明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 15

17.『三四郎』汽車の女(3)―― 漱石相対性理論


 汽車の女のシーンについて、『三四郎』冒頭をもう1度引用したい。

① うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに前の前の駅から乗った田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、駆け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思ったら背中に御灸の痕が一杯あったので、三四郎の記憶に残っている。爺さんが汗を拭いて、肌を入れて、女の隣に腰を懸けた迄よく注意して見ていた位である。

② 女とは京都からの相乗である。乗った時から三四郎の眼に着いた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、段々京大阪へ近付いてくるうちに、女の色が次第に白くなるので何時の間にか故郷を遠退くような憐れを感じていた。それで此女が車室に這入って来た時は、何となく異性の味方を得た心持ちがした。此女の色は実際九州色であった。

③ ・・・それで三四郎は五分に一度位は眼を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の眼が行き中る事もあった。爺さんが女の隣へ腰を掛けた時などは、尤も注意して、出来る丈長い間、女の様子を見ていた。其時女はにこりと笑って、さあ御掛けと云って爺さんに席を譲っていた。夫からしばらくして、三四郎は眠くなって寝て仕舞ったのである。(以上『三四郎』1ノ1回再掲)

④ 爺さんに続いて下りた者が四人程あったが、入れ易って、乗ったのはたった一人しかない。固から込み合った客車でもなかったのが、急に淋しくなった。日の暮れた所為かも知れない。駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯の点いた洋燈を挿し込んで行く。三四郎は思い出した様に前の停車場で買った弁当を食い出した。

⑤ 車が動き出して二分も立ったろうと思う頃、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。此時女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入った三四郎は鮎の煮浸の頭を啣えた儘女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながら頻りに食っている。

⑥ 女はやがて帰って来た。今度は正面が見えた三四郎の弁当はもう仕舞掛である。下を向いて一生懸命に箸を突込んで二口三口頬張ったが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい。もしやと思って、ひょいと眼を挙げて見ると矢っ張り正面に立っていた。然し三四郎が眼を挙げると同時に女は動き出した。只三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべき所を、すぐと前へ来て、身体を横へ向けて、窓から首を出して、静かに外を眺め出した。風が強くあたって、鬢がふわふわする所が三四郎の眼に這入った。此時三四郎は空になった弁当の折を力一杯に窓から放り出した。女の窓と三四郎の窓は一軒置の隣であった。風に逆って抛げた折の蓋が白く舞い戻った様に見えた時、三四郎は飛んだ事をしたのかと気が付いて、不途女の顔を見た。・・・

⑦ しばらくすると「名古屋はもう直でしょうか」と云う女の声がした。見ると何時の間にか向き直って、及び腰になって、顔を三四郎の傍迄持って来ている三四郎は驚ろいた。
「そうですね」と云ったが、始めて東京へ行くんだから一向要領を得ない。
「此分では後れますでしょうか」
「後れるでしょう」
「あんたも名古屋へ御下りで……」
「はあ、下ります」

⑧ 此汽車は名古屋留りであった。会話は頗る平凡であった。只女が三四郎筋向こうに腰を掛けた許である。それで、しばらくの間は又汽車の音丈になって仕舞う。(以上『三四郎』1ノ2回再掲)

三四郎』冒頭の汽車の女のシーンで、長年多くの読者を悩ませてきた文章に、この引用文⑤の、

女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。

 というのがある。
 読者は「三四郎の横」という記述から、どうしても「通路」を連想してしまう。三四郎の眼の前に座っていた女が、三四郎の横の通路を通って行くからには、女は三四郎の後方へ立ち去ってしまうはずである。しかるに三四郎は弁当を喰いながら見るともなしに女の帯・後ろ姿を見る。そして帰って来た女を今度は正面から見る(⑤~⑥)。これはどういうことか。

 漱石は小説家として人と景色を描くが、人を描くときに風景のように大きく描く。引用文の⑧「筋向こう」の「筋」は道路でなく、⑥「一軒置いた隣」の「軒」は家屋でない。「三四郎の横」とは、三四郎の身体の横側(側面)という小さな意味ではなく、三四郎の隣の「空いている座席(大人ふたりくらいは座れるスペース)」という、やや大きな意味の「横」である。
 漱石の眼の位置は三四郎の眼の位置にある。女は、三四郎の横の空いているベンチの前を通過して通路へ出た、そして三四郎に後ろ姿を見せながらデッキの方へ歩いて行った、ということである。

 やがて女が帰って来る。今度は後ろ姿でなく(当り前だが)正面が見える。女は三四郎がまだ弁当を食べ終えていないので、自席に戻るのを躊躇したのか、一呼吸置いてから(おそらく人のいない)隣(前隣)の六人掛けのベンチに足を踏み入れて、窓の景色を眺め出した。

 このときの⑥「矢っ張り正面に立っていた」という記述は、少し不親切のようである。三四郎は窓際に近い座席に座っているのであり、女はあきらかにまだ通路に立っている。三四郎が列車に正対して座っているなら、三四郎の正面は通路ではあり得ない。三四郎は(ヤクザのように)斜めに腰掛けていたのであろうか。
 しかしここは、その前の文章「今度は正面が見えた」を活かして、「女はやっぱり三四郎に正面を見せたまま立っていた」という意味で「やっぱり正面に立っていた」と書いたとみるべきか。それとも通路と窓際、ある程度の距離があればこそ、正面(前方)に立った、と大雑把な表現をしたのか。いずれにせよ三四郎の主観として、このとき女は自分の「正面」に立っていたのである。いかにも漱石らしい書き方というべきか。

「正面」という(何でもないような)語に、あくまで三四郎の主観を通してという大前提を置き、さらに距離・大雑把というニュアンスを付加するのであれば、このあとの、

三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべき所を、すぐと前へ来て、身体を横へ向けて、窓から首を出して、静かに外を眺め出した

 という記述が大変分かりやすくなる。三四郎から見て自分の「横」とは、前述のように、車輛の一方の側を貫通する通路ではなく、誰も座っていない座席(ベンチ)のことである。女は自席へ帰らずに、隣(前隣)のボックスへ進んで、窓から顔を出した。このときの女は三四郎の前方に位置し、己れの身体の側面を三四郎の方へ向けている(見せている)。理の当然である。一字一句引用文の通りである。

 空間の問題は解けたとして、ついでに時間について考察すると、漱石の筆は汽車の進行と共に登場人物を忠実に追っているが、時系列に書かれるのはあくまで人物の所作と台詞である。人物の心象は、また別の動きを見せる(汽車の進行と微妙にズレている)。この動きの同期(または非同期)は少しばかり複雑であるから、また別の機会に述べるとして、これが漱石に戯曲を書かせなかった理由の一つであるとだけ、今は言っておきたい。

 ④で爺さんが降りたのは米原であろう。とすると三四郎が弁当を買った「前の駅」とは彦根であると思われる。彦根の駅弁は昔から名高い。爺さんが乗り込んで来たのは草津野洲あたりか。それを①で「前の前の駅」というのであるから、物語が始まったのは八幡(近江八幡)か安土のどちらかの駅の手前ということになる。(※)

 それはさておき、米原を過ぎて周囲の景色が殺伐としてくると、いよいよ物語(汽車の女)も動き出す。その始まり、

 ⑤「車が動き出して二分もたったろうと思う頃・・・

 というのは漱石らしい表現である。漱石はまるで鉄道懐中時計を持った国鉄の車掌のようである。この「二分(120秒)」は何を基に生まれた表現だろうか。漱石はいつもこんな書き方をするのであろうか。

(※)付記
 とは書いたものの後日明治時代の時刻表を見たら(もちろん復刻版で)、信じられないことに彦根は弁当販売駅ではないことになっている。直近の該当駅は京都寄りの草津である。すると爺さんが乗り込んで来たのはもっと京都に近い大津の辺だったか。ややこしいことに当時の大津は東海道線から引っ込んだ所にあったようだから、(時刻表によれば)馬場という乗換駅だったらしい。いずれにせよ無粋な話であるから論者としては彦根と思い込むことにする。地元の商店が鮎の獲れる時期だけ臨時に売っていたのだろう。