明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 26

193.『帰ってから』1日1回(4)――女景清と和歌山の夜


 もうひとつ、こんなところに女景清の逸話が長々と挿入された理由についてだが、この逸話の前半部分「夏の夜の夢のような儚い関係」が、1ヶ月前の和歌山での二郎とお直の、「一夜の夢」と対になっていることは、論者には疑いようがないと思われる。
 同居する同年くらいの男女。男が坊っちゃんであること、女が積極的であったらしいことも共通している。2人の関係はどんな形にせよ生き通せるはずもなく、男が生涯女の後塵を拝することになるのも、(彼らが別々に生きたとしても)そうなることは、また目に見えている。
 短気だが呑気なところもある二郎は気が付かなかったのだろうか。たしかに二郎はそんなことに思いが寄るにはあまりに善良な男ではある。一郎はどうか。一郎は鋭敏な頭脳と性格の持主であるが、世間の綾は解しない。こういう際どい人間関係の機微は分からない。(だから一緒に泊まって貞操を試せなどと言う。あるいはいったん関係が付くと男は離れ女は云々と言う)お直だけが察知したのだろうか。お直に意見があるなら、母もまたお直と同程度には意見を持つだろう。母がこの会に顔を出さなかったわけである。もしかしたら坊っちゃんは母(綱)の縁者だったのかも知れない。

 その和歌山一泊事件について、二郎とお直の最後の記述は、原稿(初出)ではこうなっている。

「あなた昂奮昂奮って、よく仰しゃるけれども妾ゃ貴方よりいくら落付いてるか解りゃしないわ。何時でも覚悟が出来てるんですもの」
 自分は何と答うべき言葉も持たなかった。黙って二本目の敷島を暗い灯影で吸い出した。自分はわが鼻と口から濛々と出る煙ばかりを眺めていた。自分は其間に気味のわるい眼を転じて、時々蚊帳の中を窺った。嫂の姿は死んだ様に静であった。或は既に寝付いたのではないかとも思われた。すると突然仰向けになった顔の中から、「二郎さん」と云う声が聞こえた。
「何ですか」と自分は答えた。
「貴方其処で何をして居らっしゃるの」
「煙草を呑んでるんです。寝られないから」
「早く御休みなさいよ。寝られないと毒だから」
「ええ」
 自分は蚊帳の裾を捲くって、自分の床の中に這入った。自分は夫から殆ど一言も嫂と言葉を交えなかった。然し自分は寝なかった。腹の中には嫂に聞かなければならない事がまだ沢山ある様に思われた。嫂も眠らなかったらしい。けれども其腹の中は自分に能く解らなかった。

     三十九

 翌日は昨日と打って変って美しい空を朝まだきから仰ぐ事を得た。
「好い天気になりましたね」と自分は嫂に向って云った。
「本当ね」と彼女も答えた。
 二人は能く寝なかったから、夢から覚めたという心持はしなかった。ただ床を離れるや否や魔から覚めたという感じがした程、空は蒼く染められていた。(『兄』38回末尾~39回冒頭)

 この引用部分の、ボールドで示した部分が、初版では削除されている。例の新聞切り抜きである。煩雑を厭わずにその「完成形」を次に示す。ボールド以外の部分は両者に違いはない。

「あなた昂奮昂奮って、よく仰しゃるけれども妾ゃ貴方よりいくら落付いてるか解りゃしないわ。何時でも覚悟が出来てるんですもの」
 自分は何と答うべき言葉も持たなかった。黙って二本目の敷島を暗い灯影で吸い出した。自分はわが鼻と口から濛々と出る煙ばかりを眺めていた。自分は其間に気味のわるい眼を転じて、時々蚊帳の中を窺った。嫂の姿は死んだ様に静であった。或は既に寝付いたのではないかとも思われた。すると突然仰向けになった顔の中から、「二郎さん」と云う声が聞こえた。
「何ですか」と自分は答えた。
「貴方其処で何をして居らっしゃるの」
「煙草を呑んでるんです。寝られないから」
「早く御休みなさいよ。寝られないと毒だから」
「ええ」
 自分は蚊帳の裾を捲くって、自分の床の中に這入った。

     三十九

 翌日は昨日と打って変って美しい空を朝まだきから仰ぐ事を得た。
「好い天気になりましたね」と自分は嫂に向って云った。
「本当ね」と彼女も答えた。
 二人は能く寝なかったから、夢から覚めたという心持はしなかった。ただ床を離れるや否や魔から覚めたという感じがした程、空は蒼く染められていた。
 自分は朝飯の膳に向いながら、廂を洩れる明らかな光を見て、急に気分の変化に心付いた。従って向い合っている嫂の姿が昨夕の嫂とは全く異なるような心持もした。今朝見ると彼女の眼に何処といって浪漫的な光は射していなかった。ただ寝の足りない瞼が急に爽かな光に照らされて、それに抵抗するのが如何にも慵いと云ったような一種の倦怠るさが見えた。頬の蒼白いのも常に変らなかった。(昭和50年版漱石全集第5巻『行人/兄』38回末尾~39回冒頭)

 女景清の「夏の夜の夢」に影響されて、漱石はこの散文的な2、3行を抹消したのだろうか。慥かにその方が文学的ではある。しかし決して余分な記述ではない。むしろ余韻を残されては都合の悪い箇所ではなかったか。思わせぶりや無用の誤解を生むことは、漱石の最も忌避するところである。おまけにこの削除によって、「二人は能く寝なかった」という、視点が二郎を離れてしまった書き方が、いっそう気になってくる。お直もまた寝られなかったであろうことは、お直の人となりから充分理解されるし、少なくとも睡眠不足に関していえば、「寝の足りない瞼」で充分であろう。
 もちろん漱石の修正を否定することは何人も出来ない。しかしそれを活かすなら、ここでは取り敢えず「二人は」の部分を改訂する必要があるのではないか。

誤 二人は能く寝なかったから、夢から覚めたという心持はしなかった。

正 自分は能く寝なかったから、夢から覚めたという心持はしなかった。

 すると次の文の「自分は朝飯の膳に向いながら」の「自分は」が続くことが気になるし、「寝の足りない瞼」の前に一言、嫂もまた眠れなかったことにも触れておきたくなる。つまり前後の文章全体の問題にまで発展してしまう。
 分かりにくいようであれば、もう一度、「二人は能く寝なかったから」の部分を、「自分と嫂は能く寝なかったから」に置き換えて、38回末尾から39回冒頭の部分を読み直していただきたい。(「嫂も眠らなかったらしい」という記述が削除されている以上、)これでは文章が繋がらないことがお分かりになると思う。

 ファンゴッホは絵の具を直接カンヴァスに絞り出したような画を描いたが、塗り直しやタッチの修正を(確信的に)一切行わなかった。それによって作品が良くならないことを識っていたからである。漱石のような、脳味噌をチューブから直接原稿用紙に絞り出すようにして書くタイプの作家は、1ヶ所の手直しが色んな箇所に影響して、結局直さなければよかったというふうになりかねない。直すくらいなら別なものを最初から書いた方がいい。志賀直哉は『暗夜行路』の結びでとんでもない主格の変更をやってのけたが、生涯修正の必要を認めなかった。(これは小説の最後で主人公の名前を間違えたに等しいが、志賀直哉は逃避するのではなくて、誠意を以って突っ撥ねたのである。)

 漱石もまた「修正派」の作家ではなかった。「新聞切り抜き」は漱石の病気のなせるわざであったろう。それだけ新聞紙面の誤字誤植が気になったのだろうが、編集者が最初期にきちんと対応しておけば、こんなことにはならなかったと思われる。漱石の選んだ(専門の編集者のいない)新聞小説には、いいところも悪いところもあったのである。