明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 2

169.『友達』(2)――原初に失敗ありき


 二郎の失言群にはかなりのボリュームの導入部がある。

「①好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった
「冗談いっちゃ不可ない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目になって、「だって貴方はあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。
「何んて」
「②岡田も気の毒だ、あんなものを大阪下り迄引っ張って行くなんて。最う少し待っていれば己が相当なのを見付てやるのにって」
「そりゃ君昔の事ですよ」
 斯うは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。且一寸狼狽した。そうして先刻岡田が変な眼遣をして、時々細君の方を見た意味を漸く理解した。
「あの時は僕も母から大変叱られてね。③御前のような書生に何が解るものか。岡田さんの事はお父さんと私とで当人達に都合の好いようにしたんだから、余計な口を利かずに黙って見て御出なさいって。どうも手痛くやられました」
 自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、其時の様子を多少誇張して述べた。岡田は益(ますます)笑った。
 夫でもお兼さんが又座敷へ顔を出した時、自分は多少極りの悪い思をしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「④今二郎さんが御前の事を大変賞めて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「貴方があんまり悪口を仰しゃるからでしょう」と夫に答えて、眼では自分の方を見て微笑した。(『友達』3回)

 ②は、意見としての当否は別として、この発言がいくら「五六年」(二郎――同1回)「五六年近く」(岡田――同4回)前のことであったとはいえ、岡田の知るところとなっていること自体信じがたい。しかも前後の記述に依れば、この情報は二郎の母の口から岡田に伝えられたことになっている。③のように二郎を手厳しく窘めた母が、その内容を当の岡田にしゃべるのは、あり得ないことではないか。当然岡田はお兼さんには打ち明けていない(④)。
 岡田が知るとすれば、それは二郎が直接打ち明けた場合に限るのであるが、二郎はそれほど岡田と親しくないのであるから、やはりこれは少しヘンである。話の流れは漱石の書く通りであったのだろうが、岡田が自らそれを知って口にするという設定は、岡田という人物がよほど低く見られているということに他ならない。岡田夫婦は導入部に付き物の端役に過ぎないのであろうか。

 翌日眼が覚めると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。
「おいお兼とうとう絞りのが咲き出したぜ。一寸(ちょいと)来て御覧」
 自分は時計を見て、腹這になった。そうして燐寸を擦って敷島へ火を点けながら、暗にお兼さんの返事を待ち構えた。⑤けれどもお兼さんの声は丸で聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」を又二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、貴方は。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙しくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側に立っているらしい。
「それでも綺麗ね。咲いて見ると。――金魚はどうして」
「金魚は泳いでいるがね。どうも此方は六ずかしいらしい」
 ⑥自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草を吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。⑦岡田の声も聞こえなかった。⑧自分は煙草を捨てて立ち上った。そうして可成急な階子段を一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。(同5回)

 引用文末尾の⑧の表現は、⑤と⑦の対比からも、平凡な書き振りに見えて本当に漱石らしい見事な描写であるが、それはさておき⑥のように、お兼さんは女には珍しく(と漱石は考える)、余計なことはしゃべらない。庭の金魚も世話をしているのは亭主の方であるらしい。ちょうど『三四郎』の美禰子に似ているが、ヒロインではないので、むしろ汽車の女に近い(汽車の女も子供の世話は実家に任せている)。そのお兼さんに対して、①の僕が貰えばよかったという発言は、その心情を察するに、ますます三四郎と(顔立ちが上等で何となく好い心持ちに出来上がっているという)汽車の女の交渉を連想させる。
 二郎は1週間近く岡田の家に逗留したのであるが、岡田が出勤するときは一緒に出て、市内見物でお茶を濁しているようである。しかし午過ぎには帰って来て、いくら下女がいるとはいえ、少し気まずいひと時を過ごすようでもある。
 漱石がいつも書く日曜日についても、ここでは一切触れられていない。二郎は日曜に到着してその週のうちに(三沢のいる)病院へ引揚げたように読めるが、なぜ日曜に日曜と書かなかったのだろうか。

 物語の冒頭に失言(失敗譚)を置く。『三四郎』の例を挙げたが、解釈を拡げれば、『それから』や『門』もその範疇であると言えなくもない。代助は書生の門野を馬鹿にしているように見えて、その現実離れした感想や言動のせいで、却って門野に嗤われているようにも読めるし、『門』冒頭での宗助もまた、「近」の字の書き方を聞いたりして、少し散歩でもして来たらと御米に指導されているのである。(といって『門』を通じて宗助が御米の尻に敷かれているわけではない。)『彼岸過迄』の導入部も、就職運動に厭いた敬太郎、あるいは役所勤めを放擲した森本の「失敗談」ではなかろうか。
 そもそも漱石は処女作のときからそういう書き方をしている。『猫』も『坊っちゃん』も、『草枕』でさえ、語り手の挫折というか愚痴で物語は始められている。失意の下で物語が始まるのである。
 先の(作品の)話をしては申し訳ないが、『道草』『明暗』も開始部分は同じく失意・失敗である。それが作品の最後までそうであるかは別として、少なくとも導入部を見る限り、それは失敗の話で始まっている。『心』は違うではないかと言われそうであるが、あの小説は第1楽章から「葬送行進曲」であるようなシンフォニーであると言える。学生たる私は恐らく、先生を失いつつある(あるいは既に失ってしまった)という忸怩たる思いで語り始めている。
 唯一の例外は『虞美人草』であるが、漱石は後年(というより書いてすぐといった方がいいかも知れない)この作品を否定した。小野さんが藤尾に遣り込められるシーンを書き出しに持ってくれば、少しは違った展開になったかも知れない。

 余談だが『虞美人草』を『三四郎』(や『それから』『門』)の話法でリライトすれば、すっきりした名作に生まれ変わるのではないか。主人公はあくまで小野清三である。小野清三を離れてはいかなる登場人物も活動しない。語彙も彼の頭の中を出ない。あのきらびやかな修飾語も影をひそめる。その代わり小野清三の葛藤はさらに深まるだろう。藤尾の死を自分で受け容れなければならないからである。もしかすると藤尾は死なないかも知れない。

 さらに余談だが、漱石作品が、静かに始まって最後に破局が来る(ことが多い)という先入観があるとすれば、それはあべこべで、漱石作品はいつも挫折で始まり、最後に微かな希望の灯りを点して了わるとする意見の方を、論者は支持したい。

 それはともかく、漱石の小説の開始方法について、もう少し細部を見てみよう。

※本ブログの引用は従前通り原則として岩波書店漱石全集(第1版・第2版)および定本漱石全集による。ただし現代仮名遣いに直した。