明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 24

191.『帰ってから』1日1回(2)――女景清の秘密


第3章 長野家の人々とお貞さんの結婚問題(9月)
    二郎・一郎・直・芳江・父・母・お重・お貞さん

第5回 ある夕餉Ⅰ 秋になると一郎も二郎も生き返った気がする~しかし兄は相変わらず憂鬱「己の綾成す事の出来ないのは子供ばかりじゃないよ」
第6回 ある夕餉Ⅱ「結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ」~お貞さんの涙~「二郎、此間の問題もそれぎりになっていたね」
第7回 ある夕餉Ⅲ 純情なお貞さん~兄の鬱屈~お重の苛立ち「兄さん、其プッジングを妾に頂戴。ね、好いでしょう」
第8回 お重の短気Ⅰ 佐野とお貞さんの結婚問題~二郎とお重の諍い~お重の涙「御前は嫂さんに抵抗し過ぎるよ」「当前ですわ。大兄さんの妹ですもの」
第9回 お重の短気Ⅱ 二郎とお重の大喧嘩「嫂さんはいくら貴方が贔屓にしたって、もともと他人じゃありませんか」~すべての問題が結婚につながる
第10回 お重の短気Ⅲ「お重さん是お貞さんのよ。好いでしょう。あなたも早く佐野さん見た様な方の所へ入らっしゃいよ」~父は翌日お重を連れて三越へ出掛けた

 長野家で若い人間といえば、お直・二郎・お重・お貞さんの4人。既婚者はお直だけである。ここでお貞さんが結婚へ向けての準備が進んでいる。愛すべきお重のヒステリィを引き受けるのが二郎である。しかし二郎とお重の(仲の好い兄妹の)諍いの根源にはお直の存在がある。一郎とお直の問題、母から見たお直と二郎の問題は、(小説の上では)しばらくペンディングである。しかしこの家族に問題があるとすれば、その一番の責任者は(戸主の)一郎であろう。漱石はそうは思わないだろうが。

 ところで一郎とお直の夫婦の口数の少ない対立、二郎とお重のあけすけな兄妹の対立は、後の『明暗』にそのまま引き継がれた。津田とお延の対決は、津田が(一郎に比べて)漱石度合いのやや低い俗物に設定されているせいもあってか、際限のないおしゃべりとして復活した。津田とお秀の対決は、お重が結婚しても何の解決にもならないことを、お秀が身を以て証明している。
 そして夫婦とは何かという問題についても、『行人』以前には『門』でしか扱われなかった材料であるが、『行人』(一郎とお直)の後は、『心』(先生と奥さん)、『道草』(健三と御住)、『明暗』(津田とお延)まで、途切れることなく継続された。『明暗』の次の「幻の最終作品」は、初恋の成就あるいは非成就の物語であると推測されるが、所謂夫婦者の登場する小説にはなりようがない。したがってこの系統の小説としては、『三四郎』『それから』『彼岸過迄』に続くものとなるだろうか。しかしどちらにしても、恋愛とは・結婚とは・夫婦とは、というテーマを扱っていること自体に変わりはない。漱石の総ての小説が同じテーマを目指しているのである。

第4章 講釈好きの父が語る女景清事件(9月)
    二郎・一郎・直・父・母・お重・謡仲間の客・(坊っちゃん・召使)

第11回 謡仲間Ⅰ 父の謡の仲間、年配の来客2人~お重は鼓を休んでなぜか逃げる
第12回 謡仲間Ⅱ 謡の演題は「景清」~演者は3人、聴き手も兄・嫂・二郎の3人
第13回 女景清Ⅰ 発端は今から25、6年前~20歳位の高等学校入りたての坊っちゃん~その家の同い年の召使との夏の夜の夢のような儚い情事~女の方が積極的だった
第14回 女景清Ⅱ 坊っちゃんは結婚を約束~冷静な女は半信半疑~大学を出る頃にはお互い25、6歳になる~男は1週間で後悔~破約を申し込み「ごめんよ」~宿を下がった女とはそれぎりに
第15回 女景清Ⅲ ところが20何年か後有楽座の邦楽会で隣り合わせに~女は盲目になっていた~気になった男は手を廻して女の住まいを突き止める
第16回 女景清Ⅳ 女の宅への訪問は父が代行~男が土産に包んだ百円紙幣を女は受け取らない「夫の位牌に対して済まないから御返しする」
第17回 女景清Ⅴ 女は子供が2人立派に成人しているもよう~男の経歴を知りたがる「一番上のは幾何にお成りで」「左様さもう十二三にも成りましょうか」
第18回 女景清Ⅵ 女の唯一の希み~男が結婚の約束を取り消したのは、周囲の事情の圧迫以外に何か理由があったか、自分に起因する何か嫌なことがあったのか、そこが知りたい
第19回 女景清Ⅶ 父は返答できないが何とかごまかした~驚く一郎「女はそんな事で満足したんですか」

「・・・けれども此眼は潰れても左程苦しいとは存じません。ただ①両方の眼が満足に開いて居る癖に、他(ひと)の料簡方が解らないのが一番苦しゅう御座います」

 自分は此の時偶然兄の顔を見た。そうして彼の神経的に緊張した眼の色と、少し冷笑を洩らしているような嫂の唇との対照を比較して、突然②彼らの間にこの間から蟠まっている妙な関係に気が付いた

 女は二十年以上〇〇坊っちゃんを指す)の胸の底に隠れている此秘密を掘り出し度って堪らなかったのである。彼女には天下の人が悉く持っている二つの眼を失って、殆ど他から片輪扱いにされるよりも、③一旦契った人の心を確実に手に握っている方が、遥かに幸福なのであった。(以上『帰ってから』18回)

 父の講釈は尻切れトンボ。聴き手は兄・嫂・二郎の誰も納得しないが、謡の仲間だけは父に「好い功徳を為すった」「安心させて遣れば其眼の見えない女のために何の位嬉しかったか」と賛同する。漱石がそんな意見に同意でないことは、容易に想像できる。ついでに言えば、お重にこの会を欠席させたのは、もちろん未婚の娘に聞かせる話でもないからだが、お重がどちら側に属する人間かという判定を、漱石自身が保留したということであろう。
 女の真に聞きたかったのは、男に厭な思いをさせたかも知れない(自分で気の付かない)自分の欠点であり、女のめざすところは③にあった。そして女は父には①を(嫌味ったらしく)伝えたかったが、それに気が付いたのはむしろ一郎とお直の方であった(②)。

 俗物の父は分からなかったが、漱石が父に代わって自ら女に解答を与えるとすれば、

坊っちゃんは皮肉を言う女が一番嫌い」

 であろうか。(女が坊っちゃんの気を惹いたきっかけである)喰い掛けの煎餅を横から奪って食うというのは、世間の常識に対する(真正面からでなく)斜めからの反抗であり、これが即ち女の皮肉な態度の発現である。これは年数を経たからといって直るものでもなく、世間の常識の権化たる長野の父に向かっても、①のような回りくどい皮肉をかます
 しかしこれを以って盲目になった女への回答とするには、あまりに忍びない。世間の常識を破って、どこまでも押して行くように見える漱石だが、手心を加える優しさも(とくに女に対しては)あるのである。