明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 38

40.『三四郎』最後の疑問(1)―― デヴィル大人とは何か


三四郎』において広田先生の引越以外に疑問点はもうないか。
 三四郎と(池の女を除く)美禰子の(二人きりの)逢瀬は全部で8ヶ所(厳密には7ヶ所)。いずれも印象的で『三四郎』の名を永遠たらしめるに十分である。

 広田先生の引越の日。2階の雨戸を開けて二人で見上げた駝鳥のボーアのような白い雲。

何を見ているんです」「(あて)て御覧なさい」(第4章)

 菊人形の日の予期せぬランデヴー。ストレイシープ。泥濘の飛越。(第5章)

 運動会の日。よし子を待つ束の間のあいだの会話。池の端の回想。

熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとう堪え切れないで出て来たの。――あなたは又何であんな所に跼(しゃ)がんで入らしったの」「熱いからです。あの日は始めて野々宮さんに逢って、それから、彼所へ来てぼんやりして居たのです。何だか心細くなって」「野々宮さんに御逢いになってから、心細く御成になったの」「いいえ、左う云う訳じゃない」(第6章)

 美禰子の家。

とうとういらしった」「御願い・・・是で御金を取って頂戴」(第8章)

 丹青会の午後。高等モデル。上野の森。木陰の雨宿り。

だって・・・私、何故だか、ああ為たかったんですもの。野々宮さんに失礼する積じゃないんですけれども」(第8章)

 本郷四丁目。唐物屋での偶然の邂逅。ヘリオトロープ。(第9章)(ここではよし子を交えて、三四郎と美禰子は二人きりではないが、特別にカウントする。)

 原口のアトリエから表へ出て。

あなたに会いに行ったんです」「御金は、彼所じゃ頂けないのよ
そら、あなた、椎の木の下に跼がんでいらしったじゃありませんか」「あなたは団扇を翳して、高い所に立っていた
 髭のない立派な男。「何誰(どなた)」「大学の小川さん」(第10章)

 会堂前での別離。

 ヘリオトロープの壜。四丁目の夕暮。迷羊。迷羊。空には高い日が明らかに懸る。
結婚なさるそうですね」「御存じなの」(第12章)

 からまで、三四郎と美禰子の逢瀬は、残念乍らすべて野々宮の影が付きまとう。の美禰子宅訪問も、元はと言えば野々宮の金(よし子のヴァイオリン代)に端を発している。
 始めて野々宮から自由になったと思われる(たぶん美禰子の婚約が決まったからであろうが)、の「あなたに会いに行ったんです」は、三四郎の告白と取れなくもないが、美禰子は三四郎が(金を返すという)用事があって会いに来たと取った。それで、原口の前では金を貰うわけにはいかない、という返事になったのである。

 ちなみに三四郎のこの際どいセリフが該当しなければ、漱石の作品で男が女に直接告白をする場面は、『それから』の代助が三千代に「僕の存在には貴方が必要だ」(『それから』14ノ10回冒頭)という1ヶ所だけである。しかもそれは姦通罪という倫理も法も世間も(漱石自身さえ)許さない、通常の意味でのプロポーズとは掛け離れたものであった。つまり漱石は己の作品に、通常の意味での愛の告白を一度も書かなかったと言って差し支えない。
 その理由は、漱石が自分の責めに帰すようなことを絶対に実行しなかったからであるが、なぜしなかったかとさらに問えば、それは自分が間違ったことをしたかも知れないという可能性が否定できないからである。自分が正しくないかも知れないという恐れを、完全には払拭し切れないからである。

 前著でも述べたように、漱石は重要なことを自分の意思だけで決めることの決してなかった人である。理由は自分の責任になってしまうからであるが、言い方を変えるとそのときの自分の意思決定が正しいということが担保されないからである。自分が間違っているということを火のように懼れた漱石は、つまらない理由でも何でも、何か理由(他からの suggestion )がない限り決して足を踏み出そうとしなかった。
 繰り返しになるが、人はこれを潔癖・誠実と言い、また変人・自分勝手とも言う。

 それはともかく、三四郎と美禰子の愛のシーンに難解なところがあるとすれば、それはの菊人形の日、皆とはぐれて静かな田端の小川の縁で休んでいたとき、

 所へ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の影から出て、何時の間にか河を向こうへ渡ったものと見える。二人の坐っている方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯を生やして、年輩から云うと広田先生位な男である。此男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子を睨め付けた。其眼のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎は凝と坐っていにくい程な束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。其後ろ影を見送りながら、三四郎は、
「広田先生や野々宮さんは嘸(さぞ)後で僕等を探したでしょう」と始めて気が付いた様に云った。美禰子は寧ろ冷かである。
「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」
「迷子だから探したでしょう」と三四郎は矢張り前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、
「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう」
「誰が? 広田先生ですか」
 美禰子は答えなかった。
「野々宮さんがですか」
 美禰子は矢っ張り答えなかった。(『三四郎』5ノ9回)

 この男は誰であろうか。幸いにも美禰子からすぐ絵葉書が来る。

 下宿へ帰って、湯に入って、好い心持になって上がって見ると、机の上に絵端書がある。小川を描いて、草をもじゃもじゃ生やして、其縁に羊を二匹寝かして、其向こう側に大きな男が洋杖を持って立っている所を写したものである。男の顔が甚だ獰猛に出来ている。全く西洋の絵にある悪魔を模したもので、念の為、傍にちゃんとデヴィルと仮名が振ってある。(『三四郎』6ノ3回)

 髭でなく髯と書かれるから、漱石ではない。論者は(前著で)この川縁の土地の地主であろうと推測したが、美禰子が悪魔と書くからには、やはりこれは生者の範疇を離れた、宗教的なメッセージと取るべきか。漱石は念を入れてストレイシープ等の美禰子の発言に、一定の根拠を付与したかったのではないか。宗教の衣を纏った美禰子と、そうでない三四郎。その対照を際立たせるためにも、テヴィル大男は(飛び入りで)登場したのだろう。

 三四郎は切実に生死の問題を考えた事のない男である。(『三四郎』10ノ2回)

 第10章は病気になった広田先生から三四郎が「ハイドリオタフヒア」を借りる。第10章といえば、上記で示したように、物語はもう大詰めである。(ちなみに『三四郎』の登場人物は野々宮と美禰子と与次郎を除いて全員一度は病気に罹るが、漱石は野々宮・美禰子・与次郎、却ってこの3人の(語られない)「病気」が一番重篤であると言いたげである。)

 漱石は物語の最後に来て、唐突にも(遅蒔きながらと言うべきか)こんな(宗教的な)命題を提出した。
「切実に生死の問題を考える」人間とは、例えばドストエフスキー(の主人公)のような人間を指すのであろうか。人はそのとき始めて真の孤独を味わう。
 少なくとも広田先生や野々宮がその一員であることだけは慥かである。美禰子は文学・芸術に志を有つ種類に属する女をモデルに造型されているから、小説の中の美禰子のイメジに関係なく、美禰子もまたその一員であるとはいえる。美禰子は独りぼっちである。そして美禰子は確実にそうでない三四郎を愛したということだろう。

 つまり美禰子は(ドストエフスキー流に)覚醒した男を撰ぶか、三四郎みたいにシンプルな男を撰ぶか、という「あれかこれか」に悩んだのではなく、三四郎が数年を経ずして野々宮になることは目に見えているのだから、美禰子の悩みもまたタイミング(婚期)の悩みであったと言えよう。漱石は分かっていたので、この物語を美禰子の物語にしなかった。美禰子は野々宮に見放された如く、始めから漱石にも見放されていたのである。美禰子には重ねて哀惜の念を禁じ得ない。