明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 27

194.『帰ってから』1日1回(5)――女景清「ごめんよ」事件


 ここで一部重複するが、前著(『明暗』に向かって)で女景清についてまとめた項を再録したい。女景清のベーシックな問題点が整理されると思う。

41.女景清「ごめんよ」事件

 『明暗』はユニークな小説ではあるが、漱石の作品群の中で単独に聳え立っているわけではない。その中で作品の構造として『明暗』に似ている漱石の小説は、『猫』『虞美人草』『行人』の3作品であろう。
 『明暗』は漱石の集大成ともいえる作品であるが、『猫』にもまた処女作にその作家の全てがあるという意味で漱石の全てがある。ボリュウムもほぼ等しい。ちょっと見には片方は筋もなく思いつくままに書き流したような体裁を取り、もう片方は緻密な設計図に基づいて丹念に構築されたという印象を与える。まるで正反対のようにも見える両者は、その制作の思想という観点から見ると案外似ている。『猫』も『明暗』も作者の「私」を去って天の命ずるままに物語が進んでいるからである。(十箇年の作家生活を経て)漱石の中にひとつの新しい思想が醸成されて、それが『明暗』に結実したとする意見はあまりにも便宜的で、そんな(他人にとって)都合のよい話がある筈がない。40歳と50歳で漱石が別人になるわけでもない。
 『虞美人草』は会話で成り立っている複数主人公の通俗小説という面で、『明暗』のさきがけとなっている。『虞美人草』は漱石の気持ちの中では失敗作という位置付けであろうし、漱石がその後『虞美人草』をじっくり読み直したふうにも見えないが、『虞美人草』を9年後の熟練した筆遣いでリライトしたものが『明暗』であるとする見方も、あながち的外れとは言いがたい。藤尾の悲劇をお延に重ねる読者もまた多いのである。(こちらは少し外れていると思うが。)
 小説としての結構が細部まで似通っているのは『行人』であろう。前述したように『行人』は分かりにくい作品であるが、「友達」「兄」「帰ってから」と中断後の「塵労」はまず別の小説と考えた方がいい。半年の中断というのは漱石のキャリアからすると、とても同じ小説の続きを書き出せるとは思えないからである。その「塵労」が切り離された感じで独立していることさえ、津田の道行きがそれまでの『明暗』の進行から浮いた感じを与えるのと共通している。『行人』で一つ一つ提出された疑問、公案のようなものが『明暗』ですべて解答を与えられている。そこまで行かなくても、『明暗』でさらに問い直されている。
 ここで何度目かに取り上げる女景清のエピソードは、『行人』の「帰ってから」13回から19回までの7回に渡って二郎の父による、本筋とは直接関係はない、いわば「外伝」の一つである。(『明暗』の登場人物の口論バトルも、ある意味では物語の本筋と直接関係しないことの多い「外伝」の集積のようなものである。そのために話が異様に長くなったのである。)

 男は20歳、高等学校に入った頃。まず漱石本人と見て差し支えない。坊っちゃんであるという。女は同い年、同じ家の召使いのような立場。「其男と其女の関係は、夏の夜の夢のように果敢ないものであった。然し契りを結んだ時、男は女を未来の細君にすると言明したそうである。」(『行人/帰ってから』14回)というのが事件の発端。次に男がすぐ後悔して正直にもまともに破約を申し込む。女は黙って去って、それから20何年間何事もなく打ち過ぎた。これが男の「ごめんよ事件」とされる。男女とも生きていれば40代。『行人』の頃の漱石は47歳(長女筆子15歳)であったから、まあ彼らも45歳くらいか。男の方の長子も12、3歳とある。
 男は女を去るとき「僕は少し学問する積だから三十五六にならなければ妻帯しない」と「余計な事を其女に饒舌っている」(同15回)が、大学を出るとすぐ結婚している。(といってもこの場合は30歳くらいか。)それはいいとして、2人はその20何年後有楽座(邦楽名人会)で偶然再会する。女は気の毒にも盲目になっていた。それから男はその女の所在をつきとめ、「二郎の父」を通して、その女に金品を贈ろうとして拒絶されるという小喜劇が、この「女景清」の概要である。
 女は当時から男に対し何の含むところも持たない。家を出るとすぐに嫁ぎ、夫には先立たれたが(20何年経っているわけだから)子供も2人立派に成人しているようである。男の現在ある地位を確認したあと、「定めてお立派な奥さんをお貰いになったで御座いましょうね」と父に聞く。

「ええ最う子供が四人(よつたり)あります」
「一番お上のは幾何にお成りで」
「左様さもう十二三にも成りましょうか。可愛らしい女の子ですよ」
 女は黙ったなり頻りに指を折って何か勘定し始めた。其指を眺めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しが付かないと思った。
 女は少後間を置いて、ただ「結構で御座います」と一口云って後は淋しく笑った。然し其笑い方が、父には泣かれるよりも怒られるよりも変な感じを与えたと云った。(『行人/帰ってから』17回)

 20歳のとき35、6まで結婚しないと宣言した男が、それから「20何年」経って今12、3の子を持つ。ちょっと早いといっても、たかだか3、4年かせいぜい5、6年である。指を折らなくても、自分の子(成人)と12、3の子の年差を考えただけでも、男が10年ほどは頑張っていたことが分かる。取り返しがつかないほどの大失態ではなかろう。(だいたい指を折るという仕草自体、折った指を見ることが出来ない以上、健常者の発想であろう。と言えば漱石に対し酷に過ぎようが。)しかしたとえ15年と言った男が、10年で結婚したとしても、ふつうの女が、まして自分はすでに家庭に収まった女が、そこまで男の言った事にこだわるだろうか。こだわるとすれば、嘘を吐くことの出来ない漱石の方であろう。それとも女が結構だと言ったのは、大きく違約しないのは感心であるという意味なのか。すると父がこんなに困惑する理由が不明である。二郎の父もまた漱石のように、数年の齟齬に人生の基盤をゆすぶられる思いがしたのであろうか。
 それならばもっと気にするべきなのは、もうひとつの女の質問、あのとき男が女に破約を申し入れたのは、(単に若すぎたゆえの「ごめん」だったのではなく、)女の中に何か嫌気がさすような欠陥(癖・仕草・物言い)を発見したのではないかという、むしろこの方が、何10年たっても消えることのない切実な疑問であろうから、これに対しては本人に探索を入れるべく、もう一度出直して後日改めて返答する、というのが筋ではなかったか。ところが父は、本人の心の内は20何年前のことでもよく承知しているとばかり、適当にごまかしつけて、何とか女を納得させたと自慢気に言って、あとで一郎を憤慨させている。そして父の軽薄さを引き継いでいる者として、そのとばっちりが二郎にまで来たことを思えば、この女景清の話の後半の真意は、父の人間性への攻撃であったろうか。男(漱石自身)の不始末の尻が、身内の年長者(父・叔父等)へ持って行かれたわけである。

〈 女景清「ごめんよ」事件 引用畢 〉