明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 10

306.『草枕』あぶない小説(1)――始めて描かれたヒロイン


 『草枕』の最大の特長は那美さんというヒロインの造形であろう。ヒロインとしては金田富子、マドンナに次いで3番目の登場であるが、前2者はほとんどセリフがない。那美さんが始めて生きて自分の意思でしゃべるヒロインとなった。

「始めて」という言い方には疑義があるかも知れない。『猫』には三毛子、苦沙弥の細君、雪江さんも登場する。短篇では『琴のそら音』の宇野露子、『趣味の遺伝』の小野田の令嬢、『一夜』の涼しき眼の女もいる。
 しかし三毛子は所詮三毛猫であるし、雪江さんは女学生、苦沙弥の細君は20代であるが3人の子供のいる、どう考えても一般家庭の母である。露子さんや寂光院も、3言以上はしゃべっていない。
 その意味で那美さんのプロトタイプは、(『草枕』の1年前に書かれた)『一夜』の女であろうか。この女も寡黙ではない。『一夜』の女はどんな女か。

①男2人を前にして、ふつうの若い女のように恥ずかしがることがない。
②怖がることもない。
③玄人みたいなところがある。

 図々しいまでに落ち着いている、というのは長野二郎によるお直の評であるが(『塵労』6回)、漱石の女には皆通ずるところがある。那美さんはその典型にして元祖であろう。

 そしてこれが一番特徴的かも知れないが、

④文芸に趣味がある。

 ということが(『一夜』の女と)那美さんの存在を独自なものにしていると言える。
 漱石は小説を書き始めた頃は、女性が詩や小説を読むことを忌避しなかった。『草枕』と『虞美人草』がその双璧であるが、『猫』でも女性は新体詩を捧げられたり付け文を貰う存在であるとされていた。
 ターニングポイントは『三四郎』と『それから』であろうか。美禰子は煤煙事件がきっかけに生れたにせよ、小説の中でも多分に才女的に描かれている。へたをするとコントの1つくらい書きかねない勢いである。しかし『それから』以降漱石は女に読書を禁じた。まるで長女(筆子)の成長に合わせるかのように、文芸に興味を持つ女性を作品から放逐した。
 しかしそんなことにあまり影響を受けなかったのが、漱石文学の女の描かれ方である。美禰子までのヒロインと三千代以降のヒロインに本質的変化は見られない。そこが漱石の公正たる所以であるが、言い方を変えると、那美さんの文芸趣味は那美さんの魅力を、増やしも減らしもしなかったということか。

 もう1つ挙げれば、

⑤あぶなっかしいまでに乱暴なところがある。

 というところであろうか。『一夜』の女も詳しくは書かれないものの、十分に乱暴なところはあるようだ。那美さん以降のヒロインも、⑤については全員が該当しよう。漱石の女で乱暴なところのない女はいない。皆思い切りがよくて度胸がある。崖があったらすぐ飛び込みそうである。例外があるとすれば、『虞美人草』の井上孤堂の1人娘小夜子くらいだろう。しかし小夜子にしても(父親に従ってではあるが)はるばる関西から未知の地東京へやって来ており、いざとなれば芯の勁さを見せるのかも知れない。とは言え前述したように、『虞美人草』はとうに漱石の書棚から消えていた(勿論象徴的な意味においてであるが)。
 あぶない女のチャンピオンは那美さんであろうが、『草枕』における那美さんのもう1つのユニークな特長として、少し論旨の毛色は異なるが、

⑥小説に登場するたび、その登場の仕方がいちいち芝居がかっている。

 というのがある。

「あの女は家のなかで、常住芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然に芝居をしている」(『草枕』12章)

 小説の中でそのたびに印象的な登場の仕方をするのは、やはり『三四郎』(美禰子)にそのまま受け継がれ、『それから』の三千代にその片鱗を残しつつ、『門』以降ではせいぜい初登場シーンくらいに抑制されるようになった。しかし女の登場シーンに力が入るのは漱石の伝統といえよう。漱石といえども、どうしても意識(緊張)してしまうのかも知れない。

 それで那美さんの登場シーンであるが、『草枕』では全部で13回に分けて描かれる。

1回 初登場は宿へ着いた最初の夜。1時10分。庭かその先の渡り廊下で歌を歌っていた。(3章)
2回 さらに深更。床で半分夢の中にいると、部屋に侵入してきた。押入れから小袖か何かを取り出したようだ。(3章)
3回 朝。風呂場に行って5分間の入浴。濡れたまま風呂場の戸を開けると、「御早う。昨夕はよく寝られましたか」待ち構えていたように着物をさっと肩にかけてくれた。(3章)
4回 昼前。遅い朝食。膳を引く下女が襖を開けると、中庭を隔てた向こう2階の欄干に頬杖をついて下を見ていた。(4章)
5回 改めて正式なご挨拶。「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」青磁の皿に盛られた青い練羊羹。(4章)
6回 座敷で詩作にふけっていると、向こう2階の椽側を振袖姿で歩いている。黙ったまま何度も往復しているようである。何をしているのか。(6章)
7回 湯泉に浸かっていると突然風呂場に入って来た。有名な全裸の浴場シーン。最後に高い笑い声。気が狂っているのか。(7章)
8回 座敷で個人レッスン。西洋の小説を読み聞かせる。地震。非人情の世界。この章全体が画工と那美さんの記念すべき章となった。(9章)
9回 鏡が池でイーゼルを立てて写生をしていると、高い岩の上に立っているのが見える。ひらりと身をひねった。びっくりしたが、岩の向う側へ着地したようだ。(10章)
10回 写生に出かけようと襖を開けると、向こう2階に白鞘の短刀を持って佇んでいる。何だか危ない。(12章)
11回 村を出て山へ写生に行く。路で那美さんと野武士が向き合っている。那美さんの懐には短刀が。しかし那美さんは男に金を渡す。(12章)
12回 男と別れた那美さんに見つかった。野武士は那美さんの亭主であった。食い詰めて満洲へ渡るという。帰りしな那美さんは、出征する従兄弟の久一に短刀を渡す。短刀は餞別であった。(12章)
13回 鉄道駅に久一を見送る。「死んで御出で」列車の最後尾に野武士の顔が。「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」(13章)

 全13章のうち那美さんの登場しない章も5つある。残り8章で13回。そもそも各回の登場シーンばかりでなく、那美さんはその一挙手一投足が芝居がかっているとされているのである。有り体に言うと尋常な女ではないということだ。村人の中には狂人扱いする者さえある。しかし主人公と作者だけが、かろうじて露骨にはその断を下してはいない。モデルたる前田某女が怒りまくったという話を聞かないのは、そのためだろうか。
 そうではなく、これは作品をちゃんと読んでいなかっただけと思われるが、もう縁者も誰もこの世にはおるまいから、これ以上揉める心配はないのであるが、当時よく問題にならなかったと感心させられる。
「触れなば落ちん」というふうに書かれることは、これは仕方ないことかも知れない。男の側のせいでもある。しかし明らかに精神状態に問題があるように書かれたのでは、(しかも代々の血筋がそうであるように書かれたのでは、)モデルにされた女性とその係累はたまったものではあるまい。