明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 9

9. 『三四郎』会話行方不明事件(1)―― 空中飛行器事件


 さて文章が少しおかしいということで、『三四郎』には昔からよく知られるくだりがある。それは『三四郎』第5章の中の、空中飛行器をめぐる野々宮と美禰子の言い争いで、男と女の会話が逆転したように見える箇所があるというもの。

 『三四郎』第5章もまた(第8章と並んで)この小説のハイライトと言えよう。皆で菊人形見物に出かけた日曜日、三四郎と美禰子は二人はぐれて束の間のランデヴーを楽しむ(と見せかけて実態は美禰子の野々宮に対する心の内の葛藤を描いている)、例のストレイシープの章である。

 午に三四郎が広田先生の家に着くと、野々宮と美禰子が議論している。セリフの前の括弧書きは論者の(余計な)ノートである。

(野々宮)「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬ許りだ」是は男の声である。
(美禰子)「死んでも、其方が可いと思います」是は女の答である。
(野々宮)「尤もそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬ丈の価値は充分ある」
(美禰子)「残酷な事を仰しゃる」
  ・・・ 
 四人は既に曲り角へ来た。四人とも足を留めて、振り返った。美禰子は額に手を翳している。(『三四郎』5ノ4回)

 三四郎は一分かからぬうちに追付いた。追付いても誰も何とも云わない。只歩き出した丈である。しばらくすると、美禰子が、
(美禰子)「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事を仰しゃるんでしょう」と云い出した。話しの続きらしい。
(野々宮)「なに理学を遣らなくっても同じ事です。高く飛ぼうと云には、飛べる丈の装置を考えた上でなければ出来ないに極っている。頭の方が先に要るに違ないじゃありませんか」
(美禰子)「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません」
(野々宮)「我慢しなければ、死ぬ許ですもの
(美禰子)「そうすると安全で地面の上に立っているのが一番好い事になりますね。何だか詰らない様だ
 野々宮さんは返事を已めて、広田先生の方を向いたが、
(野々宮)「女には詩人が多いですね」と笑いながら云った。すると広田先生が、
(広田)「男子の弊は却って純粋の詩人になり切れない所にあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何か御互の話を始める。三四郎は漸く質問の機会を得た。
三四郎「今のは何の御話しなんですか」
(野々宮)「なに空中飛行器の事です」と野々宮さんが無造作に云った。三四郎は落語のおち、、 を聞く様な気がした。(『三四郎』5ノ5回)

 野々宮と美禰子がこうしゃべってはいけないということは勿論ない。しかしここでは明らかに男女の言葉尻が逆転しているようである。とくに美禰子の「詰らないようだ」という言葉遣いは、独白としてもありえない。ではそれは誰か他の人の言葉だったのか。

 二人の論旨はあきらかである。野々宮は(漱石のように)理詰めに、空を飛ぶにはそれなりの理論と準備が必要で、いたずらな冒険は(社会に)何ももたらさないと(正論を)言っている。美禰子は女だから(と漱石は考える)理屈でなく自分の感情を優先させる。あるいは飛行機の話に託してまったく別なことを考えている。人は自ら一歩踏み出さなければ現実は何も変わらない。理屈をひねくっているだけじゃ詰らないから行動に移せと言っている。(野々宮に早く求婚せよと迫っているかのようである。)

 考えるだけで何もしないで地面に突っ立っているのは安全かも知れないが、それは責任を取りたがらない男でそんな男はつまらない。漱石は自身がそう思われつけてきたので分かっていた。
『猫』の(八木独仙の)与太話で、地震のとき二階から飛び降りて怪我したのを、他の人は恐怖で竦んでいるのに、自分だけ修行のおかげで迅速な対応が出来た云々というのは、漱石の体験的負け惜しみでもあるが、そんな程度の「実行力」ではとても人生の大事には立ち向かって行けない。もちろん始めから行動するつもりはないのである。漱石は分かっていて、あえて美禰子に突っ込ませている。

「何だか詰らないようだ」というのは漱石自身の(我が身に対する)つぶやきでもあった。したがって美禰子のセリフとしては「何だか詰らない」が美禰子の心情を正しく語っており、末尾の「様だ」は漱石がつい顔を出したので、この部分は削除してもいいのか。
 あるいは「何だか詰らない様だ」は本来会話の続きでなく地の文であったという考え方もあるかも知れない。するとそのつぶやきは、本来この小説では三四郎の目を通してのみなされるはずであるから、ちょっとここでは不自然である。
 さらに「何だか詰らない様だ」を「何だか詰らない様だこと」の語尾を飲み込んだと解することも出来ようが、どんなことでもはっきり喋る美禰子としては、やはり不自然極まりない。

 論者の考える正解は、問題の二人の最後の台詞の話し手を男女入れ替えるというもの。

美禰子)「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません」
美禰子「我慢しなければ、死ぬ許ですもの」
野々宮「そうすると安全で地面の上に立っているのが一番好い事になりますね。何だか詰らない様だ」
 野々宮さんは返事を已めて、広田先生の方を向いたが、
(野々宮)「女には詩人が多いですね」と笑いながら云った。・・・(『三四郎』5ノ5回)

 美禰子は「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません。――我慢しなければ、死ぬ許ですもの」としゃべったのである。