172.『友達』(5)――何のための新聞切り抜き
出版された自分の本はまず読み返すことのなかった漱石だが、新聞に掲載された小説は丁寧に切り抜きを作って、校正の筆を入れていたこともあったようである。『行人』も、原稿は散逸しでいる(震災で焼失か)が、新聞の切り抜き版なるものが残っているようだ。
おそらく初版本はその「切り抜き版」によっても校正されたのであろう。初版本(の校正刷り)が出た後は、そんなものは当然反故紙となる。
そこで(誤植は別として)、初出(新聞掲載)を原稿と見做し、初版を漱石の赤ペンが入ったものとして、その例を見てみよう。上段が初出(原稿)、下段が初版(校正後)である。原稿準拠を旨とする定本版全集はむろん上段である。
〈事例A〉(原稿)
二人は懸物を見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田は何時迄も窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣に洋袴丈になって其処に寝転びながら相手になった。そうして彼から天下茶屋の形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分に夫程興味のない問題を、ただ素直にはいはいと聴いて居たが、電車の通じる所へわざわざ車へ乗って来た事丈は、馬鹿らしいと思った。
やがて細君が帰って来た。細君はお兼さんと云って、器量は夫程でもないが、色の白い、皮膚の滑らかな、遠見の大変好い女であった。・・・(2017年版定本漱石全集第8巻『行人/友達』2回)
〈事例A〉(切抜赤ペン)
二人は懸物を見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田は何時迄も窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣に洋袴丈になって其処に寝転びながら相手になった。そうして彼から天下茶屋の形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分に夫程興味のない問題を、ただ素直にはいはいと聴いて居たが、電車の通じる所へわざわざ俥へ乗って来た事丈は、馬鹿らしいと思った。二人は又二階を下りた。
やがて細君が帰って来た。細君はお兼さんと云って、器量は夫程でもないが、色の白い、皮膚の滑らかな、遠見の大変好い女であった。・・・(昭和50年版漱石全集第5巻『行人/友達』2回)
〈事例B〉(原稿)
岡田は単にわが女房を世間並にする為に子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供が出来るのが怖いから、まあ最う少し先へ延そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云って遣りたかった。
「それに二人切じゃ淋しくってね」と岡田が又云い出した。
「二人切だから仲が好いんでしょう」
「子供が出来ると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
岡田と自分は実際二人の経験以外にあることを左も心得た様に話し合った。宅へ帰ると食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧をして二人のお酌をした。時々は団扇を持って自分を扇いで呉れた。・・・(2017年版定本漱石全集第8巻同4回)
〈事例B〉(切抜赤ペン)
岡田は単にわが女房を世間並にする為に子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供が出来るのが怖いから、まあ最う少し先へ延そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云って遣りたかった。すると岡田が「それに二人切じゃ淋しくってね」と又つけ加えた。
「二人切だから仲が好いんでしょう」
「子供が出来ると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
岡田と自分は実際二人の経験以外にあることを左も心得た様に話し合った。
宅では食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧をして二人のお酌をした。時々は団扇を持って自分を扇いで呉れた。・・・(昭和50年版漱石全集第5巻同4回)
〈事例C〉(原稿)
「奥さん、三沢という男から僕に宛てて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくったって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一貴方はあの一件からして片付けて仕舞わなくっちゃならない義務があるでしょう」(2017年版定本漱石全集第8巻同4回)
〈事例C〉(切抜赤ペン)
「奥さん、三沢という男から僕に宛てて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一貴方はあの一件からして片付けて仕舞わなくっちゃならない義務があるでしょう」(昭和50年版漱石全集第5巻同4回)
〈事例D〉(原稿)
自分が洋盃を取上げて咽喉を潤した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。
「先程お出掛になった後で」と云いかけて、にやにや笑っている。自分は其表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。御待かねの……」
お兼さんから斯う云われた自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
「一両日後れるかも知れぬ」
葉書に大きく書いた文字はただ是丈であった。
「丸で電報の様で御座いますね」(2017年版定本漱石全集第8巻同6回)
〈事例D〉(切抜赤ペン)
自分が洋盃を取上げて咽喉を潤した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。
「先程お出掛になった後で」と云いかけて、にやにや笑っている。自分は其表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。御待かねの……」
自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
「一両日後れるかも知れぬ」
葉書に大きく書いた文字はただ是丈であった。
「丸で電報の様で御座いますね」(昭和50年版漱石全集第5巻同6回)
〈事例E〉(原稿)
岡田は突然体を前に曲げて、「何うです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直にして、何かお兼さんに云った。其顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、貴方も大阪(こちら)へ入らっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「有難う」と答えたが、さっき何うですと突然聞いた岡田の意味は、此時漸く解った。(2017年版定本漱石全集第8巻同8回)
〈事例E〉(切抜赤ペン)
岡田は突然体を前に曲げて、「何うです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直にして、何かお兼さんに云った。其顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、貴方も大阪(こちら)へ入らっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「有難う」と答えた。さっき何うですと突然聞いた岡田の意味は、此時漸く解った。(昭和50年版漱石全集第5巻同8回)
そこに文豪の意図がある以上、直してはいけないとは決して何人も言えまい。しかし校正し甲斐のあるものは、あまり多くないようである。AからEの事例を見ても、原稿に近い(と思われる)岩波の最終形全集で何の問題もない。
とくに事例Cの場合は、
・大阪朝日 「来なくったって」
・東京朝日 「来なくって」
東京朝日は誤植(脱字)したと思われる。原稿はおそらく大阪朝日の通りだろう。普通に正しい言い方とすれば、
「三沢の一人や二人、来たって来なくたって」
の方であろうが、東京朝日の切り抜きを持っていた漱石は、
「来なくって」から「来なくったって(来なくったって)」または「来なくたって」
に直そうとして、「た」の挿入位置もしくは「た」と「つ」の挿入位置を書き入れようとして、失敗したのであろう。(漱石の文字の挿入ミスは、『明暗』の「お延は自分でも」の「は」の字の挿入ミスが有名である。面倒くさいか、あるいは自分ではもう入れたつもりになるのであろう。)
東京朝日の初出は明らかに誤植であり、岩波の昭和41年と昭和50年の菊版漱石全集は、誤植を踏襲してしまったと言える。
それはそれとして、同じ字句の修正でも、漱石の場合は原稿を書いている時に施された修正の方が、よほど味わいがある。つまり原稿そのものの方が「切り抜き版」より優れていると、少なくとも『行人』の校異を見る限りでは、そんな感じを受ける。だからといって作品の鑑賞に関係するわけではないが。
漱石は生まれた子は(可愛がったとしても)放っておくタイプである。西洋人が自分の垢や汚れに対して、石鹸をつけるかどうかして、それが自分の身体を離れたことが目視できれば、それはもう自分とは関係のないモノとして関心を失うように、漱石も自分が生んだ子や小説は、それがリリースされたらもう、自分の所有物ではない、自分とは一線を劃す独立した存在と見做すようである。漱石はペットの世話はしないし家庭菜園もしない人である。(田圃の稲穂が白米の元であることを知らなかったのは有名。三島由紀夫は浜辺に植林された松を見て、これは何という木かと地元の人に真顔で尋いた。)うまく説明できないが、漱石の自作の新聞切り抜きは、出入りの庭師が気に入らぬので、自分で盆栽を買ってくるようなものではなかったか。本来の目的(校正・文章の見直し)とはちょっと違う動機からなされたような気がする。