明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 6

173.『友達』(6)――不可解な物語の始まり


 漱石の本領は文章のテニヲハにあるのではない。アガサクリスティの小説が慟哭の文学であるという意味で、漱石の小説もまた、どこを斬っても漱石の血が流れ出す。物語の中の不可解な部分を探ってみても、それを感じることが出来るだろうか。

 本ブログ行人篇3の最後に引用した、三沢の宿所の部屋の右隣がどうしたとかいう話で、『友達』14回の一節の、二郎が三沢の病院から受けた電話のくだりを再度引用したい。このとき電話口の看護婦に対して二郎が言った言葉が、非常に難解である。

 電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日は成るべく早く来て呉れ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気が果してそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういう我儘は成るべく取次ないが好い」と叱り付けるように云って遣ったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「然し行く事は行くよ。君が来て呉れというなら」と付け足して室へ帰った。 下女は何時気が付いたか、蚊帳の穴を針と糸で塞いでいた。けれども既に這入っている蚊は其儘なので、横になるや否や、時々額や鼻の頭の辺でぶうんと云う小い音がした。(『友達』14回再掲)

 三沢の身勝手な要求に対して、短気な二郎は怒った。どちらも漱石の分身ではないかという指摘は、この際棚上げしておく。二郎は看護婦に「そんな用件はとりつぐな」と𠮟りつけたが、それも気の毒なので、「然し行く事は行くよ。君が来て呉れというなら」と言って電話を切った。この「君」が誰を指すかは議論の分かれるところであろう。文章上は看護婦であろうが、意味が繋がらない。二郎が突然三沢の看護婦に対してシンパシィを感じたのか。意味を繋げるためには「君」は三沢でなければならないが、二郎はこの言い方でそのまま看護婦に伝言を命じたということだろうか。
後で看護婦に対して気の毒になったので」という言い回しも謎である。電話をいったん切ったわけでもあるまい。ここでの「後で」というのは、「そのうちにだんだん」という意味合いであろうが、二郎は三沢の看護婦ともっと別のおしゃべりでもしていたというのか。漱石は電話が嫌い、というよりは当時電話は電報の音声版(リアルタイム版)のようなものだから、雑談をするという発想はない筈である。引用したくだりの時間の経過は、どんなに長く見積っても1分以内であろう。それとも漱石は、
「それも看護婦に対して気の毒なので(と思い直した)」という意味で、
後で看護婦に対して気の毒になったので」と書いたのだろうか。
 二郎の気持ちの変化は否定のしようがない。自分の怒りには合理性がないと思い直したのであろう。漱石はその「変化」には「時」が必要であると、正当にも考えたのか。実際には経過しない時間を、経過したように書いたのか。つまり無を有のように書いたのか。

 まあこれは問題にする方がおかしいのかも知れないが、提起した以上あえて解をひとつ与えるとすれば、漱石はしゃべりながら考える人ではないということか。この誠実さ。この不器用さ。あるいは単に電話に逆上した・・・。

 下女の動きも不可解である。今言った「1分以内」に固執するつもりはないが、二郎の離席の間に蚊帳の綻びを繕うような作業が可能であろうか。それともこれは何かの暗喩であろうか。下女が釣った蚊帳に穴が明いていたので蚊が入って来た。いつの間にかそれは繕われていたが、中の蚊はそのままである。二郎は夢を見ているのか。

 夢でない証拠に、翌日たる次の回にはこんな記述がある。二郎は病院に出かける。三沢は相変わらず氷で腹を冷やしている。

 自分は看護婦の方を向いて、「昨夕は御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色の蒼い膨れた女であった。顔付が絵にかいた座頭に好く似ている所為か、普通彼らの着る白い着物が些とも似合わなかった。岡山のもので、小さい時膿毒性とかで右の眼を悪くしたんだと、此方で尋ねもしない事を話した。成程この女の一方の眼には白い雲が一杯に掛っていた。
「看護婦さん、こんな病人に優しくして遣ると何を云い出すか分らないから、好加減にして置くが可いよ」(同15回)

 二郎が三沢の看護婦に「昨夕は御苦労さま」と「礼を述べた」のは、何を指すのか。一般的な儀礼として「いつもお世話になります」と言っているのではなかろう。そもそも漱石はそんなセリフを1行たりとも書いたことがない。見舞いの初日に二郎の前で、この派遣されたばかりの看護婦のしてくれたことは、アイスクリームを病人に食わしてよいか医局に聞きに行ったことだけである。慥かに看護婦に礼を言ってもバチは当たらない。しかし明治の男漱石としては、異例の丁寧さではないか。

 物語はこのあと三沢の病室を主な舞台に移して進行する。当然看護婦は(他の看護婦も含めて)主要な役柄を担う。そのとっかかりの丁寧さと誰もが思う。しかし漱石にはよくあることだが、この看護婦は、その後行方不明になったかのようにも読める。後章で活躍する三沢の看護婦に、この岡山生まれの片目の悪い、蒼く膨らんだ看護婦の面影はない。
 看護婦ばかりではない。さまざまな漱石作品に登場する下女・女中もまた、小説の中で長く同じ役者によって演じられることがない。いくら人格に重きを置かれない登場人物であっても、いったん小説に登場した以上、幽霊ではないのだから勝手に消えたり出たり、人が変わったりしないのが普通であろう。しかるに漱石の場合、(エキストラに近い人物を除いて、)彼らの出処進退が明らかになっているケースは、本当に僅ない。

 前作『彼岸過迄』でも、「須永の家は彼と彼の母と仲働きと下女の四人暮しである事を敬太郎はよく知っていた」(『停留所』2回)と書かれていた須永の家の仲働きは、(『停留所』10回で申し訳程度に参照されたあと、)物語に一切登場しないし、下女も『須永の話』でお作という小間使いとして生まれ変わるまでは、下女として再度触れられることはなかった。
 『明暗』でも、津田の通った医院の看護婦や湯河原の宿屋の女中等、個人の特定が困難な描かれ方(ランダムな描かれ方)をすることについては、前著(『明暗』に向かって)で述べたところ。
 これは漱石の中で、看護婦や女中が本当にそういう存在だったことによるものであろう。小説としてはどちらかと言えば瑕疵の方に属する話であるが、漱石の場合は自己の感性に正直に書くという観点から、むしろ美徳の方向へ振れて、あまりにも有名な女主人公たちの陰で、これらの看護婦・下女の描かれ方が目立たなくなっているのであろう。

 ところで瑕疵といえば、この看護婦の登場シーンで、

 三沢は看護婦に命じて氷菓子を取らせた。自分が其一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってと留めに掛った。すると三沢は怒った。(同13回)

 この引用傍線部分の「三沢」が原稿では「岡田」になっていたようである。先の『彼岸過迄』でも漱石は1ヶ所敬太郎と市蔵を取り違えて書いた。(本ブログ彼岸過迄篇24『須永の話』(2)――「寅さんの原景」を参照)
 よく識っている人でも名前を言い間違えることはままあることである。フロイトの援けを借りなくても、腸と脳は繋がっているのだから、漱石は大患後やはり本復状態になかったのだろう。朝日は漱石の看護にはそれこそ社を挙げて尽くした。編集者は何をしていたのだろうか。