明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

2023-01-01から1年間の記事一覧

漱石「最後の挨拶」道草篇 20

394.『道草』先行作品(9)――『硝子戸の中』 ・第4集『硝子戸の中』 大正4年1月~2月 前作『思い出す事など』から丸4年。作物のなかった「死の明治44年」から4年経過した大正4年、漱石4冊目の随想集はまた、最後の随想集ともなった。毎年繰り返す…

漱石「最後の挨拶」道草篇 19

393.『道草』先行作品(8)――修善寺の大患 ・第3集『思い出す事など』 (つづき)Ⅰ 大吐血はなぜ起こったか 直接の原因が漱石の胃潰瘍にあることは言うまでもない。問題はなぜそれが暴発に至ったかである。①塩原昌之助 前述したように明治41年12月の伸…

漱石「最後の挨拶」道草篇 18

392.『道草』先行作品(7)――『思い出す事など』 漱石は旅行記に向かない作家である、と前の項(本ブログ道草篇16)で述べたが、(12月1月問題という)季節の連想でいえば、これは漱石の文学的出発点が俳句にあることと関係していよう。俳句は説明を嫌…

漱石「最後の挨拶」道草篇 17

391.『道草』先行作品(6)――魔の12月1月 前項の続き。『満韓ところどころ』はなぜ(漱石作品なのに)面白くないか。 だいたい漱石は作品上でも実生活でも、年末年始とか厳寒の時期に近づくと碌なことにならないようである。露骨な譬えで申し訳ないが、…

漱石「最後の挨拶」道草篇 16

390.『道草』先行作品(5)――『満韓ところどころ』 ・第2集『満韓ところどころ』 明治42年10月~12月『永日小品』以外に明治42年にはもう1つ、『満韓ところどころ』(全51回)という未完の紀行文集がある。『永日小品』は新春に書かれたが、『…

漱石「最後の挨拶」道草篇 15

389.『道草』先行作品(4)――『永日小品』(つづき) ・第1集『永日小品』 明治42年1月~3月(つづき)15回『モナリサ』 井深がモナリサの額画を買って欄間に掛けた~落下してガラスが砕けた~すぐ屑屋に売った~井深はモナリサもダヴィンチも知らな…

漱石「最後の挨拶」道草篇 14

388.『道草』先行作品(3)――『永日小品』 ・第1集『永日小品』 明治42年1月~3月 小品とはよく言ったものである。まるで漱石全集のためにある言葉といってもよい。漱石全集(岩波の)に随筆という分類はない。(『猫』という名作の存在にかかわらず、…

漱石「最後の挨拶」道草篇 13

387.『道草』先行作品(2)――『文鳥』と『夢十夜』(つづき) 最後にもう1つだけ。先の項で漱石の初恋にかこつけて『文鳥』の記述をあれこれ探ったが、この小品に綴られた1羽の文鳥そのものの印象は、『行人』三沢の初恋(おそらく)の女に似ている。例の…

漱石「最後の挨拶」道草篇 12

386.『道草』先行作品(1)――『文鳥』と『夢十夜』 漱石の「明治39年怒りの3部作」には(『猫』は別格として)、それぞれ先行作品というものがある。・『坊っちゃん』――『趣味の遺伝』(小説の結び方の秘訣)・『草枕』――『一夜』(温泉宿の怪事件)・『…

漱石「最後の挨拶」道草篇 11

385.『道草』初恋考(4)――『文鳥』と『永日小品』をつなぐもの 漱石は自分の初恋を書かなかった。書かなかったからこそ様々に喧(かまびす)しいのであろう。奥手で理屈っぽく、粗暴で含羞み屋の金之助に艶っぽい話などなくて当然とも言えるが、ただ1つ、明…

漱石「最後の挨拶」道草篇 10

384.『道草』初恋考(3)――漱石の初恋とは何ぞ(二十代後半篇) ここで本ブログ第5項(漱石のウィルヘルムマイスター)から、「漱石の徒弟時代」の後半~「遍歴時代」の前半を再掲したい。《漱石の徒弟時代》(牛込喜久井町)明治23年7月 第1高等中学…

漱石「最後の挨拶」道草篇 9

383.『道草』初恋考(2)――漱石の初恋とは何ぞ(二十代前半篇) 明治21年復籍後の漱石の身近には同い年の嫂登世が3年間いた(明治24年没)。その間のトピックスは明治22年森有礼国葬時の『三四郎』広田先生の「夢の女」、明治24年子規宛書簡「銀杏…

漱石「最後の挨拶」道草篇 8

382.『道草』初恋考(1)――漱石の初恋とは何ぞ(十代篇) 未練がましいようだが、もう1度『硝子戸の中』の芸者咲松のくだりと、『道草』御縫さんを追想する箇所を引用したい。芸者咲松 其頃従兄(高田庄吉――漱石の父直克の弟作次郎の子)の家には、私の二…

漱石「最後の挨拶」道草篇 7

381.『道草』へ至る道(5)――空白の1年間 第5項で掲げた漱石の徒弟時代14年間の前半部分を再録する。明治12年3月 府立1中入学明治13年 (寄席に通い始める――講談は子供の頃から好きだった)明治14年1月 母千枝死去(56歳)明治14年4月頃 …

漱石「最後の挨拶」道草篇 6

380.『道草』へ至る道(4)――寺田寅彦の功績と世紀の誤植 本ブログ草枕篇で堤重久の『太宰治との七年間』という本から長々と引用したことがある。太宰治が教師であったことは1度もないから趣きは少し異なるが、ここで漱石の一番弟子寺田寅彦の古典的な回想…

漱石「最後の挨拶」道草篇 5

379.『道草』へ至る道(3)――漱石のウィルヘルムマイスター ついでと言ってはナンだが、漱石の年譜をさらに遡ってみよう。上っ面だけになるが、書生時代から洋行まで、あくまで『道草』の時代へ繋げるための年譜である。《漱石の徒弟時代》 (極楽水・猿楽…

漱石「最後の挨拶」道草篇 4

378.『道草』へ至る道(2)――『道草』の時代 『道草』成立までの道のりが示されると、ついでにその前の事象も追加したくなる。①健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に所帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。(『道草』冒頭)から、②其一枚には…

漱石「最後の挨拶」道草篇 3

377.『道草』へ至る道(1)――『門』から『道草』執筆まで 『門』は漱石が始めて夫婦を主役に据えた小説である。宗助と御米は好き合って一緒になった若い夫婦である。宗助は漱石を彷彿させるが、御米は鏡子と共通点のない、全体として漱石夫婦とは別世界に暮…

漱石「最後の挨拶」道草篇 2

376.『道草』はじめに(2)――漱石はなぜ『道草』を書いたか 『道草』のテーマは次の3点である。Ⅰ 養父母との確執。Ⅱ 生い立ちの暗い翳。Ⅲ 夫婦の葛藤。 Ⅰについては、『道草』が最初で最後の言及になるだろう。漱石にとってはなるべく書きたくない話だから…

漱石「最後の挨拶」道草篇 1

375.『道草』はじめに(1)――道草を食ったのは誰か 本ブログは『三四郎』『それから』『門』の初期(青春)3部作、『彼岸過迄』『行人』『心』の中期3部作のあと、晩期3部作の緒篇、『道草』に入るはずであったが、その前に、『坊っちゃん』『草枕』『野…

漱石「最後の挨拶」野分篇 39

374.『野分』ブログ総目次 ブログ総目次野分篇1 336.『野分』はじめに――小説の神様が愛読した小説 漱石「最後の挨拶」野分篇 1 - 明石吟平の漱石ブログ野分篇2 337.『野分』式場益平からの手紙(1)――驚愕の高岡市と高田市 漱石「最後の挨拶」野分篇 2 …

漱石「最後の挨拶」野分篇 38

373.『野分』「明治39年怒りの3部作」――『坊っちゃん』『草枕』『野分』の目次 本ブログではこれまで『坊っちゃん』『草枕』に対しても(無用の)回数分けを行なってきた。ここで野分篇が完結した記念に、『坊っちゃん』『草枕』の目次も併せて再掲してみ…

漱石「最後の挨拶」野分篇 37

372.『野分』全50回リファレンスなし目次 『野分』上篇 (全5章20回)第1章 白井道也は文学者である (全4回) 道也 VS. 細君 (明治39年10月下旬)1回 田舎の中学を3度飄然と去る越後の石油の町~会社の紳士連と衝突~九州の炭鉱の町~金と実…

漱石「最後の挨拶」野分篇 36

371.『野分』全50回目次(3)――下篇(第10章~第12章) 『野分』下篇 (全3章14回)〇第10章 道也と細君生計のピンチ (全4回) 道也 VS. 細君 細君 VS. 兄 (明治39年12月11日火曜)1回 足立教授の序文が貰えない(P404-2/道也先生長…

漱石「最後の挨拶」野分篇 35

370.『野分』全50回目次(2)――中篇(第6章~第9章) 『野分』中篇 (全4章16回)〇第6章 高柳君道也に弟子入りする (全4回) 高柳 VS. 道也 (明治39年11月 ある日)1回 高柳君道也に面会す(P340-4/「私は高柳周作と申すもので……」と丁寧に…

漱石「最後の挨拶」野分篇 34

369.『野分』全50回目次(1)――上篇(第1章~第5章) 本ブログ坊っちゃん篇・草枕篇同様、『野分』全12章にも、新聞連載されたと仮定して、(仮想の)回数分けを行なってみる。回の内容を摘要したものや惹句も、論者が勝手に附けたものであることは言…

漱石「最後の挨拶」野分篇 33

368.『野分』おわりに――会津八一が地獄の入口で詠んだ歌 先に述べた、『野分』は男の小説であるということに関連して、これは突飛な連想でもあろうが、本ブログ野分篇で折角会津八一を持ち出したからには、最後に彼の歌を1首紹介して終わりにしたい。ただ会…

漱石「最後の挨拶」野分篇 32

367.『野分』すべてがこの中にある(11)――最終作品への道 ・『草枕』と『虞美人草』の例外 『草枕』は季節だけを言えば春休みの話である。画工が那古井の温泉宿に滞在する何日かを語っているに過ぎない。画工は教師ではないのだから(那美さんからは先生…

漱石「最後の挨拶」野分篇 31

366.『野分』すべてがこの中にある(10)――漱石と秋(つづき) (前項よりつづき)《例題15 ア、秋(つづき)》・『道草』 『行人』『心』では秋というより夏起点になってしまったようだが、『道草』もスタートはさらに早まって、6月頃と目される。御住…

漱石「最後の挨拶」野分篇 30

365.『野分』すべてがこの中にある(9)――漱石と秋 漱石にとって「生老病死」の話は無限ループに似て、きりがないのでこの辺でやめにしたいが、最後にもう1つ、漱石の全作品の棚卸ついでに、本ブログでもさんざんこだわっている、漱石の小説の「暦」につい…