明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 17

313.『草枕』目次(4)第3章――那古井は2度目というけれど


第3章 夜おそく那古井の宿へ到着(全4回)

1回 春の夜の夢
(P27-10/昨夕は妙な気持ちがした。宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊の様な所をしきりに引き廻されて、仕舞に六畳程の小さな座敷へ入れられた。昔し来た時とは丸で見当が違う。)
夜8時の到着~晩い夕食と入浴~女中1人の怪~房州旅行の思い出~長良の乙女とオフェリアの夢

 昨夕は妙な気持ちがした。
 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか①廻廊の様な所をしきりに引き廻されて、仕舞に六畳程の小さな座敷へ入れられた。②昔し来た時とは丸で見当が違う。晩餐を済まして、湯に入って、室へ帰って茶を飲んで居ると、小女が来て床を延べよかと云う。
 不思議に思ったのは、③宿へ着いた時の案内も、晩食の給仕も、湯壺への案内も、床を敷く面倒も悉く此小女一人で弁じて居る。それで口は滅多にきかぬ。と云うて、田舎染みても居らぬ。赤い帯を色気なく結んで、古風な紙燭をつけて、④廊下の様な、梯子段の様な所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、⑤同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降りて、湯壺へ連れて行かれた時は、既に自分ながら、カンヴァスの中を往来して居る様な気がした。

 温泉宿の込み入った造作の模様①④⑤は、10年後に『明暗』で再現された。温泉宿なんてどこもあんなもの、と言う勿れ。『草枕』と『明暗』だけが漱石によってそう書かれている。主人公が何の根拠もなくその温泉地を訪れるのが2度目であるとされるのも、なぜか共通している。ところが互いに再訪して宿の造りも似ているにもかかわらず、今回の旅枕の宿の女中の様子が大きく異なっていた。(前著で述べたように)津田の泊った湯河原の女中がABCDの4名を数えたのに比べ、今回の那古井の宿は1人の女中で切り盛りしていたという(③)。
 漱石は自家に派遣されて来た女中の存在は歯牙にもかけなかったが(厳密に言うと知らん顔していたのではなくて、鏡子の手先として攻撃対象と見ていた)、旅先の直接自分の人生と関係しない女中のことは気になるのである。これもまた「外面は好い」ということに属する話であろうか。

 ここで画工が想い出すのが房州旅行である。漱石ファンにはおなじみの房州旅行の初出となる。

生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州を館山から向うへ突き抜けて、上総から銚子迄浜伝いに歩行た事がある。其時ある晩、ある所へ宿た。ある所と云うより外に言い様がない。今では土地の名も宿の名も、丸で忘れて仕舞った。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟の高い大きな家に女がたった二人居た。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方が此方へと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間をいくつも通り越して一番奥の、中二階へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入ろうとすると、板庇の下に傾きかけて居た一叢の修竹が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫でたので、既にひやりとした。椽板は既に朽ちかかって居る。来年は筍が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
 ・ ・ ・
其後旅も色々したが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿る迄はかつて無かった

 この引用最後の⑦の独言は、たった1、2頁前の②「昔し来た時とは丸で見当が違う」という述懐がどこかへ飛んで行ってしまったかのようである。弱年時の房州旅行を思い出したのはよしとしよう。まるで鏡花の小説にでも出て来そうな夢のような宿の女たち。たとえそれが⑥のように印象に残るものだったとしても、画工が眼前しているのは、今現在の那古井の宿の景色の筈である。
 くどいようだが例えば今回泊った某ホテルが、びっくりするほど穢なかったとして、たまたま大昔に泊った外国のホテルがえらく穢なかったことを思い出したとする。それはいい。人生2度目の経験である。しかし今回泊った某ホテルには以前来たことがあるのであれば、作者の感想としては、

 感動的なまでにキタナイ外国と日本、2つのホテル。
 以前来たときには穢なくなかったのに、今回は様変わりした日本の某ホテルの不可思議。

 どちらに傾くかは人それぞれであろうが、も均等に思い浮かぶはずである。少なくともだけ述べてを閑却するのはヘンであろう。
 昔の那古井宿はどこへ行ったのだろうか。思うに那古井が2度目であるというのは、漱石の真実であっても、画工の真実ではなかったのではないか。
 もっと分かりやすく言うと、漱石は明らかに女中(女)のみに主眼を置いて論じている。上の(くだらない)譬えでいうと、昔泊った外国のホテルに飛び切りの美人がいた。今回泊った某ホテルにそれと匹敵する超絶美人を発見した。人生2度の経験だ。この場合某ホテルにかつて泊まったことがあるか否かは、たいした問題ではなくなる。漱石は女だけを見ている。

 この一種の(身勝手な)集中力が漱石の魅力であり、また乱暴粗雑なところでもある。
あなた位冷酷な人はありはしない」(『猫』第2篇)と苦沙弥の細君はこぼしたが、昔一度来たことのある那古井の宿にしても、きっと同じ思いであるに違いない。

 それからもう1つ、画工の泊まった部屋の床の間には墨で描かれたらしい若冲の鶴の画がかかっていた。『一夜』の読者は「あの部屋」にも若冲があったことを憶い出す。『一夜』の宿と那古井の2度目の宿にのみ、若冲がかかっていた。那古井に前回来たときはどのような部屋に泊まったのだろう。床には何が掛っていたのだろうか。

 床柱に懸けたる払子の先には焚き残る香の烟りが染み込んで、⑧軸は若冲の蘆雁と見える。雁の数は七十三羽、蘆は固より数え難い。籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けの付かぬ所に、あからさまならぬ趣がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠れる人が振り向きながら眺める。
 女は洗える儘の黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇を軽く揺がせば、折々は鬢のあたりに、そよと乱るる雲の影、収まれば淡き眉の常よりは猶晴れやかに見える。桜の花を砕いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「私も画になりましょか」と云う。はきと分らねど白地に葛の葉を一面に崩して染め抜きたる浴衣の襟をここぞと正せば、暖かき大理石にて刻める如き頸筋が際立ちて男の心を惹く。
「其儘、其儘、其儘が名画じゃ」と一人が云うと
「動くと画が崩れます」と一人が注意する。

「画になるのも矢張り骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらしょうともせず、膝に乗せた右手をいきなり後ろへ廻わして体をどうと斜めに反らす。丈長き黒髪がきらりと灯を受けて、さらさらと青畳に障る音さえ聞える。(『一夜』終盤近く)

 『一夜』の宿に若冲があったのはいいとして、漱石はなぜこのような書き方をしたのであろうか(⑧)。「73(羽)」は素数であるが、どこから来た数字であるか。漱石はおそらく実際に蘆雁の数を数えたには違いなかろうが、ふつうではまず考えられないことである。
 そして最後に、『一夜』に登場する男は2人であるが、⑨の引用部分では男2人は同じことを言っているから、この場合の男を1人と見做すと、このくだりはまさに『草枕』そのものである。

 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)