明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 13

15.『三四郎』汽車の女(1)―― 暗夜行路の山陽線

 さて気を取り直して『三四郎』に戻ると、どうしても冒頭の汽車の女について考察しないわけには行かない。

① うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに前の前の駅から乗った田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、駆け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思ったら背中に御灸の痕が一杯あったので、三四郎の記憶に残っている。爺さんが汗を拭いて、肌を入れて、女の隣に腰を懸けた迄よく注意して見ていた位である。

② 女とは京都からの相乗である。乗った時から三四郎の眼に着いた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、段々京大阪へ近付いてくるうちに、女の色が次第に白くなるので何時の間にか故郷を遠退くような憐れを感じていた。それで此女が車室に這入って来た時は、何となく異性の味方を得た心持ちがした。此女の色は実際九州色であった。

③ ・・・それで三四郎は五分に一度位は眼を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の眼が行き中る事もあった。爺さんが女の隣へ腰を掛けた時などは、尤も注意して、出来る丈長い間、女の様子を見ていた。其時女はにこりと笑って、さあ御掛けと云って爺さんに席を譲っていた。夫からしばらくして、三四郎は眠くなって寝て仕舞ったのである。(以上『三四郎』1ノ1回)

④ 爺さんに続いて下りた者が四人程あったが、入れ易って、乗ったのはたった一人しかない。固から込み合った客車でもなかったのが、急に淋しくなった。日の暮れた所為かも知れない。駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯の点いた洋燈を挿し込んで行く。三四郎は思い出した様に前の停車場で買った弁当を食い出した。

⑤ 車が動き出して二分も立ったろうと思う頃、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。此時女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入った三四郎は鮎の煮浸の頭を啣えた儘女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながら頻りに食っている。

⑥ 女はやがて帰って来た。今度は正面が見えた三四郎の弁当はもう仕舞掛である。下を向いて一生懸命に箸を突込んで二口三口頬張ったが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい。もしやと思って、ひょいと眼を挙げて見ると矢っ張り正面に立っていた。然し三四郎が眼を挙げると同時に女は動き出した。只三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべき所を、すぐと前へ来て、身体を横へ向けて、窓から首を出して、静かに外を眺め出した。風が強くあたって、鬢がふわふわする所が三四郎の眼に這入った。此時三四郎は空になった弁当の折を力一杯に窓から放り出した。女の窓と三四郎の窓は一軒置の隣であった。風に逆って抛げた折の蓋が白く舞い戻った様に見えた時、三四郎は飛んだ事をしたのかと気が付いて、不途女の顔を見た。・・・

⑦ しばらくすると「名古屋はもう直でしょうか」と云う女の声がした。見ると何時の間にか向き直って、及び腰になって、顔を三四郎の傍迄持って来ている三四郎は驚ろいた。
「そうですね」と云ったが、始めて東京へ行くんだから一向要領を得ない。
「此分では後れますでしょうか」
「後れるでしょう」
「あんたも名古屋へ御下りで・・・」
「はあ、下ります」

⑧ 此汽車は名古屋留りであった。会話は頗る平凡であった。只女が三四郎筋向こうに腰を掛けた許である。それで、しばらくの間は又汽車の音丈になって仕舞う。(以上『三四郎』1ノ2回)

 三四郎は三等車の窓際に、進行方向に背を向けて座っている。(⑥で、外へ投げた弁当のフタが女の方へ舞い戻ったのが見えたのであるから、三四郎は九州の方角を向いて旅していたことになる。)
 座席は四人掛けか六人掛けで、向かい合わせに座る形式の、背もたれの低い、座席というよりは、まあ木製ベンチであろう。

 8月の終わり、暑い時期であるから窓は開いている。窓は木枠の付いた真四角の小さなタイプのもので、上下に分かれて、このときはおそらく上から落として開けているのであろう。やはり⑥で、女が立ったまま顔を窓から出しているらしいから、列車の窓は上半分が開いているようである。それでも風や煤煙が直接当たるのを避けて、進行方向に背を向けたい。三四郎山陽線では先客であるから、その座り方が可能である。(翌日の東京行きの汽車は人が多くて、あるいは自分が若輩だから、最初は進行方向に向いて座っていた。しかし広田先生の隣が空いたので喜んでそこへ移ったのだろう。)

 ②、京都から乗車した女が三四郎の斜め前の席に座る。混んでもいない列車であるから、斜め前に座るのは自然の行為である。座席が狭いので真ん前に座るといくら小柄な明治人でも互いの膝が当たる。あるいは風を避けるためでもあるか。
 漱石三四郎に対する女の位置を「筋向こう」と書くが、これは漱石の辞書では「斜め前」「はす向かい」「自分の真ん前の人のすぐ隣」という意味である。翌日の東海道線でも広田先生は「筋向こうに坐った男」と書かれる。

 爺さんが乗り込んで来て物語は始まる。女が自分の身体をずらして、親切に爺さんを掛けさせる。三四郎がそれを傍観しているという③の書き方からすると、このベンチは六人掛けであろうか。
 『暗夜行路』で主人公が尾道から姫路まで乗った普通列車は、若い軍人夫婦と二人の子供が並んで座り、かつ夫の砲兵中尉の方は少し離れた端っこに座ったと書かれるから、三四郎のときの山陽鉄道も、おそらく六人掛け(八人掛け)のベンチとした方が分かりやすいかも知れない。その場合は貫通通路は車輛の片側を通っているのである。

 ベンチが四人掛けで、三四郎と女は互いに車輛中央の貫通通路を隔てて「筋向こうに」座っているとする読み方をする人もあるかも知れない。三四郎は独りで隣のボックスの出来事を見ていたというわけである。しかしそれでは引用後半⑦の、女がいきなり顔を寄せて来て三四郎に話しかけるというシーンの説明がつかなくなるし、何より翌日同じように「筋向こうに坐った」広田先生は、三四郎と色んな話が出来なくなってしまう。