明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 7

7. 『三四郎幽体離脱の秘技(4)―― 美禰子の私語


 引用部分本来の面目たる「改行事件」に話を戻すと、漱石が(改行しないで)一つの塊りとして、手早くまとめたかったのは次の2つのシーンである。

①野々宮の姿を認めた美禰子は、三四郎の耳元に近寄り何事か囁く。

②野々宮はそんな美禰子に無頓着を装う。

 これは②については、先にも少しだけ触れたが、責任を取りたがらない野々宮(漱石)の行き方、①については、外形的には美禰子の「無意識の偽善」の実例であろうが、では美禰子は三四郎に何を囁いたのか。後段の記述からすると、美禰子は決して囁くふりをしたのではないことが分かる。美禰子は何を言おうとしたのか。あるいは何を言ったのか。

 前回までの引用文の、その直前の文章を、今回ここに引用してみる。引用部分の最後に、これまで何度も引用した(おなじみの)文章が続く。

 長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画が沢山ある。双方同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある。美禰子は其一枚の前に留った。
ヴェニスでしょう」
 是は三四郎にも解った。何だかヴェニスらしい。画舫(ゴンドラ)にでも乗って見たい心持がする。三四郎は高等学校に居る時分画舫という字を覚えた。それから此字が好になった。画舫というと、女と一所に乗らなければ済まない様な気がする。黙って蒼い水と、水の左右の高い家と、倒さに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とを眺めていた。すると、
「兄さんの方が余程旨い様ですね」と美禰子が云った。三四郎には此意味が通じなかった。
「兄さんとは――
「此画は兄さんの方でしょう」
「誰の?」
 美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。
「だって、彼方の方が妹さんので、此方の方が兄さんのじゃありませんか」
 三四郎は一歩退いて、今通って来た路の片側を振り返って見た。同じ様に外国の景色を描いたものが幾点となく掛っている。
「違うんですか」
「一人と思って入らしったの」
 ・・・(『三四郎』8ノ8回)

 美禰子はこのあと原口に呼び掛けられたのだが、この兄妹の画を観たばかりだったので、ふと野々宮兄妹を連想したのではないか。よし子も画を描く。野々宮も(漱石みたいに)画は少しは描いただろうが、研究が忙しくてそれどころでない。三四郎はまた別の意味でそれどころでない(画が解らないのでは兄も妹もない)。
 美禰子は、今見てきた画の、兄の方の(より上手な)画と、野々宮のイメジを重ね合わせて、独りで腑に落ちたのである。そして美禰子は画家と野々宮を結び付けて、さらに彼ら二人ながらに縁のない三四郎に対し、つい何か(余計なことを)言いたくなったのである。このあとに出現する、

「野々宮さん、ね、ね」

 というセリフは、丁寧に解説すると、

「今見てきた兄妹の絵は、野々宮さん兄妹みたいね。野々宮さんに似てるでしょう。誰にも知られないところまで、野々宮さんそっくり。ほら、あなた(三四郎)にまで気付かれてないじゃありませんか・・・」

 となるだろうか。三四郎が気付かなかったのは野々宮ばかりでなかったが。

 美禰子の囁きの内容はさておき、漱石はなぜ美禰子にこんな行動を取らせたのだろうか。本来漱石は思わせぶりを書く人ではない。
 現実に即していえば、美禰子はこのとき三四郎と少し離れた位置に立っていたのであるから、呼びかけられたときに自分が独りでないことを内外に示す必要があった。この美禰子の余計な(と三四郎には思われた)行動が無ければ、後段の「妙な連れと来ましたね」という野々宮の発言がやや根拠を失うようである。野々宮(半分漱石)は当てずっぽうで物を言う人ではない。次の章でも三四郎と連れ立ってやって来たよし子に対して、

「妙な御客が落ち合ったな。入口で逢ったのか」(9ノ7回)

 と正(ただ)しく「推測」している。ちなみに何度も繰り返すが、このセリフが無かったと仮定すると、三四郎とよし子の「交際」について、兄野々宮の立場・性格・描写、その他諸々の(小説上の)問題が発生してしまう。言い方を変えれば、漱石は読者に対する面倒な言い訳を回避するため、こんな一見冗長ともいえるセリフを野々宮に吐かしたのである。あるいはそのセリフが無ければ小説が別な方向へ行ってしまう、ということを避けるための、一文であったとも言える。

 それはさておき、この話のきっかけは、例の改行事件にもつながる、「里見さん」という大声師原口の呼びかけであった。前にも触れたが、同時に振り向いた美禰子と三四郎はまた、原口の陰でぐずぐず下を向いているらしい野々宮を発見した。もしこのときの野々宮が笑顔でこちらを見ていたなら、美禰子はそのまま(三四郎を再度置き去りにして)、原口たちのいる部屋へ向かったことであろう。
 美禰子は半ば野々宮に逢うために丹青会を訪れたのである。しかるにこのていたらくでは美禰子もつい癇癪を起こさざるを得ないではないか。もっとも漱石と違ってずいぶん慎ましやかな「癇癪」であったが。躾けの行き届いた美禰子は、怒り出す代わりに三四郎の耳元で囁く仕草をした。漱石はそれを無意識の偽善と命名した。なぜなら(野々宮だけでなく)三四郎もまたそのとばっちりを食ったからである。漱石も案外芸が細かいというのはディレッタントの謂いであろう。誠実な漱石は独りちゃんと(原因と結果を)書いただけである。