明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 26

322.『草枕』目次(13)第9章(つづき)――甥っ子1人登場させたばかりに


第9章 那美さんに個人レッスン (全3回)(承前)

2回 メレディスの小説を日本語に直しながら読む
(P110-3/これも一興だろうと思ったから、余は女の乞に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界に非人情な読み方があるとすれば正にこれである。聴く女も固より非人情で聴いている。)
普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ~非人情な所がないから些とも趣がない~地震!~非人情ですよ

 轟と音がして山の樹が悉く鳴る。思わず顔を見合わす途端に、机の上の一輪挿に活けた、椿がふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝を崩して余の机に靠りかかる。御互の身躯がすれすれに動く。キキーと鋭どい羽摶をして一羽の雉子が藪の中から飛び出す。
「雉子が」と余は窓の外を見て云う。
「どこに」と女は崩した、からだを擦寄せる。余の顔と女の顔が触れぬ許りに近付く。細い鼻の穴から出る女の呼吸が余の髭にさわった。
「非人情ですよ」と女は忽ち坐住居を正しながら屹と云う
「無論」と言下に余は答えた。

 読者はたちどころに『三四郎』のあの有名なシーンを思い出す。

「御捕まりなさい」
「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出している間は、調子を取る丈で渡らない。三四郎は手を引込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、身体の重みを託して、左の足でひらりと此方側へ渡った。あまりに下駄を汚すまいと念を入れすぎた為め、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。其勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた
「迷える子(ストレイシープ)」と美禰子が口の内で云った。三四郎は其呼吸(いき)を感ずる事が出来た。(『三四郎』5ノ10回)

 これで見ると、(元)人妻の那美さんの方が、当然にも男に対して厳格のようである。漱石の中で男が女の息を感じるまでに接近したと書かれるのは、この2例だけである。あと『それから』の代助と三千代は、代助の告白シーンで(14ノ10回)、明らかに互いの息を感じる距離にいると思われるが、漱石はもうそういう書き方はしなくなった。幻の最終作品で、漱石は最初で最後の求婚シーンを書く(はずであった)。当然男女の接近度合いはこの3例に匹敵するだろう。そのときの書き方は、『草枕』『三四郎』方式が蘇えるのか、それとも『それから』の描きぶりが踏襲されるのか。作品の流れからは後者の可能性が高いか。尤もこれを恋愛関係の有無に特化した話と捉えると、前2者は男女の恋愛の成立していないところでの作者の「サーヴィス」に過ぎないという、興醒めな結論も導かれよう。論者としては認めづらい意見であるが。

3回 画工と那美さん一触即発
(P113-14/岩の凹みに湛えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍く揺いている。地盤の響きに、満泓の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕けた部分は何所にもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。)
振袖披露は画工のための親切心~「見たいと仰ゃったからわざわざ見せて上げたんじゃありませんか」「何か御褒美を頂戴」~久一は兄の家に居る~私が身を投げてやすやすと往生して浮いて居る所を奇麗な画にかいて下さい

 地震によるあわやのニアミスは「非人情」で事なきを得た。しかし結局ここまでの那美さんの媚態は、すべて画工のリクエストに沿ってなされたものであった。それは茶屋の婆さんから伝えられたものであるらしい。峠の茶店の婆は昔の那美さんの婆やであった。してみると剥き出しで初登場したかに見える那美さんにも、婆やという庇護者が付属していたことになる(※)。画工のいないところで起きているので、小説には直接書かれないが、画工の言動は茶店の婆によって逐一那美さんに報告されていたのである。那美さんはその情報によって、安心して旅の画工を挑発しているのであった。あるいはそれが言い過ぎであれば、画工に自分の姿態を鑑賞させているのであった。

 しかし話は風呂場のシーン(の検証)まで来て頓挫する。さすがに全裸の湯壺は洒落や詩にならない。話は大徹和尚の掲額の字から久一に逸れる。那美さんは久一を子供扱いする。久一は第8章で「二十四五」と書かれるから、先に5年で婚家から出帰った那美さんを二十五六としたのもやむを得まい。

「小供って、あなたと同じ位じゃありませんか」
「ホホホホそうですか。あれは私しの従弟ですが、今度戦地へ行くので、暇乞に来たのです
「ここに留って、いるんですか」
「いいえ、兄の家に居ります
「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」
「御茶より御白湯の方が好なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺(しびれ)が切れて困ったでしょう。私が居れば中途から帰してやったんですが……」

 那美さんには兄がいる。仲の悪い本家の兄である(第5章)。久一は本家といっても従兄弟の家に同居していることになる。那美さんの母親は去年亡くなったというが(第4章)、久一の両親はもっと早くに亡くなっているのだろうか。久一は志願兵になったことがあるらしい(第8章)。元から身寄りのない男なのだろうか。孤独で画が好き、学問をしたいが田舎にいてはそれもままならぬ。そして今次の日露の開戦で海峡を渡ることに。(無鉄砲な)覚悟はすでに出来ている。
 久一は漱石にとって妙に気になる人物であった。甥とも従兄弟ともつかない登場の仕方は、『明暗』で藤井の家の真事に対する津田の態度(漱石の誤記)を彷彿させるし、久一は旅順で戦死しなければ、ちょっと飛躍するようであるが、後に志保田の家で骸となって横たわった那美さんの傍らで、ちょうど『行人』の三沢が、出帰りの娘さんに対して抱いていたような感情を、つい迸らせるのではないか。

「何故そんなら始めから僕に遣ろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして……」
「一体君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか」と自分は途中で遮った。

「ないさ」と彼は答えた。(『行人/帰ってから』31回)

 三沢の物語は不可解なことのみ多いが、久一の立場を忖度することによって、少しは理解の途が闢けるかも知れない。

(※注) 未婚の女性は親の所有にかかるとは、『明暗』に書かれる有名なフレーズであるが、それとは別に、漱石の女性は必ず庇護者と共に登場するというのは、論者が前著で述べたところ。その例は『猫』の三毛子・金田富子以来枚挙に暇がないが、典型例は『坊っちゃん』のマドンナ、『三四郎』の美禰子、『行人』三沢の「あの女」がビッグ3であろうか。なかでも美禰子の場合は、(そのときだけなぜか郷里から出て来たと称する母親が一緒にいたよし子とともに、)珍しく漱石の作為が目立つ設定になっている。

 坂の下に石橋がある。渡らなければ真直に理科大学の方へ出る。渡れば水際を伝って此方へ来る。二人は石橋を渡った。
 団扇はもう翳して居ない。左りの手に白い小さな花を持って、それを嗅ぎながら来る。嗅ぎながら、鼻の下に宛てがった花を見ながら、歩くので、眼は伏せている。それで三四郎から一間許の所へ来てひょいと留った。
「是は何でしょう」と云って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目の洩らない程厚い葉を茂らして、丸い形に、水際迄張り出していた。
是は椎」と看護婦が云った。丸で子供に物を教える様であった
「そう。実は生っていないの」と云いながら、仰向いた顔を元へ戻す、其拍子に三四郎を一目見た。三四郎は慥かに女の黒眼の動く刹那を意識した。其時色彩の感じは悉く消えて、何とも云えぬ或物に出逢った。其或物は汽車の女に「あなたは度胸のない方ですね」と云われた時の感じと何所か似通っている。三四郎は恐ろしくなった。(『三四郎』2ノ4回)

 美禰子はこのときだけ年長者の庇護の下にいる。その他の凡ての『三四郎』のシーンにおいて、美禰子は誰の庇護も受けていない。剥き身の孤独な女である。漱石は明らかにこのときだけ美禰子の書き方を変えている。
 理由は分かりにくいが、「誘惑」という印象を極力読者に与えたくない、ということであろうか。もちろん誘惑する(かも知れない)のは美禰子であり、漱石はちゃんと「三四郎は恐ろしくなった」とまで書いている。しかしその危険性が読者にまで伝わらないよう、美禰子を極力「子供」扱いするというのが、その目指すところである。
 ただしこれにはもう2通りの光の当て方があって、美禰子独りでは誘惑し切れないだろうから、保護者が(女衒みたいに)付き添っているという(意地の悪い)見方と、誘惑しかねない主体を(結局は男の方の)三四郎と見て、単に男から身を守るために保護者を配置しているという見方がある。いずれにせよ漱石の主目的は倫理性の担保であろうが、ヒロインの登場ひとつ取っても、いろんなことが気になって、漱石は仕掛けを施さざるを得ないわけである。
 ちなみにこのくだりの年上の看護婦を、「年下の見習看護婦」に置き換えて、一部文章をリライトして読み直してみると、(当然「是は椎」というセリフは、使われたとしてもそれは美禰子のセリフとなるが、)『三四郎』はこの章で終ってしまうことが分かる。少なくとも美禰子は(汽車の女のように)2度と物語には登場すまい。