明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 4

171.『友達』(4)――失敗するほど神に近づく


 さて冒頭の二郎失言3連発であるが、それに関連して、裏を返すような、または輪をかけるような、いくつかの記述が槍り玉に挙がる。

①「なに日が射す為じゃない。年が年中懸け通しだから、糊の具合でああなるんです」と岡田は真面目に弁解した。
「成程梅に鶯だ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、此幅を自分の父から貰って、大得意で自分の室へ持って来て見せたのである。其時自分は「岡田君此呉春は偽物だよ。夫だからあの親父が君に呉れたんだ」と云って調戯半分岡田を怒らした事を覚えていた。(『友達』2回)

②「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪下り迄引っ張って行くなんて。最う少し待っていれば己が相当なのを見付てやるのに」(同3回再掲)

③「何してお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに
「佐野さんはああいう確りした方だから、矢張辛抱人を御貰いになる御考えなんですよ」
 ・・・自分は兎に角其佐野という人に明日会おうという約束を岡田として、又六畳の二階に上った。頭を枕に着けながら、自分の結婚する場合にも事が斯う簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。(同7回末尾)

④三人は暑を冒して岡を下った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向こう側に並んで腰を掛けた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛な葉書(6回の「一両日後れるかも知れぬ」とだけ書かれた葉書を指す)を思い出したりした。全体あれは何処で出したものなんだろうと考えても見た。是から会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかし其たんびに「物好」という言葉が何うしても一所に出て来た。(同8回)
⑤「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好さそうですね」
 自分は斯うより外に答える言葉を知らなかった。それでいて、斯う答えた後ははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。(同9回末尾)

 キーワードは「物好き」。対象は岡田(①②)と佐野(③④)という保険会社社員コンビ。(企業の)金儲けに興味のない漱石にとって、会社勤めは単に物好きと映るだろう。漱石にとってどうでもいい女(使用人とか)と結婚しようとする男もまた、漱石には物好きとしか映らない。そんな相手に誠意ある対応は取らせにくい。しかし漱石の辞書に不誠実という文字はない。自然登場人物の失言に繋がるわけである。失言しなければしないで、話は平和に進行するのではなく、何となくそれは無責任の誹りを免れないような、(⑤のような)窮屈な方向へ誘導されてしまう。
 これは潔癖すぎる漱石の倫理観がなせるわざであろう。無責任なのは二郎だけではない。二郎は主人公だから自分で無責任を自覚できるが、この場合の副人物たる岡田と佐野は、小説の書きぶり自体が無責任(物好き)の方向へ流されて行くようである。

 日岡田は会社を午で切上げて帰って来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。
 ・ ・ ・
「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。・・・
 ・ ・ ・
 洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんは何時の間にかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変り」
「あんまり変り栄もしない服装だね」と岡田が云った。
是で沢山よ彼んな所へ行くのに」とお兼さんが答えた。・・・(同8回)

 佐野には浜寺で一所に飯を食った次の晩又会った。今度は彼の方から浴衣がけで岡田を尋ねて来た。自分は其時も彼是二時間余り彼と話した。けれどもそれは只前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。・・・(同10回)

 岡田と佐野はたぶん同じ部署で働く同僚である。佐野の結婚話で東京から二郎がやって来て料亭で一席設けるのはいいが、それが昼の軽い食事を優先するなら、土日を充てるのが普通ではないか。日程が許さないなら、やはり夕方の席であろう。こんなことでふたりが雁首並べて早退するのは、民間の会社(保険会社)でも役所でも、ありえないのではないか。いくら会社勤めしたことのない漱石であっても、同じ部課で同じ目的で2人午から退社することが許されるとすれば、それはほとんど公用に近い場合に限られることくらい、想像がつきそうなものである。

 思うに漱石は、物好き=自分に興味がない事に関する記述について、雑駁な書き方をすることにより、ある種の罰を与えたのではないか。
 そうしてそれは、主たる対象である俗物に限らず、自らにも課されたのではないか。先の④の記述にしても、物好きなのは岡田や佐野(あるいはお兼さん)ばかりでなく、三沢や二郎本人まで巻き込んで、「物好」と断罪しようとしたのではなかったか。
 それはまた漱石の定石でもある。人を嗤う前に自分を嗤っている。あるいは人に嗤われる前に自分を嗤っているのである。

 漱石は子供の頃から自分が変人であると言われつけて来た。それはよく解ってはいるが直せるものでもなく、また直さなくてはいけないほどの悪癖であるとも思われない。
 世間や俗物を莫迦にするが、自分の中にもその俗物根性が胡坐をかいていることにも気付いている。
 偉大な芸術宗教哲学に首を垂れることも知っているが、その崇高な遺伝子は、一部といえども自身の中にも宿っているはずである。漱石が盲目的に信じたものは無かった。少なくともそんなものは漱石の観た宇宙には存在しなかった。
 逆説的な言い方になるが、それが漱石をしてある程度雑駁な書き方をさせる理由になるだろうか。目指しているものが巨きいがゆえに、細かいことは目に入らないのである。