明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 30

326.『草枕』目次(17)第11章(つづき)――若い人の意見の方が正しい


第11章 山門の石段を登りながら考えた (全4回)(承前)

3回 お寺で大徹和尚と了念に会う
(P135-12/「和尚さんは御出かい」「居られる。何しに御座った」「温泉に居る画工が来たと、取次で御呉れ」「画工さんか。それじゃ御上り」「断わらないでもいいのかい」「よろしかろ」 余は下駄を脱いで上がる。「行儀がわるい画工さんじゃな」「なぜ」「下駄を、よう御揃えなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。)
履物を揃えないので了念に叱られる~寺の下には朧夜の海と漁火が見える~画描きにも博士があるか~東京の電車はうるさくてつまらぬもの

4回 和尚との禅問答
(P139-13/鉄瓶の口から烟が盛に出る。和尚は茶箪笥から茶器を取り出して、茶を注いでくれる。「番茶を一つ御上り。志保田の隠居さんの様な甘い茶じゃない」「いえ結構です」「あなたは、そうやって、方々あるく様に見受けるが矢張り画をかく為めかの」)
屁の勘定た何かな~はあ矢張り衛生の方かな~衛生じゃありません探偵の方です~那美さんは和尚の法話を聞いて人間が出来てきた~那美さんは松の木である~奇麗な上に風が吹いても苦にしない

 画工は庫裏の入り口で自分の履物を揃えなかった。漱石は自分の履物を揃えない。塩原の跡取り息子として甘やかされたためか。夏目家の4男坊の末っ子として、これまた甘やかされたためか。『門』の小六も4男坊の末っ子で(『それから』の代助も同じ)、玄関で自分の脱いだ履物を揃えることはしなかった。
 了念は画工の行儀の悪さを目ざとく見つけて咎めた。それだけではない。了念には妙に常識的なところがあり、和尚の非常識も見逃さない。

「鳩程可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」
 月は愈明るい。しんしんとして、木蓮は幾朶の雲華を空裏に擎げて居る。泬寥(げつりょう)たる春夜の真中に、和尚ははたと掌を拍つ。声は風中に死して一羽の鳩も下りぬ。
「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
 了念は余の顔を見て、一寸笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うて居るらしい。気楽なものだ。

 了念はよく分かっている。髪結床の親爺が那美さんの悪口を言っても、聞こえないふりをする。この点では画工が那美さんの素行を聞き出そうとカマをかけても、「知りません」と誘いに乗らなかった小女郎も似ている。了念と小女郎。若い人が一番よく分かっている。
 漱石は学生生徒の無知はよく知っていたが、それだけで彼らを貶めることをしなかった。彼らの知識でなく、言動が正しいかどうかを、まず見ようとしたのである。それも表面的な言動ではなく、その基となる心の正しさを見ようとした。漱石は藤村操の精神を可しとした。『心』の先生は私に、「あなたは腹の底から真面目ですか」と問いかけた。
 漱石は若い人の意見をよく聞いた。何が正しいかに常に関心が行っていた漱石であるが、漱石自身がその正邪を判定できないときはどうしたか。
「そうか」「そんなもんかな」
 おそらくそんな言い方で、決して年下の相手を極め付けることはしなかったと思われる。これは相手の意見を尊重するというよりは、自分が間違っているかも知れない惧れのあるときは、極力断定を回避するという漱石生来の性向から来たものである。とくに科学知識などは新しい意見の方が正しいという至極尤もな考え方をしており、これも含めて若い弟子には誠意ある人と映ったことであろう。むろん漱石は誠実な人である。それは間違いない。そしてそれは(人間関係を円滑に維持するためというよりは)、「正しくあること」を究めんがための誠実であった。

 マーラーシェーンベルク音楽理論をまったく理解出来なかったが、おそらくは若い人たちの言うことの方が正しいのだろうと、彼らを庇うこと(援助すること)をやめなかった。一方、ビートルズが世に出て来たころ、多くの音楽「専門家」はその斬新さを認めなかった。人気には驚ろかされるが中味は大したことない。あるいは人気があり過ぎるがゆえに中味は大したことない。さらに半世紀経って、ビートルズは始めから価値ある存在となった。当時ビートルズに(商業的成功以上の)価値を認めなかった人たちは、今では自分はそんなことを言ったこともなければ思ったこともないという顔をしている(生きていればの話だが)。もちろんレナードバーンスタインのような人もいる。しかし信じられないことに、彼は生きている間中ビートルズに関しては「特異点」であり続けた。

「・・・あなたの泊って居る、志保田の御那美さんも、嫁に入って帰ってきてから、どうも色々な事が気になってならん、ならんと云うて仕舞にとうとう、わしの所へ法を問いに来たじゃて。所が近頃は大分出来てきて、そら、御覧。あの様な訳のわかった女になったじゃて」
「へええ、どうも只の女じゃないと思いました」
「いや中々機鋒の鋭どい女で――わしの所へ修業に来て居た泰安と云う若僧も、あの女の為めに、ふとした事から大事を窮明せんならん因縁に逢着して――今によい智識になるようじゃ」

 漱石は那美さんのことにしているが、色々なことが気になって仕方ないという悩みは若い頃の漱石固有のものである。してみると那美さんは一部漱石であった。大徹和尚が誉めるのも、まんざら和尚が惚けているためだけでもないようだ。了念の意見も聞きたいところだが、了念は那美さんに関しては全面的に和尚を信じている。
「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めて居られる」(第5章)

 那美さんがわざわざ大徹和尚に打ち明けたという悩みについては後述したいが、どうやら那美さんについても結論が出たところで、因縁の第11章も幕引きである。章の最後の一文は『草枕』の俳味を改めて確認させてくれる。この文章のための第11章であったと言えなくもない。主人公が辞去したあと、あるいは別離のあと振り向くのは『趣味の遺伝』『坊っちゃん』に続いて3度目である。「見返り美人」は『三四郎』美禰子でも印象深いが、主人公が素朴に振り返るだけの基本形は、それはそれでまた明治39年式の味わいの1つであろうか。

 山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。(本章末尾)