明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 16

18.『三四郎』汽車の女(4)―― 分刻みの恋


(前項末尾の宿題について)結論だけ言うと、漱石はいつもこんな書き方をする。several minutes のとき、「一二分」から「五六分」まで幾通りにも書く。ただし「数分」とは絶対に書かない。潔癖症というのだろうか。漱石自身は癇性という言い方をしているが。

 唯顔立から云うと、此女の方が余程上等である。口に締りがある。眼が判明している。額が御光さんの様にだだっ広くない。何となく好い心持に出来上っている。それで三四郎五分に一度位は眼を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の眼が行き中る事もあった。爺さんが女の隣りへ腰を掛けた時などは、尤も注意して、出来る丈長い間、女の様子を見ていた。(『三四郎』1ノ1回)

 車が動き出して二分も立ったろうと思う頃、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。此時女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入った。三四郎は鮎の煮浸の頭を啣えた儘女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながら頻りに食っている。(『三四郎』1ノ2回)

 そのうち高等学校で天長節の式の始まる号鐘が鳴り出した。三四郎は号鐘を聞きながら九時が来たんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんと漸く気が付いた時、箒がないという事を考え出した。また椽側へ腰を掛けた。掛けて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうと明いた。そうして思も寄らぬ池の女が庭の中にあらわれた。(『三四郎』4ノ9回)

 四人は既に曲り角へ来た。四人とも足を留めて、振り返った。美禰子は額に手を翳している。
 三四郎一分かからぬうちに追付いた。追付いても誰も何とも云わない。只歩き出した丈である。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事を仰しゃるんでしょう」と云い出した。話の続きらしい。(『三四郎』5ノ4回~5ノ5回)

 三四郎はおよそ五分許石へ腰を掛けた儘ぼんやりしていた。やがて又動く気になったので腰を上げて、立ちながら、靴の踵を向け直すと、岡の上り際の、薄く色づいた紅葉の間に、先刻の女の影が見えた。並んで岡の裾を通る。
 三四郎は上から、二人を見下していた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声を掛けようかと考えた。距離があまり遠過ぎる。急いで二三歩芝の上を裾の方へ下りた。下り出すと好い具合に女の一人が此方を向いて呉た。三四郎はそれで留った。実は此方からあまり御機嫌を取りたくない。運動会が少し癪に障っている。
「あんな所に・・・」とよし子が云い出した。・・・(『三四郎』6ノ10回~6ノ11回)

 すると奥の方でヴァイオリンの音がした。それが何所からか、風が持って来て捨てて行った様に、すぐ消えて仕舞った。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背に倚りかかって、もう少し遣れば可いがと思って耳を澄ましていたが、音は夫限で已んだ。約一分も立つうちに、三四郎はヴァイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立を眺めている。妙に西洋の臭いがする。それから加徒力(カソリック)の連想がある。なぜ加徒力だか三四郎にも解らない。其時ヴァイオリンが又鳴った。今度は高い音と低い音が二三度急に続いて響いた。それでぱったり消えて仕舞った。(『三四郎』8ノ5回)

 描かれつつある人の肖像は、此彩色の眼を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇を翳して立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、調色板(パレット)を持った儘、三四郎に向った。口に太い烟管を啣えている。
「遣って来たね」と云って烟管を口から取って、小さい丸卓の上に置いた。燐寸と灰皿が載っている。椅子もある。
「掛け給え。――あれだ」と云って、描き掛けた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「成程大きなものですな」と云った。原口さんは、耳にも留めない風で、
「うん、中々」と独言の様に、髪の毛と、背景の境の所を塗り始めた。三四郎は此時漸く美禰子の方を見た。すると女の翳した団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
 それから二三分は全く静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。・・・(『三四郎』10ノ3回)

 漱石は慥かに時計好きではある。時計は規則正しいからである。時計は間違わない。間違うのはいつも(ぐずぐずして遅刻する)人間の方である。
 しかし上記のように『三四郎』にたくさんある用例を見て、漱石がこのような(タイムキーパーみたいな)書き方をするのは、女(主人物としての女)と関係のあるシーンばかりであると、気付かれるだろうか。