明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 28

324.『草枕』目次(15)第11章――明治39年版怒れる小説


第11章 山門の石段を登りながら考えた (全4回)

1回 人のひる屁を勘定する人世
(P129-11/山里の朧に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数春星一二三と云う句を得た。余は別に和尚に逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出でて足の向く所に任せてぶらぶらするうち、つい此石磴の下に出た。)
宵の明星もしくは月明かりの夜~用事もないがつい足が山門に向かう~円覚寺の塔中での思い出~漱石の本音が出る

 隠れたクライマックスたる第10章を受けた本章、第11章(山門の章)は、第5章(髪結床)、第8章(茶会)につづき、3度目の那美さん不在の章になる。髪結の親爺-隠居老人-大徹和尚。那美さんとの関係も3者3様の脇役たちによる、緩徐楽章でもある。
 『三四郎』でも美禰子の婚約者が登場した驚きの第10章を受けて、第11章は広田先生の夢の女の章であった。『草枕』『三四郎』の展開(第10章-第11章の落差ないしは変調)は、作者の余裕と見るべきか。どうしてもこれだけは言っておきたいと漱石は思ったのか。
 一方代助の告白のあと、ほぼまっすぐ終結部へ突き進む『それから』は、集中力と緊張感が保たれて、強い読後感を残す。読んで厭きない漱石文学は、こんなところのバリエーションにも、その仕掛けの一端があったと言える。

 ところで画工は寺へ向かう石段で、昔円覚寺を訪れたことを思い出す。房州旅行、御倉さんの長唄に次いで3つ目の回想シーンである。この直後に書かれる事件とは何か。前の2度は那美さんのサプライズであったが、3度目はさすがに那美さんではなかった。それはいかにも漱石らしい、朝日入社後には見られなくなった本音の爆発である。『猫』『坊っちゃん』の流れを正統に汲み、次回作の『野分』と共に、明治39年式とでも謂うべき、漱石を代表する怒りの表出となった。その中でもおそらく『草枕』のこの有名なくだりは、直接剝き出しになった漱石の怒りが、その最高点に達したものではなかったか。怒りの分野における、漱石のベスト(ワースト)パーフォーマンスではなかろうか。

 世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、其上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝して居るんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのを以って、左も名誉の如く心得ている。五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えば猶々云う。よせと云えば益云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうして夫が処世の方針だと云う。方針は人々勝手である。只ひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差し控えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのを以て、こっちの方針とする許りだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。(この引用文は読点を半角にした。少しでも漱石の原稿に近づけるためである。)

 探偵というのは漱石ワールドのキーワードであろうが、象徴的な意味合いを持つものでもあろう。巡査・警察・国家権力・世間・実業家といった大きなものから、細君・下女・同級生・同僚・友人といった身近な存在まで、その中身は都度変わってゆくようである。英国留学時に政府から情報収集行為か何かを要請されて、それを撥ねつけたことがトラウマになっていたのであれば、生涯探偵という言葉を毛嫌いしたことも納得できるし、漱石の小説など1行も読んだことのない中村是公が(多用な身にも拘わらず)付かず離れず、まるで監視するかのように常に漱石の身辺近くにいた理由も分かるというもの。『草枕』ではとりあえず探偵というものを次のように定義しているが、上記に加えて小説家・掏摸の親分(泥棒)といった分類まで登場する。漱石は他の場所(『猫』)でも述べているが、探偵と小説家を区別していなかった。

「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情な所がないから、些とも趣がない」(『草枕』9章)

 都会は太平の民を乞食と間違えて、掏摸の親分たる探偵に高い月俸を払う所である。(同10章)

「探偵? 成程、それじゃ警察じゃの。一体警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」(同11章)

 探偵と小説家を結びつけたのは、漱石が本格的に小説家になる前の一時的な出来心だったかも知れないが、探偵が自由な精神を蝕むものとして、それを最も尊ぶ漱石の最大の忌避するところであったことは、その後もずっと変わらなかった。おそらく漱石の嫌いな実業家および実業家的政治家の、その犬として探偵に我慢がならなかったのであろう。そこまで実業家を嫌うということは、ありふれた言い方だが、漱石の中にも金に執着する気持ちがあったということであろうが。

 探偵の話はさておくとして、論者が学生の頃、今はもうない山本書店からイザヤベンダサンの『日本人とユダヤ人』という本が出て大変評判になっていた。その中に『草枕』の書出しの1節と、上記の長い文章(世の中はしつこい・・・)がそっくり引用されていたのを思い出す(第7章「日本教徒・ユダヤ教徒」)。『草枕』が「日本教」の『創世記』の現代的表白であるか否かについてはともかく、山本七平もまた長く怒りと不満を抑えて業界を生きて来たと思われるが、中年になって始めて日頃溜めていた考えを世間に発信するにあたり、「いざや便出さん」という人を喰った筆名を使用した。
 彼はほどなく文芸春秋社の月刊雑誌に連載を持つようになって、当初の何年間かは当該ユダヤ人(イスラエルアメリカ国籍の人)の存在が信じられていたが、洒落好きな編集部で「ベンダクン(ベンダ君)」と呼ばれたあたりから徐々に怪しくなり始め、あるとき編集後記のようなところに「ベンダセエ(便出せえ)」と書かれて、著者もベンダサンというペンネームが洒落であることを半ば公に認めたような形になった。(あのベストセラーの内容に、彼のユダヤ人なる友人の体験と意見が貢献しているのは事実であろうが。)
 筆名の由来はともかく、彼(ら)もまた漱石ファンであったことは間違いない。ここでまったく余計なことながら、漱石の孫の世代にあたる山本七平漱石の共通点を8つ。

Ⅰ 中年になってから物を書き始めた。
Ⅱ 人を喰ったペンネーム。
Ⅲ 変人。
Ⅳ 実務能力はある(おそらく根が器用なのだろう)。
Ⅴ 体制派のように見えて強烈な反骨精神の持主。
Ⅵ 舶来のものより徳川期の文物の方を好む。舶来とメッキを同義語と思っている。
Ⅶ 論争してはいけない代表選手。人当たりはいいが粘り強く反論する。
Ⅷ 胃病持ちで太れない。

Ⅸ(オマケ)世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、其上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝して居るんだか、解しかねる奴さえいる(上記引用文の再掲)と思っている。
Ⅹ(さらなるオマケ)基本的に合理的な理論を展開するが、時折ヘンな、理屈にならない理屈を言うことがある。

 そして繰り返しになるが、2人とも腹の中に「怒り」という大きな塊りを吞んでいる。それが故に漱石山本七平もこの世に存在しているかのようである。共通点などという月並みな言葉を宛てるのは気が引けるが、2人とも颶風程度の風では吹き飛ばないのが、その勁さを証明していると思う。

 最後にもう1つだけ、山本七平(の家)は紀州の出であるが、論者は先に『心』の学生の私の帰省地について考察したとき、金沢、長野に次いで候補に考えたのが和歌山であった。東京を夜発って次の日の午後帰宅するのであれば、和歌山県は充分候補地になる。御大葬の前後の直通の鉄路の問題で断念したのであるが、もし帰省地が本当に和歌山であれば、先生への帰省土産に蜜柑を封印したのもいかにも漱石らしい韜晦であるし、何より正月に雪の気配がまったくないことが、最後まで気になる(気が惹かれる)ところではあった。余談であるが。

 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)