明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 22

318.『草枕』目次(9)第6章――俳句と理屈が代わりばんこに登場する


第6章 座敷に独り居て神境に入る (全4回)

1回 何も見ず何も想わない楽しみの世界
(P71-11/夕暮の机に向う。障子も襖も開け放つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞う境を、幾曲の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩にはならぬ。今日は一層静かである。)
静かな宿の夕暮れ~忘我の境地で詩の世界へ入る~詩境をすら脱却する境地とは

 夕飯が近いというのに宿はひっそりして誰もいないかのようである。皆どこへ行ってしまったのだろうか。

 ・・・或は雲雀に化して、菜の花の黄を鳴き尽したる後、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。又は永き日を、かつ永くする虻のつとめを果したる後、蕋に凝る甘き露を吸い損ねて、落椿の下に、伏せられ乍ら、世を香ばしく眠って居るかも知れぬ。とにかく静かなものだ。

 菜の花の 黄を鳴き尽したる 雲雀かな。
 菜の花や 雲雀に化して 黄を鳴き尽す。
 菜の花の 黄を鳴き尽したる 夕間暮れ。
 夕深き 紫たなびく ほとりまで。
 永き日を かつ永くする虻の つとめかな。
 蕋に凝る 甘き露を 吸いかねて。
 落椿 世を香ばしく 眠りおり。

 無茶苦茶ではあるが、読者は『草枕』の文章がたちまち俳句(もどき)に「化ける」のを目の当たりにする。長く俳句に親しんで、情景が即座に立ち上がる書き方をしているせいでもあるが、元々の漱石の文章に力強いリズムがあるのが最大の要因であろう。
 それともう1つ、『草枕』が書かれたのが、小説家としてまだ1年目、2年目であったことも見逃せない。初々しいというのは漱石には(どんな時期にも)あてはまらないが、といって円熟・円熟味という言葉ほど漱石に似つかわしくない言葉もない。漱石は(小さんは愛したが)マンネリ、名人芸を嫌った。といって青春を掲げて突っ走たわけではない。要するにほとんど処女作にして早くも一筋縄ではいかないのである。常に到達、達観。これが百年の生命の源泉だろう。

 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣も起る。戴くは天と知る故に、稲妻の米噛に震う怖も出来る。人と争わねば一分が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免かれぬ。・・・所謂楽は物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む。但詩人と画客なるものあって、飽くまで此待対世界の精華を嚼んで、徹骨徹髄の清きを知る。・・・彼等の楽は物に着するのではない。同化して其物になるのである。其物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。・・・

 ・・・有体に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足の道である。春秋に指を折り尽して、白頭に呻吟するの徒と雖も、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、嘗ては微光の臭骸に洩れて、吾を忘れし、拍手の興を喚び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐のない男である。

 ・・・普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫も刺激がない。刺激がないから、窈然として名状しがたい楽がある。風に揉まれて上の空なる波を起す、軽薄で騒々しい趣とは違う。目に見えぬ幾尋の底を、大陸から大陸まで動いている潢洋たる蒼海の有様と形容する事が出来る。只夫程に活力がない許りだ。然しそこに返って幸福がある。偉大なる活力の発現は、此活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念が籠る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却して居る。・・・

 『草枕』は俳句小説、俳味溢れる小説であるが、一方でそれを表現するための理屈に満ちている小説でもある。
 また一方で『草枕』は汎く芸術一般についての理屈を開陳する小説でもある。この回は画工の芸術論――俳味篇と言ったところか。前にも述べたように、美についての理屈を必要としない人にとっては、画工の芸術論は退屈な議論と映るだろう。

2回 感興を画に乗せて
(P75-4/此境界を画にして見たらどうだろうと考えた。然し普通の画にはならないに極っている。われ等が俗に画と称するものは、只眼前の人事風光を有の儘なる姿として、若くは之をわが審美眼に漉過して、絵絹の上に移したものに過ぎぬ。)
詩境を画にするには~心を瞬時に截り取って絹の上に開示する~物外の神韻を伝える絵画はあるか

 ・・・此心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否此心持ちを如何なる具体を藉りて、人の合点する様に髣髴せしめ得るかが問題である。
 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すれば出来る。第三に至っては存するものは只心持ち丈であるから、画にするには是非共此心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。・・・

 ・・・色、形、調子が出来て、自分の心が、ああ此所に居たなと、忽ち自己を認識する様にかかなければならない。生き別れをした吾子を尋ね当てる為め、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭に不図邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、此所に居た、と思う様にかかなければならない。・・・

 画工の芸術論の絵画篇。難しくて画工の手に余る。
 読者は『三四郎』で原口がしたり顔で話すのを思い出す。
「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出している所を描くんだから、見世さえ手落なく観察すれば、身代は自から分るものと、まあ、そうして置くんだね」(『三四郎』10ノ6回)
 原口の絵画論は、上記で画工の説くところの、第四段階あたりを行っているのであろうか。あるいは第一段階と第二段階の中間あたりの話か。

3回 画にもならず音楽にもならない興趣を詩で表現する方法
(P77-14/鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な考を画にしようとするのが、抑もの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちには屹度自分と同じ感興に触れたものがあって、此感興を何等の手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすれば其手段は何だろう。)
音楽はどうか~画工の結論は写生帖に詩を書くこと~すぐ画になりそうな詩が出来た

 漱石は画には独特のセンスを発揮したが、画は難しい。音楽は論外(と漱石は書いている)。漱石は音楽も頭ではよく理解していたが、実践はまた別である。好きだった謡は、邦楽の範疇であるからには西洋音楽の理論とは一線を劃すものではあるが、(間とか呼吸とか楽譜にないものが求められ、音を微妙にずらすことさえ粋とされることがある)、読者は野上弥生子の言った「メエという山羊のような鳴き声」を忘れることが出来ない。
 では詩はどうか。すらすらと出て来て写生帖に漢詩文を書き連ねたのは御愛嬌である。画工は(漱石同様)根っからの文人である。しかしそんな太平楽を並べている場合でない。部屋の外に何かいるようだ。 

草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)