明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

2021-01-01から1年間の記事一覧

漱石「最後の挨拶」行人篇 26

193.『帰ってから』1日1回(4)――女景清と和歌山の夜 もうひとつ、こんなところに女景清の逸話が長々と挿入された理由についてだが、この逸話の前半部分「夏の夜の夢のような儚い関係」が、1ヶ月前の和歌山での二郎とお直の、「一夜の夢」と対になってい…

漱石「最後の挨拶」行人篇 25

192.『帰ってから』1日1回(3)――女景清の秘密(つづき) 女は二十年以上〇〇の胸の底に隠れている此秘密を掘り出し度って堪らなかったのである。彼女には天下の人が悉く持っている二つの眼を失って、殆ど他から片輪扱いにされるよりも、一旦契った人の心…

漱石「最後の挨拶」行人篇 24

191.『帰ってから』1日1回(2)――女景清の秘密 第3章 長野家の人々とお貞さんの結婚問題(9月) 二郎・一郎・直・芳江・父・母・お重・お貞さん 第5回 ある夕餉Ⅰ 秋になると一郎も二郎も生き返った気がする~しかし兄は相変わらず憂鬱「己の綾成す事の…

漱石「最後の挨拶」行人篇 23

190.『帰ってから』1日1回(1)――死は生き通せない 漱石の作品が読まれ続けるのは、その作品が常に人生の根源的な問題を扱っているからであって、そこには当然生と死の問題も含まれる。漱石の作品は、なによりもまず漱石の死生観に貫かれている。 ヴィト…

漱石「最後の挨拶」行人篇 22

189.『兄』1日1回(5)――ブルートレインの謎 前項の二郎とお直の和歌山宿泊事件で、二郎の免責について三四郎の例を挙げて述べたが、ここでまた前著(『明暗』に向かって)から、その『三四郎』の該当部分を含む項を引用したい。もうひとつ、復路の寝台列…

漱石「最後の挨拶」行人篇 21

188.『兄』1日1回(4)――復路はすでに旅ではない 第8章 嵐の一夜~嫂と自分、和歌山一泊事件 二郎・直・宿屋の下女・朋輩の下女・車夫(2台) 第34回「此処で此位じゃ、和歌の浦はさぞ大変でしょうね」「大方其んな事だろうと思った。到底も駄目よ今…

漱石「最後の挨拶」行人篇 20

187.『兄』1日1回(3)――病む歌のいくつはありとも世の常の父親にこそ終るべかりしか 第5章 和歌の浦2泊目~兄と自分、山上の垂訓・東照宮編 二郎・一郎・(直・母) 第16回 東洋第一エレヴェーター「二人で行こう。二人限で」(8/12土)第17回 蒻…

漱石「最後の挨拶」行人篇 19

186.『兄』1日1回(2)――海恋し潮の遠鳴り数えては少女となりし父母の家 第3章 和歌の浦へ~兄と自分、接吻(キッス)の話 二郎・一郎・直・母 第10回 南海鉄道の食堂車~三沢の接吻事件(8/11金)第11回 市内電車に乗換~出帰り娘さん事件(8/11金)…

漱石「最後の挨拶」行人篇 18

185.『兄』1日1回(1)――たった一人で淋しくって堪らないからどうぞ助けて下さい さて『兄』に入る前に、『友達』32回と33回は『兄』への橋渡しであるが、出帰りの娘さんの逸話が披露される。 ・・・其娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛…

漱石「最後の挨拶」行人篇 17

184.『友達』(17)――『友達』1日1回(つづき) 第5章 胃腸病院の3階 二郎・三沢・三沢の看護婦・宿の下女・岡田・(医者・宿の隣客) 第13回 わがままな入院患者(7/28金)第14回 電話の向こうの看護婦を𠮟り飛ばす(7/28金)第15回「うん、あ…

漱石「最後の挨拶」行人篇 16

183.『友達』(16)――『友達』1日1回 最後に例によって各回の表題を付けてみる。『行人』は久しぶりに若い女のたくさん登場する小説である。(その前は『三四郎』、後は『明暗』であろうか。)試みに附した章分けには、登場人物を配す。登場の仕方が一般…

漱石「最後の挨拶」行人篇 15

182.『友達』(15)――『友達』のカレンダー完結篇 さて話を戻して、カレンダーの続きである。『友達』後半病院回での眼目は三沢の「あの女」であるが、カレンダーの鍵を握っているのは、相変わらず岡田である。 二郎は次の日もすぐに病院へ行く。そしても…

漱石「最後の挨拶」行人篇 14

181.『友達』(14)――笑う女 三沢の「あの女」の美人看護婦の笑いについて、再び前著(『明暗』に向かって)から1項引用したい。40.笑う女 『明暗』ではヒーローとヒロインの出会いは、強いて言えば温泉宿で津田がやっと望みがかなって清子の部屋を訪…

漱石「最後の挨拶」行人篇 13

180.『友達』(13)――沈黙する女たち(つづき) 漱石の小説において男女が二人きりで会見するとき、例えば下女が笑うとそこに濡れ場は存在しない、と論者は前著(『明暗』に向かって)で述べたことがあるが、前項の三沢と「あの女」の(明らかにされない)…

漱石「最後の挨拶」行人篇 12

179.『友達』(12)――沈黙する女たち 舞台が岡田の家から三沢の病室に移ると、まるで別の小説が立ち上がったように見える。新しい主役は三沢の「あの女」である。「あの女」は『行人』の中では実際に活きてセリフをしゃべることがない。「あの女」だけでな…

漱石「最後の挨拶」番外篇続々

山田風太郎の「あげあしとり」(3)――国民作家吉川英治(再掲) さて吉川英治はいつもこんな(危ない橋を渡るような)書き方をしているのだろうか。「宮本武蔵」全7巻の内の第1巻「地の巻」の「縛り笛」の章に、早くもこんな記述がある。(引用は前項と同…

漱石「最後の挨拶」番外篇続

山田風太郎の「あげあしとり」(2)――風太郎の勘違い(再掲) もう一度山田風太郎の指摘する箇所を、「吉川英治全集」(講談社昭和43年初版)から直接引いてみる。山田風太郎が引用した部分は重ねてボールドで示す。 なお、前項で紹介した山田風太郎の「あ…

漱石「最後の挨拶」番外篇

さて本ブログも開始して1年経った。本ブログには原則として生者は登場しないが、ここで御盆休みということで、「行人篇」を一時中断して、去年(10月)番外篇として3回分書いた「山田風太郎のあげあしとり」という記事を、本日より3日間、(山田風太郎の…

漱石「最後の挨拶」行人篇 11

178.『友達』(11)――『友達』のカレンダー(つづき) 《二郎のスケジュール表》 明治44年7月16日(日)三沢と約束「十日以内に阪地で落ち合おう」7月17日(月)三沢諏訪木曽旅行へ出発。7月18日(火)二郎京都旅行へ出発。京都に4、5日逗留。…

漱石「最後の挨拶」行人篇 10

177.『友達』(10)――『友達』のカレンダー 『行人』は『彼岸過迄』全118回のほぼ1年後をなぞり、大正元年12月~大正2年4月まで『友達』『兄』『帰ってから』計115回が連載されて、病のため中断した、というより作者のつもりでは(『明暗』と異…

漱石「最後の挨拶」行人篇 9

176.『友達』(9)――保護者付きのヒロイン 三沢の「あの女」の初登場シーンに関連して、前著(『明暗』に向かって)から1項引用したい。39.保護者付きのヒロイン 『明暗』でお延が始めて登場したとき、お延は津田の前で独りで立っていた。清子の初登場…

漱石「最後の挨拶」行人篇 8

175.『友達』(8)――誰もが舌を巻く女性初登場シーン 漱石の文章にも無条件に美しい箇所はたくさんある。お兼さんは物語のヒロインではないが、その初登場シーンは流石に堂に入ったものである。漱石は自己の芸術的成長に関しては、ことのほか厳格・潔癖に生…

漱石「最後の挨拶」行人篇 7

174.『友達』(7)――不可解な物語の始まり(つづき) 前項で検討した、三沢付き看護婦に対する二郎の不可解な応対は、『行人』のその後の展開にも関係すると思われるが、ここでまったく別の見解を述べると、 ①二郎は病院で三沢の看護婦と(書かれなかった)…

漱石「最後の挨拶」行人篇 6

173.『友達』(6)――不可解な物語の始まり 漱石の本領は文章のテニヲハにあるのではない。アガサクリスティの小説が慟哭の文学であるという意味で、漱石の小説もまた、どこを斬っても漱石の血が流れ出す。物語の中の不可解な部分を探ってみても、それを感じ…

漱石「最後の挨拶」行人篇 5

172.『友達』(5)――何のための新聞切り抜き 出版された自分の本はまず読み返すことのなかった漱石だが、新聞に掲載された小説は丁寧に切り抜きを作って、校正の筆を入れていたこともあったようである。『行人』も、原稿は散逸しでいる(震災で焼失か)が、…

漱石「最後の挨拶」行人篇 4

171.『友達』(4)――失敗するほど神に近づく さて冒頭の二郎失言3連発であるが、それに関連して、裏を返すような、または輪をかけるような、いくつかの記述が槍り玉に挙がる。①「なに日が射す為じゃない。年が年中懸け通しだから、糊の具合でああなるんで…

漱石「最後の挨拶」行人篇 3

170.『友達』(3)――漱石開始あるいは漱石の相対性理論 梅田の停車場を下りるや否や自分は母から云い付けられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼が果して母の何に当るかを知らずに唯疎い親類とばかり…

漱石「最後の挨拶」行人篇 2

169.『友達』(2)――原初に失敗ありき 二郎の失言群にはかなりのボリュームの導入部がある。 「①好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」「冗談いっちゃ不可ない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目になって、「だって…

漱石「最後の挨拶」行人篇 1

168.『友達』(1)――汚な作りの高麗屋 本ブログも『彼岸過迄』を了えて、いよいよ『行人』である。 さて書き間違い・言い間違いは誰にもあることで、多くの場合それは取り上げるまでもない瑣事であろうが、漱石に限っては少し異なる意味合いを持つように思…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 45

167.『彼岸過迄』 ブログ総目次 彼岸過迄篇1 123. 誰でもおかしな文章を書く(1)――徳田秋声の場合漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 1 - 明石吟平の漱石ブログ 彼岸過迄篇2 124. 誰でもおかしな文章を書く(2)――川端康成の場合漱石「最後の挨拶」彼岸過迄…