明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 24

26.『三四郎』のカレンダー(3)―― 小さんと円遊


 では明治39年を念頭に置いて、改めて第3章からの三四郎のスケジュールを追ってみる。

① 学年は九月十一日に始まった。(『三四郎』3ノ1回冒頭)

② 翌日は正八時に学校へ行った。(3ノ1回)

③ けれども教室へ這入って見たら、鐘は鳴っても先生は来なかった。其代り学生も出て来ない。次の時間も其通りであった。三四郎は疳癪を起して教場を出た。そうして念の為めに池の周囲を二偏許り廻って下宿へ帰った。(3ノ1回末尾)

④ 夫から約十日許立てから、漸く講義が始まった。(3ノ2回冒頭)

⑤ 翌日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義の間に今年の卒業生が何所其所へ幾何で売れたと云う話を耳にした。(3ノ3回)

⑥ 昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、昨日ポンチ画をかいた男が来て、おいおいと云いながら、本郷の通りの淀見軒と云う所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。(3ノ3回)

⑦ それから当分の間三四郎は毎日学校へ通って、律儀に講義を聞いた。必須課目以外のものへも時々出席して見た。それでも、まだ物足りない。そこで遂には専攻課目に丸で縁故のないもの迄へも折々は顔を出した。然し大抵は二度か三度で已めて仕舞った。一ヶ月と続いたのは少しも無かった。それでも平均一週に約四十時間程になる。如何な勤勉な三四郎にも四十時間はちと多過ぎる。(3ノ4回)

⑧ 「是から先は図書館でなくっちゃ物足りない」と云って片町の方へ曲がって仕舞った。此一言で三四郎は始めて図書館に這入る事を知った。(3ノ4回末尾)

⑨ 其翌日から三四郎は四十時間の講義を殆ど、半分に減して仕舞った。そうして図書館に這入った。(3ノ5回冒頭)

⑩ 次の日は空想をやめて、這入ると早速本を借りた。(3ノ5回)

⑪ 其翌日は丁度日曜なので、学校では野々宮君に逢う訳に行かない。然し昨日自分を探していた事が気掛になる。幸いまだ新宅を訪問した事がないから、此方から行って用事を聞いて来様と云う気になった。(3ノ7回)

 この日(日曜)三四郎は野々宮の家に泊り轢死事故を見聞する。その翌日(月曜)、野々宮の使いでよし子の病室を訪れた三四郎は、大学病院の玄関で池の女に再会する。

 新学年は明治39年9月11日(火)に始まった。授業の開始は漱石の記述①②③④に従うと、翌9月12日から「10日くらい経った」9月22日(土)頃であるが、⑤で次の日も学校へ行っているから、明治39年9月21日(金)としておく。明治40年説では明治40年9月20日(金)か明治40年9月23日(月)スタートであるが、こちらは採れば9月23日(月)か。

 ⑥を挿入したのは、カレンダーに関する限り漱石の記述には空白・飛躍・後戻りがないことを示したいがためである(後段の8章で一ヶ所だけ出て来るが)。といって漱石が『三四郎』を書くときに「三四郎カレンダー」なるメモを用意していたとはとても思えないから、昨日今日明日すべては漱石の頭の中にあるままを書いていたのだろう。

 ところが時折出現する⑦のような叙述が研究者を泣かせる。ここでは珍しく三四郎が(漱石が)俯瞰的に、あるいはやや回想ふうに自身の時間割ノートを眺めていたと推測されるから、⑧⑨⑩あたりで週40時間を半分に減らして図書館に入ったのは、授業開始から1ヶ月経過した10月20日頃でなく、もう少し前の10月10日頃ではなかろうか。すると⑪の日曜日は明治39年10月14日あたりか。三四郎が大学病院で美禰子と遭遇したのは10月15日(月)ということになる。

 ⑦の前後で、与次郎から都会生活の手ほどきとして、小さんと並んで称賛されていた円遊が、彼は明治40年11月26日に亡くなっているのであるが、『三四郎』の中ではその気配はない。 三四郎明治40年説を採れば、与次郎の褒めた1ヶ月と少し後に円遊は死んだことになる。『三四郎』執筆時(明治41年)の漱石は当然それを知っていたのであるから、ただ「小さんは天才である」「円遊も旨い」とだけ書いて済ませてしまった漱石の中では、やはり物語の暦は明治40年よりは明治39年の方に傾いていたのであろうか。

 ところで③の文章は、漱石の巧まざるユーモアがその天才小さんのような味わいを見せた例としても印象深い。『猫』『坊っちゃん』の分かりやすい(自ら面白がる)ユーモアをその後封印した漱石は、目立たない処で、自分は面白くも何ともないという(小さんのような)顔をして、この場合は三四郎をダシにして、趣味的な(万人に分かってもらわなくてもいいという)ユーモアセンスを披露している。癇癪を起した三四郎が池の周りを2周して家へ帰ること自体がすでに滑稽だが、「念の為に」という言い回しが何とも微妙に可笑しい。これは三四郎が前の日に岡の上を眺めたときの感想「あの女がもう一遍通れば可い」を受けた表現ではあるが、伏線を張った上での自己主張のないユーモア。小さんだけが天才でないと思わせるくだりである。