明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 29

364.『野分』すべてがこの中にある(8)――病気をするために生れてきた(つづき)


《例題13 死に至る病
 
病気だから死ぬのか、死ぬから病気なのか。病気もまた、漱石の小説に付き物である。
「病気をしに生れて来た」漱石らしく、誰かが病気に罹らない漱石の小説はない。『猫』の冒頭(胃弱・タカジアスターゼ)から『明暗』中断部分(静養旅行の清子と津田)まで、漱石の書いたものから病気・怪我や死に関連した記述を抜き集めると、優に1冊の本になるだろう。

 漱石の主人公で一番重い病気に罹ったのは誰か。風邪からチブスを併発して数ヶ月間寝込んだ『門』宗助か、それとも特異な例だが『道草』健三の痘瘡か。入院・手術という荒事では『明暗』津田だが、痔疾であるからには深刻度は低い。と言っても漱石の痔疾は長年の坐業によるもの(作家の職業病)と思われがちだが、胃の悪いときは喉もやられており(トラホームもある)、漱石の病気は上から下まで一つながりで、いろんな箇所の粘膜にその症状が出るものらしい。入院はもう1人、漱石と同じ胃病の『行人』三沢がいる。『野分』高柳君は初期の肺結核である。流行感冒で熱を出した三四郎と健三。譫言を発するぶん健三の方が少し重かったようだ。健三には夜尿症もあった。幼時といえば「坊っちゃん」にも夢遊病の疑いがある。微妙な病気といえば『猫』迷亭の虚言症などというものまである。
 副人物では遠慮が要らないせいか、『猫』理野陶然、『それから』菅沼始め、いきなり死ぬ人も多い。『心』私の郷里の父も死期が近いが、『明暗』岡本の豆腐しか食えない糖尿病、『門』もともと身体の強くない安井の罹ったインフルエンザは意外に長引き、冬休みを転地療養に充てなければならなかった。これに宗助が合流したことが後の大風事件に発展したことを思えば、インフルエンザといえども軽く見てはいけないという戒めか。宗助(漱石)に対して「君は身体が丈夫だから結構だ」と常軌を逸した発言をする安井が、結局蒙古まで行ってしまうという、人間と健康の不思議な関係に対する教訓か。
「単なる風邪」は『虞美人草』井上孤堂、『三四郎』広田先生、『道草』兄長太郎と、主役脇役分け隔てなく蔓延する。風邪やインフルエンザはともかく、あとの病気は宗助のチブス以外はすべて漱石の実体験。反対に漱石修善寺で一度死んだ重篤胃潰瘍(吐血・下血・意識不明)については、ついに(男性患者としては)書かれることがなかった。漱石の経験しなかったことと言うと、『明暗』津田が性病科医院の待合室で一緒になった堀と関の「病気」もあった。
 怪我は病気と似て非なるものであるが、読後感は共通している。2階から飛び降りたものは『猫』八木独仙と「坊っちゃん」である。『猫』の吾輩も3羽の烏にからかわれて2階の屋根から落ちたと書かれる。山城屋の勘太郎を退治したのはその仇を討ったのだろう。西洋ナイフで指を切ったのは、怪我というよりはまた別の病気なのかも知れない。

 女の登場人物は体力的に劣るせいか(それとも漱石が男であるためか)、男より重症度合は高いようである。トップは突然死の『虞美人草』藤尾か、風邪で死んでしまった『坊っちゃん』清か。『それから』三千代も危険な状態である。『門』が書かれなかったら、多くの読者は三千代がその後を(明治の御代だけでも)生き延びたとは思わなかったに違いない。
 その『門』御米、『道草』御住、健三の腹違いの姉御夏も、症状はなかなか軽くない。御住の「死んだ方が好ければ何時でも死にます」は、崖さえあれば平気で飛び込みそうな(少なくともそう明言する)那美さん、よし子、お直とは少し意味合いが異なるだろう。むしろ『明暗』お延によって裏が返されたと言っていい。
 『三四郎』よし子も元気そうであるが入院している。腺病質なのだろうか。『彼岸過迄』千代子も漱石の女としては珍しく風邪を引いて寝ているシーンが描かれる。漱石の小説で風邪を引く男は山ほどいるが、女で風邪を引いたのは千代子だけである。江戸時代の優男は多少風邪気味の方がモテる。こんな俗説を漱石が信じたとも思えないが、千代子と市蔵に男女の逆転を見る読者は、漱石の埋めたヒントをちゃんと掘り返したのかも知れない。
 主要人物ではないが、『行人』三沢の「あの女」は、おそらく修善寺の大患を体現した唯一のモデルではないか。彼女は「死ぬために」退院したようにも書かれる。「病気をしに生れて来た」漱石が、自分の死線を彷徨った体験をただ1回書いたのが、「死ぬために自宅へ帰った」三沢の「あの女」ではないか。
 以下『彼岸過迄』市蔵の妹妙ちゃん(ジフテリア)、「雨の降る日」、『道草』御縫さん(脊髄病)、死への旅路はまだまだ続く。『行人』出返りの娘さんの死に至る病、女景清の失明も痛ましいが、それを言うなら女にはお産という大きなリスクがある。所詮男の漱石の支配の及ぶところではないのである。

 病原菌が冒すのは肉体だけではない。心もまた病むことなしに近代文学は生まれない。『草枕』那美さんのキ印は突飛だが、漱石の主人公で神経衰弱でない者はいまい。その最も重い例が『心』のKと先生の悲劇であろう。何しろ2人共自決してしまっている。『虞美人草』藤尾をその先駆者と見る向きは、『明暗』お延の結末にも似たような悲劇を想像するのかも知れない。論者はそうでないとする派であるが、それはともかく次に深刻なのが(『猫』の理野陶然と天道公平を除けば)『道草』健三と『行人』長野一郎か。滑稽な書き方に騙されるが、苦沙弥先生も症状はかなり進行している。
 思うに「近代人」の心の疾いは、「中世人」と違う世界に生きていることが原因しているのであるから、それは産業革命でなければ宗教観の変化に他ならない。つまり死後の世界の消滅である。人間は環境には馴れるものである。徒歩で移動していた千年前の人を現代に連れて来て飛行機や新幹線に乗せれば、びっくりはするだろうがそれで精神を病むわけではない。社会の仕組みは人をスポイルするかも知れないが、人の精神世界までは踏み込めない。
 人を支配するのはあくまで「どう生きればよいか(どう死ねばよいか)」についての基本的な考え方であり、倫理的な規範である。つまり宗教の問題である。これは洋の東西を問わない。最後の審判は死後の世界に似て、まったく別のものであると論者は考える。しかしこの探求はそれこそ果てしのない道であろう。

《例題14 善悪の彼岸
 漱石は処女作から死を以って終わる小説を繰返し書いた。『猫』『坊っちゃん』『虞美人草』がすぐに思いつくが、『草枕』でも最後に久一は(たぶん野武士も)死地に赴き、『野分』高柳君も肺結核と貧苦で自暴自棄の上に、静養旅行の資金を道也先生に渡してしまったのでは、その先どうなるか分からない。
 三四郎も野々宮宗八も、美禰子の結婚で魂を抜かれ、その後身たる代助も小説の終わりでは赤い炎に焼かれる。小説の記述に従えば、3人ともそこで一度死んでいるのである。ならば唯一平和に見える『門』も、わざわざ小説の最後に石で打ち殺される弁慶橋の夫婦の蛙たちを持ち出さなくても、先人の屍の上に生き延びていたことは容易に理解されるのである。御米の育たなかった3人の児は、その辻褄合わせであろうが、漱石はそれでいいとしても、御米にしてみれば堪ったものではあるまい。
 次の3部作『彼岸過迄』とそれに続く『行人』では、同工異曲を嫌う漱石によって、「死」は小説の結末からは遠ざけられた。それが漱石にどこか物足りないものを感じさせたのかも知れない。『心』の物語は、それまでの小説を総括するように、最大級の悲劇を以って終わる。(『道草』とそれに続く)『明暗』のラストシーンが「大破綻(誰かの死)」でない証しである。『心』のようなインパクトのあるエンディングを書いた以上、漱石はもう同じことは2度繰り返さないのである。
 といっても『心』は本卦還りしたのではなく、全篇が死に覆われた稀有の小説である。その意味で『心』は真の近代小説であるが、同じく真の偉大な近代小説たる『明暗』のテーマが、『心』の2番煎じであるはずがないという、単純な理屈によって、『明暗』の結末は死という最後の一線からは、限りなく遠ざかるのである。(※)

 ラストシーンであるかどうかは別として、漱石作品では人は必ず死ぬ。高柳君の父親は高柳君が7歳か8歳のとき亡くなった。しかも牢屋で。高柳君はいまだにその影に怯える。
 本ブログでも以前に取り上げたことがあるが(それから篇10・11)、死にそうで誰も死んでないようにも見える『草枕』でも、那美さんの母親は去年亡くなり、ミレーのオフェリア(水死美人)、長良の乙女の伝説、志保田の昔のお嬢様の鏡が池入水事件、華厳の滝の藤村操まで、長くもない小説にこれでもかというくらいに積み上げられる。納所坊主の泰安は死んだと噂する者もいた。おまけにラストシーンで出征する久一に対して(那美さんの)「死んでおいで」である。
 太平楽を並べる『三四郎』でさえ、甲武鉄道轢死事故、「(三四郎の)父は死にました」、森有礼の暗殺と国葬、そのとき広田先生は美しい女の子を見染め(その夢の話にはなぜか死の翳が附着する)、同じ頃広田先生の母は亡くなったという。その広田先生が三四郎に薦めたハイドリオタフヒア(古代人の死生論についての書物)。それを覗き見た三四郎は偶然にも美しい子供の葬列に往き合う。冒頭の汽車の女の出稼ぎの夫は生死不明であるし、汽車の男(広田先生)は桃を食って死んだ人の故事(レオナルドダヴィンチの砒素注入実験)を持ち出して、「危険(あぶな)い。気を付けないと危険い」と宣う。『三四郎』は漱石の中では明るい方の作品であるが、それがこのていたらくである。(「死」は喜劇名詞であると大庭葉蔵いや太宰治は言っているが。)

 他は推して知るべし。『それから』親友菅沼とその母2人同時の死(チブス)。子供が育たなかった三千代の悲劇は、『門』を経て『彼岸過迄』の森本までその余波を残した。市蔵の父は早死にするが、その前に市蔵の妹が怖ろしいジフテリアに感染して亡くなっている。「雨の降る日」は漱石作品の核(中心)に「死」を見る人にとっては、そのハイライトであろう。
 『行人』になると、死神は長野家(漱石の家)から三沢に移る。三沢はまさにそのために登場したようなものである。三沢は2人の女の病気と死を乗り越えて結婚にまで漕ぎ着けた。しかし不明な理由で挙式が延期されたのはどうしたことだろう。長野家も誰も死なない代わりに夫婦仲は崩壊しつつある。嵐の和歌山市で二郎はともかく、お直ははっきり死を覚悟していることが明か*される。
 『心』は言わずもがな。先生の両親もまたチブスに罹って2人共死んでしまった。先生の悲劇はここから始まったと先生は固く信じている。運命が第1責任者なのである。すると第2責任者は自分を差し置いて自裁したKであり、第3は秘密の開示を約束した私の存在であろうか。先生の遺書を読むと、先生は遺書さえ書かなければ実行に踏み切らなかったのではないか、と思わずにいられない。
 そんな議論より、死神に取り憑かれた私の田舎の父親の、終末に近い描写は後年の漱石自身を思わせて不気味である。漱石はヴィジョンを見ていたのか。それとも当時の老人の死はどれも似たようなものなのか。
 『道草』はなかば以上事実に即して書いているだけかも知れないが、人はふつうに生き、かつふつうに死んでいる。漱石はそこに何のドラマも見い出していない。それまで山ほど書かれた生と死もまた、漱石にとっては自然に小説の道具立てとして使ってきた「部品」に過ぎないのか。

 そこで『明暗』が唯一無二の、最初で最後の、人の死なない漱石作品となるのか、という「難問」に突き当たる。それがお延の(あるいは津田の)根強い死亡説に一定の根拠を与えているのであるが、現行の小説では清子の流産ともう1つ、看護婦が薬を間違えたために患者が死んだと言い張って、その看護婦を殴らせろと迫ったとかいう男の一口話が紹介されているのみである。
 あるいは墓碑銘を書くために旅館に滞在する(惚け老人のような)書家にもう一度焦点が当てられるのか(誰かの死が語られるのか)。もしかしたら野垂れ死に覚悟で朝鮮へ渡ろうとする小林が、『明暗』では一番彼岸に近い人物なのかも知れない。妹(お金さん)が片付いて、小林がいなくて困る人間はもうどこにも存在しないのである。

※注)大破綻から見た3部作
 『道草』『明暗』で主人公は死なない。最後の3部作における「大破綻」は、論者のしばしば謂う「幻の最終作品」まで取っておかれた。

・青春3部作
 『三四郎』が前哨戦。『それから』で大噴火が起きる。『門』はその続篇、後処理、反省といった位置付けか。『門』という小説の始めと終わりで、宗助の環境が(内的にも外的にも)まったく変わっていないことは特筆に値する。(『門』の末尾の1行をそのまま書き出しの1行につなげて何の違和感もない。)
・中期3部作
 『彼岸過迄』『行人』噴火は中規模のまま。『心』で大破綻は物語の最後に配置される。
・晩期3部作
 『道草』『明暗』様々な夫婦の在り方が描かれる。長く静かな前哨戦。『(幻の最終作品)』漱石最初で最後の愛の告白。大爆発(女の自死)は物語の真ん中に起きる。メインテーマたる物語の後半はその後日談、あるいはそれらの大いなる統合である。つまり漱石幻の最終作品は、基本的には『それから』のような姦通を扱いつつ、デッドロックが(『心』のような終盤でなく)作品の中盤部分に来る。そしてハイライトは男2人の邂逅である。1つの小説に青春3部作(『三四郎』『それから』『門』)がすべて詰まったような小説。それが漱石の最終作品になるだろう。この作品で漱石は真の「本卦還り」を果たすはずであった。