明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 27

323.『草枕』目次(14)第10章――こっそり迎えたクライマックス


 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)

第10章 鏡が池で写生をしていると岩の上に (全4回)

1回 鏡が池で思索にふける
(P118-2/鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道を、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股に岐れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁には熊笹が多い。ある所は、左右から生い重なって、殆んど音を立てずには通れない。)
探偵は掏摸の親分~菫の花は帝王の権威に対峙しているという中学程度の観想~鏡が池の水草は水死美人の黒髪か

2回 那美さんの顔には憐れの情が足りない
(P120-12/二間余りを爪先上がりに登る。頭の上には大きな樹がかぶさって、身体が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはない。)
赫い深山椿は嫣然たる妖女~水死美人には那美さんの顔が一番似合う~那美さんの表情には憐れが足りない

 ・・・矢張御那美さんの顔が一番似合う様だ。然し何だか物足らない。物足らないと迄は気が付くが、どこが物足らないかが、吾ながら不明である。従って自己の想像でいい加減に作り易える訳に行かない。あれに嫉妬を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈げし過ぎる。怒? 怒では全然調和を破る。恨? 恨でも春恨とか云う、詩的のものならば格別、只の恨では余り俗である。色々に考えた末、仕舞に漸くこれだと気が付いた。多くある情緒のうちで、憐れと云う字のあるのを忘れて居た。憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちには此憐れの念が少しもあらわれて居らぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、此情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。然し――何時それが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満して居るものは、人を馬鹿にする微笑と、勝とう、勝とうと焦る八の字のみである。あれ丈では、とても物にならない。

3回 源兵衛の語る鏡が池の名の由来
(P123-14/がさりがさりと足音がする。胸裏の図案は三分二で崩れた。見ると、筒袖を着た男が、背へ薪を載せて、熊笹のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。「よい御天気で」と手拭をとって挨拶する。)
再会した馬子の源兵衛は四十男~源兵衛が語る志保田の嬢様の黒い血筋~昔梵論児に懸想した志保田の嬢様が1枚の鏡を懐にして身を投げたことがある

4回 岩の上に立つ那美さんはひらりと身をひねる
(P126-13/「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」「まことに怪しからん事で御座んす」「何代位前の事かい。それは」「なんでも余っ程昔の事で御座んすそうな。夫から――これはここ限りの話だが、旦那さん」「何だい」「あの志保田の家には、代々気狂が出来ます」「へええ」「全く祟りで御座んす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃します」)
去年亡くなった母親も少し変であった~池の向こう側は大岩が突き出している~その上に那美さんが立っていた~驚きの跳躍

「①全く祟りで御座んす。②今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃します
「ハハハハ③そんな事はなかろう
「御座んせんかな。④然しあの御袋様が矢張り少し変でな
「⑤うちにいるのかい
「いいえ、⑥去年亡くなりました
「ふん」と余は煙草の吸殻から細い烟の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪を背にして去る。

 源兵衛による那美さんの健康状態に関する最後の論評(②)。そして源兵衛はさらに那美さんの母親についても余計なことを喋っている(④)。女の系譜はふつう遺伝とか血脈と無関係のはずだが、漱石は『趣味の遺伝』でも半ば強引に女を仲間に引き込んでいる。これを①のように祟りと言われれば、那美さんも立場がないだろう。
 画工もそれを③のようにうわべでは否定するが、実際には煽っているようにも見える。⑤の「うちにいるのかい」と受けるのは、先に第4章での女中との会話、
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年御亡くなりました」
 を失念していたと思えば不自然でもないが、画工も(漱石も)返答に窮したというのが実相ではないか。そのためというわけではないだろうが、

「去年御亡くなりました(女中――第4章)
「⑥去年亡くなりました」(源兵衛――第10章)

 女中の言葉遣いが少し変であったことに、ここへきて改めて気付かされる。女中は山出しではない。前述したが(了念と同じく)したたかなところがあるように書かれる小女郎である。もしかしたら東京か京都にも帯同していたかも知れない。それを検証させるかのような⑥の源さんの言葉と、これらのやりとりを締め括った⑦のやや作為の目立つ画工の仕草。

⑦「ふん」と余は煙草の吸殻から細い烟の立つのを見て、口を閉じた。

 この何でもないように見える動作は、漱石にあってはどちらかといえば珍しい部類に属する描写である。漱石はふつうこんなありきたりなことは書かない。何か心にやましいことがあると人は余計な仕草をする。女中の「御亡くなりました」というセリフも、犯人が現場につい痕跡を残すように、小女郎によって故意に齎されたメッセージかも知れない。やはり那美さんの一家は母親からしておかしかったのか。東京、京都の漫遊はそれがためだったのか。

 緑りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩どる中に、楚然として織り出されたる女の顔は、――花下に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
 余が視線は、蒼白き女の顔の真中にぐさと釘付けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯を伸せる丈伸して、高い巌の上に一指も動かさずに立っている。此一刹那!
 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、既に向うへ飛び下りた。夕日は樹梢を掠めて、幽かに松の幹を染むる。熊笹は愈青い。
 又驚かされた。(本章末尾)

 9回目にあたる那美さんの登場は、(7回目の風呂場のシーンと竝ぶ)篇中最もショッキングなものとなった。吾妻橋の欄干から(川の中でなく橋の床板の上へ)飛び降りた寒月のように、ただ岩の上から池の反対側へジャンプしただけであるが、常に死と隣り合うように描かれる那美さんであれば、画工でなくとも驚ろかざるを得ない。那美さんが入水すれば(本章末尾へ至る文がなければ)、この小説は終わってしまう。

 しかしその前に本項で引用した(第10章、論者の謂う第2回の)一文で、小説としての『草枕』は実質的にも終わったと見ていいだろう。
 画工の目的はミレーのオフェリアに匹敵する水死美人像である。画工はそのモデルを那美さんに求めたが、何か足りない。それが「憐れみの表情」であると気付き、那美さんの表情にそれが出れば自分の画は成就すると言い切ったのである。すなわち作者の主張はここで結論に達しており、『草枕』の物語で作者の言いたいことは第10章で尽きたと言っていい。
 『趣味の遺伝』は作者が自分の書きたいことを書き終わった瞬間、小説は閉じられた。幕は開いたままで小説だけ終わってしまったかのようであった。漱石は『坊っちゃん』を注意深く書き了えたあと、『草枕』で『趣味の遺伝』の反省点を踏まえて、新しい小説の構成を採用した。10章で話を語り終えて、そのあとどのように小説を結ぶかということに注力した。結びの一句へ無理なく繫げることにのみ主眼を置いて、残りの3章は篆刻された。

 この行き方は新聞小説にある手応えを感じた3作目、意図的な書き方をした『三四郎』にそのまま引き継がれた。『三四郎』全13章のうちの第10章で、突然美禰子の婚約者が出現する。三四郎の物語は(『草枕』同様)ここでいったん幕を閉じた。あとの3章(第11章~第13章)はそれにどうケリをつけるかである。美禰子はもう以前の美禰子でなくなった。三四郎はどうか。漱石三四郎をわざわざインフルエンザに罹らせるが、生気を失ったでく人形の三四郎は、病気になろうがなるまいが、漱石の中ではもう出番を終えた(一丁上りの)役者であった。
 次の『それから』では、美禰子に比するべく三千代の(魂の)出処進退のみが踏襲された。美禰子は全10回の登場シーンのうち、8回目で婚約(裏切り――野々宮と三四郎ばかりでなく、自身に対する裏切りでもある)という頂きを究め、9回目と10回目は病み上がりのような、蝉の抜け殻のような、ある意味で三四郎とフェーズを合わせたような描き方がなされる。三千代も全10回の登場シーンの第8回が代助の「告白」であり、あとの2回、終末に向かって転がり出す小説の中で、死を覚悟する三千代は、奇妙な気の強さで代助を鼓舞し、その反動たる悩乱により、これまた代助との魂魄の感応を見せる。