明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 5

5. 『三四郎幽体離脱の秘技(2)―― 三四郎は自分の方を見ていない(つづき)


 三四郎は自分の方を見ていない。

 何という大胆な叙述の変更だろう。それまで三四郎と行動を共にしていた作者が、なぜか三四郎を脱け出して、羽化する油蝉のように、幽体離脱のように、美禰子の身体へ移動した。

 その気持ちは、まあ分かる。大げさに言うと、美禰子は(漱石は)勝負に出たのである。美禰子はこのあと野々宮に見せつけるように三四郎の耳に口を寄せて親しげに何事か囁きかける。23歳(くらい)の美禰子としては最後の賭けである。30歳の野々宮が嫉妬するようならまだ脈はある。でなければ――そうでなければもう野々宮のことは忘れるしかない。

 しかし『三四郎』は美禰子の恋の物語ではない。美禰子が野々宮に嫁ぎたがっていること自体はこの際問題とするに及ばない。むろんそうあるべきだろう。誰が見ても中流家庭の子女美禰子にふさわしいのは学者野々宮であり、学生(になりたての)三四郎でない。
 野々宮と美禰子の物語は小説『三四郎』の大切なサブストーリーである。その(サブストーリーとしての)山場が訪れていることもよく分かる。だがそのことと叙述の母体が美禰子にいきなりチェンジしてしまうこととは別の話である。

三四郎自分の方を見ていない。

 ふつうに言えばこの部分は、

三四郎の方を見ていない。

 であろう。
 ペンギンブックではこの部分はあっさり、「三四郎彼女の方を見ていない」となっている(もちろん英語で)。そうでないと文章が繋がらない。英訳者に原文改竄の意識は皆無であろう。
 あるいは、

女は直ぐに覚った三四郎は自分の方を見ていない。

 という筆法もあるかも知れない。漱石はその言い回しがくどいのを嫌って自ら削除したのか。

 しかし実際に①や②で置き換えて読んでみても上記の文章は今一つしっくり来ない。
 ということは現行の本文は漱石の単なる誤記ではないということになる。つまり漱石は意図的に美禰子に憑依したということになる。
 漱石は筆の勢いで止むを得ず、または始めから確信して美禰子に乗り移ったのであろうか。早く元に戻らなければ『三四郎』は別の(美禰子の)物語になってしまう。(優雅に)改行などしている場合ではないのである。

 ところで『三四郎』にはこのときの美禰子以外に、広田先生にも一ヶ所だけ、憑依のシーンがある(与次郎にも一ヶ所ある)。第11章(偉大なる暗闇の章)の最後の2回(7回と8回)は『三四郎』では外伝的な広田先生の「夢の女」の回であるが、それに続く第12章(文芸協会の演芸会~三四郎のインフルエンザ~物語の終結)の冒頭で、その書きぶりは表われる(そのすぐ後に与次郎の例も書かれる)。

 夕刻に行って見ると、先生は明るい洋燈の下に大きな本を拡げていた。
「御出になりませんか」と聞くと、先生は少し笑ながら、無言の儘、首を横に振った。小供の様な所作をする。然し三四郎には、それが学者らしく思われた。口を利かない所が床しく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった
「君行くなら、一所に出様。僕も散歩ながら、其所迄行くから」
 先生は黒い廻套(まわし)を着て出た。懐手らしいが分らない。空が低く垂れている。星の見えない寒さである。(『三四郎』12ノ1回)

 与次郎の場合は、第11章ノ4回、学校で三四郎に、

君、里見の御嬢さんの事を聞いたか

 と訊ねるくだりがある。三四郎が問い返そうとしたところに邪魔が入って、この話は途切れてしまう。それでやはり第12章になって、風邪で臥せっている三四郎は、やってきた与次郎にその話を蒸し返す。

 与次郎はまだ思い出せない様子である。三四郎は已を得ず、其前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、
「成程そんな事が有ったかも知れない」と云っている。三四郎は随分無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがて斯う云った。
「じゃ、何じゃないか。美禰子さんが嫁に行くと云う話じゃないか」
「極ったのか」
「極った様に聞いたが、能く分らない」
「野々宮さんの所か」
「いや、野々宮さんじゃない」(12ノ4回)

 美禰子の場合に比べるとインパクトは薄いが、叙述が三四郎を離れていること自体は疑いない。それともここは憑依ではなく、唯々三四郎が気の毒であると言いたかっただけなのか。慥かに最終章であるからには、三四郎はこの上なく気の毒な状況に陥ってはいるのだが。