明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 20

22.『三四郎』汽車の女(8)―― 汽車の女「同衾事件」


 三四郎の「同衾事件」については、三四郎を責める向きもあろう。あるいはその反対に、三四郎を単なる被害者として、善悪の問題から超越させる見方もあるかも知れない。漱石は倫理の人であったが、漱石の作中人物は「善悪の彼岸」にいた。

 漱石本人は、三四郎の行為をどう思っているのであろうか。長く教師をしていた漱石の、生徒三四郎に対する評点は如何ばかりか。そもそも漱石はなぜこんなたわいのない、あるいは驚天動地のストーリー展開にしたのか。
 初心の田舎者がこれから東京で巻き込まれるであろう人工的颶風のリハーサルのつもりか。それとも単なる雑多な経験の一つとして、つまり賑やかしに過ぎないのか。
 三四郎の「同衾事件」がいわゆるディレクターズカットのようなものであれば、これを取り上げることに大した意味はあるまい。弟子の誰かの体験談を、小説世界を膨らませるためにちょっと流用しただけなら、議論しても詰まらない。

 論者は前著で、漱石の「自分が正しいか間違っていないかのみに最大関心が行く」ケースの一つとして考察を試みたが、『三四郎』の研究に立ち戻って、漱石の「執筆動機」という観点からこの事件を具体的に再構成してみよう。話の順番①~⑳は前著の通り。

①女は「気味が悪いから宿屋へ案内してくれ」という。
②ある宿屋の前に立つ。「どうです」と聞くと女は「結構だ」と答える。
三四郎は宿屋の人間の語勢に押されて、つい二人連れでないと言いそびれる。
三四郎と女は同じ部屋に通される。三四郎は下女に言われて風呂へ行く。
⑤すると女が戸をあけて「ちいと流しましょうか」という。
⑥「いえたくさんです」と言ったが女は却って入ってきて帯を解き出す。
三四郎は風呂を飛び出して座敷へ帰ってひとりで驚いている。
⑧下女が宿帳を持って来たので三四郎は自分の住所氏名を書く。
⑨女は風呂に入っているので三四郎が女の分も「同花、同年」と書いてしまう。
⑩女は風呂から出てくる。「どうも失礼いたしました」「いいや」
⑪女は「ちょいと出てまいります」と外出する。(懐紙でも買いに行ったのか。)
⑫その留守に下女が蒲団を敷きに来る。
三四郎は「床は二つ敷かなければいけない」と言うが下女は蚊帳いっぱいに蒲団を一つ敷いて帰ってしまう。
⑭そのうち女が「どうも遅くなりまして」と帰って来る。
⑮寝るときになると女は「お先へ」と言って蒲団に入る。
三四郎は「はあ」と答えてこのまま夜を明かそうかとも考えたが、蚊がひどい。
⑰それで三四郎は「失礼ですが私は癇症でひとの蒲団に寝るのがいやだから,少し蚤よけの工夫をやるから御免なさい」と言って女の隣に寝る。
⑱あくる朝「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」「ええ、ありがとう、おかげさまで」
⑲別れ際に女は「いろいろごやっかいになりまして、ではごきげんよう」「さよなら」
⑳そして有名な最後の一句

 蒲団を一つしか敷かなかったことが常に問題視されるようだが、蚊帳一杯に敷いたのであれば一つも二つもない。一つの部屋に蚊帳は二つ吊れない。今風にいえばシングルを二枚敷くかダブルを一枚敷くかの違いであろう。(勿論これでも充分問題だが。)

 とはいうものの、三四郎に瑕疵のありそうなところは、

⑨虚偽の宿帳記入
⑬不適切な蒲団の敷き方

 の二箇所であろう。

 しかしこの二つながらに漱石三四郎の無実を主張する。

⑨女が風呂に入っていたからである。三四郎は女の身上は聞かされていなかった。女のせいである。自分の責任ではない。
⑬女が外出していたからである。女が命ずれば下女は蒲団を敷き直したかも知れない。女のせいである。自分の責任ではない。

 漱石の主張は「正しい」のであろうか。