明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 12

12.『三四郎』ドアノブ事件―― 描き残された画布


 愚挙・余談ついでに言っておくと、編集(校正)が丁寧になされていないという意味で、『三四郎』には一ヶ所おかしなところがある。三四郎が始めて野々宮よし子に会うシーンで、
「此中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子と云う女である」
 三四郎は斯う思って立っていた。戸を開けて顔が見度もあるし、見て失望するのが厭でもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。
 後ろから看護婦が草履の音を立てて近付いて来た。三四郎は思い切って戸を半分程開けた。そうして中にいる女と顔を見合せた。(片手に握りハンドルった儘)
 眼の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思う位に、額が広くって顎が削けた女であった。造作は夫丈である。けれども三四郎は、こう云う顔だちから出る、此時にひらめいた咄嗟の表情を生れて始めて見た。蒼白い額の後(うしろ)に、自然の儘に垂れた濃い髪が、肩迄見える。それへ東窓を漏れる朝日の光が、後(うしろ)から射すので、髪と日光(ひ)の触れ合う境の所が菫色に燃えて、活きた暈(つきかさ)を背負(しょ)ってる。それでいて、顔も額も甚だ暗い。暗くて蒼白い。其中に遠い心持のする眼がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにも居られない。ただ崩(なだ)れる様に動く。女が三四郎を見た時は、こう云う眼付であった。
 三四郎は此表情のうちに嬾い憂鬱と、隠さざる快活との統一を見出した。其統一の感じは三四郎に取って、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎握りハンドルった儘、―― 顔を戸の影から半分部屋の中に差し出した儘、此刹那の感に自己(みづから)を放下し去った。
「御這入りなさい」
 女は三四郎を待ち設けた様に云う。其調子には初対面の女には見出す事の出来ない、安らかな音色があった。純粋の小供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。馴々しいのとは違う。初めから旧い相識(しりあい)なのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。蒼白いうちに、なつかしい暖味が出来た。三四郎の足は自然と部屋の内へ這入った。其時青年の頭の裡には遠い故郷にある母の影が閃いた。(『三四郎』3ノ12回)

 第3章12回の後半をほぼ丸ごと引用してみた。振り仮名が目立つことでも分かるように、『三四郎』としては珍しい、凝った表現の多い文章である。
 その珍しく飾られた文章を何度読んでみても、突然但し書きのように括弧付きで挿入された、

(片手にハンドルをもったまま)

 という一文には首を傾げざるを得ない。文自体は、三四郎が逆立ちでもしていない限り、ごくふつうの弁明の必要のない言い廻しである。普通に地の文に組み込んで何の問題もない、というより、わざわざ括弧書きにする理由がない。漱石に書き間違いが多いといっても、こんなメモ書きみたいな表現をそのまま本文にしている箇所は、漱石の全作品の中でここだけである。

 後段に同じ言い廻しが続くがゆえに、ここの部分はわざと括弧書きにしたのか。
 と考えても、やはり漱石の小説としてはおかしい。ここはふつうに、

(校正前)
 後ろから看護婦が草履の音を立てて近付いて来た。三四郎は思い切って戸を半分程開けた。そうして中にいる女と顔を見合せた。(片手に握りハンドルった儘)

(校正後 A案)
 後ろから看護婦が草履の音を立てて近付いて来た。三四郎は思い切って戸を半分程開けた。そうして片手に握りハンドルった儘、中にいる女と顔を見合せた。

(校正後 B案)
 後ろから看護婦が草履の音を立てて近付いて来た。三四郎は思い切って戸を半分程開けた。そうして中にいる女と顔を見合せた。

 とすべきではなかろうか。

 最初のハンドルと二度目のハンドルの間隔は、全集本でも文庫本でも10行くらいのものである。(漱石山房の原稿紙なら1枚か2枚である。)であれば最初の括弧書きの方の「片手に握りを把った儘」の部分は、丸ごと削除してもいいかも知れない。漱石は覚えのつもりで括弧付きで(かつ丁寧なルビ付きで)書き留め、それはすぐ後に「三四郎は握りを把った儘」という表現で使われたので、最初の方は位置を直しておけば、あるいは消しておけばいいものを、1枚か2枚前の原稿を見返すのが面倒でつい忘れてしまったのだろう。こんなところは担当者なり校正者が一寸確認すれば済んだ筈である。
 ファンゴッホのタブローには画の隅っこの方に塗り残しがままある。たしかに天才は細部に関心が無い。しかし一般にカンヴァスの(中央の)目立つ部分が、下書きの線のままになっていることなどあり得ないではないか。