A.自分が悪人であるとは思っていない(善人であると思っている場合はあるかも知れない)
B.自分が困っているとき人の助けを期待する(もちろん人に援けてもらったら感謝する)
C.ふだんから悪い行ないをする

 B.は我々の社会生活全般が該当しよう。学業にせよ経済活動にせよ、自己の不足を補い合うのが社会に生きる人間の常態である。修養・自己研鑽といった自己完結的な考え方も、広い意味ではB.に他ならない。

 漱石が実業を嫌うのも、根はこの善人・悪人説に拠っている。
 現代社会において悪人を免れることは(漱石といえど)難しいが、唯一善人であり続けるためには、高等遊民になるしかないのである。

 この理屈で行けば、人援けとか災害救助といった、ふつう誰からも非難される謂われのない行為でも、善悪の観点からは、決して善人の行ないではないという理屈になる。もちろん漱石の職業たる教師も、人を扶け導くという意味では善人の行ないではありえない。

・自分も助けてほしいから人を助けるのである。
・善人は助けてほしいという発想がないから、人も助けようとしない。
・人を助けるのは常に「悪人」である。
・悪人が社会を切り回し発展させる。
・開化も革命も善人のなせる業ではなく悪人のみの手柄である。

 漱石の、いつの時代の人にも一定程度受け入れられる文明批判は、このような「善悪の観念」から発している。
 漱石の前の時代(文化文政~天保)を生きたレオパルディの感想文を読んで、ついこんな余計なことを考えてしまった。本項は『額の男』まで脱線したのであるから、そのついでにお許しを願いたい。

 レオパルディは文化文政~天保の人。彼がどういう考えからこのような文章を書いたか、実のところ現代の我々には分からない。イタリア人だから分からないというものでもない。同時代を生きた、(漱石の好きな)南畝の文献を(馬琴でも一九でも)、今の我々がいくら読んでも、たかだか19世紀であっても、彼らがそのとき心の真底で何を考えていたかは、現代の我々には中々分からないのである。

漱石「最後の挨拶」道草篇 41

415.『虞美人草』(11)――『道草』に向かって

※1年ちかく期間が空いた。X(旧Twitter )の投稿に注力していたのであるが、本ブログ道草篇を投げ出すわけにはいかない。『虞美人草』を切り上げて早く『道草』本体に入らねばならない。予定では『虞美人草』はあと2回。それから『猫』の目次を掲載したあと、『道草』の全回目次を作成して道草篇の終わりとしたい。

虞美人草』で(藤尾の死により)露わになった漱石の自罰意識は、その後の作品にもしぶとく生き続けた。『三四郎』以降の3部作もまた、この自罰感情が作品の基調となっている。
 読者は三四郎がなぜ(作者によって)虚仮にされるのか、その理由がよく分からない。大学教師漱石にとって、これから大学生になろうする三四郎が取るに足らない存在なのは謂うまでもない。だが問題はそういうことではないだろう。三四郎は何か過ちを冒したのだろうか。

 そもそも『猫』『坊っちゃん』『草枕』『野分』、漱石の自罰感情は早くも処女作のときから作品の骨格に組み込まれている。『猫』吾輩はなぜ最後に死なねばならなかったのか。作品を打ち切るためとしても、滝壺に落ちたホームズが蘇った例もあり、斑猫が(緒篇のように)ただ読者に別れを告げるという選択肢もあったはずである。その前に、なぜ金田富子と多々良三平の婚約の話まで書かれたのか。
 坊っちゃんは2ヶ月で最初の奉職をしくじった。街鉄の技師になるのはいいが、月給は40円から25円になった。山嵐も同じだろう。そしてこれも同じく、なぜ清の死まで書かなければならなかったのか。
草枕』は例外か。少なくとも作品の中では画工は罰せられていない。罰せられるのは那美さん以下那古井の連中である。画工の小旅行は単なる春休みのスケッチ旅行(あるいは俳句旅行)だろうか。だが『一夜』を『草枕』の序章と見れば、画工もまた何がしかのトラブルを逃れての傷心旅行ではなかったか。余りにも有名な冒頭の数行は、その遁辞ではないか。
 そう思って『草枕』を読み返すと、画工もまた那美さんらによって揶揄われているようにも読める。野武士の渡満まで書かれたのは、そのカモフラージュであろうか。それとも那美さんを罰する最後の切り札のつもりか。

三四郎』も、美禰子の結婚式まで書く必要があったのか。野々宮に対するあてこすりというよりは、三四郎野々宮に対する一種の刑罰ではないか。
『それから』代助も同様、長野家を放逐されるまでの必然性があるのか。
 中期3部作も似たようなものである。須永市蔵、千代子、長野一郎、長野二郎、お直、K、先生、御嬢さん。主人公たちは皆一様に苦しみ悩む。その原因も理由も読者には分からない。なかでも『心』は極め付きのように感じられる。『心』で漱石の自罰は頂点を迎えた。そしてKと先生がなぜ死ななければならないのかは、やはり納得する読者は少ないのではないか。

 限りなき戦いは続く。『道草』『明暗』『(幻の最終作品)』ーー結局漱石は主人公たちを罰することをやめないまま作家生活を終えることになる。頂点『心』の次回作たる『道草』でも漱石の自罰意識は(リセットされたにせよ)生き続けた。
 その萌芽は既に早く『虞美人草』に窺えるようである。

 前項「謎のハイキング」で、主人公が小旅行すると碌でもないことが起きると述べた。小野さんは浅井に井上家への断りを(10円で)依頼して快諾を得た。気を良くした小野さんは、ついこんな本音を口にする。

「其代り先生の世話は生涯する考だ。僕も何時迄もこんなに愚図愚図して居る積でもないから――実の所を云うと先生も故の様に経済が楽じゃない様だ。だから猶気の毒なのさ。今度の相談も只結婚と云う単純な問題じゃなくって、それを方便にして、僕の補助を受けたい様な素振も見えた位だ。だから、そりゃやるよ。飽く迄も先生の為めに尽す積だ。だが結婚したから尽す、結婚せんから尽さないなんて、そんな軽薄な料簡は少しも此方にゃないんだから――世話になった以上はどうしたって世話になったのさ。それを返して仕舞う迄はどうしたって恩は消えやしないからな
「君は感心な男だ。先生が聞いたら嘸喜ぶだろう」(『虞美人草』17ノ3回)

『道草』の読者はこの小野さんの呟きを不思議に思う。島田平吉や御常さんに対する「恩」を、健三はまったく感じていない。義理掛けにせよその恩に報いようという発想がない。小野さんの言辞はフェイクなのだろうか。『虞美人草』自体がフェイクなのだろうか。
 そうではあるまい。漱石は小野さんの本音を正しいと感じて書いている。時代の子漱石はまさしくそこに恩を感じている。(生みの恩が消えないかどうかは別として、)育ての恩は返すまで消えない。
 では『道草』は恩知らずの小説なのか。健三(と漱石)が変人で恩知らずなのは仕方ない。だから健三は罰せられている。漱石の理論に従えば、健三は養父母を見離す人でなしであるが、健三自身もそのために(生れたときから)碌な目に遭っていない、ということになる。
 問題は『道草』という小説が(世間の倫理的に)恩知らずの小説かということである。
 漱石は『道草』全篇に亘ってその理由を説いている。すべては塩原の老人たちのせいである、と謂わんばかりに。

〇『硝子戸の中』と『道草』への途
『道草』に先立って書かれた漱石最後の随筆集『硝子戸の中』、その後書きのような最終回で、漱石は珍しくそれまでの連載を総括するような筆致を見せる。

 私の冥想は何時迄坐っていても結晶しなかった。筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持もするし、彼(あれ)にしようか、是にしようかと迷い出すと、もう何を書いても詰らないのだという呑気な考も起ってきた。しばらく其所で佇ずんでいるうちに、今度は今迄書いた事が全く無意味のように思われ出した。何故あんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄し始めた。有難い事に私の神経は静まっていた。此嘲弄の上に乗ってふわふわと高い冥想の領分に上って行くのが自分には大変な愉快になった。自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、揺籃の中で眠る小供に過ぎない。
 私は今迄他の事と私の事をごちゃごちゃに書いた。他の事を書くときには、成る可く相手の迷惑にならないようにとの掛念があった。私の身の上を語る時分には、却って比較的自由な空気の中に呼吸する事が出来た。それでも私はまだ私に対して全く色気を取り除き得る程度に達していなかった。嘘を吐いて世間を欺く程の衒気がないにしても、もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずに仕舞った。・・・私の罪は、――もしそれを罪と云い得るならば、――頗る明るい側からばかり写されていただろう。其所にある人は一種の不快を感ずるかも知れない。然し私自身は今其不快の上に跨がって、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今迄詰らない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、恰もそれが他人であったかの感を抱きつつ、矢張り微笑しているのである。(『硝子戸の中』39回再録)

 漱石はみずから描いた自画像を、(作品の出来栄えだけからの評価にせよ)佳しとしている。これはそれまでの漱石には見られなかったことである。いったいどうしたと言うのか。これが半年後に書かれた『道草』の「あとがき」であると、もし主張されてそれを否定できるだろうか。

「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時迄も続くのさ。ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなる丈の事さ」
 健三の口調は吐き出す様に苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰ゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」
 細君は斯う云い云い、幾度か赤い頬に接吻した。(『道草』102回小説末尾再録)

 次作『道草』を読み終わった読者は、この『硝子戸の中』の最終回を思い出して、漱石が『道草』を結んだときの心情を思い遣る。引用下線部を除外して読んでみると、健三が(『硝子戸の中』の漱石のように)微笑していてちっともおかしくない。
 漱石は健三が苦り切った表情になっていると書く。読者は諸手を挙げて賛同するだろう。だがそれは『道草』の合理的結末だろうか。それともこれもまた漱石の自罰感情の表出に過ぎないのだろうか。だとすれば『道草』の結末は不合理ということになる。

漱石「最後の挨拶」道草篇 40

414.『虞美人草』(10)――謎のハイキング


〇郊外散歩の謎
 小野と浅井は橋迄来た。来た路は青麦の中から出る。行く路は青麦のなかに入る。一筋を前後に余して、深い谷の底を鉄軌(レール)が通る。高い土手は春に籠る緑を今やと吹き返しつつ、見事なる切り岸を立て廻して、丸い屏風の如く弧形に折れて遥かに去る。断橋は鉄軌を高きに隔つる事、丈(じょう)を重ねて十に至って南より北に横ぎる。欄に倚って俯すとき広き両岸の青を極めつくして、始めて石垣に至る。石垣を底に見下して始めて茶色の路が細く横わる。鉄軌は細い路のなかに細く光る。――二人は断橋の上迄来て留った。(『虞美人草』17ノ1回冒頭)

 小説が大詰めに近づく第17章は、いきなり小野さんと浅井君の郊外の散歩シーンから始まる。田端から王子の谷を見下ろす断橋(※)。
「いい景色だね」「久し振で郊外へ来て好い心持だ」
 小野さんは浅井君に井上家との結婚話解消の代行を依頼する。物語が収束するための重要な会話である。

 前作『野分』でも高柳君は湯島天神付近の道端で道也先生にばったり出会い、この師弟コンビは上野の森をそぞろ歩く。歩きながら高柳君は道也に病気のこと、家の過去の秘密を打ち明ける。それが結末の百円事件に繋がることは言うまでもない。中野君にとって何でもない百円は、高柳君にとっても白井道也にとっても、人生を左右する金であった。後年『道草』の精算金百円を書くとき、漱石は『野分』のことを一瞬たりとも思い出さなかったであろうが、それでも「百円」は偶然の一致ではない気がする。
 画工が写生のため少し遠出して蜜柑山と海を望む。そこで思いがけず目撃した那美さんと野武士の密会。(『草枕』)
 赤シャツとマドンナの野芹川散歩デート。2人を尾行した坊っちゃんは、(その必要もなかろうに)2人を追い越しざまに振り向き、その行く手を塞ぐ。
(古賀君に隠れて陰でこそこそ、お前たちはここで何をしている)
 これはやはり結末に至る展開に直結する行動であろうか。小説最後の山場、温泉街から市内へ入る農道で、やはり坊っちゃん(と山嵐)は赤シャツと野だの前に立ちはだかる。
 小説『坊っちゃん』で漱石が言いたかったこと、嫁が貰いたくて仕方のない坊っちゃんは、恋の夢に破れてはるばる四国までやって来たのだと思えば、坊っちゃんの怒りも納得が行く。

三四郎』以降もこの「小旅行」は物語の展開に欠かせないが、前述したこともあり、ここではこれ以上述べない。
「主人公のハイキング」と「エモーショナルな出来事」
 この繰り返しが漱石の小説の常套である。

〇京都万博の謎
 明治40年の東京勧業博覧会は『虞美人草』の舞台となったが、それ以前の内国勧業博覧会は、明治28年京都、明治36年には大阪で開催されている。いずれも大勢の人が動くという意味では戦争の次くらいに位置付けられる国家的大事業ではなかったか。
 先に本ブログ第36項で述べたように、小野さん明治14年生れ、小夜子明治20年生れである。小野さん(と井上孤堂)は明治28年の京都勧業博覧会を知っていた筈である(京都に住んでいたのだから)。そして明治36年は小野さんは東京に出ていたとしても、入れ替わりに京都へ引き揚げていた小夜子たち井上一家は、大阪万博を(行かなかったにせよ)身近なものとして感じていたと思うのが普通である。
 しかるに小野さんの案内で、上野の森に繰り出した孤堂と小夜子にその気配がまったく感じられないのはどうしたわけか。
 もちろん小説の中の世界が現実の国の事業とリンクしていなくて些っとも構わないのであるが、漱石の作品世界はそうでもあるまい。森有礼大隈重信伊藤博文乃木希典、すべて漱石の小説の中でも生きたり死んだりしているのである。
 関西の読者から質問は来なかったのだろうか。

〇謎の女の謎
「謎の女」は甲野の後妻にして藤尾の母である。ただの月並みの初老の(40代の)女である。漱石はなぜこの婦人を謎の女と呼ぶのか。彼女のどこが謎か。

 悲劇マクベスの妖婆は鍋の中に天下の雑物を攫い込んだ。石の影に三十日の毒を人知れず吹く夜の蟇と、燃ゆる腹を黒き背に蔵す蠑螈の胆と、蛇の眼と蝙蝠の爪と、――鍋はぐらぐらと煮える。妖婆はぐるりぐるりと鍋を廻る。枯れ果てて尖れる爪は、世を咀う幾代の錆に瘠せ尽くしたる鉄の火箸を握る。煮え立った鍋はどろどろの波を泡と共に起す。――読む人は怖ろしいと云う。
 それは芝居である。謎の女はそんな気味の悪い事はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乗り込んで来るのは真昼間である。鍋の底からは愛嬌が湧いて出る。漾うは笑の波だと云う。攪き淆ぜるのは親切の箸と名づける。鍋そのものからが品よく出来上っている。謎の女はそろりそろりと攪き淆ぜる。手つきさえ能掛(のうがかり)である。大和尚の怖がらぬのも無理はない。(『虞美人草』10ノ1回)

「謎の女」という言葉の初出はずいぶん遅い第10章である。マクベスの妖婆との対照から、外見や社会的地位はまったく似ても似つかないにもかかわらず、その心根は(漱石にとって)妖怪みたいに不可解で恐ろしいと言いたいのだろうか。

 藤尾の母にとっての「謎」とは何か。将来誰の世話になるか、誰の金をあてにすればよいか。自分で小金を貯め込んでいるとしても、それらを世間の口の端にのぼらぬよう、人様に笑われぬよう、老後を平穏に全うするには子供をどう処置すればいいのか。それが小説の中で具体的に示される「謎」の内容である。
 しかしキャリア外交官だったらしい夫が推定50歳代後半に赴任先の欧州で客死しているのである。中産階級とおぼしき甲野家として、残された家族が金に困ることは考えられない。謎の女は欽吾や藤尾の行く末に関係なく、自分は小さな家でも建てるか借りるかして、女中と暮らせばいいのである。
 漱石はこのような「結構な御身分」の婦人とは直接縁がなかったが故に、あるいはそういう人物を描きたくなかったが故に、単に「謎の女」と呼んだのであろうか。
 それとも藤尾の母は見た目がやはり(『道草』の姉御夏のように)魔女に似ていたのか。

〇藤尾は鏡子である
 本ブログでは先に『虞美人草』の書き足りない点について、孤堂の宅を出た浅井が直ちに宗近家へ駆け込む不自然さを挙げた。浅井には小野さんのスキャンダルを宗近に注進する理由がない。浅井の密告がなければ、小野さんはそのまま大森へ出かけていた。物語が「自然に」進行すれば、小野さんと藤尾が結婚して、捨てられるのは小夜子の方であった。これは『虞美人草』の裏ストーリー(本来の合理的な展開)と言える。

 しかるに『虞美人草』の(表の)筋書きでは、小野と小夜子が結婚して藤尾は捨てられた。小野さんは恩義のある井上家の御嬢さんと、かつての約束通り結婚する。
 これは漱石が、昔世話になった塩原家の御嬢さんと結婚する、もし結婚したら、という謎かけではないか。『虞美人草』を読んだ日根野れんはどう感じたか。

 明治40年『虞美人草』連載。明治41年1月『虞美人草』刊。同年6月、日根野(平岡)れん死去(43歳)。
 これは『虞美人草』の裏ストーリーと「一致」する。小野さんと藤尾が結婚する。小夜子は生き通せないだろう。
 漱石は『虞美人草』で小夜子と結ばれる小野を描いた。小野が漱石だとすると、漱石は恩人の娘と結婚して鏡子の存在は消滅する(藤尾は退場する)。
 だがこれは作品世界の話である。現実には漱石は鏡子と結婚して、れんは(ある見方をすると)捨てられた。れんが漱石との結婚を夢見ていたとすれば、れんは失望してたぶん長くは生きないだろう。
 漱石は『虞美人草』でせっかく藤尾をころして小夜子を活かしたのに、あろうことか実在のれんの方が亡くなってしまった。それもわずか半年後に。鏡子は当然生きている。裏ストーリーの藤尾(鏡子)は、小野(漱石)に添い遂げるのである。

 不吉なことは翌年以降も続いた。明治42年『それから』連載。大塚楠緒子はにわかに体調を崩した。明治43年1月『それから』刊。同年11月、大塚楠緒子死去(36歳)。
 漱石の大塚夫人の死を悼む気持ちは、有名な「あるほどの菊」の句に表されているというが、漱石が楠緒子の死を『それから』の筋書きと関連付けて(心の奥底でちょっぴりでも)考えていなかったことは確実である。漱石は「(縁起を)かつぐ」ことのない人であった。自身が半年前に修善寺で一度死んでいたので、それどころでなかったのかも知れないが、身近な人の死と漱石作品の中の人の死は、漱石の創作意図とは無関係に、それから後も追いかけっこのように継続して行く。

注※)断橋
 今では滅多に使われることのない「断橋」という言葉だが、太宰治全集に1ヶ所出現する。

 井伏さんは、今でもそれは、お苦しいにはちがひないだらうが、この「青ヶ島大概記」などをお書きになつていらした頃は、文学者の孤独または小説の道の断橋を、凄惨な程、強烈に意識なされてゐたのではなからうか。
 四十歳近い頃の作品と思はれるが、その頃に突きあたる絶壁は、作家をして呆然たらしめるものがあるやうで、私のやうな下手な作家でさへ、少しは我が身に思ひ當るところもないではない。たしか、その頃のことと記憶してゐるが、井伏さんが銀座からの帰りに荻窪のおでんやに立寄り、お酒を呑んで、それから、すつと外へ出て、いきなり声を挙げて泣かれたことがあつた。ずゐぶん泣いた。途中で眼鏡をはづしてお泣きになつた。私も四十歳近くなって、或る夜、道を歩きながら、ひとりでひどく泣いたことがあつたけれども、その時、私には井伏さんのあの頃のつらさが少しわかりかけたやうな気がした。(太宰治井伏鱒二選集後記第2巻」昭和22年12月頃執筆、昭和23年6月刊)

 太宰治筑摩書房の依頼によって井伏鱒二選集の解説文を書いたのは昭和22年の暮れ頃のことと思われる。が、内容は「短篇小説井伏全集後記」とでもいうべき、徹頭徹尾太宰本人を語ったもの。師への賛辞は、内容は井伏本人によると嘘ばかりだという。当人同士にしか分からない捏造内容に埋め尽くされている師への賛辞は、意地の悪い見方をすれば、習作時代の井伏の才能を中学生津島修治がいち早く見抜いたという自己喧伝でなければ、所謂褒め殺しであろう。井伏本人も「太宰君も意地の悪いことをする」と後年振り返っている。とくにここで触れられた『青ヶ島大概記』は、井伏が古文書から丸写しした箇所を、太宰が巧妙な言い回しで告発しているような書き方がしてあり(井伏本人の言による)、この頃太宰はすでにある程度の覚悟は有っていたのだろう。
 それは小論の追求するところではないが、太宰は「断橋」という言葉を『虞美人草』から採ったのではないか。

 以前にも何度も書いたが、漱石は大勢の作家の「突きあたった絶壁」を超えた所から、自らの作家生活をスタートさせた。そのため漱石の生き方は、大勢の悩める作家の卵たちの参考にはならなかった。それは漱石の知ったことではないが、例えば太宰治にとって、創作活動への動機らしきものの一切書かれない漱石作品が、何の役にも立たなかったことは想像に難くない。太宰は速読と読書量を誇っていたが、『虞美人草』の絢爛豪華な文章を読んでも何も残らなかったと想像される――ただし「断橋」という一語を除いては。