明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 27

362.『野分』すべてがこの中にある(6)――愛だけが欠けていた


 旅をすればこそ人は手紙も書く。では人は何のために旅するのか。愉しみのためだけに旅することも勿論あるだろうが、いつの時代でも人は生きるために移動する。漱石作品でも多くの登場人物は仕事のため、結婚のため、その前に学問をするために移動する。旅は人生の様々な行程そのものと言えよう。
 その人生で一番動かないのが、『猫』の(吾輩はともかく)苦沙弥先生であり、一番遠くまで動いたのが、『道草』の健三であろう。この2人は共に教師であった。(そして漱石作品残り3人の教師、『坊っちゃん』1年未満・『野分』白井道也6年間・『行人』長野一郎約10年間は、漱石の松山中・五高・一高帝大までのキャリアをほぼ忠実になぞっている。漱石はランダムに書いているように見えて、主人公の教師は自分の経歴に合わせて「成長」させているのである。)

《例題6 学校》
 すべての小説に学校が登場する。こんな小説家は漱石だけではないか。漱石は人生の大半を教師・学生・生徒として過ごし、最期の10年間は小説家として大学時代の友人や弟子たちと共に生きた。その間自分の子供たちが学校へ通うのも常に身近に見続けた。しかしだからといって小説に学園を書き込まねばならない、ということにはなるまい。石坂洋次郎じゃないのだから。
 すべての小説といって、これも『草枕』が唯一の例外に該当するのかも知れないが、しかしメレディスの小説の原書講読を那美さんへの個人レッスンと見れば(小野さんの藤尾へのシェイクスピアのように)、『草枕』も立派に仲間入り出来るはずである。久一は戦地へ赴くが、いずれどこかの連隊に放り込まれるのだろう。軍隊も学校も人を縛るという意味では同じものである。
 そういうものに縁のなさそうな『明暗』でも、藤井の次男真事と岡本の長男一の、小学生としての生活ぶりは詳しく描かれる。土曜日なのに真事の背負ったランドセルに空の弁当箱の音がしたのは、漱石の失念癖がまた出たとは、先に指摘したことがある(※)。

 学校の頂点たる帝大・学士(当時の)もまた、なぜか漱石の小説には必ず登場する。帝大にあらざれば人に非ず、ではなく、帝大に何の幻想も持たないからこその現象であろうか。
 大学に何かの(普遍的な)価値があると思う人は、大学に行かなかった人か、これから行こうとする人である。『行人』で一郎が、

「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行って見るとね、結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ」(『行人/帰ってから』6回)

 と言ったように、「行ってみれば分かる」のが大学だろう。漱石の帝大も、とくに選んで行ったわけではなく、そこしかないので行ったにすぎない。
 もともと漱石には、読者に行間を読ませるという発想はないのであるから、帝大生・帝大卒を書くといっても、別に深い意味があるわけではない。中学校だから中学校、大学校だから大学校と書いたまでである、というのが漱石の言い分であろう。

 それはさておき、『草枕』の画工は学士であるとは書かれないが、日本にいて帝大に行かずに(シェイクスピアやシャーロックホームズでない)英国の小説を原語で読む明治人がいるだろうか、と読者は勝手に忖度する。しかしここは『一夜』の男2人にその任を譲りたい。『草枕』は『一夜』の続篇である。帝大(京大)をスピンアウトした宗助と安井の『門』にしても、従兄弟の安之助と大家の坂井はちゃんと帝大を出ている。そうしてみると『坊っちゃん』の赤シャツが、いかに漱石作品にとって大切な存在であったかが理解されよう。赤シャツがいなければ漱石の中で、『坊っちゃん』だけ物理学校(と兄の高等商業)の話でおわるところであった。

※注)真事のランドセル
 入院前日の土曜日、この日から会社を休んだ津田はつい寝坊してしまい、手術前の特別な食事のためにパン・バタ・紅茶を買いに出たりしたこともあって、午前を予定していた藤井行きが午後となった。当時土曜はすでに半ドンであるから、結果としてこの日津田は会社を休んだ意味がなかった。
 それはいいとして、原稿で「二時少し前」と書かれた津田が家を出た時刻は、漱石自身による新聞切抜への朱筆でなぜか「一時少し前」に改訂された。津田は江戸川橋の辺で学校帰りの真事に遭うが、飯田橋の津田の家から(早稲田でなく)音羽の奥か目白台の藤井の家までは歩いても1時間足らずと書かれるから、津田が真事と出会った時刻は、(午後2時半でなく)午後1時半くらいであると漱石は言いたかったのか。
 津田は大道芸の手品を見たりしたあと、真事に1円50銭(150銭)の玩具の空気銃を買ってやる。(この碌でもない玩具は藤井の叔母に冷たくあしらわれる。そればかりか他日お延によって、直接ではないが殺人兵器呼ばわりされている。)そして空気銃を持って走り去る真事のランドセルの中で、弁当箱と教科書がぶつかり合うような音がしたというのである。漱石は純一の下校時刻を勘案していたのだろうか。漱石はそんなマメな性分か。当日が土曜であったのを忘れていたのなら、弁当箱の件は辻褄が合うが、ウィークデイに真事の下校時間を早める理由はなくなる。
 津田はその日藤井の家で午後4時に下剤を飲むことになっているが(その割には夕食後小林と居酒屋に遅くまで付き合っている)、藤井の家に3時頃着いたのではせわしないので、ただ1時間早めただけかも知れない。漱石はいつも時計が気になる。この場合は子供の下校時刻より自分の薬を飲む時間の方が心配だったのだろう。

《例題7 愛の三角形》
 帝大も結婚も幻想であると漱石は思っていたのか。学究生活も牢獄と変わらないと『道草』健三は言うが、結婚生活も同じなのだろうか。帝大はともかく、男女の愛についてはそうではあるまい。世俗の結婚生活は夢見ているうちが花というのは真実であろうが、愛についてはまた別な世界が存在するのではないか。
 一般に女の書かれない小説はない(小説とは女のことを書くものである)と言われるが、その男女の「三角関係」は漱石の代名詞にもなっている。
 ところがこの「三角関係」こそ、

他のすべての漱石作品にあるが『野分』にだけないもの

 ではなかろうか。『野分』に愛の桎梏は書かれない。『野分』だけが例外である。否、『道草』もそうだと言われるかも知れないが、

「御縫さんて人は余っ程容色が好いんですか」「だって貴夫の御嫁にするって話があったんだそうじゃありませんか」(『道草』22回)
「貴夫何うして其御縫さんて人を御貰いにならなかったの」「だけど、もし其御縫さんて人と一所になっていらしったら、何うでしょう。今頃は」「でも殊によると、幸福かも知れませんわね。其方が」「どうせ私は始めっから御気に入らないんだから……」(『道草』23回)

 という御住のこだわっている(としか思えない)セリフを見ると、健三もまた潔白ではない。

《例題8 恋する女》
 その「三角関係」の書かれない『野分』にも、当然若い女は登場する。中野君の婚約者に愛がないと言う人は流石にいないだろう。この婚約者の女に珍しく名前がないことも、漱石なりのバリエーションの1つであろうし、メリメのヴィーナスの寓話もまた、愛の恐ろしさの前に、愛とは何ぞやを問うているのである。「恋する女」の登場しない漱石作品など、存在しようも想像しようもない。

 愛の成就はすべての詩人が生涯かけて追及するテーマであるが、女にとっても愛は(男と)同じものであるか。女もまた愛のために男を択びたい。自分の意思で男を択びたい。のだろうか。
 漱石の男はたいてい失敗する――漱石が失敗したように。漱石の男で自分の希む女とゴールインしたものは、『それから』平岡と『心』の先生の2人だけである。にもかかわらず、あるいはそのせいで、2人とも最悪の結末を迎える。代助(宗助)も結果的には自分の愛を通したように見えるが、彼(彼ら)は失敗者の烙印を押される。彼らの人生もまたボロ切れのようであった。それでもただ1人、無事の日々を送る宗助が、『門』に平和な印象を与えている。事が起こらないのが読者に好印象を与える。こんな小説がかつてあっただろうか。

 漱石の女はどうだろうか。生存のためでなく愛のために男を択ぶ女。あるいは男の求めるままに順って生きる女。どちらも同じ1人の女である。ところが男が求めないことも多い。生存のためであろうが愛のためであろうが、男が決断しないのでは答えようがない。煮え切らない男に愛想を尽かして自分から行動する女。そんな女が漱石作品に書かれたことがあるだろうか。
 那美さんにはその片鱗が覗われるが、そんな彼女はキ印扱いされる。那美さんの後継者藤尾は最初から生き通せない前提で造られた。教会に通う美禰子は那美さんと藤尾が掴めなかったものを掴もうとする。(それはもちろん家庭の幸福である。)
 気が狂う(那美さん)か死ぬ(藤尾)か宗教に行く(美禰子)か。これは長野一郎だけの問題ではなかった。漱石作品では男も女も失敗者である。この「公平さ」が百年の命脈の秘訣だろうか。
 美禰子のなれの果てが三千代と御米である。その三千代と御米の2人だけが平凡な主婦で「ない」。千代子は未婚であるが、那美さん・藤尾・美禰子の先輩諸姉をリセットしたものである。そしてお直お延への橋渡し役となったが、何か変わっただろうか。千代子が生き延びても、じれったい男に業を煮やす女が増えるだけだろう。お直やお延のように。

 男の対応を離れても、漱石の女に成功者(愛の成就者)はいるか。小夜子は願いが叶いそうではあるが、目の前で悲劇を見せつけられては小野さんとの新生活にも暗い影が差すだろう。『心』の先生と静の夫婦は、『虞美人草』の小野さんと小夜子の夫婦の変則にして同一亜種である。Kの死と藤尾のそれを較べることは出来ないが、静と小夜子の結婚生活に、悲しみの格差があるとはとても思えない。
 糸子とよし子には未来がある。その未来が清子であれば、清子は唯一成功者の可能性を残すヒロインであろうか。「清」というのは年配下女の世襲名とも取れるが、坊っちゃんの大好きな清、漱石の愛妻鏡子の戸籍名キヨと見れば、吉川夫人の企みにもかかわらず、清子は夫の手前を何の恥じることもないまま、津田を置き去りにするのだろう。清子自身には悲劇も喜劇も起こらない。
 お延にもその(幸せの)可能性が残されている、と考える人もあるかも知れないが、お延は津田と同じことをする双頭の鷲たるダブル主人公の片割れである。津田だけ失敗者で小説が終わるわけがない。お延は必ず失敗する津田に倣うだろう。津田とお延を罰する者は、もう作者ではない。則天去私を標榜する漱石は、もう主人公を罰しない。2人を罰する者は私(漱石)でなく、天=自然=小説の自然な進行ということで、それは『明暗』では小林の役目になるというのである。

 必ず失敗するのが漱石の男と女と見れば、『道草』はその楽屋噺になっているようなところがある。もちろんそれまでの漱石作品の男女像の延長と見ることも出来るが、皮肉な見方をすれば、過去のヒーローやヒロインたちから、いったん訣別しているようにも見える。健三と御住、2人して自分たちの結婚に絶望しているかのように書かれてはいるものの、漱石作品の中では(あの程度でも)最も無事で幸福な一対である。漱石は『道草』を書きあげた上で、それを再確認するかのように、『明暗』に清子を登場させた。清子は鏡子とはまるで違う造形であるが、妻という自分の立場を露ほども疑っていないという点では、(キヨコという)名前同様奇妙な一致を見せる。『道草』末尾で赤ん坊の頬に接吻する御住(鏡子)に女の幸せを見るのであれば、残念ながらお延のような(理屈の勝つ)女の出る幕はないのである。

《例題9 金》
「女と金」という言葉があるが、女の書かれない小説がないように、金を度外視した漱石作品があると言うなら、それは贋作であろう。金さえあれば、金がどこぞからふんだんに降ってくれば、漱石作品は1つも書かれることはなかった。つまり漱石の小説のテーマは消滅していた。金銭に恬淡なはずの『坊っちゃん』でさえ、その中に100ヶ所、金の話が書かれるとは、先に述べたところ。
 金が主たるテーマになっていない『彼岸過迄』と『行人』にしても、前者は森本の下宿料踏み倒し失踪事件、さらには婚外子市蔵に須永家の相続疑惑が発生するが、後者は三沢に金を立て替える件で(三沢は芸者をしている女の病気のために臨時の金が要ったのである)、『三四郎』の裏を返すような、お兼さんと二郎、母親と二郎のやりとりが描かれる。そのほかの漱石の作品はすべて金銭トラブルの話であると言って過言でない。直接のトラブルが書かれていない場面では、登場人物は熱心に金持ち・実業家・華族神商の悪口を言い合っているのである。

 女や金の話はギャンブルや酒という男の欲望に繋がらないこともないが、「男の欲望」の対極にいた漱石は酒もギャンブルも興味がなかった。『野分』中野君の婚約者は競馬で(500円)儲けた父に指輪を買ってもらった。それはすぐ『三四郎』与次郎によって摩られてしまった(20円)。さすがに誰かに競馬(たぶん単勝)で500円は儲け過ぎと言われたのかも知れない。
 もともと何かを賭けるという行為には(自分の責めに帰する)決断が伴なう。酒を飲むという行為には我を忘れるという効果もしくはリスクがある。どちらも漱石の能くするところでなかった。決断も忘我も、ある意味では今までと違う自分になることである。(宗教みたいに)何かに依存するということでもあろう。それは漱石のような人にとって、耐えられることではなかった。

《例題10 酒》
 賭け事は(占いという無難な小道具に姿を変えて)すぐ漱石の小説から消えた。しかし酒という小道具はしぶとく生き続けた。漱石は酒で浮世の憂さ晴らしをするつもりもないし、社会の一員としてのおつきあいという気持も微塵もないだろうから、純粋に(苦沙弥のように)酒は身体のためにいいと思ったのかも知れない。
 中野君は日比谷公園のレストランで高柳君と樽ビールを飲む。漱石の「酒量」は有名だが、怖いもの見たさのように酒は各作品に登場する。かつそれらはみな印象的なシーンばかりである。『猫』苦沙弥(と迷亭)の味醂盗飲事件。「今夜は中々召上るのね」「飲むとも」そして巻末の飲み残しのビール事件。『坊っちゃん』送別会、漱石最初で最後の乱痴気騒ぎ。『草枕』には飲酒シーンはないではないかと言われそうだが、画工の髭をあたった髪結床の親爺は、昼間から酔っていたと書かれる。
 一番たくさん飲んだのは『それから』代助と誠吾の兄弟と平岡であるが、『門』小六、『彼岸過迄』森本、『行人』岡田、三沢、『道草』柴野、『明暗』小林、皆酒を呑む人ではある。三四郎も好きではないが酒は飲む。それでもおそらく漱石の一生分くらい飲んでいるのではないか。『心』ではアルコールは控えられている方だが、それでも飲酒シーンは何度か出て来る。居酒屋まで書かれるのは最後の『明暗』だけであるが、それがこの作品に奥行きを齎すのであれば、まさに酒の効用であろう。

 酒をキーワードに漱石の全作品を棚卸してみると、『虞美人草』が唯一の例外であると言わざるを得ない。『虞美人草』に登場する大勢の大人は、意外にも誰一人飲酒していない。それで漱石が『虞美人草』を失敗作と断じたわけでもないだろうが、藤尾の母もいかにも晩酌しそうなタイプでいて、その実小説では一滴も飲んでいない。
 藤尾の母は、外交官かそれに近い身分の官吏もしくは技術者研究者の夫人のはずである。まさかバイヤーではないだろう。仮に甲野の父が実業家であったにせよ、この「謎の女」の描かれ方は飲酒云々の次元を超えている。前にも述べたが、欽吾の生母は欽吾を産んですぐ他界し、後妻に入って藤尾を産んだ「謎の女」が今の欽吾の「母」である。この母は、中年から初老にかけての女性の描写に関しては他を寄せ付けない漱石にしては、信じられないくらい雑な設定になっている。そのために「謎の女」と名付けたとしたら何をか言わんやであるが、ここではこれ以上言わないことにしよう。すべての男が理想の結婚をするわけのものでもないのだから。