明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

2020-01-01から1年間の記事一覧

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 36

38.『三四郎』池の女(4)―― 見返り美人(つづき) (前項よりつづき) ⑤まともに男を見た ⑦無論習って覚えたものではない これらは漱石が三四郎を離れて、少しだけ美禰子に乗り移ったような書き方になっている例である。 漱石は俯瞰をしない。漱石は基本的…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 35

37.『三四郎』池の女(3)―― 見返り美人 池の女は初会(9月初旬)の後、1ヶ月と1週間を経て(10月中旬)、再び三四郎に遭遇する。初会は三四郎が野々宮(兄)を訪ねた帰りしな、2回目は野々宮(妹)のよし子を見舞って病室を出た直後、まだ建物内での…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 34

36.『三四郎』池の女(2)―― ひめいちの焼き方 (前項よりつづき) ⑤「是は何でしょう」と云って、仰向いた 前項③「まぼしい女」と並んで、「仰向く女」「見上げる女」もまた漱石のおはこである。喉から顎にかけての(女性特有の)曲線を、漱石は好むのか。…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 33

35.『三四郎』池の女(1)―― 初登場シーンの約束事 さて『三四郎』に戻って、汽車の女の次は池の女である。その池の女の初登場シーン、第2章の第4回。 ①不図眼を上げると、左手の岡の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、池の向こう側が高い崖の木…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 32

34.『三四郎』のカレンダー(補遺)―― 三部作の秘密 漱石は自分の書きたいようにしか書かなかった我儘な作家であったが、また新作ごとに趣向を変え、何かしらの工夫を凝らす、サーヴィス精神も備えた篤実な作家でもあった。 漱石は二番煎じ・同工異曲・(小…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 31

33.『三四郎』のカレンダー(10)―― エピローグの秘密 さて『三四郎』第13章全1回は、前にも少し触れた通り、それまでの章とはまったく別仕立ての回となっている。前半は三四郎さえ登場しない。後半も叙述は三四郎を離れて、元に戻るのは最後の数行だけ…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 30

32.『三四郎』のカレンダー(9)―― 天長節ふたたび ここであらためて明治40年説に則り、『三四郎』全体のカレンダーをもう一度整理しておく。明治40年8月29日(木) 三四郎の出立日(推定)。明治40年8月30日(金) 物語の始まり。名古屋泊。(…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 29

31.『三四郎』のカレンダー(8)―― 広田先生「夢の女」 年次の話はもういいよと言われそうであるが、最後に一つだけ、第11章の広田先生の夢の話について。第10章でついに美禰子の婚約者を登場させ、物語はもう実質的には終わっている。それで気が緩んだ…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 28

30.『三四郎』のカレンダー(7)―― 教会の前の分かれ道 それはともかく、ここでようやく前項②③④⑤(7ノ1回~7ノ6回)、第7章の暦の推定が可能になる。 第7章。広田先生を訪ねる。与次郎は前の日から帰っていない。広田先生の御談義。偽善者と露悪家。…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 27

29.『三四郎』のカレンダー(6)―― 母からの手紙 漱石は日にちをはっきり書いているわけではないので、菊人形の日曜日の次の土曜日が運動会であると仮定して、(日にちの齟齬は与次郎のそそっかしさのせいにして)、とりあえずカレンダーの続きはこうなる(…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 26

28.『三四郎』のカレンダー(5)―― 破綻はあるか 第6章の暦は以下の通り。①「僕等が菊細工を見に行く時書いていたのは、是か」「いや、ありや、たった二三日前じゃないか。そう早く活版になって堪るものか。・・・」(『三四郎』6ノ1回) ②「今晩出席す…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 25

27.『三四郎』のカレンダー(4)―― 菊人形への道 続く第4章の暦は一部先の天長節の項と重なるが、① 三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞える。わるくすると肝要な事を書き落とす。甚しい時は他人の耳を損料で借りている様な気がする…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 24

26.『三四郎』のカレンダー(3)―― 小さんと円遊 では明治39年を念頭に置いて、改めて第3章からの三四郎のスケジュールを追ってみる。① 学年は九月十一日に始まった。(『三四郎』3ノ1回冒頭) ② 翌日は正八時に学校へ行った。(3ノ1回) ③ けれども…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 23

25.『三四郎』のカレンダー(2)―― 天長節の呪縛 しかるにその11月の初旬、広田先生の引越騒動が描かれる第4章で、読者は肩透かしを喰わされる。引越の日は三四郎が里見美禰子と正式に知り合う日であり、それは天長節の日だと漱石は何度も書いているから…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 22

24.『三四郎』のカレンダー(1)―― 旅順と大連 前述したように『三四郎』全117回は明治41年8月~9月の2ヶ月間に書かれた。新聞連載は9月から12月までの4ヶ月間。物語の暦もおおむね連載とリンクして、8月末から12月冬休みの直前まで。エピロ…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 21

23.『三四郎』汽車の女(9)―― 三四郎の無罪判決 いずれにせよ三四郎は最初の難事件をなんなくやり過ごした、――ように小説は読める。三四郎は後から何度も顔を赫らめるが、それだけのことである。女に対して気の毒に思う、女や女の家族に対して済まなく思う…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 20

22.『三四郎』汽車の女(8)―― 汽車の女「同衾事件」 三四郎の「同衾事件」については、三四郎を責める向きもあろう。あるいはその反対に、三四郎を単なる被害者として、善悪の問題から超越させる見方もあるかも知れない。漱石は倫理の人であったが、漱石の…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 19

21.『三四郎』汽車の女(7)―― 東海道線と髭の男 桃を食べながら二人の会話、というより髭の男(広田先生)の講義は、だんだん哲学的になっていく。広田先生は桃の食べかすを新聞紙に包んで窓から放り出す。 ここまでの記述で確かなことは次の三つである。①…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 18

20.『三四郎』汽車の女(6)―― 消えた山陽鉄道 ストップウォッチや懐中時計とは対照的な話になるが、三四郎の京都までの旅程は、小説の中ではあっさり省略された。福岡県の田舎を出発した三四郎は、明治40年頃であれば下関から鉄路で東上したはずである。…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 17

19.『三四郎』汽車の女(5)―― 分刻みの恋(つづき) とりあえず(『三四郎』より前の作品では)『坊っちゃん』と『草枕』に、この傍証となる記述が見られる。 今日は、清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。然し毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 16

18.『三四郎』汽車の女(4)―― 分刻みの恋 (前項末尾の宿題について)結論だけ言うと、漱石はいつもこんな書き方をする。several minutes のとき、「一二分」から「五六分」まで幾通りにも書く。ただし「数分」とは絶対に書かない。潔癖症というのだろうか…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 15

17.『三四郎』汽車の女(3)―― 漱石の相対性理論 汽車の女のシーンについて、『三四郎』冒頭をもう1度引用したい。① うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに前の前の駅から乗った田舎者である。発…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 14

16.『三四郎』汽車の女(2)―― 暗夜行路の山陽線(つづき) 〔番外篇3〕 ここで前項でふれた『暗夜行路』の当該部分を引用する。(時任謙作が三角巾で頬被りしているのは中耳炎に罹ったため。) 支度は早かった。隣りの老夫婦も手伝って一時間たらずで総て…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 13

15.『三四郎』汽車の女(1)―― 暗夜行路の山陽線 さて気を取り直して『三四郎』に戻ると、どうしても冒頭の汽車の女について考察しないわけには行かない。① うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに…

漱石最大の誤植 鏡子の『思い出』2

14. 漱石最大の誤植(2)―― 鏡子『思い出』と雛子の死(つづき) 〔番外篇2〕 漱石の五女雛子が夕食中に急死したのが明治44年11月29日。漱石はそのとき書斎で、元朝日にいたこともある中村古峡と面談中だった。 漱石が雛子の骨を拾ったのが12月3…

漱石最大の誤植 鏡子の『思い出』1

13. 漱石最大の誤植(1)―― 鏡子『思い出』と雛子の死 〔番外篇1〕 ここまで論者の書きぶりから、論者は主に漱石本の誤植について論じているのではないかと思われる向きもあるかも知れない。しかし誤植や誤記がいくらあったからといって、それは研究に値す…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 12

12.『三四郎』ドアノブ事件―― 描き残された画布 愚挙・余談ついでに言っておくと、編集(校正)が丁寧になされていないという意味で、『三四郎』には一ヶ所おかしなところがある。三四郎が始めて野々宮よし子に会うシーンで、「此中にいる人が、野々宮君の妹…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 11

11.『三四郎』会話行方不明事件(3)―― 本文を捏造(でつぞう)してみた 美禰子の台詞は二つ続いていた。それがそのまま印刷に付されてしまったのは、この美禰子の二つの台詞は、当初漱石の地の文によって分割されていたためである、と前項でも述べた。ここで…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 10

10.『三四郎』会話行方不明事件(2)―― 美禰子の生意気の起源 美禰子は「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません。――我慢しなければ、死ぬ許ですもの」としゃべった。 ダーシは入れなくてもいいかも知れないが、後述するように最初の…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 9

9. 『三四郎』会話行方不明事件(1)―― 空中飛行器事件 さて文章が少しおかしいということで、『三四郎』には昔からよく知られるくだりがある。それは『三四郎』第5章の中の、空中飛行器をめぐる野々宮と美禰子の言い争いで、男と女の会話が逆転したように…