明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 15

311.『草枕』目次(2)第1章(つづき)――非人情の旅とは何か


第1章 山路を登りながら考えた(全4回)(承前)

2回 雲雀の詩
(P6-3/忽ち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。只声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いて居る。方幾里の空気が一面に蚤に刺されて居たたまれない様な気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。)
シェリーの詩~雲雀は幸福か、それとも雲の中で死ぬのか~しかし苦しみのないのは何故だろう

We look before and after
 And pine for what is not :
Our sincerest laughter
 With some pain is fraught ;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

「前を見ては、後(しり)へを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といへど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ

 横書きの漱石ブログで唯一いいことがあるとすれば、このシェリーの詩(漱石訳――旧カナのママ)の引用部分であろう。しかしヒバリの鳴き声を聞いてこの詩を思い出したというのは、(文芸的な)ウソだろう。前回で画工は、

「喜びの深きとき憂愈深く、楽みの大いなる程苦しみも大きい。」(1回)

 と、30歳を過ぎた自分が日頃思うていることの1つとして、はっきり宣言している。

 詩人に憂はつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。菜の花を見ても、只うれしくて胸が躍る許りだ。蒲公英も其通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。・・・
 然し苦しみのないのは何故だろう。只此景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。只此景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬ此景色が景色としてのみ余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。・・・

 芸術と実生活は常に相反目する。道楽は職業にならない。漱石は頑固にそれを主張する。利を産む芸術とは言語の矛盾であるかのように。なるほど貨殖と芸術は交わることの少ない道ではあろう。しかしこだわるほどのこともないという考え方もある。苦しいのはやはりどこかにこだわりが残っているからであろう。
 世は金儲けのための「芸術」で溢れているとしても、漱石といえど金を忘れているわけではない。反対に一瞬たりとも金のことを忘れる時はない。だからこそ(金と無縁の)芸術世界に桃源郷を見るのである。俗垢に浸かっているという懼れないし自覚は漱石の中に常にある。

3回 非人情の旅
(P8-15/恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。然し自身が其局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んで仕舞う。従ってどこに詩があるか自身には解しかねる。)
喜怒哀楽・苦怒騒泣は人の世につきもの~芝居や小説もそれを免れぬならそんな世界はまっぴら

 うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。只それぎりの裏に暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職して居る次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる

 西洋の詩はいくら純粋であっても銭勘定を忘れる暇がない。金のことを一時も忘れることが出来ないのは漱石の方であろうが、必然的に漱石は中国の古文に出世間的な詩味を見出す。それが『草枕』の謂う「非人情」であろう。人事のことを書かざるを得ない小説家は、俗の最たるものであるが、その小説家の極北にあるのが非人情に徹する詩人であるという。
 思うに画工はこのとき小説家でないことは明白であるから、「非人情の旅」を追求する資格もあると言いたいのであろう。しかし書いている漱石が明治39年、すでに創作にどっぷり浸かっているのもまた事実である。理屈が先行するのでは玄人集団にはなかなか受け入れられないだろう。後代の人から見ると、詩人であろうが職業作家であろうが、漱石漱石なのであるが。つまり現在の我々は百年以上前に没している漱石に対し、生活者である(あった)という実感を抱きにくいので、漱石は何をやっても詩人漱石であると思ってしまう。

4回 画工の覚悟
(P11-12/唯、物は見様でどうにもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第で如何様とも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、其積りで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。)
旅に出逢うすべての人事を能舞台の出来事と見做すと~すべての人事を画帖に封じ込めたら

 この旅で出逢うすべての人や事物を、大自然の点景として見てみよう。発句の心がけである。心理作用に立ち入ったり葛藤の詮議をしては俗になる。画中の人間が動くと見れば差し支えない。

 ・・・利害に気を奪われないから、全力を挙げて、彼等の動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑑識する事が出来る。

 自分ないし自分の周囲を俯瞰してみて、すぐ損得勘定に結びつけるのが漱石の癖である。「小供の時から損ばかりして居る」とすぐに言ってしまうのが漱石である。
 してみると非人情に徹する旅というのは、写生旅とか俳句旅とかの実用目的ではなく、芸の修業というわけでも勿論なく、物の見方に関する自戒の旅であったことが分かる。しかし旅の始まりに際して宣言する目標というものは、だいたい途中でどこかへ行ってしまうものである。『草枕』の場合はどうであろうか。

 茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。有体なる己れを忘れ尽して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。只降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われは既に詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲煙飛動の趣も眼に入らぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として独り春山を行く吾の、いかに美しきかは猶更に解せぬ。初めは帽を傾けて歩行た。後には唯足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る。非人情がちと強過ぎた様だ。(本章末尾)

 小説の書き方、小説における人物の描き方について、日頃の漱石の考えをよく表した一文である。このくだりを読むと、流石に『草枕』の画工が「坊っちゃん」どころでない文章家であることや、「坊っちゃん」とは大きく懸け離れた知識人であることが分かるが、突然降り出した雨によって、非人情の旅は早くも頓挫の危機に瀕した。降る雨に頭と着物が濡れると泣くのは人情である。先が思いやられると作者自身も後悔しているのか、それとも高みの見物で余裕をかましているのか。