明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 27

29.『三四郎』のカレンダー(6)―― 母からの手紙


 漱石は日にちをはっきり書いているわけではないので、菊人形の日曜日の次の土曜日が運動会であると仮定して、(日にちの齟齬は与次郎のそそっかしさのせいにして)、とりあえずカレンダーの続きはこうなる(一部重複、下線部は本項のみのドラフト版)。

明治39年11月3日(土) 天長節。引越の日。美禰子との正式な邂逅。(第4章)
明治39年11月10日(土) よし子の画。美禰子の端書。(第5章)
明治39年11月11日(日) 菊人形の日曜日。(第5章)
明治39年11月16日(金) 論文「偉大なる暗闇」。同級生懇親会。(第6章)
明治39年11月17日(土) 東京大学運動会。(第6章)

 漱石の頭の中では天長節から運動会までは、2週間でなく1週間かせいぜい10日間くらいだったと思われるが、書いてしまったものは仕方がない。

 しかし読み手の方で小説の記述を勝手に変えて、それで漱石のカンレダーに齟齬が生じるようでは、恥の上塗りであるから、上記懇親会と運動会の日程は、一応漱石の書いた通りとしておく。

明治39年11月14日(水) 論文「偉大なる暗闇」。同級生懇親会。(第6章)
明治39年11月15日(木) 東京大学運動会。(第6章)

 次の第7章は、ふつうに読むと運動会の翌日、1日だけの話とも取れる。下記の①と②、第6章と第7章の切れ目であるが、運動会の日の終わりに友人連れの与次郎とすれ違った。その日与次郎は外泊した。・・・
 しかしそうでもないことが、後段の第8章に入ると判明するが、とりあえず話を先に進める。

① ・・・向こうから、与次郎と昨夕の会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を竪に振ったぎり黙っている。学生は帽子を脱って礼をしながら、
「昨夜は。何うですか。囚われちゃ不可ませんよ」と笑って行き過ぎた。(『三四郎』6ノ13回末尾/再掲)

② 裏から回って婆さんに聞くと、婆さんが小さな声で、与次郎さんは昨日から御帰りなさらないと云う。三四郎は勝手口に立って考えた。婆さんは気を利かして、まあ御這入りなさい。先生は書斎に御出ですからと云いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今晩食が済んだ許の所らしい。(7ノ1回冒頭)

③「・・・こんだ一つ本当の肖像画を描いて展覧会にでも出そうと思って」
「誰の」
「里見の妹の。どうも普通の日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布には移が悪くって不可ないが、あの女や野々宮さんは可い。両方共画になる。・・・兎に角早くしないと駄目だ。今に嫁にでも行かれようものなら、そう此方の自由に行かなくなるかも知れないから」(7ノ5回)

④ ・・・人通りの少ない小路を二三度折れたり曲ったりして行くうちに、突然辻占屋に逢った。大きな丸い提灯を点けて、腰から下を真赤にしている。三四郎は辻占が買って見たくなった。然し敢て買わなかった。杉垣に羽織の肩が触る程に、赤い提燈を避けて通した。しばらくして、暗い所を斜に抜けると、追分の通りへ出た。角に蕎麦屋がある。三四郎は今度は思い切って暖簾を潜った。少し酒を飲む為である。(7ノ6回)

⑤ 下宿へ帰ると、酒はもう醒めて仕舞った。・・・下女が下から湯沸に熱い湯を入れて持って来た序に、封書を一通置いて行った。又母の手紙である。・・・
 手紙は可なり長いものであったが、別段の事も書いてない。ことに三輪田の御光さんについては一口も述べてないので大いに難有かった。けれども中に妙な助言がある。
 御前は小供の時から度胸がなくって不可ない。度胸の悪いのか大変な損で、試験の時なぞにはどの位困るか知れない。・・・(7ノ6回)

 第7章では美禰子もよし子も登場しない。三四郎は広田先生の家に行き、ご談義を聞く。与次郎は上記の通り外泊して不在であるが、原口と一緒に帰って来る。してみると与次郎の漂泊は運動会前日の懇親会の日とは別の日の話であったのか。
 原口は広田先生とお喋りする。美禰子の(団扇を翳すポーズの)肖像を描こうとしているらしい(③)。感動した三四郎蕎麦屋へ入って飲酒する(④)。下宿に帰ると母から手紙が届いている(⑤)。

 つづく第8章、この小説のハイライトたる丹青会の章であるが、前半はその序曲のように与次郎の遣い込み事件が描かれる。与次郎は三四郎に打ち明ける。広田先生から野々宮に返却するよう渡された金の一部20円を、馬券で失くしてしまったのだ。野々宮にとってこの金は、よし子のヴァイオリンを買うための金である。そして上記④の三四郎が珍しく蕎麦屋へ入ったことのからくりも、改めて明かされる。

⑥「金は何時受取ったのか」
金は此月始まりだから、今日で丁度二週間程になる
馬券を買ったのは
受け取った明る日だ」(8ノ1回)
 ・ ・ ・
 三四郎は立って、机の抽出を開けた。昨日母から来たばかりの手紙の中を覗いて、
「金は此所にある。今月は国から早く送って来た」と云った。与次郎は、
「難有い。親愛なる小川君」と急に元気の好い声で落語家の様な事を云った。
 二人は十時過雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋へ這入った。三四郎蕎麦屋で酒を飲む事を覚えたのは此時である。其晩は二人共愉快に飲んだ。勘定は与次郎が払った。与次郎は中々人に払わせない男である。(8ノ1回)

⑦ 夫から今日に至る迄与次郎は金を返さない三四郎は正直だから下宿屋の払を気にしている。催促はしないけれども、どうかして呉れれば可いがと思って、日を過すうちに晦日近くなった。もう一日二日しか余っていない。間違ったら下宿の勘定を延ばして置こう抔という考はまだ三四郎の頭に上らない。(8ノ2回冒頭)

⑧ 三四郎は其晩与次郎の性格を考えた。永く東京に居るとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行く事を考えた。美禰子の所へ行く用事が出来たのは嬉しい様な気がする。然し頭を下げて金を借りるのは難有くない。(8ノ4回冒頭)

⑨ 翌日は幸い教師が二人欠席して、午からの授業が休みになった。下宿へ帰るのも面倒だから、途中で一品料理の腹を拵えて、美禰子の家へ行った。(8ノ5回冒頭)

 与次郎の遣い込みの発端は、第4章の末尾に書かれている。

「此間のものはもう少し待って呉れ玉え」と広田先生が云うのを、「ええ、宜うござんす」と受けて、野々宮さんが庭から出て行った。(4ノ17回)

 この記述を踏まえて、第8章のカレンダーを考えてみる。

明治39年11月3日(土) 天長節。引越の日。広田先生は野々宮に返すべき金を与次郎に廻す。(第4章により推定)
明治39年11月4日(日) 与次郎競馬で金を失う。
明治39年11月16日(金) たまたま早めの仕送りが届いた。
明治39年11月17日(土) 与次郎の告白。三四郎20円貸す。喜ぶ与次郎と三四郎蕎麦屋で飲酒。
明治39年11月27日(火) 与次郎の金策。月末でどこも不調。
明治39年11月28日(水) 与次郎の錬金術。金は美禰子の懐に在り。
明治39年11月29日(木) とうとう入らしった。銀行。30円借りる。丹青会デート。(以上第8章)

 これに本項冒頭のカレンダーを重ねてみる。

明治39年11月3日(土) 天長節。引越の日。美禰子との正式な邂逅。広田先生は野々宮に返すべき金を与次郎に廻す。(第4章)
明治39年11月4日(日) 与次郎競馬で金を失う。(第8章)
明治39年11月10日(土) よし子の画。美禰子の端書。(第5章)
明治39年11月11日(日) 菊人形の日曜日。(第5章)
明治39年11月14日(水) 論文「偉大なる暗闇」。同級生懇親会。(第6章)
明治39年11月15日(木) 東京大学運動会。(第6章)
明治39年11月16日(金) たまたま早めの仕送りが届いた。(第8章)
明治39年11月17日(土) 与次郎の告白。三四郎20円貸す。喜ぶ与次郎と三四郎蕎麦屋で飲酒。(第8章)
明治39年11月27日(火) 与次郎の金策。月末でどこも不調。(第8章)
明治39年11月28日(水) 与次郎の錬金術。金は美禰子の懐に在り。(第8章)
明治39年11月29日(木) とうとう入らしった。銀行。30円借りる。丹青会デート。(第8章)

 与次郎から相談を受けた三四郎は、いつもなら月末のはずの仕送りが、今月はたまたま昨日届いたと言って、与次郎が遣い込んだ全額を融通してしまう。あまりに便宜的で漱石らしくない展開であるが、この例外的な送金に何か理由があるとすれば、それは母の、郷里にまつわる事情以外にないが、必ず小説の中に書かれている筈である。
 地元の災害天候でもなく、三輪田の御光さんがらみでもないから、考えられる理由は一つだけ、三四郎が最初の手紙の返信で書いた、今年の米は値が出るから売らずに置けという件であろう。
 9月にすぐ売らずに11月になってから(少し高く)売った。その金が入ったので、ほかにすることのない母は、(ついでという気持ちも手伝って)その一部を三四郎の送金に充てたのだろう。