明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 9

305.『草枕』幻の最終作品(3)――もうひとつの『明暗』と『迷路』


 漱石の手帳(メモ)を再度引用する。

〇二人して一人の女を思う。一人は消極、sad, noble, shy, religious, 一人は active, social. 後者遂に女を得。前者女を得られて急に淋しさを強く感ずる。居たたまれなくなる。life の meaning を疑う。遂に女を口説く。女(実は其人をひそかに愛している事を発見して戦慄しながら)時期後れたるを諭す。男聴かず。生活の真の意義を論ず。女は姦通か。自殺か。男を排斥するかの三方法を有つ。女自殺すると仮定す。男惘然として自殺せんとして能わず。僧になる。又還俗す。或所で彼女の夫と会す。(岩波書店漱石全集第20巻『日記・断片下』大正5年断片71B末尾再掲)

 この最後の「彼女の夫との出逢い」こそが、作品のもう1つのテーマと言うべきか。
 運命とも偶然ともつかぬ、例えば大いなる自然の姿に首(こうべ)を垂れるような、大地の懐に抱かれるようなしみじみとした感慨。あるいは何代かを経て安息の地に帰るような、すべてはあらかじめ用意されていたような、また例えば死に行く際に人が感じるかも知れない、奇妙な既視感・臨場感、そしてある種の納得感。
 こういうことであったのか。主人公は思い出の地、あるいは草に枕する旅の地で、運命の定めに恐懼しながらも、旧友と会うことによって却って、なつかしさ・やすらぎを覚える。恩讐は互いにもうとっくに消え去っている。主人公は一炊の夢たる己の生も含め、すべてをそのままに受け入れることに喜びさえ感じる。人も景色も、過去の女の死すら、すべてのものを了解するのである。善悪も正邪もない世界。これを則天去私と言わずして何と言おうか。

 そして作品のタイトルとしては、(『道草』『明暗』に続くのであるから)平易な漢字2文字になるのは想定できるとして、とりあえずはMの音で始まる『迷路』あたりが候補になろうか。もちろん無理を承知で言うのであるが、野上弥生子といえば『明暗』の例もある。

明治39年4月 『坊っちゃん
明治39年8月 『猫』完結。
明治39年9月 『草枕
明治39年10月 『二百十日
明治39年12月 野上弥生子習作『明暗』執筆。
明治40年1月 『野分』
明治40年1月17日(木曜) 漱石野上弥生子宛に巻紙5メートルに及ぶ『明暗』の感想(批評)を述べた手紙を書く。子規以外に漱石からこんな長い私簡を貰った人はいない。
明治40年2月 野上弥生子処女作『縁』漱石の推挽により「ホトトギス」巻頭に掲載。
 ・ ・ ・
大正5年 『明暗』
昭和11年 野上弥生子『黒い行列』(『迷路』プロトタイプ)
昭和12年~31年 野上弥生子『迷路』
昭和60年 野上弥生子没。

 漱石野上弥生子宛書簡は、おそらく木曜会の折に、返却原稿と一緒に野上豊一郎に託されたものと思われる。仮に切手を貼って投函されたものだとすると、野上弥生子の性格上、また当時の婦人(や文人)の習慣からしても、封筒を保存していないということは考えられないからである。
 野上弥生子の習作『明暗』から漱石『明暗』までが10ヶ年。漱石『明暗』(漱石没年)から野上弥生子『黒い行列』までがその倍の20年。これだけの期間があれば野上弥生子も『迷路』以外に『迷路』にふさわしいタイトルを思いつくのではないか。(『夜明け前S10』『暗夜行路S12』『細雪S23』に匹敵するような。)
 野上弥生子の『迷路』執筆期間がやはり20年。『迷路』完結から没年(百歳)までが30年。それから今日まで既に37年を数える。歳月のスケールだけはとても漱石の比ではない。

 ところで漱石の小説のタイトルというのは、3部作ごとに一定の取り決めが存在するもののようである。青春3部作においては、『三四郎』という題は当然ながら独自であるが、『それから』『門』は一般にもよく使われる、漱石を離れれば普通の文字・言葉である。次の中期3部作では『彼岸過迄』『心』がやはり言葉としてありふれており、『行人』だけがユニークな趣きをもつ。晩期3部作はすでに『道草』『明暗』というシンプルでなじみやすい言葉が使用されており、『迷路』に匹敵する、あるいは『迷路』に代わる候補は他にないだろうか。
 主張のない言葉、これ見よがしでない単語でかつ詩にもなりうる言葉。それでいて漱石だけが付け得るような独自の響きを有つ小説の題名。仮にそれを、いくつもない漱石漢詩文の中から探ってそのヒントとするなら、ここで論者の提案する候補は、『横雲』であろうか。
 雲は漱石の好きな字であり、どのような場面にも使える便利な言葉である。そこから『夏雲』『行雲』『巻雲』なども思いつく――。

「春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空」(定家)

 まあ漱石は(子規同様)新古今など意に介さないだろうが、それはまた別の話である。

幻の最終作品目録
一 初恋の人との出会いと別れ
二 未練そして再会
三 最初で最後の告白
四 驚き同時に喜ぶ女
五 始めて自分の力で勝ち取った至福
六 運命による復讐と女の死
七 贖罪の日
八 友との邂逅と最後の会話
九 救いと復活(があるかないか)

 前の項で述べた9つの交響曲ではないが、まるで9つの楽章を持つオラトリオのように奏されるであろう漱石最後の作品を以って「則天去私3部作」は完成される(はずであった)、というのが論者の考えである。