明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 28

195.『帰ってから』1日1回(6)――長野家の秋


第5章 長野家の秋(11月)
    二郎・一郎・お直・母・お重・三沢

第20回 兄と自分Ⅰ 二郎は結婚前の直を知っていた~母もすすめる二郎の独立問題「二郎、学者ってものは皆なあんな偏屈なものかね」
第21回 兄と自分Ⅱ 一郎は父の軽薄に憤る~女景清の女に対する父の不誠実さをなじる~二郎に対しても、直の報告をとぼけていると言って責める
第22回 兄と自分Ⅲ 二郎は直について特に問題になるようなことはないと断言する~一郎の怒り「此馬鹿野郎」「お父さんのような虚偽な自白を聞いた後、何で貴様の報告なんか宛にするものか」
第23回 家を出るⅠ 早く家を出たい~三沢に相談「君がお直さん抔の傍に長く喰付いているから悪いんだ」
第24回 家を出るⅡ 下宿探し~お重との仲直り~母の言葉「二郎たとい、お前が家を出たってね」
第25回 家を出るⅢ 父に報告~嫂の言葉「其方が面倒でなくて好いでしょう…そうして早く奥さんをお貰いなさい…早い方が好いわよ貴方。妾探して上げましょうか」
第26回 兄と自分Ⅳ 兄に報告「出るなら出るさ。お前ももう一人前の人間だから」~二郎は就職していた~「然し己がお前を出したように皆なから思われては迷惑だよ」
第27回 兄と自分Ⅴ「一人出るのかい」~二郎は混乱する~兄の始めての笑い~兄もまたヒステリィか~パオロとフランチェスカの恋
第28回 兄と自分Ⅵ「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとする積か」~兄の精神は異常を来たしているようだ「何で貴様の報告なんか」「二郎たとい、お前が家を出たってね」

 女景清の父の講釈同様、和歌山における兄と母の二郎への宿題も、尻切れトンボに終わったようである。兄は突然ブチ切れて、もう二郎の報告なんか聞きたくないと言うし、母の相談というのは単に家を出て独立することだったのか。しかし母も言う通り、二郎が家を出たからといって、何も解決するわけではない。そもそも母は問題を解決すべく何事かを提案できる人間ではない。

「妾探して上げましょうか」
 嫂は二郎が家を出ることを母から聞いていた。「二郎さん、あなた下宿なさるんですってね。宅が厭なの」嫂が二郎にかけた言葉は、嫂の親しみとも取れるが、皮肉とも取れる。坊っちゃんも(漱石も)女の皮肉屋は嫌いである。しかし読者はここへ来て何となく気付く。女景清とはお直のことだったかと。

「一人出るのかい」
 家を出るに当たって、二郎が兄に言われた「一人出るのかい」というセリフは、漱石の恐ろしい想像力を天下に示すものであろう。よくこのような言葉を思いつき、なおかつ書いてしまえるものだと感慨に堪えない。もちろん書きっ放しではない。後段でお直が二郎の高等下宿を訪れて言った懼るべき言葉(女は人の手で植付けられた鉢植のようなもので、誰か来て動かしてくれないと一生動けない)に直接繋がる。
 漱石は「一人出るのかい」というセリフを、「お直を連れて一緒に出るのかい」という二重の意味を込めて使っている。それをそのまま書かないための百回に及ぶ連載である。二郎は当然兄の精神状態を疑わざるを得ない。これが漱石の小説世界で最低限保たれるべき倫理観であるからには。

 前述したが、この一見実りのないような、出口が見えない議論が、『心』『道草』という特異な作品を間に介して、『明暗』の主人公たちの、どこまでも続く意見交換(対決)につながるのである。『明暗』の延々と続く議論の源泉は、『行人』にあったのである。

第6章 二郎の独立(11月~12月)
    二郎・母・父・三沢・B先生・(一郎・お直)

第29回 家を出るⅣ 嫂の淋しい笑い「もう御出掛。では御機嫌よう。又ちょくちょく遊びに入らっしゃい」~二郎は有楽町の設計事務所に勤めていた
第30回 家を出るⅤ 下宿した二郎は孤独のせいか神経過敏に~久しぶりに三沢を訪ねる~一郎の講義が少しヘンだったという学校の噂~思い当たった二郎は恐怖する
第31回 家を出るⅥ 出帰りの娘さんの三回忌の話「何故そんなら始めから僕に遣ろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして」「一体君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか」「ないさ」~精神病で繋がる娘さんと三沢、そして兄
第32回 家を出るⅦ お重の結婚相手に三沢の名前が~兄の神経は大分落ち着いて来たらしい~しかし風邪を引いて妙な譫言を言った~母の話「神経衰弱のものは少しの熱でも頭が変になる」

 気持ちの良い季節(10月)は『行人』には似合わないとばかり、秋は9月から11月へ飛んでしまう。庭のアオギリ丸坊主になった頃二郎は実家を出るが、漱石は寒がりだったから、11月の後半は漱石の中ではすでに冬なのであろう。『明暗』でも紅葉と外套・襟巻・ストーブは同時期に描かれる。

 就職口を求める敬太郎と高等遊民予備軍の市蔵。同じモチーフを繰り返したくない漱石は、二郎と三沢の「同じ」関係に少し手を加えて、2人の専攻を理系にしたようである。二郎の事務所が設計事務所らしいことは後に明かされるが、すると事務所のオーナーB氏が学生を1人欲しがったとして、その話を(甥の)H教授に持って行くということは、(いくら血族とはいえ)H教授が建築科の教授(または講師)であったとしか考えられない。専門分野の学生を、担当教授を蚊帳の外に置いて獲得するということはあり得ないからである。H教授はたまたま自分が保証人になっていて遊んでいる三沢という卒業生を推薦した。それはいいが、文科の教授(としか思えない)一郎は建築科のH教授と同僚の付き合いをして、一緒に旅行をしたということになる。漱石と米山保三郎のかつての交友のオマージュにはなろうが、不自然であることに変わりはない。漱石もそれは気になったのであろう、オーナーB氏のことを「B先生」と書いて、なるべく大学のイメジに近づけようとはしている。

 二郎は三沢を介して勤め始めたが、それも(新しい下宿同様)、結局仮の姿のようである。自分の仕事は二の次で、三沢の話と兄の話の方が大事である。三沢の話の先には自分の結婚話があるようでもあり、兄の話の先には当然嫂の存在がある。
 その三沢の話(女の話)については、やはり項を改めなければならないだろう。