353.『野分』どのような小説か(1)――男の小説
さて総括ふうにまとめると、『野分』の成功しなかったのは、白井道也と高柳周作の怒りが通俗小説的な世界に、バラバラに置き去りにされてしまったためであろうか。
白井道也(の心の裡の怒り)も高柳周作(の心の裡の怒り)も、両方とも書きたい。ついでに御政(細君)の心の裡も書く。いっそ中野輝一夫妻や道也の兄も同じように表現したかったのかも知れない。
繰り返すが漱石は『虞美人草』でもう一度(慎重に)チャレンジして、同じように成功しなかった。漱石の頭の中には、自分がこれまでずっと読んで来た英国の小説や、新しいドストエフスキィやイプセンの小説でも、作者が普通に物語を物語れば、それは簡単に達成出来るという思いがあったに違いない。イワン・カラマゾフの考えもアレクセイ・カラマゾフの考えも、当り前だが同時に書き得る(筈である)。彼らのように。
少し先走りして書くと、『野分』『虞美人草』で2回続けて失敗した漱石は、しばらく通俗小説(ドストエフスキィのようなという意味での通俗小説)から距離を置いたが、9年後の『明暗』で見事に成功したかのようにも見え、また同じ轍を踏んだようにも見える。もし成功したとすれば、それは例の「則天去私」という立場のお蔭であろう。
漱石は『野分』で(『二百十日』を『野分』のウォームアップと見れば)始めて3人称小説を書いた。それは余や吾輩でなく、主人公を名前で呼ぶだけの違いである。彼らの気持ち・心の中は彼らを外側から叙述すれば表現し得る(と漱石は考えた)。実際に『猫』やその他の短篇でも、漱石は登場人物に対して既にそれをやってきた。あとは人物造形(だけ)の問題である。
結果から言えば漱石にはそういう書き方は出来なかった。日本人にはと言うべきか。1人称を離れて(3人称小説を)書いているつもりでも、文章の中にどうしても漱石という「人間(我)」が出てしまう。
早い話が登場人物の君さん付けである。三四郎が漱石が始めて呼び捨てにした主人公であり、漱石が君さん付けから完全に自由になったのは、『それから』以降である。
そして中期3部作の1人称回帰を経て、『道草』ではまた「健三」を3人称の主人公にしたものの、自伝ふうということもあり、実質的には1人称小説の延長に過ぎなかった。しかし漱石はこのときすでに、健三と御住の心の裡をそれぞれに描いて、3人称における叙述の問題は解決したと思い込んだようである。
漱石が『明暗』で津田とお延を並列に置いて主役としたとき、信じられないことだが、漱石のつもりではアンナカレニーナと同じ書き方をしていただけであった(大石泰蔵宛書簡による)。しかし現実にはまるで別物になった。『明暗』第45回でお延が津田と関係なく独自に行動を開始したとき、一部の読者は愕然とした。
ここではこの問題はこれ以上詳述しないが、要するに例えばドストエフスキィはイワンを書くときもアリョーシャを書くときも、何に対してでも「こっち」というような書き方をしなかった、とだけ言っておきたい。
これは漱石の問題であるか、それとも日本語の問題であるか。はてまた神の問題であるか。
先の項でも述べたが、『野分』の登場人物のうち、道也の兄と中野君の婚約者にだけ名前がない。もちろんなくて構わないわけであるが、道也の兄の場合は、漱石にとって自身にも近い人物設定で、つい他人行儀な役名を付けそびれたのか。
中野君の婚約者は、名前のない主要人物の若い女性ということで、『趣味の遺伝』の「小野田の令嬢」(寂光院)、『坊っちゃん』の「遠山の御嬢さん」(マドンナ)、『それから』の「佐川の令嬢」、『行人』の「三沢のあの女」「出帰りの娘さん」の流れを汲む者(流れを創り出した者)と言ってよいが、中野君の婚約者の露出とセリフの多さは際立っており、本来名前は付いていた方が自然であろう。しかし彼女は気の毒なことに小説の中で中野君から(高柳君や漱石からでも)名前を呼ばれる場面がなかった。繰り返しになるが、呼ばれない以上(独立した一箇の人物として描写されない以上)名前は必要ないのかも知れない。
家族は別である。道也の兄は「御兄(おあにい)さん」と呼べば済んだ。漱石は登場人物の名前については、(自分の子供と同じく)適当にこなしていたように見えて、それなりに考えるところはあったのだろう。
そう思って中野君の名前を見ると、中野輝一(姓がN=夏目、名がK=金之助)ということで、中野君の重要度も伝わって来よう。おまけに中野君はユニークにも春台という号も有しているようで、これも漱石と同じ(S)である。ちなみに漱石という号を名と姓を兼ねたものと見做すと、高柳周作(名がS)、白井道也(姓がS)も仲間に入るだろうか。塩原のSとは流石に言わないが。
〇小野清三・甲野欽吾・小川三四郎・野々宮宗八・長井代助・野中宗助・野中小六・田川敬太郎・須永市蔵・長野一郎・長野二郎・K・先生・健三
「先生」は人の名前ではないが、『心』の先生は私からも奥さんからもそう呼ばれる、特定の人物である。漱石に近い、Kが登場してからはなぜか漱石臭が減じてしまう、特定の人物である。先生は(Kと同じような)固有名詞の代用である。『猫』の吾輩は家の者に呼ばれることすらなかった。(ところで奥さんが先生のことを、私の前だけにせよ先生と呼ぶのは少し変であるが、日本では割と行なわれる。これも前述の3人称同様、日本語特有の問題かも知れない。奥さんの口から発せられる「先生 ( Sensei )」を、ニュアンスを変えずに欧文に「直訳」するのは難しいのではないか。「 Botchan 」も同じであるが。)
主人公(男性)に名前が付いていて、S、姓のN、名のK、いずれにも該当しないのは、漱石作品にあってただ1例、『明暗』の津田由雄1人だけである。津田がいかに特異な存在であるかが覗われる。これもまた則天去私の因って来たるところであろうか。しかし『明暗』は未完であるから、津田が関から清子を奪い、お延を捨て家も捨てて清子の婿になるという可能性もゼロではない。その清子の「旧姓」が仲埜とか中根であれば――まあこれは悪い冗談であろうが、中根といえば鏡子も漱石と同じNとKである。2人は赤い糸で結ばれていたのだろうか。
『野分』の前には主人公に戸籍名は付かない。苦沙弥も寒月も東風(こち)もKで、吾輩も三毛子の家の下女には野良扱いされるが、ノラ(N)という名前ではないようだ。吾輩は一般には黒猫と思われているようだが、黒(K)は俥屋の猫の名で、吾輩の毛の色が黒いとは『猫』では一言も書かれていない。
「我輩は波斯産の猫の如く黄を含める淡灰色に漆の如き斑入りの皮膚を有して居る」(『猫』第1篇)
「此淡灰色の斑入の毛衣」(『猫』第6篇)
これがどうして黒猫になるのか分からないが、漱石ファンにとってイニシャル的には黒色(K)でありたいところ。
こう見てくると珍野家の猫に名前がなくても仕方ないが、もう1人の名前のない大ヒーローたる坊っちゃんの名は、やはり(流石に金之助ではないにせよ)Kの列以外にはあり得ない。ちなみに『坊っちゃん』を戯曲化する場合、学校の職員室等の場では名前を呼ばないわけにはいかないと思うが、それを(原作に忠実に)なしで済ませるには、相当の工夫が必要だろう。
短篇小説は同列に論じられないが、『二百十日』碌さんの友人圭さんもK、『趣味の遺伝』浩さんもK、『琴の空音』の主人公「余」は友人の心理学者津田真方の筆で「K君」と書かれて、すわこれが真の元祖かと思いきや、本文をよく読むと余は「靖雄さん」と、婚約者露子さんの母親の人に1度だけ呼ばれていた。してみると余のKとは残念乍ら(小林とかの)姓の方であった。
調子に乗ってヒロインの方も棚卸をしてみる。やはり作品順にアカサタナの50音をアルファベットで示す。(真のヒロインは太字で強調する。)
〇三毛子M・金田富子T・雪江さんY・マドンナM・那美さんN・御政M・藤尾H・小夜子S・美禰子M・よし子Y・三千代M・御米Y・千代子T・直子N・静S・御住S・お縫さんN・延子N・清子K
M、N、そしてY、Sが目立つようだが、とくに万遍なく分布している。特徴を見つけるのは難しいが、(無理に)1つだけ挙げると、漱石の5人の女の子、筆H・恒T・栄A・愛A・雛Hと、上記ヒロインの多数派M・N・Y・Sとの相反であろう。Hの藤尾は漱石が最初から「殺すつもり」で製造した、特殊なケースである。三女と四女は、漱石が(面倒くさがって)いい加減に「エイヤッ」と付けたのだとは、冗談にせよ有名な話。反対にこの母音Aの行(アイウエオ)のヒロインは、漱石作品では遂に生まれなかった。(思いつくのは宗近一の妹糸子くらいだろうか。)
ところで『行人』のお直の正確な名前であるが、直子であるとは小説の中では一言も書かれていない。もちろん「直」である可能性もあるし、そもそも戸籍名が「直」でも一生直子で通すことも当時ではよくある話である。
『それから』の代助の兄誠吾に2人の子誠太郎と縫子があるが、縫子は最初漱石による代助の係累の紹介では、
「妹は縫といって三つ違である」
「縫という娘は、何か云うと、好くってよ、知らないわと答える。そうして日に何遍となくリボンを掛け易える。近頃はヴァイオリンの稽古に行く」(以上『それから』3ノ1回)
と書かれる。ところが彼女の名が次に出現する新聞連載の3ノ5回以降、彼女はずっと小説の最後まで「縫子」で通される。誰かのセリフで「縫子」と呼ばれているわけではない。彼女が名を呼ばれるシーンは小説に一度も登場しない。漱石が自分で(代助に成り代わっているにせよ)書き分けているのである。これは『明暗』でお延が吉川夫人に「延子さん」と呼ばれるのとは訳が違う。
このことを見ても、漱石の書いたままが「事実」とは限らないことが、少なくとも登場人物の名前に関してはいえるのではないか。まあ漱石に言わせると、どちらも正しいというのであろう。一葉の役場に届けられた表記が「なつ」であれば、「奈津」「夏」「夏子」どれもが正しいのであろう。決めるのは(漱石ではなくて)本人(や家族)というわけである。
それはともかく、漱石といえどヒロインの名前はエイヤで付けなかったのは当然としても、これで分かるのはやはり男の主人公の名前の(イニシャル的)片寄りであろう。とくに『野分』はフルネームで表わされた3人の男が登場する、漱石最初の「本格派」小説となった。(『猫』にフルネームの登場人物は何人かいるが、全員洒落のめした名前である。つまり渾名と同じである。)
その『野分』に登場する若い女には名前が付けられなかった。細君こそ描いたが、『野分』に「女」は描かれなかった。『野分』もまた(『坊っちゃん』同様)男の小説であった。