明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 24

320.『草枕』目次(11)第7章――神代のエロティシズム


 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)

第7章 浴場の怪事件 (全3回)

1回 湯壺の中の哲学的考察
(P84-2/寒い。手拭を下げて、湯壺へ下る。 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳程な風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋ほどな湯槽を据える。)
湯の中で思うのはまず白楽天~次に風流な土左衛門~そして再びミレーのオフェリア

 水の中にいて周囲に同化する。魂まで流せればこんなありがたいことはない。水死美人は幸いかな。土左衛門は風流である。

 余が平生から苦にして居た、ミレーのオフェリアも、こう観察すると大分美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今迄不審に思って居たが、あれは矢張り画になるのだ。水に浮んだ儘、或は水に沈んだ儘、或は沈んだり浮んだりした儘、只其儘の姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。夫で両岸に色々な草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、屹度画になるに相違ない。然し流れて行く人の表情が、丸で平和では殆ど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶は固より、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリアは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じ所に存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。然し思う様な顔はそう容易く心に浮んで来そうもない

 画工は水死美人にこだわっているようにも見える。画工が追求するのは果たしてこの表情なのだろうか。

2回 三味の音を聴いていると女が裸で入って来た
(P86-12/湯のなかに浮いた儘、今度は土左衛門の賛を作って見る。雨が降ったら濡れるだろ。霜が下りたら冷たかろ。土のしたでは暗かろう。浮かば波の上、沈まば波の底、春の水なら苦はなかろ。と口のうちで小声に誦しつつ漫然と浮いて居ると、何所かで弾く三味線の音が聞える。)
どこかで三味の音が~万屋の御倉さんの想い出~突然風呂の戸が開いて那美さんが裸で入って来た

 どこからか三味線の音が聞こえる。那美さんが弾いているとしか思えない。

 小供の時分、門前に万屋と云う酒屋があって、そこに御倉さんと云う娘が居た。此御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚いをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控えて、三本の松が、客間の東側に並んで居る。此松は周り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好を形つくっていた。小供心に此松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄燈籠が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺の様にかたく坐って居る。余は此燈籠を見詰めるのが大好きであった。燈籠の前後には、苔深き地を抽いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独り匂うて独り楽しんで居る。余は此草のなかに、纔かに膝を容るるの席を見出して、じっと、しゃがむのが此時分の癖であった。此三本の松の下に、此燈籠を睨めて、此草の香を臭いで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。
 ・・・
 三本の松は未だに好い恰好で残って居るかしらん。鉄燈籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、昔し、しゃがんだ人を覚えて居るだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろう筈がない。御倉さんの旅の衣は鈴懸のと云う、日毎の声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。

 これと同じ話が8年後『硝子戸の中』に書かれる。

 それでも内蔵造の家が狭い町内に三四軒はあったろう。坂を上ると、右側に見える近江屋伝兵衛という薬種屋などは其一つであった。それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。尤も此方は倉造りではなかったけれども、堀部安兵衛が高田の馬場で敵を打つ時に、此処へ立ち寄って、枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。私はその話を小供の時分から覚えていたが、ついぞ其所に仕舞ってあるという噂の安兵衛が口を着けた枡を見たことがなかった。其代り娘の御北さんの長唄は何度となく聞いた。私は小供だから上手だか下手だか丸で解らなかったけれども、私の宅の玄関から表へ出る敷石の上に立って、通りへでも行こうとすると、御北さんの声が其所から能く聞こえるのである。春の日の午過などに、私はよく恍惚とした魂を、麗かな光に包みながら、御北さんの御浚いを聴くでもなく聴かぬでもなく、ぼんやり私の家の土蔵の白壁に身を靠たせて、佇立んでいた事がある。其御蔭で私はとうとう「旅の衣は篠懸の」などという文句を何時の間にか覚えてしまった。(『硝子戸の中』19)

 固有名詞を隠して両者を読み較べて、どちらがどちらか分かる人は少ないだろう。『草枕』は小説だから、三本松・鉄燈籠・主人公と一緒に長唄を聴いたかも知れない春の草などの小道具が目立つが、違いはそれだけである。
 『草枕』は明治39年、漱石が本格的に小説を書き始めてから2年目の、『坊っちゃん』に次ぐまとまった作物である。『硝子戸の中』は大正4年、漱石寂滅の前年に書かれた回想記。
 漱石が10年小説を書き続けて、その力量(筆力)が少しも変わらなかったことに驚かされる。漱石はスタートからいきなり最高点に到達し、その水準を維持しつつ、少しも劣化することなしに最後まで突き進んだことになる。これは何人も真似の出来ない業であろう。

 そして画工が昔を思い出すのは2度目である。初回の房州旅行云々のときは、その深更、那美さんの登場シーンを見た。そして今回、風呂の中で三味線の音を聞いて安宅の松が甦ったあと、最大の事件が起こる。

3回 那美さん湯に入る
(P89-12/注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。漲ぎり渡る湯烟りの、やわらかな光線を一分子毎に含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のと云う感じは悉く、わが脳裏を去って、只ひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。)
声を掛けようか迷う~女の裸体は画工には美しい画題~しかし西洋画の裸婦モデルとは一線を隔す~那美さんの裸体は原始の美を発揮している

 男の入っている風呂場に女が侵入して来るというシチュエーションは、後に『三四郎』の汽車の女、『明暗』の浜の夫人によって繰り返された。似たような設定に、女が男の喰い掛けたものを横から奪って食うという、『行人』の女景清のエピソードがある。『それから』の三千代が鈴蘭の鉢の水を飲んでしまう行為も、畢竟意味するところは同じであろう。同衾してしまう(『三四郎』汽車の女、『行人』お直)というのも、それに近い。要するに女の方が積極的である、あるいは女の意思がはっきりしているということで、これは『彼岸過迄』の千代子、『明暗』お延に通ずる話でもある。
 那美さんはすべての漱石の女の先駆者ということになる。例外は『門』の御米と『心』の御嬢さんであろうか。しかし『心』では、漱石は他の作品のようには女を描いていない。その代わり男の方が女の何倍も活躍する。(活躍どころか2人ともとんでもない方向へ走ってしまうのであるが。)
 『門』の御米は唯一、漱石若い女特有の乱暴さがない。もう主婦になっているからか。本ブログ心篇(21)でも述べたが、これは『門』の御米だけが男からの虐待を受けていないヒロインであることに繋がるのだろう。慥かに御米は、小説の中では例外的に宗助に大事にされる。――それは結構なことである。しかし御米はただ幸運にも夫に大事にされているのではない。その前に死ぬるほどの苦しみを味わって、もうこれ以上の虐待を受ける必要がないから受けていないに過ぎない。してみると御米もまた那美さんの血を引いていないと、誰が言えようか。

 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、折角の嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起して、莽と靡いた。渦捲く烟りを劈いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向こうへ遠退く。余はがぶりと湯を呑んだ儘槽の中に突立つ。・・・

 しかし読者の心配を余所に、漱石のどんな女とも似つかない、那美さん独自の姿が画工の眼に焼き付く。画工は困惑を隠さない。自由な女と困惑する男。那美さんの姿はユニークであるが、那美さんと画工の関係は、以後変わらぬ漱石の小説のテーマとなった。