明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 23

109.『門』一日一回(1)――『門』目次第1章~第3章(ドラフト版)


 漱石は胃の不調もあったが、『門』をほぼ一日一回のペースで執筆した。その意味で『門』は『明暗』の魁となる小説である。『門』と『明暗』は似ている。この2作は、『彼岸過迄』『行人』『心』の短編形式中期三部作や、自伝的要素の強い『道草』等と、明らかに一線を劃すつがい・・・の作品である。主人公夫婦二人を描いた物語であることも共通しているし、小説の「主格」が、(1人称にせよ3人称にせよ)ふつうは一人であるべきところ、(規模はまったく異なるが)二人に亘ることも、また共通している。
 それで1日に1回ずつ書いた漱石に敬意を表して、論者も1回ずつ目次に加えて簡単なコメントを書き添えることにする。論考とは無関係の単なる感想・メモ・蛇足になるだろうが、門篇はこれでおしまいにするつもりであるから、補足説明の意味合いもある。

第1章 宗助手紙を書く
明治42年10月31日(日)
(宗助・御米・小六)
1回 宗助は海老のように身体を折り曲げて縁側で日向ぼっこをしている。
2回 茶の間につづく座敷の外には崖が迫って、朝のうちは日も射さない。
3回 宗助が散歩に出掛けた留守に小六がやって来る。(宗助不在の回)

1回
 身体を海老のように丸めて寝るのは、胃腸の弱い人に特有の習慣である。漱石と並ぶ国民作家長谷川町子も、アイデアを出すためにスルメを齧る癖があり、そのせいで終始胃痛に悩まされた(胃痛とスルメに因果関係はないと思うが長谷川町子はそう信じていた)。2人は似ているのである。

2回
 宗助の家が崖の下にあって日当たりが悪いことは、日本のすべての読者が同情的に納得するが、果たしてそうだろうか。野中家の東側が崖(地層面)でなく、2階建の屋敷だと書かれていれば、当然ながら小説の雰囲気は随分変わってくる。しかし高層マンションが立っているわけじゃあるまいし、日照については、(朝のうちに限っても)それほど違いはないのではないか。隣りが崖であれ家屋であれ、夜が明ければそれなりに明るくなるのではないか。そしていったん昇った太陽は(雲さえなければ)、平屋の貧しい家にも公平に射すのである。

3回
 そして『三四郎』『それから』と読んできて、ここで始めて読者は主人公が表舞台から消え去るシーンを目撃する。(『明暗』では第45回で読者は同じ体験をする。)宗助は漱石作品で始めて罪を犯した男として登場するが、思うに漱石は倫理的罪を犯した宗助と一心同体であることに我慢出来なかったのであろう。時々(息抜きのように)宗助を離れたかったのであろう。

第2章 宗助散歩をする
明治42年10月31日(日)
(宗助・御米・小六・風船ダルマの男・清)
1回 宗助は日曜なのにいつもの電車に乗って、また違う風景を楽しむ。
2回 宗助は駿河台下で電車を降りて、色々な店のウインドウを覗き込む。
3回 宗助は江戸川橋の終点に帰り着く。「誰?兄さん?」

1回
 漱石が電車通勤した経験がなかったことは、この回の書きぶりでも分かる。勤めが休みのときに同じ電車に乗ってみようという発想は珍しい。漱石は嘘は書かない。散歩がてらなり用事なりでいつも乗る電車の路線が、宗助の通勤の路線と重なっただけである。

2回
 達磨の形をしたゴム風船を売る男は「黒い山高帽を被った三十位の男」と書かれる。宗助も三十くらいである。自分(宗助)と同年配の男と、漱石はなぜ書かなかったのだろう。それは漱石がこのとき四十くらいだったからに他ならないが、この風変わりな大道芸人は『明暗』にも登場する。

3回
 前述したが、「誰? 兄さん?」という御米の言葉は何遍読んでも不思議である。それでいて他の言葉に置き換えられない。このとき漱石は、宗助・御米・小六の3人全員に平等に降臨していたのではないか。帰宅した宗助と座敷から出て来た小六は玄関で顔を合わせた。そこへ台所にいる御米が物音を聞いて上記の声掛けをしたのであるが、漱石はこの3人の存在を一手に引き受けて、3人共が納得するセリフを御米に吐かせた。真似したくても出来ないのが漱石の文章作法である。

第3章 宗助晩酌をする
明治42年10月31日(日)
(宗助・小六・御米・清)
1回 銭湯から帰る宗助と小六。猪口付きの夕食。
2回 伊藤公暗殺~満洲は物騒な所~御米は妙な顔をして宗助の顔を見る。
3回 小六は宗助が佐伯に学資の交渉をしてくれないのが気掛かりだが、宗助は神経衰弱らしい。

1回
 昔から酒豪の作家を驚倒せしめた漱石の晩酌シーンは、漱石ファンには微笑ましく映るが、一方漱石とは正反対に「いくらでも飲む」代助もまた、それがゆえに親近感を抱かせる。飲めても飲めなくても人気がある。それもまた漱石の徳であろう。小説の発想や組み立てが、酒にも他の物にも依存することがないのである。

2回
 伊藤博文に限らず漱石は明治の元勲に興味はない。といって徳川にも何の恩顧も感じない。漱石もまた、自分の主人は自分一人なのである。そして「満洲」に対する御米たちの反応。芋を埋めてあるのは『明暗』に限ったことではない。『門』もまた、それらを掘り起こしつつ進行するのである。

3回
「姉さん、さようなら」こういう何でもない挨拶をちゃんと書く。前述したが、小六が来たときの「やあ、来ていたのか」。ちゃんと書いて陳腐にならず、くどくもならず。繰り返すが、真似して出来るワザではない。試しにこのくだりを削除して本文を読み直してみると分かる。漱石は必要だから書いたのである。それもごく平易に。