明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

『明暗』に向かって はじめに(3)

57.『明暗』に向かって 「はじめに」(3)――三部作の秘密


漱石「最後の挨拶」番外篇]

Ⅰ 初期三部作(『三四郎』『それから』『門』)

Ⅱ 中期三部作(『彼岸過迄』『行人』『心』)

Ⅲ 晩期三部作(『道草』『明暗』『(書かれなかった最後の小説)』)

 改めて、論者のいう漱石の三部作とはこの三種類である。
 たとえば漱石の探偵嫌いは有名だが、『猫』で寒月の素行調査が行われ、太平の逸民による文明論で論及されたうえ、『草枕』では(小説家もまた探偵であると)その種明かしも含めて詳細に語られるものの、その後は鳴りをひそめる。ところが『明暗』の読者は誰でも第35回酒場のシーンで小林が津田に「あいつは探偵だぜ」と囁くのに戸惑いを覚える。

『それから』代助が伝通院脇の平岡と三千代の住まいをこっそり覗く。
彼岸過迄』田口に依頼された敬太郎が松本と千代子を尾行する。
『明暗』津田と小林が入った酒場でなぜか唐突に「探偵」が登場する。

 この表の眼目は、例えば「探偵」という項目について、ひとつの三部作の塊からは一つだけ、一作品だけが該当するという不思議である。
Ⅰ(初期三部作)では『三四郎』と『門』には探偵もしくは探偵らしき振舞いをする人物は描かれない。『それから』だけが該当する。『それから』の代助は三千代に告白してから行動がおかしくなる。覗き見の場面はどう読んでも(探偵でなければ)犯罪者である。
Ⅱ(中期三部作)についても同様、『彼岸過迄』の敬太郎の探偵行為は大々的に書かれるが、『行人』『心』ではお休みである。『行人』で一郎からお直の真意を確かめてくれと頼まれた二郎が「そんな探偵みたいなことは嫌だ」と言う場面があるが、二郎はお直と宿泊はするものの探偵行為をするわけではないので、探偵というアイテムでは『行人』は(『心』も)一応除外されよう。
 つまり読者はⅢ(晩期三部作)に至って『明暗』に探偵らしき人物が突然酒場に現れる(と小林が言う)のがやっと腑に落ちる。漱石は何らかの欲求ないし要請から書かざるを得なかった、と推測せざるを得ない。さらにⅢの分類についていえば、『道草』『明暗』に該当がない場合は幻の最終作にその責を負わせるという、論者に大変都合の良い論建てとなっている。

 一つだけというのはさすがに言い過ぎであるかも知れない。しかし胸を張って二つあるとも言い切れないようだ。探偵と(漱石の中では)同類項扱いの「泥棒」についても、『猫』で派手に登場したあと、

『門』(『猫』同様)こちらも派手に登場して小説の展開に重要な役割を果たす。
三四郎三四郎が野々宮の家の留守番に泊まる。近所が物騒で下女が怖がるという。
『心』先生宅の用心棒役に「私」が駆り出されるのは近所に泥棒が出没しているから。
『明暗』小林が泥棒に洋服を盗まれるエピソード。

 泥棒が出るなら「乞食」も調べなくてはならない。主人公が自分を乞食になぞらえるという書き方に主眼を置くと、

三四郎』「お貰いをしない乞食」という美禰子の有名な呟き。
『それから』遂に縁談を断って父を怒らせた代助は、己れの未来に乞食の群れを想起する。
『行人』親友Hとの旅の途次、一郎は不安に追いかけられる自らの心を宿無しの乞食に喩える。
『明暗』「始終ご馳走はないかないか」津田は藤井の叔母との言い合いの場面で、自分が乞食みたいだと思わざるを得ない。

三四郎』(菊人形見物で遭遇した乞食)と『明暗』(津田が入院の報告に吉川夫人を訪問した帰りに橋の欄干で見た乞食)に一度ずつ出て来る本物の乞食と、『それから』で代助が甥の誠太郎の未来を思いやるシーンで強引に書かれた乞食という言葉は、主人公のその乞食になぞらえるセリフの丁寧な伏線として描かれたものであろうが、『行人』の一郎にそれがないのは、その必要がないからであろう。自分(漱石)のことを書くのに伏線もナニもないからである(余談だが)。

 また「叔父に不動産を騙し取られる」という漱石の専売特許みたいな逸話でも、

『門』宗助が佐伯の叔父に相続財産を巻き上げられた(ことになっている)。
『心』先生が故郷を捨てて厭世的になった原因で作品の重要なテーマの一つ。
『明暗』画学生原を前にして披露された手紙には叔父叔母に騙されたことが書かれてある。

 してみると『明暗』でなぜ原というルパシカ風の画学生が登場したかはさておき、あの手紙が突然出現した理由が分かるというもの。つまり漱石はどうせどこかで書かなければならなかったものの、この極めて散文的なエピソードは(書かれなかった)最後の小説にはふさわしくなかったので、『明暗』に無理やり押し込んだのであろう。

 それにやや関連して、無断侵入みたいに主人公が他人の敷地へ足を踏み入れるという、どう考えても小説の展開に関係しないような不可解なエピソードが時折語られることがある。

三四郎三四郎と与次郎たちが散歩中佐竹の下屋敷内を通って番人にこっぴどく叱られる。
『心』先生と「私」が散歩中ふと造園業らしき農家の庭先に迷い込み住人に遭遇する。
(『道草』『明暗』には書かれていないようである。最後の小説に出てくるのか。)

 このエピソードの起源は『猫』の隣家の中学校生徒がボールを拾いに再三庭へ侵入して来る落雲館事件であろう。『三四郎』には別に三四郎と美禰子の有名なストレイシープのランデヴー途中で、突然現れて二人を睨み付ける髯の大男(美禰子が絵端書にデヴィルとして描いた)が出てくるシーンが妙に印象深いが(このデヴィル大人はもしかしたらその場所の地主ではないだろうか)、『心』の逸話とともに、挿入された意味がよく分からないというのも共通している。

 話は細かくなるが、漱石に馴染みのなくもない「骨董」について、『草枕』は別格であるから置くとして『猫』には出てきそうで意外にも出てこないが、『坊っちゃん』には、(先祖代々のがらくたを二束三文に売ったという話のほかに)宿の主人が端渓を売りたがるという場面が登場する。これについてのフォローはあるか。

『門』抱一屏風事件。三十五円で売った。泥棒事件とともに小説の展開に欠かせない。
『行人』二郎が父から「あれならいい」と貰って出て高等下宿の床の間に飾った掛軸。
『道草』原稿料を得た健三は紫檀の懸額を一枚作らせて北魏の二十品という石摺を掛けた。

『道草』では「あんなものあ、宅にあったって仕方がないんだから、持って御出でよ。なに比田だって要りゃしないやね、汚ない達磨なんか」(『道草』六回)と姉が(一応健三が褒めたので)健三に遣ろうと言う古ぼけた達磨の掛軸も登場する。(『道草』ではおおむね安物ばかりで健三に余分な金がないことが強調されている。)

 漱石作品に旅行は付き物だが、主人公が旅先で宿(温泉)に泊まって女中が出てくるという『坊っちゃん』『草枕』でおなじみの場面も、ついでにその旅行で汽車の中の様子まで描写されている『虞美人草』のようなシーンについても併せて調べると、

三四郎』あまりにも有名な冒頭の汽車の女との同宿事件。
『行人』これまた有名な和歌山一泊事件。復路で長野一家の乗った寝台急行列車。
『明暗』言うまでもなく津田の湯河原滞在と往路の車内。

『それから』の終盤、代助は旅行に出ようとしていたが、なぜか取りやめとなる。小説の最後に乗った路面電車は、周囲の景色と代助の頭の中は真っ赤になるが電車が赤いとは一言も書いていない。電車についての描写はないのである。『門』の宗助は鎌倉に行くと言って御米をうらやましがらせるが、それは世間的な旅行とは程遠いものであった。旅程もただ汽車で往復したという事実以外何も書かれない。『彼岸過迄』の末尾は関西旅行に出た市蔵の手紙の形を取っていて、まさに汽車に乗り旅館に泊まっているはずであるが、その具体的な内容については一切触れられていない。市蔵がそれらにまったく興味がなかったのか漱石が何かの理由で書けなかったのか。『心』では漱石の房州旅行の経験が使われるが、その宿泊場所の様子は女中どころかまるで妖怪譚である。「私」が先生の遺書を懐中して乗り込んだ「ごうごう鳴る三等列車」も、遺書が読み始められるともう用無しである。そして『道草』の漱石は旅行どころでないので、『明暗』の次の作品も主人公が旅装を解く場面は登場しないだろうと推測はされる。漱石の作中人物は多く旅行をするが、旅館の女中と汽車という何でもない設定に限っても、結果は右表の通りである。読者はふつうこれを、丁寧に描くか、でなければ大胆に省略するか、漱石らしい潔さと解釈するが、作品のグループごとに目に見えない制約があるなどとは夢にも思わない。(漱石も思わないだろう。)しかし単なる偶然というレベルの話であろうか。

『明暗』の始めにお延が、寝る前に読書のため自室に向かう津田に「また御勉強?」と物足りない様子をみせるが、『草枕』でも那美さんが主人公の画工に対して掛けたこの言葉もまた、漱石の中ではある一定の分類法が存在するようである。

『門』「勉強? もうお休みなさらなくって」「うん、もう寝よう」
『心』先生とお嬢さんがお互いを訪ねるとき「ご勉強?」「ご勉強ですか」と声をかけあう。
『明暗』(前述の通り。)

『門』の場合は「ご勉強」でなく「勉強」と簡略化しているが、宗助がこのとき読んでいたのが(ポピュラーな)「論語」であったことと(後段でポケット論語を読む芸者まで出てくる)、宗助が御米の意見にすぐ従ったように、これは漱石にしてはレアケースに属するから「ご勉強」という言葉が少し変化したのだろう。繰り返すが三部作の他の作品の中ではこのいかにも漱石らしいセリフは一切使われていないのである。(三四郎が広田先生の部屋の前で「御勉強ですか」と声を掛けるのはMay I come in の意味であるからこの分類の埒外であろう。『それから』で門野が代助に「そう御勉強じゃ身体に悪いでしょう」と言うのも同様、意味合いが異なる。)

『猫』で忘れることの出来ないエピソードの一つである「摂津大掾事件」は、観劇を楽しみにしていた細君の前で主人が鬼の霍乱を起こす何度読み返しても笑える落語話であるが、そのオチは「僕はこの時ほど細君を美しいと思ったことはなかった」というのである。漱石の中では「観劇」は常に「男女」と結びつけられているが、それについては、

三四郎』文芸協会の演芸会(ハムレット)。三四郎は美禰子の面影を追う。
『それから』代助の見合いと歌舞伎座
『行人』二郎の秘密の見合いと雅楽所。
『明暗』継子の見合いと歌舞伎座(らしき劇場)。

 そしてめでたく結婚となっても、例えば披露宴招待状という小道具的なものを取ってみても漱石の制御装置は作動し続ける。

三四郎三四郎の下宿にも来ていた物語末尾の美禰子の結婚披露の招待状。野々宮はポケットに入れたまま忘れていたが、気付いて破り捨てた。
『行人』三沢ではない。お兼さん、お貞さんでもない。一郎とお直に宛てた一郎の友人Kの招待状。(直後の雅楽所のシーンに登場する公爵Kとは別人。)
『明暗』関と清子の招待状。津田とお延の招待状。『明暗』の骨子たるこの二組の結婚は、小説の中では具体的な記述は一切ない。招待状という一語を除いては。

 きりがないから(そして我乍ら牽強付会という気がしないでもないから)やめるが最後に漱石ならではの比喩として、

三四郎』前述の、お貰いをしない乞食。
『心』物を偸まない巾着切。(先生が遺書の中で自分のコセついた性情を自嘲した。)
(「尾行しない探偵」これも最後の小説で呟かれるか。)

 乞食、巾着切とくれば、あとは探偵である。主人公を探偵に喩えた言い方であれば、女の気持ちを測りかねた主人公があれこれ思いを巡らすのを、このような表現にするのではないか。あるいは思い切って最後の主人公は漱石のように創作をする人物を持って来るのかも知れない。人のひった屁まで勘定する、小説家もまた探偵であるとはこれまた前述の通り。(ⅠⅡと比べてⅢの表現の拙いのは漱石でない以上仕方がない。)

 結局「三部作」という観点からは「福岡」という地名の使用規則さえ次のように求められる。つまり漱石が『明暗』の中で「福岡」の文字を書いた理由・必然性・外的圧力である。漱石はそれが知らず知らずのうちに浸潤してくるのを止められなかったのではないか。

三四郎三四郎が宿帳に記入した住所地。
『門』宗助と御米が(京都から)広島を経て落ちて行った地。
『行人』三沢の旅行の連れの行き先(馬関・門司・福岡)の一つとして。
『明暗』藤井の次女が新婚の夫と住む市にして長男真弓の新しい勤務地。

 この場合『三四郎』では熊本の高等学校を卒業した三四郎が宿帳に書いたのは正確には「福岡県(何某郡)」であるから、これは博多の町という意味では福岡に加えるべきでないかも知れない。漱石の中では半分熊本なのかも知れない。

 もちろんこれらは小論の趣旨そのものではない。まあ進発前のアイドリングのようなものと(如何せんエンジンが安物であるからには)お許しいただきたい。繰り返すが小論はあくまで(標題の通り)『明暗』を鑑賞するためのガイドのつもりで書かれている。

(「『明暗』に向かって」はじめに 畢)