明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 32

34.『三四郎』のカレンダー(補遺)―― 三部作の秘密


 漱石は自分の書きたいようにしか書かなかった我儘な作家であったが、また新作ごとに趣向を変え、何かしらの工夫を凝らす、サーヴィス精神も備えた篤実な作家でもあった。
 漱石は二番煎じ・同工異曲・(小説における)名人芸を嫌った。『猫』や『坊っちゃん』は、似たようなものを書こうと思えばいくらでも書ける、と自分でも言っているが、漱石はそれをしなかった。

Ⅰ 初期三部作 『三四郎』『それから』『門』

Ⅱ 中期三部作 『彼岸過迄』『行人』『心』

Ⅲ 晩期三部作 『道草』『明暗』『(書かれなかった)最後の小説』

 改めて論者の言う漱石の三部作とはこの三種類である。
 前項の「強迫神経症的」な話は、それだけでは何のことか分からないと言われそうだから、Ⅰ(初期三部作)で『三四郎』にのみ書かれたアイテムについて、実例をいくつか挙げてみると、

①結婚式の招待状という(小道具的な)アイテムについて。

 『三四郎』 物語末尾の、三四郎の下宿にも来ていた美禰子の結婚披露の招待ハガキ。野々宮はフロックコートのポケットに入れたままにしておいたが、丹青会の会場で気付いて破り捨てた。

 『行人』 結婚のエピソードが語られる三沢ではない。同じくお兼さん、お貞さんでもない。一郎の知人Kから、一郎とお直に宛てた招待状。小説の末尾、一郎と同僚Hの旅行の導入部とはなる。

 『明暗』 関と清子の招待状。そして津田とお延の招待状。『明暗』の骨子たるこの二組の結婚については、小説の中では具体的な記述は一切ない。招待状という一語を除いては。

②汽車の中の描写という(大道具的な)アイテムについて。

 『三四郎』 本項でもさんざん述べて来た、山陽線と汽車の女、東海道線と髭の男。

 『行人』 関西和歌浦旅行の復路。長野一家の乗った寝台急行列車。

 『明暗』 津田の湯河原往きの東海道線軽便鉄道

③近所が物騒で誰か助っ人が必要という散文的アイテムについて。

 『三四郎』 三四郎が野々宮の家の留守番に泊まる。近所が物騒で下女が異様に怖がるという。

 『心』 先生宅の用心棒役に「私」が駆り出されるのは、近所に泥棒が出没しているから。

 『明暗』 お延が津田と一緒に湯河原に行きたいと言い出したとき、お時一人はとても置いて行けないという津田の主張。

④「不法侵入」という一見不要で不可解な、これまた散文的アイテムについて。

 『三四郎』 広田先生の転居先探しを兼ねた散歩中、三四郎たちが佐竹の下屋敷内を通って番人にこっぴどく叱られる。

 『心』 先生と「私」が散歩中、ふと造園業らしき農家の庭先に迷い込み、住人に遭遇する。先生はその家の子供に金を遣った。

 『(書かれなかった)最後の小説』 必ずこのようなエピソードが語られる、と論者は確信する。主人公と世間との隔絶に最適のアイテムであると思うから。現行『明暗』にはこのエピソードは書かれていない。しかし『明暗』完結篇において、不動滝の入口に関所のように構えている茶店の描写に、もしかすると使われるのかも知れない。