明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 10

10.『三四郎』会話行方不明事件(2)―― 美禰子の生意気の起源

 美禰子は「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません。――我慢しなければ、死ぬ許ですもの」としゃべった。
 ダーシは入れなくてもいいかも知れないが、後述するように最初の「我慢」とあとの「我慢」は少し意味合いが異なるのと、もともとこの台詞部分は地の文で分割されていたがゆえに現行のような形になってしまったというのが論者の推測であるから、やはりダーシ(ダッシュ)は付けておいた方が無難か。

「高く飛ぶには理論が要る」と言う野々宮に対し、美禰子は「少し飛ぶだけなら科学の理論武装は無しで我慢してもいいのではないか。めんどうな言い訳や事前準備など省略して、まず飛んで見せたらどうか。もし堕ちたら、その時の痛みは、それはそれで(また別に)我慢・忍耐するしかない」と言い返した。つまり「理屈は要らない、怪我は辛抱せよ」と反論したわけである。
 そして「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬ許りだ」という、出がけに庭先で野々宮がしゃべった言葉を受けて、生意気にも、「死ぬ許り」という野々宮の突き放した言い回しをそのまま使用して、
我慢しなければ、死ぬ許ですもの」――つまり「もし痛みが我慢できないほどの怪我であれば、そのときはもう死ぬだけだ(痛みに耐えられなければ残念ながら死ぬしかない)」
 と嫌味っぽく付け足したのである。

 野々宮の最初の言葉「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬ許り」と、従来野々宮の発言とされた「我慢しなければ、死ぬ許ですもの」を比べて、「り」の字を送る・送らないの差異は、漱石らしい気紛れと誰でも思うが、しかし漱石といえどもまったくランダムに仮名を送っているわけでもないだろうから、「死ぬ許りだ」と「死ぬ許ですもの」の書き分けは、前者が野々宮のセリフなら、後者は野々宮以外の人物つまり美禰子の発声を念頭に置いていたとするのが合理的ではないか。

 ところが野々宮も美禰子の反論に対し、同じように自分(野々宮)の主張を皮肉っぽく「引用」することによって、美禰子に仕返しすると同時に、この実りのない会話にケリをつけようとしている。この野々宮の(冷酷とも取れる)やり方は漱石そのままであり、「何だか詰らない様だ」というのは女の皮肉屋を嫌う漱石の本音であるとともに、興醒めした野々宮の捨てゼリフと理解できる。とすると野々宮と美禰子の間は、『三四郎』の中では、第5章にして、もうこれ以上発展する可能性はないのである。

 そうであれば最後の「野々宮さんは返事を已めて」というのは、野々宮が美禰子の最後の発言に対して何も答えなかったという意味ではなく、(人を馬鹿にはしているが)ちゃんと答えた上で、これ以上こんな話を続けたくないので美禰子との会話を打ち切ったということである。漱石は人との議論においては強迫的なまでに律儀な所を見せるから、(つまりしつこいとも丁寧ともとれる誠実さを見せるから、)野々宮が美禰子の言葉に何も返さないまま、広田先生に何か話しかけるということは考えにくい。漱石は相手の言葉に頬かむりしたまま「顧みて他を言う」ことはしない。

 このような会話がなされたからこそ、このあとの(5ノ10回の)、

「私(わたくし)そんなに生意気に見えますか」

 という美禰子の言葉がよく理解されるのである。漱石の女は常にはっきりものを言う。美禰子は漠然と三四郎に問いかけたわけではあるまい。美禰子は迷子の英訳を三四郎に出題したことを気にしたわけではない。美禰子はこのときも野々宮のことが念頭を去らなかったのである。