明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 5

301.『草枕』降臨する神々(5)――『趣味の遺伝』の実相

 マクベスが出て来るようでは何人も黙って引き下がるしかないのだが、ここで『趣味の遺伝』の筋書きをまとめれば、

①ある日浩さんが本郷郵便局で令嬢を見染めた。
②令嬢も密かに感応したがピュアな浩さんは気付かない。
③令嬢は浩さんの名と宿所を記憶する。
④浩さんは令嬢の素性は知らいないまま出征する。
⑤浩さんは戦地で「郵便局の女」のことを繰り返し日記に書く。
⑥令嬢は浩さんの戦死を新聞で知り驚く。
⑦令嬢は元紀州藩のツテで河上家の菩提寺を聞き出す。
⑧令嬢は寂光院へ墓参りに行く。白菊は自分の好きな花。
寂光院で令嬢は語り手の英文学者に姿を見られる。
⑩英文学者の探索。小野田家へ辿り着く。
⑪令嬢は自宅で工学博士の兄から英文学者を紹介される。
⑫令嬢は兄から旅順で息子を亡くした女をなぐさめるよう言われる。
⑬令嬢は河上家のことと気付くも言うべき何物もない。
⑭令嬢と浩一の母が会見する。
⑮令嬢と母はだんだん仲良くなる。
⑯令嬢は浩一のことは何も言えない。言うと浩一にも母にも悪いと思う。
⑰母はある日浩一の日記を令嬢に見せる。
⑱令嬢は自分のことだと確信する。やっと安堵する。
⑲「それだから私は御寺参りをして居りました」「白菊が一番好きだから」
⑳令嬢も母も僖ぶ。浩一の供養にもなった。

 最初からもっと丁寧に書いておけば、『趣味の遺伝』は漱石を代表する短篇小説になったことだろう。勿論現行のままでもそれなりに味わいはあるのであるが、所詮漱石のスケールは「味のある名短篇」の枠を始めから超越している。こんなところで器用にまとまらなくて(結果的に)よかった、という言い方は漱石に対して失礼であろうが、では実際に書き足りていない箇所がどこにあるかというと、それはやはり令嬢が浩さんの日記を見せられた⑰以降であろう。

 男女相愛の素質が遺伝するという話は①と②に尽きよう。白菊の件も、令嬢の好みが浩さんと一致したわけであるが、これらに遺伝の要素を感じるかは人それぞれである。語り手の文学者は遺伝の研究のつもりであるが、漱石がそう看ていたかどうかは疑問が残る。
 ③は語り手の推測として本文に記載あり、④も⑤も浩さんの日記にある。⑥⑦は論者の想像であるが、無難な想像であろう。⑧以降もすべて小説に書かれている通りである。⑬及び⑯で令嬢が河上の家へ上ったとき、なぜ浩さんのことを自分から言い出さなかったかであるが、それは令嬢が慎み深いからに他ならないが、浩さんの名誉を重んじたからでもあろう。令嬢から本郷郵便局の話など、口に出来るわけのものでもない。令嬢は浩さんの日記を見せられなければ、墓参りをしていたことは母親には一生黙っていたと思われる。その場合語り手が目撃した寂光院のシーンは、唯一の秘密事項となるが、母親が日記を見せたことで、令嬢も隠すことが何ひとつなくなったのは、語り手にも漱石にも幸いであった。

 ひとつも?
 本郷郵便局の出来事は、浩さんの日記で誰もが知ることとなった。浩さんが郵便局で令嬢を見染めたことは明白な事実である。しかし令嬢はそのとき自分も同じ感情に染まって、つい何らかの手立てによって浩さんの名を知った(③)とは、最終的にも母親には打ち明けなかったのではないか。母親は探偵ではない。母親は疑わない。ではどうして墓参りをしたのか、と母親は言わない。
 英文学者の語り手はそこに趣味の遺伝の直接的な作用を想定もするが、他の者はそんなことに関心はないので、語り手は前述のように、郵便物を見るとか為替を見るとか推測するのである。令嬢(と漱石)は結局、郵便局での事件には続きがあると、言わずに了った。この件に関しては、書き足りないというよりは、すべての責任は語り手にある、と言いたげである。語り手の推測に疑義があるとすれば、霊魂の仕業にするしかない。

 それを除けば、概して①~⑳の全体を通して、霊魂の活動を認めることは出来ない。ストイックな浩さんの霊は誰のところにもやって来なかった。そして浩さんは誰のところにも少しずつの幸福を齎したのである。
 生きた人間の力は霊に勝る。
 『琴のそら音』に続いて『趣味の遺伝』もそう主張しているように思われる。

 それで問題の⑰以降の部分であるが、令嬢は日記を見なくても浩さんの気持ちは分かっていた。浩さんの日記に関係なく令嬢は墓参りをしていたのであるから、それは当然であろう。日記を見た令嬢は、浩一の愛を改めて確認して、「やはり浩一の愛は本当だったのですね」と言う代わりに、「それだから」と言ったのである。
 清淑な令嬢は日記を見せられて始めて、自分が安心することよりも、

「それだから私は御寺参りをして居りました」

 と、母親に自分が墓参りをしていたことの弁明をする方(母親を安心させる方)を優先させたのである。
 この部分が漱石の一番言いたかったことだと思われるが、惜しいことにさらりと書き過ぎてしまった。漱石は(期末試験の管理で)時間がなかったと言い訳するが、令嬢と浩さんの日記の関係を書くには始めから書き直さなければならなかったことを漱石は知っていた。結末だけの問題ではなかったのである。

 最後に1つだけ、先にも引用した語り手と老人との会見の箇所の終わりの部分であるが、

 そうだろう、そう来なくっては辻褄が合わん。第一余の理論の証明に関係してくる。先ず是なら安心。御蔭様でと挨拶をして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思ったものか、余を送り出して玄関に立ったまま、余が門を出て振り返る迄見送って居た。(『趣味の遺伝』3章再掲)

 語り手は辞したあと漸次歩んでから振り返って、こちらをまだ見ている老人を確認している。この丁寧な書き結び方が、脇役たる元家令の爺さんに限りない命の息吹きを与える。この部分が書かれなかったと仮定して読んでみると、退去シーンの感じはまるで違ったものになってしまう。文章を書く者すべからく真似せざるべからずであるが、その効果の検証法も至って簡単である。蛇足かどうかは読み返してみるとすぐ分かる。そして漱石の場合は、これから先もずっと(『明暗』に至るまで)、この手の(付加的な)演出部分を取り去って読んでみると、却って不自然に感じる。つまり驚くべきことに、漱石の小説に無駄な記述は皆無なのである。