明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 28

363.『野分』すべてがこの中にある(7)――病気をするために生れてきた


 漱石に似合わない「酒」の話のあとは、最後に漱石らしい「苦の世界」で終わりたい。「生老病死」と一口に言うが、いずれも自分1人の力ではどうにもならないものの代表である。表向き自分の責任ではないのに自分にとってなしで済まされないのが「生老病死」である。酒について(太宰治と対照的に)屈託なく書いているように、これらについても漱石は、わりと平穏な気持ちで書き綴っているように見える。あたかも自分の責任ではない、ということで免罪符を得ているみたいに。

《例題11 生と死は紙の裏表》
 『猫』にもそれまでの漱石の(人生の)すべてがある。当然赤ん坊も登場する。吾輩の盟友白君は産まれた4疋の仔猫を、「3日目」にすべて捨てられてしまった。白君は悔しさと悲しみに涙を流す(※)。これが祟ったわけでもないだろうが、この後の小説では長く子供(幼な児)の可愛いシーン、お目出度いシーンは書かれなかった。坊っちゃんは親譲りの無鉄砲で、碌でもないもののように生まれてくるし、『草枕』『野分』『虞美人草』に子供は影も形もない。三四郎はご丁寧にも子供らしい小さい棺の葬列に遭遇さえする。
 産まれてじき死んだ三千代の子(代助は香典を送っている)。御米の育たなかった3人の子(うち2人に位牌がある)。これは先に3部作の話でも触れたが、この可哀想な4人の嬰児は、まるで産まれたとも産まれなかったともつかない、白君の4疋の仔猫の代償のようである。論者は無理にこじつけているとも思わない。わざわざ「3日目」に(書生が)捨てたと書いているのは当の漱石なのだから。(ふつうは産まれたらすぐに捨てるものであろう。)
 災いは続く。『彼岸過迄』でも森本は子供が死んでくれたので、女房とも(無事に)別れたように言う。そしてその行き着く果ては『雨の降る日』である。漱石は雛子が亡くなる(生まれる)3年前から赤ん坊が死ぬ話を書き続けた。ちょうどグスタフ・マーラーが『 Kindertotenlieder 』を書いたように。何がこの天才作家を衝き動かしたのだろうか。

 次作『行人』大阪の岡田家を訪れた二郎がお兼さんと話すシーンがある。

「奥さん、子供が欲しかありませんか。斯うやって、一人で留守をしていると退屈するでしょう」
「左様でも御座いませんわ。私兄弟の多い家に生れて大変苦労して育った所為か、子供程親を意地見(いじめ)るものはないと思って居りますから」
「だって一人や二人は可いでしょう。岡田君は子供がないと淋しくって不可ないッて云ってましたよ」
 お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺めていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気が付かなかった。それで又「奥さんは何故子供が出来ないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心易だてで云ったことが、甚だ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれども何うする訳にも行かなかった。其時はただお兼さんに気の毒をしたという心丈で、お兼さんの赤くなった意味を知ろう抔とは夢にも思わなかった。(『行人/友達6回』

 傍線太字部分の二郎のセリフは大人として突飛すぎるが、この問題発言が、
・(改行でなしに)地の文に配置されていること、
・セリフを包む地の文全体が漱石らしい詩的な文章になっていること、
 から、小説としてはかろうじて破綻を免れている。だがこれを漱石の作品全般についての質問であると見れば、それほど非常識なものでもない。漱石は自分で自分に問い掛けたのではないか。

 主人公に子供が出来ないというのは結局、自伝的小説たる『道草』の有名な三女出産シーンを除いて、その後も漱石作品を貫き通されてしまった。

「子供でもあると好いんですがね」「一人貰ってやろうか」「貰ッ子じゃ、ねえあなた」(『心/先生と私』8回)

 健三の腹違いの姉(御夏)は一度だけお産をしたことがある。その子供(作太郎)は早逝してしまった。
「軽はずみをしないように用心おしよ。――宅でも彼子(あれ)がいると少しは依怙(たより)になるんだがね」(『道草』67回)

 子供のいない吉川夫妻。継子の見合いの席での会話。
「其代りお前だって何時迄もお若くっていらっしゃるじゃないか」(『明暗』53回)

 あとは死産でなければ流産ばかりである。ふつうに子供が生まれることが、何か漱石の禁忌に触れるのだろうか。漱石の登場人物(苦沙弥や松本恒三)に子供がいるのは、「いるからいる」のであろう。(ヴィトゲンシュタインは、この世のすべては「在るから在る」「起こるから起こる」と言っている。)
 もともと生には死が付着しているといっても、生の話が死の話に直結するのは、いかにも漱石らしいことではある。

《例題12 老人天国》
 坊っちゃんは年寄りが好きだという。老人の登場しない漱石作品は存在するのだろうか。
 老人の定義は現代では変わりつつあるが、漱石の時代ではまあ「孫がいるか、いてもおかしくない」人たちのことを指すと言っていいだろう。
 漱石は40代後半で自分のことを「この爺さん」と言っている。弟子たちも漱石のことを多く「老人」に喩えている。女性でも50歳前で孫がある人は珍しくなかった。
 漱石の小説の主人公はおおむね20代から30歳くらいまでの設定だから、主人公の親の世代はまず50代であろう。小説に主人公の親が登場する場合は、その親は老人と見做して差し支えあるまい。

 多くの人物が描かれる『猫』の最年長は迷亭の伯父であろう。建武時代の鉄扇(本人の謂う兜割)を常に携帯する伯父は、『それから』の長井得と並んで、全漱石作品の最年長者かも知れない。それでも小説の記述によると67歳である。(二絃琴の師匠は62歳である。「六十二で生きている位だから丈夫と云わねばなるまい」という吾輩の述懐は、主人の短命を予見して的確にも儚い。)
 『坊っちゃん』は清と萩野の婆さんとうらなりの母親、落ちぶれ士族ではあるが、坊っちゃんの大好きなお婆さんが3人も活躍する。「3人の婆さん」というのは世界文学でも珍しいのではないか。
 この婆さんは、(退場を惜しむかのように)そのまま『草枕』冒頭の茶店の婆さんに受け継がれた。那美さんの父も小説では「老人」と呼ばれるからには、白隠和尚も老人であろう。源兵衛も勿論年寄りである。男の老人3人というのは、他の人の小説にもありそうである。それはいいとして、若い人と老人たちとの会話、歳のへだたりのある登場人物同士の会話の面白さは、漱石の得意とするところ。中年(晩年といってもいいくらいである)から小説を書き始めた漱石ならではの特長であろう。
 『野分』は一転して老人の出番がほとんどない。新潟で独り暮す高柳君の母がかろうじて該当しようが、高柳君本人が「もう年を取っていますから」と紹介しているだけで、動く本人の姿は描かれない。明治39年3部作で『野分』を『坊っちゃん』『草枕』と大きく分かつものは「老人」であった。
 『虞美人草』はそれまでの小説を統合するように老若男女の勢揃いである。若い登場人物も多いが老人も数多く登場する。井上孤堂も宗近の父も、藤尾の母さえ(まだ40代であろうが)「老人」とはっきり書かれる。『虞美人草』は若者が老人と言い争う小説であるが、どちらが勝つかといえば若者であろう。マーラーシェーンベルク音楽理論を理解することが出来なかったが、若い人の言うことの方が常に正しいとする立場を取り、この偏屈な弟子を終生庇い続けた。漱石もまた(口では若い人に厳しいことを言うかも知れないが)、性分として若い人の言うことの方が正しいと思うクチであろう。世の中の科学全般を考えても、基本的に新しい意見の方が正しいのである。

 とはいえ漱石は、好き嫌いをいえば(間違った知識に凝り固まった)年寄りが大好きである。『三四郎』は青春小説と目されているようであるが、それでも見舞に上京していたよし子の母親、手紙を何通も書く三四郎の母親、大学で学生の口の端に登る老教授、そして小説冒頭に汽車の女の保護者然として登場する素っ頓狂な爺さんと、老人には事欠かない。『それから』長井得は誠太郎と縫子という孫が2人もいる。『猫』から5年、始めて孫のある老人が小説に登場した。誠太郎は15歳と書かれるし、その父親誠吾には外交官に嫁いだ姉がいるから、一般的には長井の父は70を超えていると見ていいが、維新の時兄と活躍した、早くに結婚して云々という小説本文の記述から逆算すると、意外にも60代なかばである。この元気な老人は孫があるせいか、権柄ずくで代助を追放する。『門』ではまたいつもの漱石に戻って、佐伯の叔父叔母と宗助の父は、孫のいない、老人というには若過ぎる老人である。佐伯の叔母が地方生活に疲れた宗助を見て、自分の亭主より爺さんじみていると言ったのは読者のよく記憶するところ。『門』ではその代わり清という年かさの下女が久しぶりに登場して活躍する。

 『彼岸過迄』も主人公市蔵と敬太郎がまだ学生ということもあり、全体に老人の年齢は若い。しかし本ブログ彼岸過迄篇で調べたように、市蔵の母と田口は50歳に到達していよう。一番年下の松本家では、宵子の火葬に同行した下女の名が清であった。(『虞美人草』宗近家の下女も清だったが、)漱石は年寄りの下女に清以外の名を付けなかった。『行人』は珍しく長野家の両親が健在であり、芳江という初孫も元気に成長している。『心』では奥さん(の母親)を年寄りと呼ぶのは気の毒であるが、彼女は50歳くらいで亡くなったと目される。先生と御嬢さんが結婚して5年(推定)、孫の出来るのを心待ちにしていたのか、それともその頃はすでにあきらめていたか。学生の私の父親は死期の迫る紛れもない老人であるが、彼もまた(私の妹は妊娠しているものの)孫の顔を見ることのないままで仕舞いそうな老人の1人であった。

 『道草』は実際に登場する老人は養父母島田と御常さんに尽きる。もう1人の老人、健三の父は何人かの人物の口を通して(素っ気なく)語られる。島田は「六十五、六」と書かれるが、健三の父は明らかに島田の上役のような立場の人であったから、もしかすると実際に登場しない健三の父が、推定70歳超えで漱石作品の最年長者かも知れない。
 『道草』は不思議な小説である。この作品に限って老人は醜いものとして描かれている。「何しろ六十以上になって、少しやきが廻ってるからね」という記述に、読者は驚ろかされる。これがあの年寄り好きの漱石の本音なのか。しかし小説を読み進めると、醜い老人というのは実父と養父母に限った話であることが分かる。漱石にとってこの3人は別の生き物であった。――彼らにしても孫(と呼べる児)を抱くことがなかったことだけは、他の多くの老人たちと共通しているが。

 最後の『明暗』津田とお延の両親は、ともに京都に健在で隠居生活を送っている。津田の妹お秀には子供が2人生まれている。津田の両親には可愛い盛りの孫が2人も東京にいるという設定である。でもなぜか孫の顔を見に上京しようという気配がない。
 ちなみに漱石作品で年寄りに孫があるのは、前述の『それから』長井の父と『行人』長野家の両親、それと『明暗』だけである。ここでも3部作ごとの約束事が守られていて、まるで漱石はそのことに気を取られて天然の感情を失っているかに見える。
 津田の両親はなぜ孫に関心がないか。津田の両親はなぜ京都を終焉の地に選んだのか。父祖の土地でないことは慥かである。よそ者が住みやすい土地でないことも漱石は知っていただろう。いくら父親に対して情が薄いとはいえ(それが古今東西の文豪の常道とはいえ)、小説の設定として何か作為を感じる。津田とお延が将来築くであろう碌でもない家庭の、露骨な暗示のつもりであろうか。

 兄弟であるのに異なる姓の津田と藤井。(『門』の)野中と佐伯。嫁に行ったり養子に行ったのなら相続財産の問題など起こらないはずである。『それから』佐川の令嬢は「叔父の」高木に連れられて上京するが、こちらは長井家の恩人たる高木本家の娘が嫁に行った先が県下の多額納税者佐川であると、(その必要もないのに)丁寧に紹介される。自家に直接関係ない場合は、漱石といえども理屈をつけてちゃんと説明するのである。
 『心』でも「(私が)先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあった」と書かれるが、先生の姓と郷里(新潟)の叔父の姓もまた、違っていたのではないか。先生は郷里とは父母の墓を含め絶縁しているのであるから、その土地で一家を構える同姓の叔父がいれば、あの神経質な先生が「同郷の学生」などと交際するはずはないのである。(その学生の口から、田舎の大地主たる叔父の家の名が出て来ないと、誰が断言できよう。先生は叔父に土地家屋すべて騙し取られたにもかかわらず、たまたま回収できた債券だけで一生食うに困らなかった。青森県でいえば津島家かそれ以上の家であろう。その人が東京で津島姓を名乗りながら津軽出身の学生と交際する。本気で生家と絶縁しようとしていると、誰が信じるだろうか。)
 漱石はなぜ兄弟の苗字を(ごく自然に)書き分けるのだろうか。『野分』でも御兄(おあにい)さんの姓は「白井」のはずであるが、そう思って『野分』を読む読者はいないのではないか。読者はつい、漱石が弱年時に兄と異なる姓を持っていたことを思い出してしまう。道也(漱石)が白井(塩原)でも、兄者は夏目なにがしなのである。

※注)白君の涙
 女と赤ん坊はよく泣くが、漱石作品で男が泣くのは珍しい。『猫』では仔猫を捨てられた白君の他に寒月が泣いているが、これは寒月がヴァイオリンを(買う隙が見つからないので)なかなか買えなくて、情けないので泣くのである。ふざけているような感じでもないが、爾後漱石作品では男が泣くことは絶えてなかった。ところが『明暗』になって、津田が痔の(1回目の)手術のときに、痛みに耐えかねて泣いたことになっている。そればかりか小林も津田の前で2度泣いている。1度目は居酒屋でドストエフスキィを語って。2度目は送別会のレストランで餞別の紙幣を前にして。処女作と最終作、それも2人ずつ(白君は牡猫だが)。何か特別の事情があるのだろうか。

 本ブログ第19項(妹の力)でも詳述したが、初期の漱石作品で女が泣くのは『猫』雪江さんと『坊っちゃん』清、そして『虞美人草』小夜子、糸子、藤尾の母である。『草枕』『野分』『三四郎』では女は泣かない。とくに那美さん、御政、藤尾、美禰子、よし子といった主人公・主人物は泣きそうで泣かない。ところが漱石が人物の君さん付けを完全にやめた『それから』以降、つまり漱石が真の職業作家になって以降、三千代、梅子、御米、千代子、お直、お重、(『心』の)奥さん、御嬢さん、御住、お延、お秀、全員大泣きしている(継子以外は)。まるで女が泣かないと小説にならないとでもいうように。
 すると『明暗』の仕組みも少しだけ分かってくるのか。先に述べた「5人衆プラスワン」のうち、津田、お延、小林、お秀が泣き、吉川夫人と清子は泣かない。残された対決は、津田 VS. 清子の続きと、お延 VS. 吉川夫人、お延 VS. 小林(2回目)と見込まれる。清子や吉川夫人の回はクールに、小林の回はウェットに、それぞれ書かれるのであろうか。
 話は飛躍するが幻の最終作品では、女が泣くのは(自死するのであるから)火を見るよりも明らかである。2人の男はどうか。白君、寒月、津田、小林。――この並びを見ると、男は最終作では誰も泣かないのではないか。男が泣くのは『明暗』だけの特例ではないか。
 そうして余計なことを言うようだが、『虞美人草』が失敗作だったと漱石が断ずるのも、何となく首肯できるような気がする。年寄りが泣くのはともかく、小夜子も糸子も、泣くのが少し早過ぎたということだろう。(雪江さんは女学生だからいいとして。)

 最後にもうひとつ、神をも畏れぬ意見として、名作『坊っちゃん』の中にふさわしくない記述があるとすれば、

「もうお別れになるかも知れません。随分御機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまって居る。おれは泣かなかった。然しもう少しで泣く所であった。(『坊っちゃん』1章)

 という新橋駅プラットフォームのくだりの、下線太字部分であろうか。清は「目に涙が一杯たまっている」ので、泣いているという判定である。坊っちゃんは微妙であろう。もしかするとアウトかも知れない。坊っちゃんに涙が似合わないのは言うまでもないが、曖昧な書き方こそ漱石には最も似合わないのである。