明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」道草篇 21

395.『道草』番外編(1)――『明暗』続篇


 前々項(道草篇19)で『明暗』続篇を取り上げたついでに、前著(『明暗』に向かって)の中にそれについて述べた章(最終章にあたる)があるので、それを紹介したい。(本ブログの書式・流れに合わせて一部改訂増補して引用する。)

『明暗』の結末に向かって

 津田が東京を発って1日経過した。その日(11月10日水曜)の午後、津田が不動滝へ行く山道を上り下りすることはすでに想定済みである。滝へ行くのに橋を2つ渡ることも、滝の入り口に関所のように構えている茶店のかみさんが葭町の元芸者であったことも、亭主が太鼓持ちらしいことも、この夫婦の滑稽な逸話の1つ2つさえ既に分かっている(漱石の日記・創作ノートによる)。
 津田が1人で(他の連中はもう何度も見ているのだから)、滝がもっとよく見えるように坂の階段を登って、もう一段高い場所から滝を見るであろうことも、現地を実際に見れば想像はつく。
 そのとき津田は患部に軽い違和感を覚えるのではないか。それでも安穏を感ずる津田はそのやや高い場所から清子を見下ろす。浜の夫婦はやや離れたところに佇んでいる。このとき清子が津田を「見上げる」かどうかは漱石でないと分からないが、おそらく清子は津田の姿を追ったりすることはしないのではないか。
 では津田は清子に所期の目的たる肝心の質問をどこでするのか。
 思うに津田は滝への往復の路で、清子に座敷で向き合っていては言えそうにないことを2つ3つ問いかけるのではないだろうか。(浜の夫婦の前では尚更言えない。浜の夫婦は実際の夫婦でない可能性が残る以上、彼らの前で男女の話は出来ないし彼らもしない。)
 当然ながら清子はその場では答えようもない。
 津田は宿に戻ったあと女中Cに右記の(茶店のかみさんの)噂話等を聞く。女中の前では太平楽を装う津田は、夕食前散歩仲間との鉢合わせを避けて下の方の温泉へ行く。事故はそこで起きる。成分の強い温泉へ浸かったため(と漱石は信じている)、手術跡が開いてしまうのだ。
 白い湯の花を紅く染める大量の血。しまったと思う暇もなく津田を襲う激しい痛み。津田を部屋へ担ぎ込むのは手代(番頭)か勝さんか。
 そして清子は(自分からは何もアクションを起こさないので)、東京から呼び戻されるまでは平然と(でもなかろうが)、動けない津田の傍に寄り添っているはずである。津田はお延に電話をかけたいところだが、動けないのでそれが出来ない。宿の者にかけさせるか、すぐ来いという電報を打つことは可能だが、漱石はなかなか腰が重いのでそんなことをしそうにない。それにお延が駆け付けたところで何の打開にもならないばかりでなく、清子がいてはどのような言い訳も通らないだろう。
 ありそうなのは清子に頼んで吉川夫人に電話してもらうことである。清子の報告を聞いた夫人はいよいよ自分の出番だと奮い立つ。夫人なりの策略に仕上げの時が近づいたということだ。

 清子は女として現実にのみ生きている。亡霊のように出現した津田には驚倒したが、実物の津田と会って事情が分かってみるともう津田と対面することは何でもない。津田の背後にいるお延を見ようとはしない。清子はお延に関心が無い。(漱石は清子をお延と対決させるつもりがない。)
 清子と病臥する津田との最後の会話は目に見えるようである。津田が求婚していたら、もちろん受けていたかも知れないが、実際にはしなかったのだからそれは言っても始まらない話である。清子は求婚した関に嫁しただけである。
 では今はどうか。清子は津田次第である。津田は今も何もしない。しないのは出血で動けないからか。では出血しなければ動いたのか。それは津田にもわからない。津田(漱石)には出血は恰好の言い訳になる。
 津田は痛みに耐えながら蒲団に寝て、清子と共にいることに不思議な安らぎを覚える。(この安らぎは次作の隠れたテーマとなるかも知れない。)ただお延が清子と顔を合わせることだけが心配である。
 小説の(叙述の)主体はこのあと津田からお延に最後の交代をするが、津田が平静にお延(と小林)を待つためには、清子の問題が片付いていなければならない。関からの電報が届くというのはいかにも便宜的に過ぎ、週の半ばでは関が迎えに来る可能性も低い。ここはやはり吉川夫人の役目であろう。つまり清子から津田が倒れたことを聞いた吉川夫人は、すぐにお延を津田の許へ発たせると約し、同時に清子に宿を引き揚げるよう指示するのではないか。
『明暗』湯河原の場はめでたく(もないが)幕を閉じ、津田も安心して退場できるというわけである。

 津田の(湯河原での)再登場はあるのだろうか。東京と湯河原、場所がかけ離れていることもあり、1週間前の「魔の水曜日」のようにまた津田の回とお延の回が錯綜するというのは考えにくい(漱石は一度で凝りている筈である)。物語の最後で温泉宿に到着したお延と津田が対面するシーンは大いに期待したいところではあるが、そうすると描写の主体が最後の最後でまた津田に帰ってしまう。『明暗』は「津田からお延へ」という流れが忠実に繰り返されているので、あくまでもこの夫婦は同じことをするのである。津田が湯河原で遭遇するトラブルとお延が東京で巻き込まれる最後のトラブルは「対になっている」はずである。
 つまりお延のトラブルとは、当然津田が倒れたことへの世間的な(吉川夫人にコントロールされるかも知れない)緊急対応であるから、そのお延が湯河原へ向かうとしても、小説の主体がまた臥せっているままの津田の方へ戻っていくことは考えにくい。『明暗』は津田に始まり津田に終わる物語ではない。何度も繰り返すが『明暗』は津田とお延の物語である。したがってこれが最後の主人公交代であると思いたい。

 ここまで、つまり津田の主人公の最後の回まで、中断から15回と想定する。15回というのは津田が宿で女中に清子の存在を確認してから中断までの分量である。滝の場景は前述の通りだが、その夕さり温泉場で倒れてからの津田の様子は、(6年前の)修善寺での漱石の体験が使われる。
 勿論症状は大きく異なる。津田は痛みと出血はあるものの漱石のように生死の淵をさまようわけではない。しかし精神的なショックはある意味では当時の漱石以上か。漱石の当時も持っていた諦念というものは若い津田にはまだない。
 吉川夫人の決裁は清子を通して津田と読者に伝えられる。清子は自分からは動かないが、人に命じられれば案外(漱石のように)尻は軽いのである。清子もまた湯河原を引き揚げるまでは津田と対照的な働きを見せるだろう。清子は旅館を去るとき、津田に滝で問いかけられたことに対する返答を与える。それは決して津田の腑には落ちないが、清子の言い方はきっぱりしている筈である。自然、津田は漱石のような(代助のような三四郎のような)グズ振りを際立たせる。それが却って自己の安心につながるというのが漱石的である。とまれ津田は見た目よりは平穏に、読者に対し「最後の挨拶」をするのである。

 大事なことを忘れていた。現行最後の『明暗』の設問、津田が一人で考えようとした清子の「微笑の意味」であるが、女の気持ちの分からない津田に明解な説明が出来る筈もなく、そこはまた漱石の出番である。
 津田はまず
①清子の謎かけと思うであろうか。
 迎えが来ないうちに要件を言ってしまえ、行動してしまえという謎と取るだろうか。少し危険なようでもある。憶病な津田にはとてもうけがうことの出来ない答えである。では
②清子の冷笑と思うであろうか。
 清子は津田の胆力のなさにはとっくに気付いてそして見離しているのであるから、もうこの時は半分馬鹿にしているのかも知れない。家から呼び出しが来ようが来まいがそんなことを気にする肝っ玉がお前にあるのか、ということであろう。反対に
③清子は津田に同情しているのか。
 内実はほとんど②に近いのであるが、清子はむしろ(姉さん的にあるいは吉川夫人みたいに)津田を護ろうとしているのかも知れない。それとも単に
④にこりともせずに返事をしたのでは角が立つから清子は所謂大人の対応をしただけなのか。

「貴女は何時頃迄お出です」
「予定なんか丸でないのよ。宅から電報が来れば、今日にでも帰らなくっちゃならないわ」
 津田は驚ろいた。
「そんなものが来るんですか」
そりゃ何とも云えないわ
 清子は斯う云って微笑した。津田は其微笑の意味を一人で説明しようと試みながら自分の室に帰った。(『明暗』188回小説末尾)

 関から電報が来ればすぐにでも帰らなければいけないと、(現状を正しく)喋っただけの清子に対し、半ば驚いた津田は諒解したと言う代わりに、あるいは黙って感心する代わりに、そんなものが来るのか、と別な問いを問い返した。(吉川夫人のいう)津田の悪い癖であるが、キャッチボールの返球が(意図しないのに)変化球になるのは漱石の癖でもある。返球しなくてもいいところを律儀に返球するところも漱石の癖である。
 それに対する清子の、何でもないような、それでいてよく考えられた正確な回答、「そりゃ何とも云えないわ」という応えは、むろん直接には(電報が)来るか来ないかは将来のことであるから、来てみないと分からないということを正直に述べたに過ぎないが、微笑の意味が、
①「謎かけ」
 
であれば、清子のこの言葉の真意は、自分の口からは言えないから察してほしい、あるいはもう一度別な言い方で問い直せ、と解されるだろう。
②「冷笑」
 
であれば、清子はこれ以上この件に関しては答えたくないのである。
③「同情」
 
であれば清子の津田に対する愛情は僅かにせよ維持されているかも知れない。清子はこの後も母親のような態度で津田に接するだろうか。
④「愛想笑い」
 
であれば、もう津田と清子は赤の他人である。過去のいきさつに対するこだわりさえ無い。

 漱石の読者はここで同じようなセリフを返したもう1人のヒロインを思い出す。

「男は厭になりさえすれば二郎さん見たいに何処へでも飛んで行けるけれども、女は左右は行きませんから。妾なんか丁度親の手で植付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かして呉れない以上、とても動けやしません。凝としている丈です。立枯になる迄凝としているより外に仕方がないんですもの」
 自分は気の毒そうに見える此訴えの裏面に、測るべからざる女性(にょしょう)の強さを電気のように感じた。そうして此強さが兄に対して何う働くかに思い及んだ時、思わずひやりとした。
「兄さんは只機嫌が悪い丈なんでしょうね。外に何処も変った所はありませんか」
「左右ね。(そり)ゃ何とも云えないわ。人間だから何時何んな病気に罹らないとも限らないから」
 彼女はやがて帯の間から小さい女持の時計を出してそれを眺めた。室が静かなので其蓋を締める音が意外に強く耳に鳴った。恰も穏かな皮膚の面に鋭い針の先が触れたようであった。
「もう帰りましょう。――二郎さん御迷惑でしたろう斯んな厭な話を聞かせて。妾今迄誰にもした事はないのよ、斯んな事。今日自分の宅へ行ってさえ黙ってる位ですもの」
 上り口に待っていた車夫の提灯には彼女の里方の定紋が付いていた。(『行人/塵労』第4回末尾)

 この「そりゃ何とも云えないわ」というお直の返答自体は、お直の(漱石の)律儀さ・誠実さの表出に過ぎないだろうが、もしかしたら清子の微笑もまた、その顕現であると漱石は言いたかったのかも知れない。つまり漱石の正解は、
⑤「誠実」
 
ということだったのか。

 津田は(実直な二郎同様)清子の微笑の意味は解らない。心配性の津田は一応自分は馬鹿にされたのではないかと疑ってはみるであろう。それくらいの世間知はある。そしてその中に吉川夫人の策謀の影さえ感じ取るかも知れない。それは結果として津田の回の終わるまで引き摺られることになるだろう。津田は平穏に退場するが、清子(と吉川夫人)に笑われたのではないかという思いはひとすじ残るのである。

 * * *

『明暗』完結篇の津田の回(全15回、四百字詰原稿紙1回6枚として90枚を想定)は、ある程度は誰でも書ける内容かも知れない。地元の医師と看護婦も胃腸病院や修善寺のときの日記を使えばよい。墓碑銘を書く老書家も山だけ眺めて暮す男も、軽便の客同様一度紹介されただけで、津田の眼を通してはもう語られることのないキャラクタなのかも知れない。下女の特定が欠かせないとも書いたが、それもまあ枝葉の話であろう。
 しかし続く(東京での)お延の回は難物である。お延への交代はどのように書かれるであろうか。
 これまでのように「自然」で目立たぬように行われるのであろうか。それともはっきり(開き直ったように)別な話として書き始められるのであろうか。
 お延はどのように再登場するか。ずいぶん久しぶりの登場である。津田の入院中に延々と続いた小林、お秀、津田とのやりとり。おかげでお延は苦しみ泣きもしたが立命も得た。勁くもなった。お延の不安は、いったんその役割を終えてしまったかのようである。
 おまけに津田が東京を発ってすでに1日経過している。『明暗』ではこれまでカレンダを遡る書き方はなされていないので(遡ってもせいぜい数時間である)、お延の回になったからといって、津田を送り出した当日とその翌日津田が倒れた日のお延の姿は、リアルタイムには書かれないだろう。津田と別れたお延は(得心もして)、さしあたっては自分から行動を起こす必要が無い。お延が動き出すのは、さらにその次の日(11月11日木曜)、吉川夫人の手によって起動ボタンが押されてからである(と想像する)。

 それはお延を主人公とした最後の物語として、ある程度まとまった一つの短編として、再びそれまでとは断層のある書き方をされるのではないか。というのは前に述べたように『明暗』は津田の道行きでそれまでの物語と大きく断絶しているからである。
 お延の回になってまた元に戻るのではなく、新しいお延が、一皮むけたような、あるいは病み上がりの人のような描き方をされて、あたかも新しい舞台に上るような形で登場するのではないか。思い切った省略がなされるのではないか。
 ずばりお延の再登場シーンは内幸町の吉川邸へ向かう俥の上であると推測する。お延を呼び出す手紙が車夫によって届けられたのである。
 その日、吉川邸でお延と吉川夫人の最後の対決がなされる。お延は相変わらず吉川夫人の掌で踊らされているようにも見えるが、またある程度の得心を持って津田を救う喜びを味わうはずである。(それはちょうど美禰子が三四郎の面倒を見るときの満足感に似ている。)
 吉川夫人は清子についてはことさらには語らない。呼び戻す手筈が付いている以上、そしてお延の半分疑っている状態がちょうどよいと思っている以上、お秀にはしゃべってもお延に余計なことを言う必要がない。夫人はむしろお延がどこまで知っているかの探求の方に力を注ぐであろう。そして夫人が清子のことをどの程度お延に仄めかすかは漱石の最後の技巧の見せ場であろう。残念ながら余人にその力はたぶんない。
 小林たちが同行することは夫人には好都合だろう。本来なら温泉行きを企画した夫人サイドで面倒を見てもおかしくないからである。吉川夫人は妻の愛情が夫の痔疾に何の役にも立たないという興醒めの事実を殊更にお延に吹き込むことにより、お延を少しずつ普通の主婦に近づけようとたくらむ。お延はもうそんな手には乗らないのであるが、夫人は気付きようもない。ただ覚心しかたのように温泉地に向かおうとするお延を見て、自分のやり方は間違っていなかったと夫人らしい自讃をする。

 小林はどこで津田のことを知るか。地中の芋を信じれば、小林は原の絵を売り込みに吉川へ行ってそこでお延と出くわすということもあるかも知れない。小林が岡本へ行くという可能性も、本人がそう言っている以上否定は出来ない。しかしより自然な流れとしては、お延から藤井への連絡であろう。津田の勤務先である吉川からもたらされた情報であれば、次に行くのは津田の実家たる藤井であるのが自然である。京都の本当の津田の実家は、当然吉川と通じているのであるから、お秀同様この続編では触れなくてよい。
 藤井で津田の急を聞いた小林はその日の午後お延の家を訪れる。お延が小林(と原)の同伴を依頼するシーンが次のハイライトである。おそらくそれは小林からの申し出という形で描かれるのではないか。漱石は寝台に括り付けられて帰京したが、津田は両脇を抱えられての帰還兵というところだろう。
 湯河原の回が終わっている以上、そのシーンは直接書かれることはないが、想像を逞しくすることは出来る。誰かの口から間接的に語られる、あるいはスケッチ画に描かれる(描くとしたら原以外にいないが)、そして「手紙」が登場する可能性も、(またかと言う勿れ)大いにありうるのである。
 津田はもしかしたら戸板に載せられて自室を出るかも知れない。その際の担ぎ手は小林・原・手代(番頭)・勝さんの四人であろう。黙って見送るのは同宿の二人の男客だろうか。浜の夫婦は清子と前後して引き揚げている。書家の書いた故人の顕彰文が戸板と対照をなす。何もしない方の男も、寝たままで何も出来ない津田に比べるとまだ活きた人間に見えるという皮肉。
 先に津田が女中から聞くという形で読者に披露された相客の様子が、最後にお延の眼を通して書かれる。エピローグとしてお延が(吉川夫人に宛てて)手紙を書くとすれば、津田の真の退場シーンが明らかになるかも知れない。お延は(吉川夫人の手前)ことさらに津田が動けないことを強調するだろう。(漱石はここで、『虞美人草』や『心』のような破局を期待していた読者に対しても、一定の満足感を与えることになる。)

 いずれにしても津田は漱石と違ってしがないサラリーマンであるから、お延と二人でもう一週間湯治というわけにはいかないのであるから、そしてお延の肩に摑まって歩ける程度の傷でないことは漱石は経験上知っているのであるから、この団体旅行はいくら散文的でも仕方がない。むしろお延は前述した新しい喜びに襲われて小林への嫌悪感を棚上げするのではないか。これがお延の予言した「蛮勇」であろうか。愛情ではない。一種の征服感のようなものがお延を支配して、お延を小林と(津田とも)対等な立場に置かしめるのではないか。お延はどちらかといえば堂々と出発するはずである。
 金の工面はどうしたか。吉川夫人を再度わずらわせるのはお延の本意でない。小林は津田の餞別があると言うだろう。しかしお延はもう誰の情けも受けない。お時に言って指輪を質入れして小林と原の1泊2日の湯河原往復費用に充てることにする。津田にさらに貸を作るのであるが、もう妻としてそんな意識はない。吉川夫人の目論見は結果として少しだけ達成されたのである。

 そして翌る日11月12日金曜、お延は津田と同じ道のりで湯河原を目指す。どこでこの物語が閉じられるかは何とも言えないが、最後にお延の一行と上京する清子がすれ違うところで終るような気がする。
 とすればその場所は東京と湯河原から同じ時間を消費する地点、軽便の鉄路でなく東海道線の上でもなく、それは乗換駅たる国府津の駅頭か小田原(早川口)ででもあろうか。面と向かってすれ違うわけにはいかない。小林と清子は顔を見知っているからである。
 そして叙述はあくまでお延の眼を通してのみなされる。多くいない乗換の人の中に、遠く庇に結った自分と同じような(当時の)山の手の若い婦人を見たお延は、何事かを思いそして小林に何か話しかける。お延の脳裏に清子という名前が一瞬でも浮かぶか否は、遡るが吉川夫人のリークの仕方に係わってくるのでそれ次第である。お延はもう清子のことは卒業したとも思われるが、或る書き方を漱石に期待するのであれば、読者としてはお延と清子は細い糸で最後まで繋がっていてほしいという気もする。
 清子の姿を認めた小林はお延の仕草を確認したのち黙ってそれをやり過ごす。お延には金持ちを皮肉るような言葉を返すだけである。一人でこんな時間にこんな所で、うらやましい身分といえるのか、どこかやましいことがあるのか。小林は一瞬勝ち誇ったような錯覚に襲われるが、またお延の(清子から自由になっている)態度からそうでないと思い直しもする、かも知れない。
 小林の叙述は半分お延の立場(視線)でなされるから、このくだりはなかなか読ませるところであろう。清子はもとより気付かないまま退場する。清子の髪は津田に会う朝庇に結ったのであるが、それは津田のためでなく、お延の目にとまるためであった、と漱石は言いたかったようである。
 最後に、お延の描写から一瞬脱け出したように清子の方へ叙述が移る、例の幽体離脱(油蝉)の「超絶技巧」がここでも見ることが出来るだろうか。

 ここまで、お延の最後の回を35回と想定する。四百字詰原稿紙1回6枚として210枚。『坊っちゃん』と同じくらいの長さである。前述のようにこれは先生の遺書とも同じである。
 ちなみに現存して上梓もされている『坊っちゃん』の原稿は松屋製(24字×24行)149枚で、先生の遺書は「縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のものであった。そうして封じる便宜のために、四つ折に畳まれてあった。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して読み易いように平たくした」(『心/両親と私』17回)とあるから、まず『心』の「私」は先生の遺書なる分厚い原稿を二つ折りに伸ばし直し、それを着物の袂に突っ込んで家を飛び出したのであろう。『明暗』完結篇のお延の回も、書かれれば(その風袋は)こんな感じになるに違いない。

(『明暗』の結末に向かって 引用畢)