明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 20

316.『草枕』目次(7)第4章(つづき)――画工の疑似恋愛


第4章 スケッチブックの中の詩人 (全4回)(承前)

3回 青磁の羊羹
(P49-2/余は又ごろりと寝ころんだ。忽ち心に浮んだのは、 Sadder than is the moon's lost light,    Lost ere the kindling of dawn, To travellers journeying on, The shutting of thy fair face from my sight. と云う句であった。もし余があの銀杏返しに懸想して、身を砕いても逢わんと思う矢先に、今の様な一瞥の別れを、魂消る迄に、嬉しとも、口惜しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。)
メレディスの詩~那美さん羊羹を持って部屋に来る~源兵衛と婆さんは那美さんの情報源

 Sadder than is the moon's lost light,
  Lost ere the kindling of dawn,
  To travellers journeying on,
 The shutting of thy fair face from my sight.
 ・・・
 Might I look on thee in death,
 With bliss I would yield my breath.

(非人情訳)

"夜明け前に月が落ち
 途方に暮れた旅人と
 そのわたくしの悲しい眼に
 あなたの面影さえ断ち切れる
 ・・・
 黄泉の世界であなたを見た
 今歓んでこの息を絶つ"

(オルタネイトの意訳)

"夜の白む前に月の明かりが消えてしまった
 おそろしさに心を亡くした旅人の
 その畏れよりもさらに大きな悲しみが
 あなたの清やかな面(おもて)に別れた私を襲う
 ・・・
 死んであなたに逢えるというのなら
 歓んでこの息を絶って見せようものを"

 漱石和文に直す必要を認めなかった。冒頭(第1章)のシェリーの詩にまずい(と漱石は思ったに違いない)訳を附けたので、もうこれ以上恥をかきたくないと思ったのか。漱石は読者がこのメレディスのたぶん気取った英文を理解するかしないかに関心がなかった。それより下手に上田敏調の訳詞にしなかったところが漱石らしい。(上田敏が百年の生命を保つなら、漱石は千年をめざしているのである。)
 詩中の男女を画工と那美さんに喩えたのは、画工の余裕か強がりか、それとも願望か。漱石は画工の心が剝き出しになるのを避けるために、あえて訳さなかったのかも知れない。でももう110年以上経って、誰に気を遣うこともないのであるから、論者もここで恥を忍んで、それこそ不味い「非人情」の訳を晒してみた。無駄と言えば無駄であるが、少しでも画工の心に近づきたいがためであり、それが画工の参考にならないとすれば、『一夜』の髭のある男に接近するためである。

 そして前回(4回)突飛な見せ方をした那美さんの5回目の登場は、それを償うかのように至って平穏な場景となった。那美さんは始めて普通の女のように話す。なぜ急変したのか。
 それは簡単である。画工がメレディスの詩の解釈のためとはいえ、那美さんと恋仲になったなら、と仮想したからである。(想像上ではあるが)画工と那美さんはただの温泉宿と客の間柄ではなくなった。それがなぜ那美さんに伝わったのかという野暮を言ってはいけない漱石も魂魄の感応という習作を無駄に書いていたわけでもあるまい。ただ那美さんも人が変わったわけではない。前述したように、

「また寝て入らっしゃるか、昨夕は御迷惑で御座んしたろう。何返も御邪魔をして、ほほほほ」

 と先制攻撃することだけは忘れない。常に(漱石に似て)人の意外に出るのである。

4回 スケッチブックの中に入ってみる
(P52-10/茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人程勿体振った風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如として、あぶくを飲んで結構がるものは所謂茶人である。)
茶道は商人のやること~始めての会話は身上調書~長良の乙女の話の出所は那美さん~ささだ男もささべ男も両方男妾にするばかり

「・・・時にあなたの言葉は田舎じゃない
「人間は田舎なんですか」
人間は田舎の方がいいのです
「それじゃ幅が利きます」
「然し東京に居た事がありましょう
「ええ、居ました、京都にも居ました。渡りものですから、方々に居ました」
「ここと都と、どっちがいいですか」
「同じ事ですわ」

 画工と那美さん、親しく会話するのはいいことであるが、この「東京に居た事がありましょう」という1句は不思議である。京都にいたことがあるのは茶店の婆さんによって読者も知らされているが(第2章)、那美さんが東京にいたとは初耳である。おそらく言葉のイントネーションでそう感じたと言いたいのであろうが、少し無理があるようだ。それとも婆さんは小説に書かれたこと以外にも那美さんの秘密をしゃべったのか。
 これもやはり『一夜』を前提としたセリフと解した方が分かりやすい。『一夜』の登場人物は『猫』でのやりとりを見なくても、ふつうに考えて全員東京か東京に近いところに住む人たちであろう。

 それより「渡りもの」については、『坊っちゃん』でも丁々されていた。

 ある日の事赤シャツが一寸君に話があるから、僕のうち迄来てくれと云うから、惜しいと思ったが温泉行きを欠勤して四時頃出掛けて行った。赤シャツは一人ものだが、教頭丈に下宿はとくの昔に引き払って立派な玄関を構えて居る。家賃は九円五拾銭だそうだ。田舎へ来て九円五拾銭払えばこんな家へ這入れるなら、おれも一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやろうと思った位な玄関だ。頼むと云ったら、赤シャツの弟が取次に出て来た。此弟は学校で、おれに代数と算術を教わる至って出来のわるい子だ。其癖渡りものだから、生れ付いての田舎者よりも人が悪るい。(『坊っちゃん』第8章)

 この書き方だと赤シャツはそうでもないが、赤シャツの弟だけが渡りものでたちが悪いと取れる。論者は本ブログ坊っちゃん篇で赤シャツは半分以上漱石であると断じたが、漱石はこんなところでも、目立たないように赤シャツをかばっているようである。

 画工と那美さんのガチンコ対決第1ラウンド。これが延々と続くのが『明暗』であり、新体詩ふうに煙に巻くと『一夜』になる。男女の会話はそれなりに面白い。しかし漱石はその方面の専門家でもない。自然主義の作家を1本参らせるわけにもいかないし、またそのつもりもない。
「人の世が嫌なら画の中の世界へ入れ」「2次元の世界は窮屈で人が住めそうにない」
 会話はまるで『一夜』の続きであるが、『草枕』はそれだけで終わらないのが人気の所以である。